至誠一貫
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第一部
第二章 ~幽州戦記~
十六 ~薊城~
幽州に入り、漸くに目的地に着いた。
……筈であった、が。
「……これが、薊城か……」
「うわー、荒れ果てているのだ」
「伝え聞いてはいましたが、ここまでとは……」
一同、ただ呆然と立ち尽くすばかり。
城壁はあちこちが崩れ、人気は全く感じられない。
とにかく、活気が全くないというのは、異様に過ぎる。
「風、稟。ここは、太守が不在なのか?」
「はいー。黄巾党がここまで動き出す前には、劉焉さんと言う方がいたんですが」
「今は益州刺史、ですね。その後任が決まる前に、黄巾党の活動が本格化してしまい、未だに刺史は不在のようです」
「しかし、公孫賛殿がいるではないか?」
「愛紗、公孫賛殿は北平の太守に過ぎませんよ? ただ、幽州は他に官軍がいませんからね」
「必然的に、刺史同然に動かざるを得ない……そういう事か。誠実な御仁と聞いている、かなりの苦労人と見てよいな」
「それでお兄ちゃん。どうするのだ?」
鈴々の一言に、皆が私を見る。
「如何に荒れ果ててはいようが、此処で体勢を立て直す方針に変わりはない。ただし、城内の様子は先に見ておく必要はありそうだがな」
「では主。見て参ります」
「くれぐれも用心するよう。この荒れよう、ただ事ではなさそうだ」
「ははは、ご案じめさるな」
だが、何やら嫌な予感がする。
星であれば、杞憂に終わるのやも知れぬが。
「待て」
双眼鏡で、城内を覗いてみる。
「主?」
特に不審なところは見当たらぬが……勘というもの、馬鹿すべきではない。
「……いや、やはり妙だ。夜を待とう」
「どうしてなのだ?」
「夜になれば、灯りを使わざるを得まい? この荒れようだ、隠すのは難しかろう」
「それに、今日は新月ですしねー。僅かな灯りでも目立ちますから」
「では、全軍に待機を命じます。ところで歳三様。一つ、策があるのですが」
「ほう」
稟には、何やら期するところがあるようだ。
「ならば、任せよう」
「良いのですか? まだ、どのような策か、申し上げていませんが」
「構わん。思う通りにやってみるがいい。誰が必要だ?」
「ありがとうございます。では、愛紗と鈴々を」
「よし。愛紗、鈴々。良いな?」
「はい!」
「合点なのだ」
夜。
既に稟達は陣を出て、行動を開始している。
「けど、歳っちも思い切ったもんやなぁ。全部、稟に任せるやなんて」
「稟を信じている、それだけだ。信頼には責任が伴うが、稟ならば心配あるまい」
「お兄さん、風が同じ事をしても、やはり任せていただけますかー?」
「愚問だな。その為に真名を預かっているつもりだ。ならば、私はそれに応えるまでの事さ」
「果報者ですな、我らは。主のような方に巡り会えたのですからな」
「うむ。皆、期待しているぞ」
……と、城の方が騒がしくなり始めた。
「霞。見てみるか?」
私は、双眼鏡を手渡す。
「ええんか?」
「ああ」
「おおきに。ウチ、気になっとったんや、これ」
妙に、愉しげだな。
「どうだ?」
「真っ暗やなぁ。……いや、松明を持った連中が、動き回っとるわ」
「他には?」
「せやなぁ。後は……火や。なんや、燃えとるで」
「火事ですかねー?」
「いや、ちゃうな。あれは、火付けや」
放火?
