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失われし記憶、追憶の日々【精霊使いの剣舞編】

作者:月下美人
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第十三話「夢」



「到着いたしましてございます、フィアナ様」


「ありがとう、爺や」


 アレイシア精霊学院に一台の馬車が止まった。


 燕尾服を見事に着こなした老年の男性が門の前で馬から降り、馬車の扉を開ける。


 恭しく頭を下げる彼に感謝の言葉を述べながら現れたのは、一人の少女だった。


 十五、六歳くらいだろうか。漆黒の艶のある黒髪を靡かせ、黒いドレスで身を包んだ少女は十人中九人が思わず振り替えるような美しい容姿をしている。残りの一人は異常性癖かナルシストだろう。


 きめ細かい肌は雪のように白く、ワインレッドの瞳は眩しそうに目の前の学院を見上げていた。


「ここが、アレイシア精霊学院……。帝国中の姫巫女たちが集う学舎」


「フィアナ様、十分にお気をつけくださいませ。下手な小細工では、あの黄昏の魔女の目を誤魔化すことはできません」


「ええ、わかっているわ」


 神妙に頷いたフィアナは制服の袖に忍ばせた精霊鉱石にそっと指を這わせた。帝国硬貨で二千万ルードはくだらない代物だ。


「ルビア・エルステインの妹も、この学院に通っているらしいわね」


「フィアナ様、ここではその名は忌み名です。無闇に口になさいませんように」


「そうだったわね」


 かつて帝国に未曾有の混乱と破壊をもたらした災禍の精霊姫。名を口にすることでさえ、精霊使いにとっては清らかな乙女の聖性を穢すという。


 下らない迷信だと一笑するのは簡単だが、かつて最も近い場所で彼女を見てきた者としては、そんなジンクスにもある種の信憑性がある気がしてならなかった。


「それに、あのリシャルトくんもここにいるのよね?」


「左様にございます。懐かしゅうございますね。彼には随分とお世話になりました。壮健でいらっしゃるとよいのですが」


「ええ、そうね」


 彼のことを思い出すと自然と頬が高揚する。


 二度も自分を救ってくれた彼に、もうすぐ会えると思うと胸の奥が歓喜で彩られる。


「フィアナ様はリシャルト殿にご執心ですからなぁ」


「ち、ちょっと爺や!」


「ほっほっほ、しかし油断はなさいませんように。聞くところによると、リシャルト殿を好いている娘は少なからずいらっしゃいます。二の足を踏んでいると、その者たちに先を越されかねませんぞ?」


「ええ、わかっているわ……。ふふっ、リシャルトくんってモテモテなのね……」


 くつくつと黒い笑みを浮かべるフィアナに従者は溜め息をついた。


「さあ、クー、ついに追いつめたわよ……」


 校舎を睨みつけたフィアナは小悪魔のような笑みを浮かべる。


「もう逃がさないんだから、ね♪」





   †                    †                    †





 鬱蒼と茂る森の中を俺は上空をふよふよと漂いながらボーっと眼下を眺めていた。視線の先にはダークブラウンの短髪に一六〇センチ程の背丈の少年が大木に背を預けて足を投げ出して眠っている。


 ――ああ、これは夢か。


 それを一目見た俺は、ここが夢の世界なのだと確信した。なにせ、大木の前で座り込んで静かな寝息を立てているのは、三年前の俺そのものなのだから。


 ちょうど【精霊剣舞祭】に出場していた時期だ。かつての俺はカミトと戦いたいがためにフローレン・アズベルトという名前で出場していた。しかもカミトのような女装ではなく、変身魔術で完全に女性と成って。


 ――確か、この時期は決勝戦を一週間後に控えた日か。気分転換も兼ねて元素精霊界に来ていたんだったな。


 当時の俺は気持ちよさそうに寝息を立てている。元素精霊界で眠るなど、普通なら正気の沙汰ではないだろう。なにせ野生の精霊たちがウヨウヨしている世界だ。眠っている最中に襲われたら一溜りも無い。


 しかし、気配に敏感な俺は半径三キロ圏内の精霊たちの位置を眠っていても無意識の内に把握できる上に、自分に敵意を抱けばすぐに覚醒できる自信があった。


 ふと、すやすや眠っていた俺の眉がピクッと動き、気だるげに瞼をこじ開ける。そして右手側の森の奥をジッと見つめた。


「――――」


 森の奥から女の子の声が聞こえてきた。遠くにいるためかその声量は小さいが、焦燥感に駆られた者特有の緊張が孕んでいる。


 立ち上がった俺はその場で大きく伸びをすると、次の瞬間には姿を掻き消した。


 高速で森の中を移動しながら声のした方向を目指す。すると、視界の端に豪奢な儀礼装束を身に纏った女の子と樹木の精霊の姿が引っ掛かった。黒髪の女の子は精霊をキッと睨みつけている。


「お、お前なんて、わたしの騎士なら簡単にやっつけてくれるんだからっ」


 背丈を優に超す精霊に震える声で気丈にも叫んだ少女は契約精霊を呼び出す召喚式を唱え始めた。


 ――汝、人の子の王に仕えし剣聖の騎士よ!


 ――旧き血の契約に従い、我を守る剣となりて我が下に馳せ参じ給え!


