至誠一貫
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第一部
第二章 ~幽州戦記~
二十四 ~広宗、陥落~
闇夜を切り裂く、銅鑼や鐘の大音響。
「や、夜襲だーっ!」
「来るぞ、全員叩き起こせ!」
慌てて城壁に集まる賊に向け、
「一斉射撃用意……射てっ!」
火矢を混ぜた大量の矢が、降り注ぐ。
無論、全部の矢が敵に当たる訳がない。
それでも、確実に賊はその人数を減らして行く。
火矢が、城を朧気ながらも、闇夜に浮き彫りにした。
城方からも反撃は来るが、一切の明かりを消した此方を見つけるのは、砂丘で金を探すよりも困難であろう。
「土方様! 城門が開きました!」
伝令が駆け寄る。
苦し紛れに、打って出る、か。
だが、無益な事だ。
そもそも、いくら矢を放っても城は落ちぬのだが……所詮は烏合の衆、考えが至る訳もないのだろう。
「恋。蹴散らして参れ」
「……わかった。行ってくる」
新月の夜では、闇雲に突き進んでも、空振りに終わるだけだ。
一方、此方からすれば、城は動かぬ的。
城門の場所が変わらぬ以上、そこを目がければ良いだけ。
ましてや、放った火矢の幾許かが、格好の灯火となっているのだ。
賊にしてみれば、消火したくとも、この状態では難しかろう。
「うわっ!」
先頭をきった賊が、不意に絶叫する。
「き、急に止まるなっ!」
「馬鹿野郎! 邪魔だ!」
後から出てきた者が次々に転倒して、その都度怒声と悲鳴が上がる。
矢の斉射と共に、城門の両側に兵を走らせてある。
綱を張り、足を引っかけさせる策であったが、上手く行ったようだな。
「痛ぇー!」
「何しやがる、てめぇら!」
賊徒は、まさに混乱の最中。
「ぎゃあ!」
「な、何だ? ぐわっ!」
そこに、恋率いる部隊が突入した。
「……弱い奴は、死ね」
方天画戟が、一人、また一人と、賊の命を刈り取っていく。
この乱戦で、恋を止められる者はおるまい。
騒ぎを聞き付けて、城内から賊の応援が出てきたらしい。
が、城門辺りは立ち往生する者で塞がれている為、混乱に拍車をかけるばかりだ。
「弓隊。城門目掛けて一斉に放てっ!」
愛紗の号令と共に、再び矢の嵐が、賊徒を襲う。
「だ、駄目だ! 退却しろ!」
「城門を、さっさと閉めやがれ!」
「倒れた奴等が邪魔だ、クソっ!」
右往左往する賊に、矢を浴びせ続けた。
「歳三殿。これに乗じて突入はしないのですか?」
ねねの声がした。
「欲をかけば、我らも思わぬ痛手を受けるやも知れぬ。それに、此方は敵に比べて小勢。無理をする事はない」
「それに、これで僅かでも賊の数は減ります。士気も落ちるでしょう」
「疾風(徐晃)ちゃんも、より動きやすくなるでしょうしねー」
「その疾風から、書簡が来とるで。どさくさに紛れて、ウチんとこに届けたみたいやな」
霞は、そう言って竹簡を差し出した。
「中は?」
「読んでへんよ? これは、歳っちが読むべき竹簡やろ?」
「そうだが。受け取ったのは霞なのだから、私は別に構わぬのだが」
「あかんって。歳っちがウチを信用してくれるんは嬉しいねん。せやけど、アンタは大将。ケジメはきっちりせなあかんやろ?」
「……そうか。わかった」
竹簡を受け取り、伝令を呼んだ。
「恋に、引き上げよと伝えよ」
「はっ!」
「……なるほど。皆も、見るがいい」
自陣に戻り、疾風からの書簡に目を通す。
この短期間にしては、詳細な報告が書かれていた。
「張角ら三人は、城内で厳重な警戒の中にあって接触できていない……ですか」
「疾風ちゃんでも手こずるとは、意外でしたねー」
「ですが、これで奴らが広宗にいる事は確実なのですぞ」
確か、張角は広宗で病没した、そう記憶している。
もし、この世界の張角も病なのであれば、警戒が厳重なのも頷けるが。
……だが、それならば何故、張梁や張宝は出てこぬのか。
数では勝るとは言え、退路が断たれている事ぐらい、賊徒も理解していよう。
もともと、防衛に専念するなど、奴らの概念にあるとは思えぬだけに、この状態が続けば当然、士気は下がる一方だ。
その程度も理解できぬ集団、という事なのだろうか?
