至誠一貫
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第一部
第二章 ~幽州戦記~
二十三 ~二人の勇士~
「よし、かかれっ!」
「……行く」
「応っ!」
矢の一斉射撃に続いて、恋と、愛紗率いる歩兵が敵陣へと突っ込む。
「か、官軍だぁ!」
「な、何で俺達みたいな小勢に?」
「わ、わからん! そんな事、俺が知るかよ!」
慌てふためく賊。
突破力のある二人が中心となった部隊だ、あっという間に敵を蹂躙していく。
「一人も逃すでないぞ!」
「任せとき!」
「承知です!」
逃げ出してきた者も、霞と疾風の隊が待ち受け、仕留めていく。
「て、てめえら! 血も涙もないのかっ!」
手負いの一人が、私に迫ってきた。
「ひっ! く、来るななのです!」
「……迷わず、成仏致せ」
兼定を抜き、眉間を一閃。
「ぎゃっ!」
せめて、か弱そうなねねを、と思ったのだろうが……そうはさせぬ。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですぞ!」
歯の根が合っておらぬが、そこは触れずにおくか。
「ま、待ってくれ! 降伏する!」
敵陣から一団が飛び出してくる。
……だが。
「稟、風。良いな?」
「御意」
「はいですよー」
二人の合図で、矢が放たれる。
「た、助けてくれぇ!」
「た、頼む! 死にたくねぇ!」
「そう言って、慈悲を求めた民を、如何ほど手にかけてきたのだ?」
怯んだ相手を、また一人斬り捨てる。
「歳っち! 粗方片付いんちゃうか?」
「いや、粗方ではならぬ。全員、だ」
「……せやったな。疾風(徐晃)、どないや?」
「そうですな。まだ、敵陣に数十名はいるようです。火をかけては?」
「ならぬ。北門を手薄にせよ、そちらに追い出すのだ」
「はっ!」
「弓隊を、北門を囲むように配置せよ。その前に槍隊を伏せさせ、討ち漏らしなきようにな」
「……しかし、本当に歳三様は軍師いらずですね」
半ば呆れたように、稟が言う。
「立案したのは稟や風ではないか。私は、ただ指揮を執ったのみ」
「ですが、ここまで臨機応変に兵を扱うのは、風達には出来ないのですよ?」
「経験の差、それだけだろう。今に、皆私など抜き去る日が来る」
やがて、剣戟の音が止んだ。
「どうやら、終わったようだな」
「ご主人様!」
「……片付いた」
戻ってきた愛紗と恋も、返り血を浴びていた。
「れ、恋殿ーっ!」
ねねが飛び出して、恋に抱き付いた。
「……ちんきゅー?」
「ご、ご無事で良かったのです!」
些か、ねねには凄惨に過ぎたかも知れぬな。
夜が明けた。
多勢に無勢の戦ではあったが、皆はやはり疲労は隠せぬようだ。
恋とねねは、早々と自分の天幕に戻って行った。
疾風にも、この後を考えて、無理にでも休むように申し渡してある。
「兵にも交代で休息を取るように、全軍に伝えよ」
「はい。歳三様も、少しお休み下さい」
「私は、後で良い。それよりも、稟も休め。お前は、そうでなくても身体を気遣わねばなるまい?」
「は、はい……。では」
少し顔を赤くして、稟は出て行く。
入れ替わりに、風がやって来た。
「お兄さん。孔融さんと韓馥さんから、使者がやって来ましたよー」
ほう。
先の軍議では、あまり実のある発言もなかった筈だが。
「風。ただの使者か?」
「いえいえ。どちらも将のようですねー」
「ふむ。将か……いいだろう、通せ」
「御意ですよー」
私は、記憶を巡らせる。
孔融は、その名の通り、あの孔子の子孫。
確か、曹操に仕えたが、直言のあまり曹操に疎まれて、処刑された筈だが……将となると、思い浮かばぬな。
