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シンクロニシティ10

作者:ミジンコ
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第十八章

 飯島はその男から録音機を受け取ると店をすぐに立ち去ったが、太った男の方はコーヒー一杯で小一時間喫茶店に粘った。榊原と石田は、店の中にいる親父からの連絡をじりじりと待った。ようやく男が席を立ったと聞いて、榊原は車の助手席から降りた。
 男が車であれば途中で榊原を拾い、電車であれば石田は車を捨てることになっていた。車のエンジンを入れ、じっと前方を睨んだ。男は階段から下りてくると左右を見回し、駅に向かった。
 レディースクレジットは豊島区役所を巡る細い路地裏の一角にある。その喫茶店はそこから歩いて5分の距離だ。男は池袋駅に向かっていた。明治通に出ようとしている。榊原は石田に電話を入れた。
「男は、駅に向かっている、パルコの前まで車を回せ。兎に角、こちらが指示をだすまで、そこで待て。男が地下鉄かJRを使うようなら連絡する。」
 男は明治通りに出ると、迷わず地下街入り口に向かった。榊原は携帯で叫んだ。
「男は電車だ。JRか地下鉄だ。車を捨てろ。」
石田は車を置いて外に出た。親父さんに車の位置を連絡する。地下街に下りる入り口まで百メートル。必死で走った.携帯を耳にあてた。携帯は繋ぎっぱなしになっている。
「男は地下街の西に向かっている。東武デパートを抜けるところだ。有楽町線の入り口を通り過ぎた。奴は地下街を要町方向へ向かっている。」
有楽町線の入り口を越えて暫く行くと、柱の陰に隠れている榊原の後姿が目に飛び込んできた。近づくと、榊原がにやりと笑って言った。
「奴も例の便所に立ち寄ってる。笹岡といっしょだ。これも、お前さんの言う、何とかという偶然の一致か。」
「シンクロニシティだ。いい加減、覚えろ。俺は奴の前を歩く。出口は右にしろ左にしろ、見失うことはない。」
 榊原をやりすごし、ゆっくりと歩いた。トイレを横目で覗くと、男が便器に向かっている。太っていると思ったが、そうではなく分厚い筋肉に包まれているようだ。ゆったりと着こなした黒い背広が筋肉の動きに合わせて揺れた。