 精霊刻印は少女の胸元に刻まれているのだろう。胸元から淡い光を放つが、


 突然、少女と契約精霊との回路が遮断された。淡い光を放っていた刻印は急激にその輝きが失っていく。


「やっぱり、ダメなの……? 私は――」


 少女の顔が絶望に染まり、諦観の念が表情に現れる。


 憤怒の雄叫びを上げた樹木の精霊が丸太のような腕を振り上げる。


 固く目を瞑り身体を強張らせる少女に無慈悲にも腕が振り下ろされ、ズンッと重い衝撃と音が辺りに響いた。


 しかし、襲い来る激痛がいつまで経っても来ない少女は思わず目を見開く。


「……え?」


 間一髪のところで間に合った俺が少女の前に立っていた。その樹木の精霊の渾身の一撃を片手で止めて。


「ふっ」


 俺は樹木の精霊の腕をそのまま捻り上げ、巨体を持ち上げる。自分と同い年くらいの少年が自身の身長を優に超す精霊を片手で軽々と持ち上げる光景に、少女は開いた口が塞がらなかった。


 少年は持ち上げた精霊を投げ飛ばすと片手を翳す。


「凍結解放――〈炎槍〉」


 少年の周りに炎で出来た無数の槍が虚空から現れた。翳した手を振り下ろすと射出された槍が精霊を貫く。樹木の精霊は咆哮を上げながら彼方へと、吹き飛ばされていった。


「安心しな、温度はたかだか五百度程度だ。樹木の精霊にしてみれば火の粉にも劣る炎だな。火傷すら負わんよ。驚きはしただろうが」


 唖然としている少女に向き直った俺は手を差し出した。


「無事か?」


 ハッと正気に戻った少女が慌てて手を取る。


「え、ええ……。大丈夫よ。助けてくれて感謝するわ」


「そうか。まあ怪我はないようでなによりだ」


 取りあえず大事は無いようなのでほっと一息をついていると、少女がしきりに首を傾げているのに気が付いた。


「どうした?」


「あの、さっきのって精霊魔術よね……? なんで男のあなたが使えるの?」


「あ。あー……」


 少女の疑問に俺は一瞬どう答えるべきか迷う。だが、すでに魔術は見られているため言い繕うことは難しいと判断した俺は素直に自分の正体を明かすことにした。


「口外しないでほしいんだが、実は俺、男の精霊使いなんだ」


「えっ? う、嘘……!」


 突然のカミングアウトに驚愕で目を見開く少女。精霊と契約できるのは清らかな乙女だけというのが世間一般の常識である。歴史上で男の精霊使いが確認されたのはたったの一人。それも伝説の魔王とまで呼ばれた男のスライマンだけだ。それを考えると、少女の戸惑いも頷ける。


 絶句している少女の姿を前に、髪をガリガリっと掻いた俺は重ねて頼み込む。


「疑問が尽きないのはよく分かる。分かるが、俺が男の精霊使いだということは秘密にしてくれないか?」


 しばらく無言で何かを考えていた少女だったが、やがて顔を上げるとしっかちと頷いた。


「……わかったわ。誰にも言わないし、なにも聞かない。あなたは命の恩人だもの」


「すまない、そうしてくれると助かる」


 少女の言葉にホッと安堵の息を零す。


「随分とお人よしなのね。ただの口約束なのよ?」


「確かに口約束と言えばそれまでだが、俺は君が約束を破るとは思えないな。これでも人を見る目はあるつもりなんでね」


「……」


 少女の頬が僅かに赤く染まる。


「さて、出口まで送ろう。また精霊に襲われた目も当てられないからな」


「あ、ありがとう……」


「ん? 靴が脱げたみたいだな。仕方ない……、ほら」


 少女の素足が傷だらけなことに気が付いた俺は、彼女を自身の背に乗っけた。


「あの、わたしの胸が背中に当たってるんだけど……」


「うん? なにか言ったか?」


「な、なんでもないわ――きゃっ」


 頬を赤らめたまま顔を逸らす。少女を背負った俺は跳躍し木々の枝を足場にさらに跳躍した。可愛らしい悲鳴をあげた少女が俺の背中にしがみつく。


「は、速いわね……!」


「速い方がいいだろう?」


「そうだけど……! こ、これは速すぎじゃないかしら!? というか、なんでこんなに速く走れるの!?」


「鍛えているからな!」


 ものの数分で森の入口に到着した俺は少女を背中から降ろす。少しふらつきながらも、少女はしっかりとした足取りで俺に向き直った。


「ここまででいいわ。あとは一人で帰れるから」


「そうか。まあ、もう精霊に襲われないように気を付けるんだな」


「ええ、ありがとう。あの――」


「うん?」


「あなたの名前を聞かせてくれない?」


「……俺の名前を?」


 しばし迷った俺だが、もう会うことも無いだろうとの考えに至る。


「クー。マハト・ア・クーだ」


「クー……」


 少女は口の中で転がすように数回繰り返すと満足げに頷いた。


「えーと、その、また……会えるかしら?」


「さて。運が良ければ会えるかもしれないな」


「じゃあ、また会えることを祈っているわ、クー」


 そう言って笑顔で去って行った彼女を見送った俺も〈次元跳躍〉で自宅へと戻った。


 そう遠くない未来で再び出会うとは、この時の俺は露ほども思わなかった。

 
 

 
後書き
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