一方の韓馥は、冀州刺史であったが、公孫賛の圧迫を袁紹につけ込まれ、冀州を奪われたという末路を辿る事になった。
……此方は、後に袁紹や曹操に仕えた将がいた筈だ。
「お兄さん、お連れしましたよー」
「お通し致せ」
「御免」
「失礼致す」
入ってきたのは、一目で武官とわかる女子。
それも、二人共に相当の遣い手と見た。
「義勇軍を率いる、土方にござる」
「お初にお目にかかる。あたしは、冀州刺史、韓馥に仕える張儁乂」
「同じく初めて、ですな。私は、青州刺史孔融の客将、太史子義と申します」
……そうか。
張コウは袁紹に仕えたが、その献策を取り上げなかった為に袁紹が敗れ、その後は曹操の許で武功を上げた勇将。
一方の太史慈は、孫策と一騎打ちの末、その人物を見込まれて仕えた、此方も優れた将。
やはり、私の知識を頼りにするのは、危険が付きまとうかも知れぬな。
「土方殿。我らの事、ご存じのようにお見受け致すが?」
「然様ですな。何処でご縁がありましたかな?」
「……いや。一方的に、拙者が存じていたまででござれば、お気になさらず」
「では、その件については問いますまい。本日は、昨夜の事について、糺しに参った次第」
「返答次第では、主人に申し上げますので。ご承知おきいただきたく存じます」
華琳は何も言って来ぬところを見ると、我らの真意に気づいているのだろう。
だが、孔融と韓馥には、華琳ほどの洞察力は望めまい。
それで、二人を遣わした……そんなところか。
「承った。昨夜の事とは、我が軍が行った、賊討伐の事でござるな?」
「如何にも。まず、我々は今、広宗の黄巾党本隊を囲んでいる最中。それを知りながら、何故小勢に過ぎぬ賊を討たれたのか?」
張コウが私を見据えて、そう言った。
「我が軍の行動が、蛇足に過ぎぬ。そう仰せか?」
「然様。ただでさえ、黄巾党に比べて我々の兵数は少ない。なのに、徒に兵を消耗するような真似、解せぬ」
なるほど、至極尤もな疑問だ。
「理由はいくつかあり申す。……が、その前に、太史慈殿からも承りますぞ?」
「忝い。貴殿の軍は今まで、苛烈さの中にも慈悲を以て、賊軍と戦ってきた……そう愚見しています」
太史慈は、ゆっくりと噛み締めるように話す。
「だが、此度は降伏を求める者もいたにも関わらず、誰一人としてそれを認めず、皆殺しにされたとか。相手が賊とは申せ、度が過ぎるのではありませんか?」
同感なのか、張コウが頻りに頷いている。
「ご両者のお尋ね、ご尤も。では、お答え申し上げる」
「…………」
「…………」
張コウも太史慈も、黙って私の言葉を待っている。
「まず、昨夜の賊でござるが、どのような賊徒であったか、ご存じか?」
「さて、賊は賊であろう?」
「少なくとも、黄巾党とは聞いていませんな」
「奴らは、冀州に散らばる賊徒でも、最も冷酷な者共でござった。男は皆殺し、女と見れば犯し、子は人買いに売る。家や田畑は焼き尽くし、井戸には毒を投げ込み、襲われた村は文字通り焦土と化した……。そんな奴らにござる」
「なんと……」
「し、しかし。そのような賊は他にも数多おりましょう?」
私の言葉に衝撃を受けたのか、二人は驚愕を隠せぬようだ。
「然様。ですが、他の賊徒は、まだ人の心を宿した者が少なくないようでござってな」
「…………」
「それに、斯様に凶悪な獣が、仮に広宗に合流すれば。広宗の民の苦しみは増し、我らは獣相手に無用な損害を被る恐れがござろう?」
「それは……」
「……否定できませんな」
俯く二人。
「そのような輩をのさばらせたままなど、民を救う事を旗印にする我が軍には看過できぬ事にござる」
「だ、だが。それならば広宗の者共を討ち果たしてからでも」