「ん?」
広宗から、何かが聞こえてくる。
遠吠えのような……いや、違うな。
天幕を出ると、恋が広宗の方を眺めていた。
「恋。何か、聞こえぬか?」
「……人が、吼えている」
「人が?」
「ん」
耳を澄ませてみると、確かに雄叫びのような声がする。
疾風からの書簡には、そのような事は書かれてはいなかった。
つまり、我らには未知の何かが、黄巾党にはあるという事なのだろう。
そうでなければ、ただの賊徒の反乱が、ここまでの力を持つ説明がつかぬ。
「見張りは厳重に致せ。よもやとは思うが、不意打ちがないとは言えまい」
「はっ!」
伝令にそう申し渡し、私は天幕に戻った。
それから毎晩。
鬨の声を上げて押し寄せ、矢を放ち、銅鑼や鐘を鳴らす。
その繰り返しの日々となった。
城方は初日の被害で懲りているせいか、打って出る様子はない。
「これで一週間ね。いつまで続けるつもり?」
軍議の席で、華琳に問われた。
「賊徒が音を上げるまで、と言いたいところだが。そうも行くまい」
「そうね。我らだって、糧秣には限りがあるわ。それに、包囲したまま戦いらしい戦いもなければ、厭戦気分が広がるわ」
「ならば曹操殿、貴殿に良き策がございますかな?」
意味深に、笑みを浮かべる孔融。
「策を立てたのは私じゃありませんもの。ここで、私が口を出す訳にはいきませんわ」
「ま、まぁまぁ。ご両人とも、そのように。もっと穏便に参りましょう」
パタパタと、しきりに扇子を使う韓馥。
孔融は頭脳は明晰そうだが、軍師や英傑といった印象はない。
韓馥に至っては……優柔不断な中年男としか見えぬ。
「風、では次なる策を説明せよ」
「御意ですー」
卓上に広げた地図を示しつつ、風が話し出した。
「現在、広宗に籠もった盗賊さんは大凡、十五万近くになったようですねー。ですが、もともとそこまで糧秣の蓄えがあった訳じゃなかったようで、食事は満足に取れていないようですね。城内から上がる、炊煙が極端に減ってますしー」
「加えて、毎夜の夜襲と見せかけた行動で、寝不足に陥っている事だろう。最も、我らも少々寝不足気味ではあるが」
彩が苦笑する。
「空腹に寝不足から来る疲労、加えて籠城し続ける事での鬱積もありましょう。程立殿、そろそろ、敵方に何らかの動きがある、そう見ていますが、如何でしょう?」
「太史慈さんの仰る事もご尤もですけどねー。ただ、今の盗賊さん達に、そこまで頭が回るかどうかは疑問なのです」
「しかし、このまま座して死を待つ、とは限らんぞ?」
「秋蘭の言う通りよ。程立、そこはどう考えているのかしら?」
「ご心配なく。その為の手は打ってありますしー」
華琳は、何処か楽しげだ。
人物の才能を推し量るのが、生来好みなのやも知れぬな。
「ならば、その言葉、信じましょう。それで、いつ決行するのかしら?」
「今夜は、同じように夜襲の真似をしますので、明日の未明ですかねー」
「決まりね。孔融殿も韓馥殿も、異存はないでしょうね?」
「は、はい。私はそれで」
韓馥は即答したが、孔融はジッと、黙り込んでいる。
「孔融殿? どうかなさいまして?」
孔融は、やっと顔を上げた。
「曹操殿は、何故このような者の言葉を、そこまで取り上げなさるのかな?」
「あら、どういう意味でしょうか?」
「そのままですがな? なるほど、策に筋は通っているが、この者達は何ですかな?」
なるほど、此度は我らが中心となって立てた策。
そのものに異論はないが、それを許した華琳に対して物言いを、という事か。
「孔融殿? 今は出自を問うよりも、如何に勅令である黄巾党討伐を成し遂げるか、それが最優先でしょう?」
「それはご尤も。ですが、万が一この策がしくじったなら、その責めはどなたが負うのです? まさか、無位無冠のこの者共に、とは申しますまい?」
「…………」
華琳と孔融の間で、見えない火花が飛び散っている。
「……いいでしょう。責めは全て、私が負いましょう」
「華琳様!」
