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シンクロニシティ10

作者:ミジンコ
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第十九章

 天井が開ききるまでの間、石田は作業台を横倒しにし、晴美を台の陰に伏せさせた。見回す限り、銃弾に耐えられそうなものはこの厚い木製の台くらいだ。しかし、あまり自信はない。鉄格子越しに男が地上の仲間に叫んだ。
「気をつけろ、奴は拳銃をもっている。入って左だ。作業台の裏に隠れていやがる。」
 男は牢屋から覗いて、石田が拳銃を取り出すのを見ていたようだ。入り口付近に複数の人の気配がする。緊張で掌が濡れる。左手で拳銃の筒先を握り、右手の汗をジャケットで拭う。そしてもう一度握り直した。階段の左端に銃口が見えた。
 石田が頭を引っ込めた途端に鋭い銃声が響き、密閉空間にこだまする。目暗滅法撃っている。そのうちの一発が木製の台に当たった。晴美がキャッと悲鳴を上げた。一瞬ひやりとするが銃弾は貫通しなかった。一瞬訪れた静寂に、石田は耳を澄ませた。
 すると外で銃声が一発、それに続いて切迫した怒鳴り声が聞こえ、三発銃声が響いた。榊原が攻撃したのだ。続けざまに銃声が響く。榊原は不利な闘いを余儀なくされているようだ。榊原のリボルバーは6発の銃弾しかない。派手に撃っているのは敵の方だ。
 しばらく静寂があって、また銃撃が始まった。音の強弱から、榊原の一発に対して数倍の反撃が加えられているのが分かる。石田は「晴美、ここから動くな」と言って立ちあがった。
「仁、立っちゃだめ。危ないわ。」
「いや、そうも言ってられん。榊原がやられそうだ。」
「おっちゃんも来ているの。」
「ああ、とにかく、そこを動くな。」
 石田は階段に近づき、入り口を覗いた。誰も見えない。銃声は散発的になった。階段を上がり始める。頭を傾げ、右目で床面から外を覗った。シャッターの内側に人影は見えない。一気に階段を駆け上がる。銃声が一斉に鳴り始めた。石田は床に倒れ込んだ。
 銃声は建物の外から響いている。石田は立ちあがり、柱の陰に身をひそめ、外を覗った。そして目を見張った。二人の警官が片膝をつき、向かいのビルに銃を向けている。石田も目を凝らせて見るが、ビルの周りは暗くて何も見えない。
 警官に銃を向けてはみたものの、迷った。もしかしたら、近所の交番から駆けつけた警官ということもあり得る。その時突然サイレンの音が響いた。パトカーだ。付近の住民が通報したのだろう。一人の警官が立ちあがり駆け出して、塀のかげに消えた。その後姿を見ていたもう一人もその後を追った。
 前のビルからは何の反応もない。塀が途切れた所から30メートル付近にオレンジ色に点滅する光りが見える。たまたま付近を巡回中のパトカーが駆け付けたのだ。遠く近く、あちこちからサイレンの音が聞こえてくる。東京中のパトカーが集まって来そうだ。

 これより5分ほど前、ビルの左側にあるドアが乱暴に開けられ、制服警官二人が飛び出してきた。一人がベンツのおいてあった場所のシャッターを開けている。シャッターがガラガラと音をたてて天袋に巻き込まれる。もう一人が駆け込み、ベンツの脇にしゃがみ込んで何かを操作している。
 榊原は潜んでいたビルの脇から出て、通りを渡った。塀の陰から中を覗くと、シャッターの陰で見えないが、機械的な音が響いている。近づこうと、塀から頭を出したとき、ふと左方向のドアに男がいて、携帯で話しているのに気付いた。
 榊原は男を見て愕然となった。なんとその男は石川警部だったのだ。その時、銃声が響いた。8発だ。一人の制服警官はベンツの前で銃を構えている。ということは、もう一人の警官が一丁の拳銃で8発連射したことになる。つまり彼等は偽警官だ。警官の銃は5発しか装填されていない。
 躊躇なく制服警官に向けて拳銃の引きがねを引いた。弾はコンクリートに当たって跳ねた。制服警官は咄嗟に柱の陰に隠れて、何か叫んだ。そして二発三発と続けざまに撃ちまくる。静寂が訪れる。 
 榊原も狙いを澄まして、一発撃つ。反撃は凄まじい。しまいにはカチッカチッと銃弾が切れ、空打ちの音が響く。それを見てもう一人が撃ち始める。再度狙いをつける。絶対にはずすものかと撃ったが見事に外れた。もう少し練習しておくのだったと後悔したが後の祭りだ。
 一人が踊り出て、焼却炉の陰に隠れ、カートリッジを交換している。今度こそと思い、塀に銃を固定して、顔を出すと思われる位置に向けた。男が銃を構え、顔を出した。引き金を引いた。銃弾はコンクリートに当たってはじけた。
 榊原の潜んでいる塀に銃弾が何発も撃ち込まれ、コンクリートが弾け飛んだ。石川警部も撃っている。思わずかがみこんだ。焼却炉の右端から男がまた銃を構えた。そこからだと榊原は丸見えだ。榊原は走って通りを渡り、ビルの脇に隠れた。 
 二人の警官が塀の両脇から榊原の潜む暗がりに銃を向けた時、サイレンの音が近くで響いた。榊原はビルと塀の僅かな隙間を奥へ奥へと後退さりして通りから離れた。もうすぐこの辺は警官でいっぱいになる。石川警部は一帯を捜索させるだろう。その前に何とか車にたどり着かねばならない。あちこちからサイレンが聞こえてくる。