しかし、この状況下で放火……ふむ、そういう事か。
「星。様子を見て来るか?」
「しかし、宜しいのですか?」
「状況が変わった。今ならば、さしたる危険もあるまい」
「では、主のご期待に添うとしましょう」
突如として、城門近くで銅鑼や鐘の音が、鳴り響いた。
「ワーッ!」
次いで、鬨の声。
「なるほどなぁ。暗闇に火、音。そら、待っとる奴は驚くやろな」
「人間の緊張なんて、案外持続出来ませんからねー。ましてや、相手が訓練された兵でないなら、尚更そうですね」
「そういう事だ。稟も、相手に気づいたからこその策であろう」
と、城門の辺りが、不意に騒がしくなり始めた。
「どうやら、出てくるようだな」
「ですねー。さてさて、稟ちゃんの策、どうなりますかね」
「うわっ!」
「いてっ!」
次々に上がる驚愕と、短い悲鳴。
「全員、武器を捨てろ! お前達は完全に包囲したぞ!」
凛とした、愛紗の声を合図に、あちこちで剣を投げ出す音が、続いた。
そして、夜が明けた。
「……こ、これは……」
「酷いものですな……」
「いくらなんでも、やり過ぎやで……」
確かに、酷い有り様である。
街には、猫の子一匹見当たらぬ。
「ガアー、ガアー」
烏だけが、不気味に鳴く。
そして、路上にも、家々にも、満ち溢れる民の亡骸。
その殆どが、衣服をどす黒く染めていた。
「お兄さん。生きている人は……見つかりませんでした」
いつもは飄々としている風も、流石に口調が沈んでいる。
「そうか。愛紗、捕らえた賊はどれほどいた?」
「はい。三千程です」
「……わかった。首領格の者のところに案内してくれ」
愛紗の案内で、賊が押し込められている蔵へ。
皆は、その後に続いて来ていた。
一人の男が、こちらに鋭い視線を向けている。
「貴様が、この者らの首領だな?」
「だったら、どうだというんだ?」
縛られているにも関わらず、男は不貞不貞しい態度を取る。
「この城には、いつやって来た?」
「へっ!」
「黄巾党のようだが、何処から参った?」
「知らねぇな」
「貴様!」
愛紗が、青龍偃月刀を突き付ける。
「どうした。殺すならさっさとやれよ?」
「ほう。よい覚悟だ」
スッと、愛紗が眼を細めた。
「待て、愛紗」
「ご主人様! このような外道、取り調べるだけ無駄です」
「……待て、と言った筈だぞ?」
静かに、それだけを言う。
「わ、わかりました」
慌てて刀を下げた愛紗に代わり、男の前に立つ。
「では、望み通りにしてやろう」
「……さっさとしやがれ」
「そう慌てるな。……貴様らに殺された民の分まで、しっかりとその身で贖って貰うとしよう」
「……ご主人様?」
「皆の者。少々、私も鬼になるやも知れぬ。下がっているがいい」
皆の顔色が、変わった。
「主。もしや……?」
「何も言うな。残れば悔やむであろう、下がれ」
「嫌なのだ」
鈴々が、はっきりと拒否を口にした。
「そうですね。この場を離れるつもりはありませんよ、私も」
「風も、稟ちゃんと同じですねー」
「……わかっているのか? 私がこれから、何をしようとするのかを」
我ながら、声に怒気が孕むのを抑え切れない。
「主。我らを、あまり見くびらないでいただきたい。皆、主と共に歩むと決めた者ばかりですぞ?」
「ご主人様。皆、同じ気持ちのようです」
「……お前達も、良いのだな?」
周囲にいた兵達も、同じように頷く。
「わかった。ならば、好きにするが良い」
兼定を抜き、突きつけた。
やはり、平然としている。
死は恐れていないようだが……私は、すぐに楽にしてやるつもりなど、毛頭ない。
そのまま、男に向かって振り下ろす。
「ギャッ!」
まずは、左耳を斬り飛ばす。
男は縛られたまま、転げ回る。
「ち、畜生! 殺すならひと思いにやりやがれ!」
「そうはいかん。貴様がしてきた所業、この程度ではあるまい?」
女子供を含め、命を、財を、全てを奪い尽くした外道。
如何なる申し開きも、聞くつもりはない。
「押さえてくれぬか」
「は、はっ……」
兵士が駆け寄り、暴れる男を数人がかりで押さえ付けた。
「は、離せ!」