「秋蘭、貴女は黙っていなさい。なるほど、ここにいる歳三は無位無冠の者です。なれど、その人となりを見込んで、我が真名を許した相手でもあります」
「ほう、真名を許されるとは。それだけ、この者に惚れた、という事ですかな?」
「孔融殿! いい加減になされませ!」
今度は飛燕だ。
流石に見かねたようだな。
「太史慈、構わないわ。確かに、私はこの男に惚れたわ」
「ななな、なんと大胆な」
暑くもないのに、やたらと汗を拭う韓馥。
「勘違いなさらないで。私は、この男の才能を見込んだだけです。孔融殿、まだ問答の必要がおありでしょうか?」
「いやいや、曹操殿がそう仰るなら、もう何も申しますまい。では、これにて」
そう言い残し、孔融は出て行った。
後を追う飛燕は、一度華琳に向かって頭を下げていく。
「でで、では、私も」
韓馥は相変わらずどもりながら、あたふたと出て行った。
その後を、彩が苦虫を噛み潰したような顔つきでついて行く。
「済まぬな、華琳」
「いいのよ。ああでも言わなきゃ、あの場は収まらなかったでしょうしね」
華琳は小さく、溜息を一つ。
「でもね、歳三。貴方を買っているのも、信用しているのも事実よ? その期待、裏切らないでね?」
「という事のようだ。風、頼んだぞ」
「ぐー」
「……なんか、寝ているようだけど?」
華琳も夏侯淵も、ただ苦笑するばかりだ。
「全く、貴方のところは見ていて飽きないわね」
何も言い返せぬな、これでは。
「歳三殿!」
夜襲の素振りをする最中。
疾風が、打って出た振りをして、我が陣へと戻ってきた。
攻撃を加えていた恋も、数合打ち合う真似をしたのみ。
……尤も、今の賊徒に、その真偽を見抜くだけの気力が残っているとも思えぬがな。
「ご苦労。少し、窶れたか?」
「いえ、お気になさらず。それよりも、張角達の正体、突き止めましたぞ」
その言葉に、皆に緊張が走る。
「それで疾風。張角とは一体、どのような奴なのです?」
「結論から答えよう。皆、少女だ……このような動乱とは無縁の、な」
「動乱と無縁ですと? ですが現に、このような大乱になっているのですぞ!」
「ねねの言う通りだ、疾風。仮にお主の言う通りの人物であったなら、何故ここまで民が苦しまねばならんのだ?」
「まーまー、愛紗ちゃん。少し落ち着きましょうよー。それで疾風ちゃん、続けて貰えますかー?」
「ああ。張角、張宝、張梁。三姉妹は、しがない歌芸人だったようだ。それがある日、急に人気を得て、瞬く間に信者を増やしていったようだ」
「急に、ちゅうのが気になるけどな。それで?」
「そして、舞台の場で『天下を獲る!』と宣言したそうだ。それを聞いた一部の信者が暴走し、気がつけばこの有様……という顛末らしい」
「……は?」
恋を除く全員が、疾風の言葉に固まった。
「ちょ、ちょい待ち! それ、歌芸人が歌で頂点を獲る……そないな意味ちゃうやろうな?」
「……霞。それ以外の、どの意味があると申すのだ?」
「うう~、歳っち~。ウチかて、信じとうはないわ……アホらしゅうて」
「霞、私もだ……。力が抜けるな」
「しかし、わからないのは暴走の挙げ句、とは言え、ここまでの騒ぎになったという事ですな」
「それはですねー、もともとの民の皆さんの不満が溜まっていたせいでしょうねー」
「恐らく、きっかけは何でも良かったのだと思います。たまたま、勢いのある張三姉妹が現れ、不満を爆発させた……そんなところでしょう」
「……私も、事実を知った当初は驚きました。ですが、現に黄巾党は未だに健在です。歳三殿、どうなさいますか?」
「そうだな……」
まずは、有無を言わさず、張三姉妹の頸を刎ねる事。
勅令が黄巾党討伐である以上、首謀者の首級を上げる事は当然だろう。または、捕らえて都に護送する。
見せしめにはなろうが、途中の警護にかかる費えも莫大なものになる上、残党が三人を奪還しに襲撃を企てる可能性が高い。
それに、我が軍は既に大功を挙げているのだ。
これ以上功を成せば、間違いなく妬みを買うだろう。
「疾風。この事に気付いているのは、黄巾党以外には?」