 石川警部は、駆けつけたパトカー乗務員二人にバッジを見せながらすぐさま名乗った。
「警視庁捜査一課の石川だ。警官殺しの犯人とおぼしき男を尾行中拳銃の音を聞いて駆けつけた。既に本庁には連絡してある。応援が駆けつけるまで、ここでの指揮は俺がとる」
二人はすぐさま敬礼し、指示に従うそぶりをみせたが、硝煙の臭いのたちこめる現場である。二人は興奮していた。ひとりが、「あれは何だ」と叫んで駆けだした。ベンツの脇の床が45度の角度で持ち上がっていて、下から光りが漏れている。石川が舌打ちしながらそちらに近づいて行く。地下室の入り口がぽっかりと開いている。
「何だこれは。地下室じゃないか。」
 石川警部は自分でもわざとらしい演技だとは思ったが、しかたがない。中にはデブの松谷がいる。顔を合わせるのはまずい。まして、ここをうまく収めるよう飯島に指示されている。それをどう実行に移すかが問題だった。
 パトカーのサイレンの音が次第に近づいてくる。冷や汗が脇を濡らす。外にいる二人の偽警官が上手くやってくれることに期待するしかない。
「石川警部、自分が入ってみます。」
パトカー乗務員の臼井巡査と名乗った男が申し出た。やや小柄だが敏捷そうな男だ。石川が命令口調で言った。
「まず、中に声をかけてみろ。」
「はい。」
臼井は腰を屈めて、叫んだ。
「誰かいますか。どなたかいたら返事してください。こちらは池袋警察署の臼井巡査です。」
サイレンがまじかに迫った。どうやら二台目が到着したようだ。遅れれば遅れるほど面倒になる。石川は額の汗を拭う。中から声が響いた。
「二人います。一人は行方不明だった少女で、ここに監禁されていました。私はその父親です。」
「嘘だぞ、そいつは拳銃を持っている。」
松谷の声だ。臼井巡査が石川を振りかえり、困ったような顔で石川の指示を待つ。石川は考えを巡らせるが混乱した頭は真っ白なままだ。すると再び声がした。
「確かに銃を持っている。しかし、これは使っていない。監禁された娘を取り返すために持って来たんだ。それより、臼井巡査、貴方は本当に警官ですか。それを証明できますか。」
臼井はこれを聞いてはじかれたように笑いだした。そして笑いながら答えた。
「これは驚いた。パトカーに乗って、しかもこの制服を着ていて、本物かどうか疑われたのははじめてです。」
今度は少女の声だ。
「まずは顔を見せなさいよ。私は、何週間もここに監禁されていたの。人間不審になってもしょうがないでしょう。」
「お嬢さんがいるみたいですね。監禁されていたっていうのも本当らしい。いいでしょう。これから降ります。もう一人は内田巡査部長と言います。撃たないでくださいね。」
臼井巡査が階段を降り始めた。石川は思わずほくそえんだ。外にいる二人の偽警官であればこうも上手くことは運ばなかっただろう。臼井巡査の人柄が下の二人を安心させたのだ。もう少しだ。もう少し、時間があれば飯島の命令に応えることが出きる。