 男は歩きながら小さく呟いた。
「やっぱ、人生は、出会いだぜ。」
何度も頷きながら、ぽっかりと開いた地下街の出口に向かって階段を上った。二人の男に尾行されているなど思いもしなかった。
 あれから一月が経とうとしている。あの日、たまたま池袋駅で会った中学の同級生に誘われて同窓会に顔を出したのだ。ちんけな店に案内された。そして誰もが驚きと羨望の眼差しを送ってきた。思わず身震いした。
 仕立ての良いダブルのスーツ、100グラムを越えるプラチナのブレスレット、万札の詰まった鰐皮の財布、名刺には社長の肩書。皆を赤坂の高級バーに誘った。誰もが財布の中身を気にして怖気づいていた。お目に掛かったこともないような美人がわっと寄ってきたからだ。
「今日は俺の奢りだ。遠慮なくやってくれ。」
そう言うと昔の仲間は漸くほっとしたように席に着いた。優越感に満たされた。昔子分だった男が近づいて来て言った。
「松谷さんは昔から肝が座っていましたもんね。どっか違うと思ってましたよ。」
 この男が松谷から離れたのは高一の時だ。松谷の残忍さを嫌ったのだ。喧嘩相手の目を親指でえぐるのを目撃して、顔を歪めた。仲間を抜ける時の言い草がいい。「俺はあんたとは違う人間だと思う」と男は言った。松谷はぶちのめしてやった。そいつが擦り寄ってきたのだ。思えば、あの日は一般人として振舞った初めての日といってよかった。
 そうだ。俺は普通の人間ではない。何故なら俺は普通じゃないことを平然とやってのける人間なのだ。男は地上に出ると、再び呟いた。
「もし、飯島さんに出会わなかったら、俺の人生、真っ暗だったなあ。」
 飯島が上村組に姿を見せるようになったのは10年ほど前のことだ。飯島は最初から組長の客分で、待遇も良かった。松谷はその頃、たこ焼屋が唯一のシノギの下っ端で、飯島とは話したこともなかった。たまに、事務所ですれ違う程度だった。
 しかし、松谷は常に飯島を意識していた。この世界では男が男に惚れるということがよくある。最初はそれかと思っていたのだが、どうも質的に異なる。それが恋だと気付くのはずっと後のことだ。
 いつしか飯島は組長の弟の面倒を見るようになっていた。組長の弟、上村正敏はどうしようもない男だったが、飯島は正敏の言うことを何でも聞いた。親しげな二人を垣間見て嫉妬を感じた時もあったが、今は違う。飯島は正敏を利用しているに過ぎないのだ。
 松谷に転機が訪れたのは6年前のことだ。正敏がどじを踏んだ。女が警察に逃げ込んだのだ。覚せい剤使用が露見するところだった。正敏は警察では何とか言い逃れたが、女の存在が邪魔になった。飯島に命令が下った。その時、飯島は助っ人に松谷を指名してきたのだ。緊張する松谷に飯島は言った。
「女は殺す。お前は苦もなくやってのけるだろう。どうだ。」
「ええ、苦もなくやってみせます。」
「よし、今から渋川に向かう。一週間で片をつける。いいな。」
「はい。」
息はぴったりだった。少しの躊躇もなかった。女をさらって絞め殺し、山に埋めた。ただそれだけのことだ。二人目は病院に忍び込んで自殺に見せかけて殺した。飯島は夕飯のために鶏の絞めるように人を殺した。松谷も仕事を片付けるという感覚は同じだった。
 この間、二人の間に何か起こるのではないかという密かな期待は、一瞬にして潰えた。飯島は渋川の女を殺す前に犯したのだ。「お前もやれ」と言われ、萎えそうになるのを、飯島の顔を思い浮かべ必死で果てた。松谷の儚い恋はこうして終わりを告げたのだ。

 飯島の舎弟になったことが松谷の運命を変えた。一挙に羽振りが良くなった。飯島が気前良く金をくれるからだ。飯島には裏のシノギがあったのだ。それがヤクだと知れたのは、正敏が組長にばらしたからだ。 しかし、飯島にお咎めなし。組長との取引が成立したのだ。
 それから上村組も変わった。急に金回りが良くなった。組長は次々と事業を起こし、軌道に載せていった。まるで企業家気取りだ。馬鹿馬鹿しい。飯島が裏で上村組を操っていることを誰も知らない。しかし松谷は気付いた。だから飯島に忠誠を誓ったのだ。
 坂本警部のことは最初から疑っていた。飯島は坂本を評してこう言った。「坂本はもともと武士だ。武士が商人のように手を揉んで近づいて来る図は不自然極まりない。奴の額に浮かぶ冷や汗を見たか。それが真実を語っている。」こう言ってにやりと笑った。
 麻取りが動き出すと、飯島は松谷に坂本を見張るように指示した。確かに坂本は飯島のシボレーを追跡していた。松谷がそれを報告すると、「やはりな、分かっていたが、坂本の執念はさすがに武士のものだ。」

 飯島は、ここ数年時代物の小説にに凝っている。特に池波がすきなようだ。彼に言わせると、日本の武士道は朝鮮半島から伝わった朝鮮文化だという。松谷は飯島が北朝鮮のスパイかもしれないと薄々感じていた。しかし、それに目をつぶっていた。
 若い頃、朝鮮人との喧嘩に明け暮れた。何人もの朝鮮人の目に親指をグイとめり込ませ潰した。その朝鮮人と思しき男に今使われている。松谷は何の痛痒も感じていない。飯島の生き様が好きだからだ。飯島はただこう言うだけだ。
「人間は死ねば無だ。ということは、生きているうちに、どれだけ美味いものを食うか、美人を抱くか、いい思いをするか、それに尽きる。そうだろう。」
 松谷はふとその言葉を思い出し、「そうだ。」と口に出した。自分がつけられているとは露ほども考えていない。
 松谷は急に思い立った。そうだ、あの女もやってしまおう。どちらかというと松谷は男が好きなのだが、女のケツも決して嫌いというわけではない。そういえば洋介も武士だったと思う。松谷はあの洋介を何度も責めた。そして洋介は最後に松谷に逆襲したのだ。