「恐らく、今のところは我らだけかと。ただ、曹操殿もしきりに細作を放っているようですから、いずれは真相が知れましょう」
「……ふむ」
華琳なら、どう対処するであろうか。
容赦なく処断するか、或いは利用するか。
「お兄さん、とにかく捕まえてみてはどうですかー?」
「風。何か、思うところでもあるのか?」
「いえいえ。お兄さんが即決しないところを見ると、張三姉妹の処置にお困りなのかと思いましてー」
「どうやら、単純に頸を刎ねて終わり、とは行かないようですしね。疾風、張三姉妹の警戒は厳重、と言いましたね?」
「ああ。連中としても、いくら担ぎ上げた御輿と言えど、その価値はわかっている筈だ。それに、熱心な信者は個人的にでも守り通すでしょう」
「討つ、となれば至難の業。だが、逃がす、となればどうだ?」
「ご主人様! な、何と言う事を!」
「待て、愛紗。確かに、逃がすとなれば話が変わりますが……歳三殿。本当に逃がすのですか?」
「いや。逃がすと見せかけて、捕らえたい」
「捕らえるのですか? しかし、都まで護送するとなればかなりの負担になりますが」
稟も、そこには気付いていたか。
「そのつもりはない。ただ、確かめたい事がある」
「確かめたい事、ですか」
「うむ。疾風、どうだ?」
「はっ。落ち延びるという事であれば、遣り様があるかと。ただ、稟の知恵を借りたいと思いますが」
「いいでしょう」
「では、二人に任せる故、張三姉妹を必ず連れて参れ」
「御意!」
払暁を待ち、全軍での一斉攻撃が始まった。
夜通し緊張を強いられた上、ただでさえ疲労が頂点に達する時間帯である。
城方からの反撃は弱々しく、一気に突破も可能……そう見えてしまう。
だが、攻撃は続けつつも、良く見れば被害を受けぬ距離に兵が留まっている事が見てとれる。
と、その時。
ドーンという音と共に、搦手の門が開け放たれた。
「今だ! 霞、愛紗!」
「よっしゃ!」
「者ども、続けい!」
「応っ!」
満を辞して、我が軍は突撃を開始。
突破力のある霞が先陣を切り、愛紗が立ち向かおうとする賊を確実に仕留めて行く。
そして、正門と西門から、次々に火の手が上がり出した。
「さて。風、ねね。此処は任せたぞ」
「御意ですー」
「了解なのです!」
二人に頷き返してから、振り向く。
「起きたか、恋?」
「……まだ、眠い」
眼を擦りながらも、準備万端のようだ、問題あるまい。
「では、行くぞ?」
「ん、わかった」
かねてから待機させていた一隊の元へ向かう。
皆、いい顔をしている。
「皆、良いな? これで、ひとまずの終止符を打つ」
「応っ!」
中には、元賊の兵も混じっているが、覚悟は見定めた上の事。
一人一人、迷いや躊躇いはない……そう、断じる事にする。
「参るぞ」
「……行く」
陣を大きく迂回し、東門から程近い、森が目印だ。
ここに兵を伏せ、待ち受ける事にする。
さて、後は疾風を待つばかりだが……。
「……来る」
「疾風か?」
「(コクッ)」
城の方角から、一団が此方へと向かってきている。
先頭に疾風が立ち、その後ろに、男達に囲まれた少女が三人。
あれが、恐らくは張三姉妹だな。
「皆、疾風が立ち止まると同時に、奴らを取り囲め」
「ははっ!」
そして。
何人かの賊は抵抗の姿勢を見せたものの、恋の早業に戦意を失った。
三姉妹は、逃げる気力も失せたのだろう。
私と、疾風を睨み付けつつも、大人しく囚われの身となった。
「済まぬな、疾風。憎まれ役を担わせてしまった」
「いえ。これで、終わるのですね……やっと」
「……ああ」
黄巾党の乱は、確かに終息に向かうだろう。
だが、戦乱の日々は、まだまだ続くのであろうな。
と、不意に疾風が蹌踉めく。
「これ、しっかり致せ」
「は、はい……面目ございませぬな」
「いや、本当にご苦労だった。……ゆっくり、休め」
支えた疾風の身体は、相当に軽かった。
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