 先ほど電話を入れて緊急事態を伝えると、飯島は石川に指示を与え、最後に、こう付け加えた。
「俺は次の事態に備える。絶対にうまくやれ。」
そう言って、飯島は電話を切った。次の事態に備えるとはどういう意味なのか、石川には理解できなかった。とはいえ、飯島の指示は地下室を誰にも知られずに密閉し、晴美を確保することだ。パトカー乗務員の臼井と内田は葬りさらねばならない。

 四人が階段を上がってくるまでの時間が途方もなく長く感じた。臼井は石田から預かった拳銃をビニール袋に入れて手に持っていた。臼井が二人から聞いたこれまでの経緯を話している時でさえ、次々とパトカーが到着する。石川は気が気ではない。
 石川がビニール袋に入れられた銃を受け取ると、二人のパトカー乗務員、臼井と内田にに新たな指示を下した。
「よし、分かった。私が二人を保護しよう。それより、地下をもう少し調べてくれ、中にもう一人の声が聞こえた。」
「ええ、それが彼女を拉致した犯人のうちの一人だそうです。」
 二人は石川に敬礼して、再び地下に降りてゆく。奴等を地下室ともども葬ってしまわなければならない。石川は少女に話しかけた。
「私は警視庁捜査一課の石川と申します。しかし、大変な目にあったみたいですねえ。体の方は大丈夫ですか。」
「ええ、平気です。でも二食とも油っぽいコンビニ弁当だったのには参りました。」
 石川はことさら大きく笑って見せたが、外の様子を見て気の遠くなる思いに駆られた。制服警官のオンパレードだ。二人の仲間の偽警官が叫んでいる。
「犯人は拳銃を携帯しています。この通りの東側に逃げています。本庁の石川警部の指示です。包囲網を敷くようにとのことです。おたくはこのまま戻って山手通りに行ってください。」
石川がその一人の偽警官に声をかけた。
「おい、澤田巡査。ちょとこっちにこい。」
 澤田と呼ばれた男が振り返り、駆け寄った。石川は澤田に地下室にパトカー乗務員を閉じ込めろと指示した。澤田がビルに向かって走った。しばらくすると、喧騒のなか、床の閉まる振動が後ろから聞こえてきた。しばらくして澤田が何食わぬ顔で横を通りすぎた。

 石田と晴美はパトカーの横で待機していた。ちょっと待っていて欲しいという石川警部の指示に従ったのだ。石川警部は喧騒の中、次々と到着する警察官たちにてきぱきと指示を出し、忙しそうに動き回っていた。
 15分ほどして機動捜査隊が到着して、ビルの回りにテープを張り始めた。機動捜査隊員二人が敬礼して、石川警部に捜査開始を伝えた。石川警部が辺りを見回した。そこに待機している二人の警官を呼んだ。
「おい、そこの二人、ちょっと来い。」
二人は早足に近づいてきた。石川警部が喧騒に負けないような大声で指示を出した。
「この事件は本庁が取りし切る。お二人を警視庁にお連れしろ。特にお嬢さんは疲労困憊されている。手短に調書を取ったら、入院の手続きが必要だ。いいな。分かったな。」
 二人は踵を返しパトカーへ向かう。石田と晴美に事情を説明し、パトカーのドアを開けた。二人は後部座席に落ち付いた。ドアが閉められようやく喧騒から逃れた。二人の警官も乗り込みパトカーが動き出す。