 松谷は洋介の反撃に感動した。最後の力を振り絞り、プライドを守ろうと立ち向かってきたのだ。食事の時に与えた割り箸を使ってである。歯で先を尖らせていた。ふらふらになりながら松谷の首に狙いをつけて突き立ててきたのだ。危うく逃れた。
 つかの間の恋人に別れを告げ、松谷も武士として振舞った。腰のサバイバルナイフを引きぬき、洋介の頚動脈を切り裂いたのだ。洋介は迸る血を横目で見ても動じなかった。憎しみの目を剥いて睨み続けた。意識が遠のいてばたりと倒れた。感動的だった。奴も男として死んだ。悔いはないだろう。
 涙を滲ませ、松谷はアジトに急いだ。山手通りを渡り有楽町線要町駅に向かう。しばらく歩いて右に折れた。通りの両サイドでつけていた石田も榊原も何食わぬ顔で歩を早めた。暫く行くとコンビニがあり、男はその手前を左に曲がった。
 石田が通りを渡って榊原に追い付き、二人は曲がり角から男を窺った。男は塀の中に入るところだ。塀の中には頑丈そうなビルが建っている。二人は塀に背中をつけ、頷きあった。ようやく、たどり付いたのだ。
 二人は通行人を装いゆっくりと歩いた。ビルはコンクリート塀に囲まれ、道路から20メートルほど奥まったところに位置する。門扉はなく、10メートル位の進入路が切られているだけだ。右手奥には焼却炉が見える。
 三階建てのビルの一階は駐車場スペースのようで、シャッターが五つ。一つが開いていてベンツが見える。入り口は左側のアルミのドア一つで、恐らく入るとすぐ階段になっている。二階は事務所スペースのようだ。

 榊原は小野寺から貰い受けた拳銃をベルトから引きぬいた。石田が問いただす。
「まさか、乗り込もうというんじゃないだろうな。」
「そのまさかだ。奴は俺達に感づいていない。明日は晴美を連れ出す日だから用心するだろう、今がチャンスだ。」
 榊原の言葉には子供じみた強がりが感じられた。それは父親を意識してのことだろう。
「馬鹿なこと言うな。いいか、あの二階にも三階にも晴美はいない。」
「何故そんなことが分かるんだ。」
「いくら二階三階に意識を集中させても何も感じない。俺を信じろ。」
榊原は瞬時に石田の言葉を信じた。石田の勘が鋭いのは先刻承知だったからだ。
 大学時代二人がリングで殴り合っていた時だ。石田が急にうずくまった。「あの時と一緒だ。和代が死んだ時と同じだ。」とうめいて、その場にうずくまった。その時刻に、石田の両親が事故で死んだと後で知った。
「榊原、いずれにせよ晴美を渋谷に運ぶのはきっとあの男だ。あの男さえマークしていれば晴美にたどり付く。根気よく待とう。」
「しかし、こんな場所でどう見張ればいいんだ。ここで二人が突っ立っていればすぐに怪しまれる。」
「あのベンツを見ろ。あれで晴美を迎えに行き、渋谷まで運ぶのだろう。俺はあの車の後に隠れている。お前はこの近くまで車を持ってこい。何かあれば携帯で連絡する。」
「よし分かった。この拳銃を持っていろ。」
「いいや、この伸縮警棒で十分だ。今日か、明日、奴は動く。奴が晴美に接触する時にこそ拳銃が必要になる。その時まで持っていろ。」
「よし、ここで見張っている。あのシャッターまで走れ。」
石田は開いているシャッターに駆け込み、ベンツの後ろに隠れると榊原に手を振った。榊原はにやりと笑いその場を去った。