「いえ、それでは駄目でござる」
「何故だ!」
張コウが、激高して詰め寄ってくる。
「落ち着け、彩」
「し、しかしな。お前は何とも思わんのか、飛燕!」
ほう、互いを真名で呼ぶとは。
この二人、それだけの間柄と見える。
「何をしている!」
と、愛紗がそこに飛び込んできた。
「何だ貴様は!」
張コウの一喝に、動じるような愛紗ではない。
「貴公こそ、無礼であろう? 使者として参ったのなら、礼を守られよ」
「彩。この御仁の言う通りだ。まだ、土方様の話は終わっていないぞ?」
「……うむ。ご無礼、お許し願いたい」
すぐに非を認める度量は、持っているか。
なるほど、この者は正真正銘、張コウその人であろう。
「愛紗。心配は要らぬ、下がっておれ」
「し、しかし……」
「ぐー」
そこに、場違いな寝息が混じる。
意図しているのかどうかは知らぬが、お陰で愛紗が落ち着きを取り戻したようだ。
「愛紗、風も疲れているようだ。休ませてやれ」
「……は。風、参るぞ」
「おおっ! ついうららかな日和に誘われてしまいましたー」
「全く、緊張感のない奴だ」
「愛紗ちゃん、引っ張らなくても良いですよー」
二人の背を、呆気に取られて見送る張コウと太史慈。
「ご無礼仕った」
「い、いや……。しかし、貴殿の麾下は、変わっているな」
「ま、まぁ……。個性という奴でしょう」
個性は個性だが……風の場合は、少し突き抜けてしまっている気はする。
尤も、二人がすっかり毒気を抜かれてしまっているようだが。
風の事だ、この程度の事は計算の上であろうな。
「さて、お尋ねの事でござるが。太史慈殿が先に問われた事への、拙者からの返答になり申す」
「と言われると?」
「降伏を許さず、全員を討ち果たしたは、故あっての事」
「伺いましょう」
「拙者の手の者を、広宗に忍ばせます。ただ、今の広宗は警戒が厳重。ただの手立てでは、なかなかに難儀するかと」
「そうでしょうな。我が主も、韓馥殿も、そして曹操殿も、そこは苦慮しておいでです」
「ですが、官軍に追い立てられた賊が、広宗に逃げ込んだとしたら……?」
張コウが、私の言葉に首を傾げる。
「言わずもがな。他の賊徒同様、広宗は受け入れざるを得まい」
「然様。では、その賊徒が真の賊ではない、となれば?」
「……ま、まさか、土方殿。貴殿の麾下を、賊徒に仕立てる、と?」
「ご明察通り。それが、拙者が皆と取り決めた、策にござる」
「…………」
「…………」
想定外の答えであったのだろうか。
二人は私を見たまま、暫し無言のままであった。
やがて。
「……恐ろしい御仁だな、貴殿は」
絞り出すように、張コウが言う。
「確かに、皆殺しにすれば死人に口なし。そっくりすり替わる事も可能ではありますが……」
太史慈の声も、掠れ気味だ。
「この策は、それだけに非ず」
「ま、まだあると言うのか?」
「無論にござる。先ず、この噂は忽ち、冀州一帯に広まりましょう。官軍の眼は、黄巾党ばかりに向いてはおらぬ、非道と見なされれば容赦なく討伐される、と」
「……賊徒は、恐れをなすであろうな」
「如何にも。恐れをなした結果、どうなりますかな?」
「己の身の安泰を諮ろうと、広宗に逃げ込む者が続出するでしょうね。結果、貴殿の策はより成功しやすくなりましょう」
「それもござる。が、各地に散らばる賊徒が一堂に会せば、各々を討つ手間も省けますな」
「何と……。そこまで考えていたとは」
「今一つ。数が増えれば当然、食い扶持が必要になり申すが。逃げ込むような賊徒に、その用意が果たしてござるかな?」
張コウと太史慈は、顔を見合わせた後、項垂れた。