 警視庁と聞いて、石田はほっとした。池袋署は殺された坂本警部のいた古巣だ。例の裏切り者の警部がいるような気がして不安だった。警視庁であれば少しは安心できる。見張る目は多いほど良いに決まっている。
 晴美は疲れているのだろう。しばらくすると石田の胸に顔を押し付けて寝入ってしまった。ふと思い付いて、携帯を取りだし榊原に連絡を入れた。榊原はすぐに出た。石田が言う。
「もしもし、俺だ。今パトカーで警視庁に向かっている。ちょうど飯田橋を過ぎたところだ。」
「おい、前にいるパトカー乗務員に気をつけろ。俺を銃撃したのは偽の制服警官だった。それに、坂本警部と瀬川警部補を殺した警部も現場にいた。石川警部と言う。そいつがお前達に近づかなかったか?」
「ああ、分かった。君もタクシーを飛ばして警視庁に来てくれ。」
そう答えると、携帯を切った。確かに、あの警部は石川と名乗った。助手席に座る警官が話しかけてきた。
「誰に電話したんです?」
「こいつの、お袋さんだ。心配して何日も寝てないんだ。ゆっくり眠れと言っても、今日は眠れんだろう。警視庁に呼んでおいた。」
「それはよかった。お嬢さん、すっかり安心して寝入っていますよ。よっぽどほっとしたんでしょう。」
 警官は前を向いて頷いている。たいした演技力だ。石田は、ベルトに差した警棒を引き抜いた。皇居が見えてきた。道は合っている。内堀通を疾走する。もうすぐ桜田門だ。寝たふりをしながら視線を走らせる。
 桜田門を通り過ぎた。石田は再び警棒を握り締める。桜田通りを疾走する。二人が寝入った思っているらしく、前の二人は気楽に考えているのだろう。しばらくして車は環状線に乗り、芝公園を左に見下ろした。
 相当飛ばしているようだ。車はお台場線との分岐点で羽田線にはいった。そしてすぐに一般道に下りた。石田があくびをして、きょろきょろと車外を見た。大きな倉庫が林立している。
「ここはどの辺ですか。」
助手席の男がにやにやしながら振り返り、言葉を発した。
「目覚めてみれば、地獄の1丁目ってわけだ、石田。よく寝ていたな。」
「ここが地獄の1丁目だとは初耳だ。あそこに見えているのは品川火力発電所だろう。あれが地獄の猛火といいわけか。君もセンスがないねえ。」
 男が顔色を変えた。右腕を動かし、リボルバーを突き出した。
「起きていたってことだ。まったく油断も隙もあったもんじゃねえ。あんたの顔を見てすぐに思い出したよ。中野ではちょっと油断して蹴りをくらった。しかも後までつけられた。しかし、今度は、そうは行かん。」
「俺も、最初に気付くべきだった。あそこに止めてあったパトカーは最初に駆け付けた臼井巡査と内田巡査部長のパトカーだ。彼等はどうした。」
「地下室に閉じ込めておいた。もっとも床の開閉装置を破壊したから、もう日の目は見られん。ミイラになるしかない。ポリ公のミイラなんて見たくもねえがな。」
 こう言って声を出して笑った。石田に向けられた拳銃が上下に揺れた。一瞬の隙をついて、石田は左手で銃身とシリンダーを握った。男の顔が引きつった。石田が言った。
「こうしてシリンダーを握ると引き金が引けないってことを知っていたか。君はまたしても油断したってことだ。」
 男は必死で引き金を引こうとしている。しかし、シリンダーが回らず、従って引き金は動かない。石田は右手に握った警棒を振り下ろした。
 急ブレーキがかかる。車がスピンする。ブレーキ音が心臓に響く。運転していた男が腰の拳銃を抜こうとしてハンドルがぶれたのだ。車は回転しながらガードレールに衝突を繰り返した。石田は諦めて車の動きに体を委ねた。悲鳴をあげる晴美を抱きしめ、ソファーに伏せた。
 強い衝撃が襲った。晴美を抱きかかえながら、最初は前に、そして上に飛ばされた。衝撃は一瞬だったが、衝撃音はしばらく耳に残っていた。ガラス片が顔にへばりついている。前の方でうめくような声が響いた。
「やられた。奴にやられた。」
見ると、さっきの男が携帯で話している。息も絶え絶えで、血だらけで痛々しい。携帯を取り上げるが抵抗する気力も残っていない。手がだらりと落ちた。携帯を切って、晴美に声をかけた。
「大丈夫か、晴美。」
「ええ、大丈夫。仁がクッションになってくれたから。仁こそ大丈夫。」
「ああ、大丈夫だ。ちょっと頭痛がする。前の奴等は相当ダメージを受けている。」
床にオートマティックの銃が転がっている。食指が動いた。これも頂いておくことにした。
 左のドアは何度かガードレールと接触を繰り返すうちに吹き飛んでいる。二人はようやく這い出ると、石田は小野寺に電話を入れた。小野寺はすぐにでた。晴美が無事だというと、深い溜息を漏らした。そして言った。
「幸子にも知らせておく。」
 いで119番通報して救急車を呼び、榊原にも電話を入れる。
「おい、大丈夫か。心配していたんだぞ。だが、電話してよいものかどうか、ずっと迷っていたんだ。」
「ああ、大丈夫だ。すぐに迎いに来てくれ。晴美も無事だ。」
しばらく沈黙が続く。ほっとしているのだろう。
「良かった。本当に良かった。今何処だ。」
 100メートルほど先にコンビニが見える。塀にある住所表示を読んでコンビニの所在を伝えた。急に腹が鳴り、レストランを探すがそれらしき明かりはない。しかたなく、コンビニに入り、隅に備えられた小さなテーブルでカップ麺とお握りを食べた。
 救急車のサイレンが響く。ようやく到着したようだ。晴美はよほど眠たいらしく、石田によりかかりうとうとしていた。ところが、急にたちあがり、
「いけない、忘れてた、」と叫んで、石田の携帯をポケットからぬきとった。
「すっかり忘れてたわ。お母さんを安心させないと。」
 携帯のボタンを手際良く押して耳に当てた。しばらくそうしていたが、首を傾げた。何度かリダイヤルしても結果は同じだった。
「おい、どうした。お母さんは留守か。」
「ええ、出ないの。どうしたのかしら。春代がいるのだから、こんな遅く出かけるはずないわ。」
「春代って晴美の妹のこと?」
「そう妹。パパの血を分けた子よ。可愛いの。まだ小学6年生だけど。」
「春代っていうのか。」
石田は春代と聞いて妹の和代の名前を思い出した。小野寺の思いがこもっているのだろうか。何とも言えない不思議な感動を覚えた。だが、次の瞬間、急激に不安が襲った。