 思いのほか広い駐車場だ。奥は薄暗くて良く見えないが、車がもう一台置いてあるようだ。近づいてみると車にはシートカバーが掛けてある。こちらの方が隠れるのには都合がよい。石田は車と壁の間に身を沈め、持久戦に備えた。
 腹が鳴る。朝、コンビニで買った握り飯二個食べただけで、昼飯を抜いていることに気付いた。蒸し暑い。ティシャツもコットンのジャケットも汗まみれでぐじゃぐじゃだ。腰に差した警棒を取り出し、掌を叩いてその重さを量った。
 そしてパンツの裾の上から右足外側に隠した拳銃をゆっくりと擦った。やや小ぶりのオートマティックだが銃弾は8発装填されている。これだけの装備があれば何とかなるだろう。再び腹が鳴った。角のコンビ二を思いだし深い後悔の念に襲われた。

 最初の変化は、2時間後の6時半頃起こった。唯一開いているシャッターが外側から締められた。うとうとしていて、その音で目を覚ましたが、まさに飛びあがらんばかりに驚いた。次第に明かりが薄れ、しまいには真っ暗闇になった。
 恐怖が心臓をわしづかみにし、その鼓動が速まるのが分かる。石田は生まれて始めて漆黒の闇を体験した。生き物にとって光りが唯一の希望なのだ。目を閉じていたほうが、まだ心の平安を保てる。石田は目を閉じ、そして耳を澄ませた。
 再びシャッターの音が聞こえてきたのは、それから2時間後のことだ。石田は警棒を握り締め、シャッターから漏れる明かりを見守った。漆黒の闇に月明かりが差し込む。微かな光が駐車場全体に充満していった。石田は腰を上げた。
 光りの中に一人の男の姿が浮かび上がった。男はベンツの横を歩いて行き、そして腰を屈め何かを操作したようだ。半開きのシャッターが再び閉まり始め、同時に床が振動しはじめた。ベンツの横の地面がせり上がった。機械的な音が断続的に続く。石田は目を見張った。晴美は地下にいるのだ。
 床が斜め45度にせりあがって止った。シャッターが閉ざされ地下からの光りで、例の男の横顔がくっきりと浮かび上がる。その顔がだらしなく歪んだ。男が階段をゆっくりと下りてゆく。
 石田は車の陰から這い出た。男の頭が床の下に消えるとゆっくりと地下室の入り口に近づいた。首を突き出して地下に続く階段を見下ろした。男の後姿が見える。ワイシャツが汗に濡れて、盛り上がった背中の筋肉を浮き上がらせている。
 その筋肉を見て、奴に勝てるかどうか不安になる。警棒を握り締め、階段を下り始めた。
 男はすぐに気付いて振り向いた。背中に手を回して何かを掴んでいる。二人は上と下で睨み合った。男が唸った。
「貴様、どこから湧いて出やがった。この蛆虫が。」
「俺が蛆虫だと何故分かったんだ。サナダムシのふりをしていたんだが。」
 男はにやりとして背中から刃渡り20センチもあろうかと思われるサバイバルナイフを抜いた。石田が一歩踏み出した。男も一歩上がった。石田にとって不利な体制だ。脚ががら空きだ。石田はナイフの間合いを避けるぎりぎりまで一気に下がった。男がナイフを右に薙いだ。
 石田はそれを避け、左に飛んで床に着地した。男はナイフの手さばきに自信があるのだろう。右手をだらりと下げて、無造作に歩をすすめてナイフの間合いに立った。石田の警棒は15センチだが、振り出すと60センチになる。ナイフより40センチ長い。
 男が一気に距離を詰め、右上に薙いだ。首を狙ったのだ。石田は極端な前屈みから、重心を一瞬後足に移して刃先を避けた。同時に真上にあげた警棒を男の首筋に斜めに振り下ろした。男は膝から崩れ落ちた。石田は男からナイフをもぎ取った。
「仁。」