今度は、膝を斬り割る。
「ひぎゃぁっ!」
おぞましい程の絶叫。
「や、止めてくれ……」
涙か洟水かわからぬが、男の顔は酷い有り様だ。
「ほう? 覚悟を決めたのであろう?」
「こ、こんな目に遭いたくねぇよ……。なぁ、助けてくれ……」
「……その言葉、貴様らが殺した、罪もなき民に言えるか?」
「……うう、痛ぇよ……」
痛みで、私の声など聞こえておらぬ、か。
兼定に血振りをくれ、鞘に収めた。
「お……おい……。待って……くれよ……」
掠れた声で言う男だが、私は振り返るつもりはない。
「御大将。こいつはどうなさるんで?」
「捨て置け。どのみち助かるまい」
出血が酷い。
放っておけば、確実に死に至るだろう。
「こ……この……おに……め」
そうだ、私は鬼だ。
だからこそ、毅然と臨むのみ。
周囲の賊仲間は、私の処置を見て、皆震え上がっている。
「正直に申すが良い。この中で、女子供を手にかけた者。また、女子を手籠めにした者は、立て」
「…………」
「どうなのだ。それとも、全員が同罪か?」
……反応なし、か。
「ならば、やむを得まい。全員、あの男のように、苦しむが良い」
再び、兼定を抜く。
「ま、待ってくれ! 小頭の命令で、俺達は仕方なくやったんだ。けど、女は手を出していねぇ!」
「てめぇ! 仲間を売るつもりか!」
「お、俺はもともと、あんたらのやり方が気に入らなかったんだ!」
「そうだそうだ!」
口々に、小頭と呼ばれた男は、仲間からの非難を浴びた。
「その話、確かであろうな?」
「う、嘘じゃねぇ! 犯った女から、髪飾りを奪ったんだ! 持っているから確かめてくれ!」
「よし。その男、改めてみよ」
「はっ」
「な、何しやがる!」
兵の一人が、男の懐中に手を入れた。
「あった! 土方様、確かに髪飾りが」
銀細工の、見事な装飾が施された髪飾り。
元の持ち主が、さぞや大切にしていた品であろう。
「……外道め。貴様など、死すら手緩いわ!」
兼定を振るい、小頭と呼ばれた男の手首を、斬り飛ばす。
「ひ、ひぃーっ! お、俺の手が!」
「……他の者は、どうだ?」
こうなると、後は雪崩を打つかの如し。
所詮は賊、その程度の連帯感でしかない。
……結局、十数名が女子を陵辱したり、子供を惨殺した事が判明。
先の二人と同じ目に遭って貰った。
残った者は、命じられただけか、もしくは躊躇ったり、手を出さなかった……それを信じる事した。
「だが、貴様らの申告が、もし偽りであったならば……。その時は、わかっているだろうな?」
賊は皆、壊れた振り子のように、首を振るばかりであった。
火を起こし、死者を一人一人、弔う。
「歳三様。これでは、かなり手間取りますが?」
「やむを得まい。土葬では、穴を掘るのが一苦労だ」
「それに、このままにしておけば、烏や野犬に亡骸を貪られるばかり。せめてもの慈悲……とも言えましょう」
「それだけではないぞ、愛紗。人の死体は腐敗すれば、流行り病の原因となる。このまま打ち捨てる訳にはいかぬのだ」
「死者は丁重に弔うべき。お兄さんらしいですよ」
「風。そんな大層なものではない。私はただ、やるべき事をしているのみだ」
「果たして、そうですかな? 主の処断なしでは、事は未だ、解決を見ておりますまい」
「せやな。ウチかて、あそこまではようせえへんけど。歳っちがやったんは、一見鬼の所業やけど、せやなかったら……全員、処刑せなあかんかったやろな」
「だから、お兄ちゃんが気にする事はないのだ♪」
……ふ、全てお見通し、という事か。
「ご主人様のなされようは、確かに非情な一面はあります。ですが、果断で迅速な事は確かです」
「一部では謗りも受けましょう。ですが、結果を伴う決断は、必ずや後で生きましょう。些細な悪評など、我らが吹き飛ばしてみせましょうぞ」
「……そうか」
私には、迷いなど許されぬようだ。
皆が、こうして信頼してくれる以上は、な。
「土方様」
「何だ」
「はっ。捕虜の方から、火葬を手伝いたい、と申し出がありまして。如何致しましょう?」
罪滅ぼしのつもり、であろうか?