 小一時間程して二人は榊原に拾われた。晴美は榊原の変わり様に目を丸くしていたが、特にそれには触れなかった。確かに、野武士が商人に化けたような変わりようだ。その綺麗に刈り込んだ眉を見上げながら、石田が言った。
「晴美が何度も電話を掛けたが家につながらない。どうしたんだろう」
「お前から電話をもらって、すぐにワシも電話した。その時は通話中だった。いったいどうなっているんだ。つまり、その後何処かに行ったということか。」
と首を傾げた。石田はすぐに了解した。小野寺と幸子が話をしていたのだ。ということは、それまで榊原が言うように、幸子は家にいたことになる。榊原が言う。
「よし、もう一度電話してみよう。」
片手運転で、携帯のリダイヤルボタンを押した。しばらく耳にあてていたが、諦めて首を振った。
「今度は留守だ。30回待って出ないってことは、間違いなく家にはいない。よし、晴美さんを親父に預けたら、二人で行ってみよう。」
「私も一緒に行く」
「駄目だ、撃ち合いになるかもしれないし、これ以上君を危険な目に合わせたくない。いいか君は残るんだ。いいね。」
「分かった。」
消え入るような声で言った。やはり不安は隠し切れない。しばらく重苦しい沈黙が車内を包んだが、石田が大きく溜息をし、気分を変えるように言った。
「晴美、さっき話してやったあの不思議な話しを思い出せ。お前の叔母さんが付いているんだ。心配するな。ところで、今、何処に向かっている?」
「目黒だ。目黒区役所の先だ。さっき親父に電話して確かめた。ところで池袋駅に置いた車はレッカー移動されたんで、親父の借りた車を取り上げて来たんだ。それで親父は怒っている。」
「それはそうだ。あの人のことだ、待つのは苦手だろう。」
「ああ、親父も一緒にあのビルに行くつもりで車に乗った。だけど、足手まといになると思って、親父が煙草を買いに降りた時、置き去りにしてきた。キャンピングカーを渋谷に回せって怒鳴ったら、地団駄踏んでた。」
黙って聞いていた晴美が口を挟んだ。
「親父さんって?」
「ワシの親父だ。頑固もんでな、面倒な男だ。」 
キャンピングカーは広い駐車場でも目立った。車をその横につけた。榊原が恐る恐るドアをノックすると、内側から勢い良く開いて、親父さんがにこにこして顔を出した。榊原を無視し、その手で横に押しのけた。その視線は晴美に向けられている。
「良かった、良かった。本当に良かった。腹すいているんだろう、晴美ちゃん。饂飩をゆでておいたから。さあさあ、中に早く入りなさい。」
晴美を預けると、石田と榊原はすぐに車を発車させた。幸子の家は三軒茶屋にある。ここからすぐ目と鼻のさきだ。しかし、15分もしないうちにキャンピングカーにもどるはめになった。小野寺から連絡が入った。幸子と春代がさらわれたと言う。 
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