「……どうやら、短絡的に過ぎたか。貴殿が、そこまで深慮遠謀の御仁とは」
「そうですね。……土方様、最後にもう一つだけ、お聞かせいただけますか?」
「何なりと」
「貴殿の策である事は、十二分に理解できました。ですが、何故そこまでなされるのです?」
「飛燕の申す通り。貴殿の策が見事である事は認めるが、あまりにも手段を選ばない……そんな印象を受ける」
「……一刻も早く、このような世を終わらせる為。無論、これが最良の策とは申しませぬが、これが拙者のやり方にござれば」
「しかし、貴殿の兵には元賊徒も多いとか。恨みや無用な恐れを抱く者もいるのではないか?」
「お気遣い、痛み入り申す。しかしながら、我が軍にはそのような輩はおりませぬ故」
「それは、土方様。刃向かえば容赦しない、そう叩き込んでいるから、ですか?」
「いえ。むしろ、奴らには機会を与えました。今までの罪を贖い、世の為、民の為に命を賭ける覚悟を持つ機会を」
「……それは、今も変わりませんか?」
「無論にござる。ただし、機会は一度のみ。同じ過ちを繰り返すならば、その時は覚悟致せ……そう、申し渡していまする」
ふう、と張コウは溜息をつく。
「……壮絶だな、貴殿の生き様は」
「ですが、付き従う将も軍師も、何故皆一角の人物なのか。それが、少しわかった気がします」
二人から、訪れた時の剣呑さは、もう消え失せていた。
「土方殿。改めて、宜しく願いたい。願わくば、貴殿とだけは戦いたくないものだ」
「私もです。以後は、互いに協力し合いましょう」
「拙者としても、貴殿らほどの勇士に認めていただけるなら、この上なき事。是非、昵懇に願いたいものです」
二人は頷いた。
「その証として、以後は彩、と呼んでいただいて結構」
「私も、飛燕と呼んで下さい」
「それは、真名ではありませぬか?」
軽々しく相手に預けるものではない、そう何度も言い聞かされていたものなのだが。
「勿論。貴殿を見込んだからこそ、許そうと思う」
「それに叛く事があれば、その時は容赦しませんけどね?」
「……では、お受け致そう。拙者、いや、私は真名がない。皆は、歳三、と呼んでいる故、好きに呼んでいただきたい」
思わぬ形で、真名を預かってしまったが……。
その信頼に裏切る真似をすれば、容赦なく討たれるであろうな。
そして、夜が明けた。
「では、歳三殿。行って参ります」
「頼んだぞ、疾風」
「はっ」
盗賊に身を窶した疾風と、手の者百余名。
策に従い、広宗へと向かった。
「霞、愛紗。良いな?」
「……しゃあないな。あんまし、気分のええモンちゃうけどな」
「だが、芝居と見抜かれるようではまずい。手は抜けないぞ?」
「愛紗の申す通りだ。では、行け」
霞の騎兵と愛紗の歩兵が、疾風の後を追う。
必死に逃げる疾風の手勢は、広宗の城壁へと迫っていく。
「歳三様……」
策とわかっていても、不安なのだろう。
私の腕を掴む稟が、震えていた。
「案ずるな。皆、大丈夫だ。それは、稟が一番良く存じている筈だが?」
「は、はい……。そうですよ……ね」
だが、震えは止まらぬか。
私は、稟の肩に手を回す。
「……歳三様?」
「皆を信じよ。不足ならば、私を信じよ」
「…………」
「私が皆を頼りにするように、皆も私を頼りにするがいい。その為なら、私は労を惜しまぬ」
「……そうでしたね。申し訳ありません」
震えが、止まったようだ。
「あ、あの……。暫く、このままで……」
「わかった。気の済むまで、そうしているが良い」
「はい」
稟の温もりと鼓動を感じながら、私は暫し、広宗城を見やった。
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