「……良かろう。だが、おかしな真似をすればその時は容赦せぬ。そう申し伝えよ」
「はっ、では!」
住民と合わせ、数千もの亡骸を弔う作業は、延々と続いた。
漸く、全てが片付いた。
部隊の立て直しは、皆の奔走のお陰で、どうにか形になったようだ。
「後味の悪い寄り道でした。……無念です」
「皆、同じ気持ちでしょう。ですが、今はまだ、私達の力は微力。やれる事に全力を尽くすしかありません」
「とにかく、黄巾党をぶっ飛ばすしかないのだ」
「ふっ、単純だな、鈴々は。だが、真理でもある……我らは、それしかありませぬからな」
「ですねー。とにかく、北平を目指しましょう」
「せやせや。ところで歳っち。あいつら、どないするんや?」
霞が、捕虜の一団を指さす。
その殆どが、我が軍についてくる事を望んでいる。
「今回は、それはお止め下さい」
「風も、そう思いますねー」
軍師二人が、口を揃えて諫めてきた。
「何故だ? 解き放てばどうなるか、言うまでもなかろう?」
「そうなのだ。折角捕まえたのに、また悪さをされたら大変なのだ」
愛紗と鈴々はすかさず反応を見せるが……ふむ、星と霞はそうではないらしい。
「おやおや、星ちゃんと霞ちゃん、何か気付いたようですねー」
「……いや、気付いたという程のものではないが。今の奴等であれば、解き放ちも問題ないのではないか?」
「それは何故ですか、星?」
「主の処置がある。あれを目の当たりにしたからこそ、皆に畏れがある。再び愚行を繰り返せばどうなるか、身に染みていよう」
「ではでは、霞ちゃんもどうぞ?」
「ウチは、糧秣の問題が気になる。幽州は飢饉のせいで、今年は殆ど収穫は望めへんちゅう話や。ウチらは、晋陽を出た人数で糧秣を揃えとるやろ? けど、この調子やったら、補給も厳しいんちゃうか?」
「……では、奴等を連れていけば」
「足りなくなるのだ……」
「愛紗も鈴々も気付いた通りや。今いる兵士にも不満が出て、士気に関わる。そないな真似、ウチは願い下げや」
「と言う訳なんですがー。お兄さん、どうしましょうか?」
「結論は出ているだろう。ただし、ただ解き放てば、また困窮の末、悪事に走るやも知れぬ。目的だけは与えるべきだろう。稟」
「はい」
「厳しいとは思うが、数日分の携行食を、分け与えてやってくれ」
「……では、晋陽に?」
「それしかなかろう。并州とて余力がある訳ではないが、月ならば何とかしよう」
「わかりました。何とか、遣り繰りしてみましょう」
ため息をつく稟。
流石に気が重いようだが、これが最善……いや、今の最良の選択だろう。
それでも、彼らのうち、全員……いや、半数が辿り着ければ御の字、というところか。
「主。……あまり、御自分を責めないで下さい。これは、主の責めではありませぬ」
「また、顔に出ていたか?」
「ふふ、さて、どうですかな?」
悪戯小僧のように、口許に笑みを浮かべる星。
「風。手伝って下さい」
「わかりましたー」
皆が、それぞれ、生きるために懸命。
ならば、私も精々足掻くとしよう。
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