石田が振り返る。晴海が牢屋の窓の鉄格子を握り締め、石田を見詰めていた。その目から涙がほとばしる。石田は駆け寄ろうとするが、ふと思い出し、倒れた男のポケットを探った。右ポケットに鍵が入っていた。
 鍵を開け、晴美を抱きしめた。ティシャツは薄汚れ、ジーンズはよれよれだ。髪はぼさぼさで臭い。ふと和代を抱きしめているような感覚に襲われる。
「きっと来てくれると思っていたわ。何度も夢で見たの。だからへこたれなかった。」
「ああ、もう大丈夫だ。お母さんの所に帰れる。」
「仁、その男、動いたわ。」
振り返ると、男が腰を浮かせている。石田が声を掛けた。
「目覚めたようだな。」
男はそれには答えず、一瞬にして階段横に掛けより内線電話を取り上げ怒鳴った。
「敵襲、敵襲。地下室に敵が侵入した。」
石田はナイフを握り締め、男に近づき首にそれを押し当てた。
「敵襲とは随分時代錯誤な言葉だ。相当焦っているわけか。おい、受話器を置け。」
男は素直に従った。石田が聞いた。
「しばらく地下室のあの蓋を閉めたい。どうすればいい?」
「さあ、知らん。」
石田はナイフに力をこめた。男が言った。
「どうした、サナダムシ。押し付けるだけじゃ駄目だ。ナイフは引くんだ、そうしなければ血は噴き出さない。どうした引くんだ。引いてみろ。お前はその度胸があるのか?」
石田は血の気が引くのを感じた。男は石田がそれを出来ないと分かっている。どうする?迷った。
「確かに、残酷な光景は見たくない。だけど、この程度なら我慢できる。」
石田は男の膝裏に自分の膝頭を思いきり当てた。男が前にのめった。石田は屈んでゆっくりとナイフの刃をじっくりと引いた。男の悲鳴が響いた。石田が言った。
「右足のアキレス筋に続き左足も切ろうか。どうする。」
この男のような筋肉マンにとってアキレス筋を失うことは誇りそのものを失うことなのだ。
「待ってくれ、その箱の陰にあるレバーを左に回せ。」
晴美が駆け寄ってレバーを回した。地響きを伴って床が下り始める。外で何人かの声が響く。半分まで閉まった天井床から男が顔を覗かせた。石田が持っていたナイフを投げつける。男のはそれを避けた。床が軋みをあげながら閉じられた。
「おい。上でも操作できるはずだ。どっちに優先権があるんだ。」
「当然上だ。」
石田は男を引きずり、晴美の入っていた牢屋に押し込めた。
「晴美、俺の後ろにいろ。もうすぐ、敵が地下室の床を上げて入ってくる。」
 石田は、右足から拳銃を引きぬいた。晴美が石田の背中に抱き付いてきた。そして涙ながらに言った。
「仁、右のその木製の箱を見て。中はセメントで固められているけど、その中に洋介君がいるの。」
 石田が視線を落とした。そこには木製の縦長の木箱が置いてある。表面はコンクリートで固められているが、その内部に洋介君が横たわっているのだろう。石田は木箱に向かって黙祷しただけだ。それ以上の行動を取るゆとりもなかった。
「晴美、もう泣くな。きっとあのデブが殺したんだろう。敵をとるか?もし望むのならあのデブを殺してやる。」
「やめて、そんなことを言ったんじゃないわ。あの男を殺しても洋介君は戻ってこない。」
「今の俺なら難なくやれそうな気がする。自分でも怖いと思うが、今の俺なら何でも出来る。そんな気がする。」
「怖いこと言うのやめて。仁。いつもの仁に戻って。」
 そう言われても石田の興奮は納まりそうもなかった。床が開けば間違いなく敵が襲いかかってくる。石田の持つ拳銃には8発の銃弾があるだけだ。敵は何人いるのか分からない。しかし、石田の興奮はその生死を分けた闘争に誘発されていたのである。 
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