至誠一貫
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第二部
第二章 ~対連合軍~
百五 ~決着~
前書き
連合軍篇は今回で終わりとなります。
数日後。
「歳三殿、お待たせしました」
疾風(徐晃)が、明命を伴って長安へと到着した。
使者に出した霞には、そのまま疾風と交代して虎牢関に留まるように命じてある。
「急がせて相済まぬ。だが、事は一刻を争う」
「御意。直ちに、捜索にかかります」
「うむ」
「明命も、いいわね?」
「お任せ下さい、雪蓮さま」
二人は一礼すると、姿を消した。
「あの二人に任せておけば問題ないでしょう」
「そうですね。とにかく、早く見つけないと」
頷き合う冥琳と朱里。
「そう言えば、残してきた祭や飛燕(太史慈)らは良いのか? お前がこうして私と共にいる事は遠からず知れるであろう?」
「ああ、それなら心配要らないわ。ねぇ、冥琳?」
「そうだな。歳三様、既に手は打ってあります故、ご懸念なく」
「ならば良いが。さて、我らも捜索に加わるか」
私が腰を上げると、冥琳がおや、という顔をした。
「徐晃と明命だけでは不安ですか?」
「そうではない。私だけがのうのうと報告を待つような真似は性に合わぬのでな?」
「なるほど、行動の人と言われるだけの事はありますね。すぐ身近に似たような者もいますが」
「ぶー、それってわたしの事?」
「ほう、自覚はあったのか」
「プッ!」
雪蓮と冥琳のやり取りに、朱里が思わず吹き出した。
「はわわ、す、すみません!」
「それだけ二人の仲が良いという証拠だ。そうであろう、冥琳?」
「ええ、仰せの通りです」
「ぶーぶー。なんか、冥琳が二人いるみたい」
全く、子供と変わらぬな。
手分けして当たる事とし、雪蓮と冥琳と別れた。
「では参るか、朱里」
「はい」
念のため、屈強の兵を数名伴っている。
無人と思しき宮城で襲われる事はあるまいが、用心に越した事はない。
ましてや、武はからっきしの朱里が一緒では尚更だ。
「無駄に探し回る訳には行くまい。この図面に従って順に当たる」
「御意です。それにしても、こんな物を用意していただけるとは」
感心したように、朱里は図面を覗き込む。
疾風を呼び寄せる際、杜若(劉協)に依頼した物だ。
彼女が記憶している限りの、宮城の間取りが記されている。
表向きの部屋のみならず、抜け穴や地下室の類いまである事に少々驚きではあった。
廷臣でもごく一部の者しか知り得ぬ機密であり、滅多に口外できる類いのものではない。
もし私がその気になれば、如何様にも悪用出来るであろう。
「殿下にとっても、陛下の事がある。他人事ではないのだ」
「そうですね……。でも、ご主人様が殿下にそれだけ信頼されている事の証でもありますよね」
心なしか、朱里は嬉しげだ。
「期待に応えられているかどうかはわからぬが……。少なくとも、私は皇帝の地位になど興味はない。それだけは確かだ」
「勿論、それは大事な事だと思います。それに、ご主人様には朝廷の権威を利用されるつもりもありませんよね?」
「要らぬな。私は武人でありたいとは願うが、それだけだ。それ以上を望むのは、私には分が過ぎる」
出自が全てとは申さぬが、私がこの国を統べる姿はどうにも想像がつかぬ。
「朱里」
「はい」
「これだけは申しておく。……国が此所まで乱れている以上、漢王朝の権威は地に落ちている。それは良いな?」
「……はい」
「一度そうなったものを盛り返す事は容易ではない。いや、不可能だな」
「…………」
俯く朱里。
だが、これは身を以て思い知った事でもある。
新撰組の頃は、余力を残しているにも関わらず戦いを放棄した上様に憤りを覚えた事もある。
旗本八万旗が有名無実化し、その惰弱ぶりに呆れ果てたのも事実だ。
それに引き替え、薩長は新たな国を作るという使命感に燃えていた。
遺憾ながら、今の漢王朝は最早滅び行く存在でしかない。
「お前は、何とか漢王朝を盛り立てたい。そう願っているのであろう?」
「はわわ、ど、どうしてそれを?」
やはりか。
劉備の存在が未だ見られぬこの世界でも、諸葛亮としての願望は同じのようだな。
「重ねて申すが、私は朝廷での地位に興味はない。然りとて、取って代わるつもりもない」
「……そう、ですよね……」
「冷酷と思うのならそれでも構わぬ。だが、遅かれ早かれ漢王朝の終焉は避けられぬ事……如何に叡智を結集しても、だ」
「私は……」
「今少し、現実を見よ。その上で、お前が何をすべきか、何を目指すかを見極めれば良い」
そっと、私は朱里の頭に手を載せた。
「ご主人様……。申し訳ありません、このような時に」
「構わぬ。お前と、いや皆ともゆっくり話せる機会がなかったのだ」
「ありがとうございます。少し、考えてみたいと思います」
「うむ。さて、参るぞ?」
「御意です」
少しは元気を取り戻したようだな。
後は、朱里自身が決める事だ。
二刻が過ぎた。
「どうだ?」
「駄目ね」
雪蓮も冥琳も、厳しい顔つきをしている。
広い宮中とは申せ、潜伏に向く場所は限られている。
「この図面に書かれていないところがあるのかしら?」
「可能性はあるでしょうね。ですが、それでも限界があるかと思いますが……」
「私もそう思う、朱里。食料と水に事欠かず、かつ見つけにくい場所にある部屋か……」
冥琳の言葉に、ふと私の脳裏にある光景が浮かんだ。
「もう一カ所だけ、確かめてみるか」
「あら、歳三。心当たりがあるの?」
「心当たりと申すか、可能性に過ぎぬが」
「いいわ、行ってみましょう」
朱里と冥琳も頷いた。
庭園の一角。
巨大な庭石が配され、独特の趣のある場所だ。
「こんな場所に何があるんでしょうか、ご主人様」
「わからぬ。だが、探していない場所と言えば此所ぐらいのものであろう」
話しながら、庭石を一つ一つ確かめていく。
無論、兵らも手分けして当たっている。
……ふと、雪蓮が一つの石の前で立ち止まった。
「如何致した?」
「この石、何か怪しいわ」
「勘か?」
「ええ。でも、調べてみる価値はありそうよ?」
そう言いながら、雪蓮は剣を抜いた。
睡蓮(孫堅)譲りの業物、南海覇王だ。
「待て。それならば、私も助太刀するぞ」
「歳三の剣ね。いいわ」
「うむ」
兼定を抜き、雪蓮と並んだ。
「じゃ、行くわよ?」
「うむ」
「せいっ!」
「ふん!」
手応えあり、だな。
「おお、石が」
「はわわ、真っ二つです」
「ふ~ん、流石ね。歳三の剣、刃こぼれ一つないじゃない」
「雪蓮のもな」
割れた石を、兵らが除けていく。
その下には、石段が姿を見せた。
「こんなところに……。しかし、巧妙に隠したものね」
「ああ。これでは見つからなくて当然だな」
「二人とも、感心するのは後にせよ。行くぞ」
兵の一人が、心得たもので松明を持ってきた。
「土方様。先に入ります」
「頼む」
見張りに一部の兵を残し、私達は石段を下り始めた。
灯りが松明だけでは良く見えぬが、石段を下りきった場所は鉱山のような構造になっていた。
頑丈な石で天井や壁が築かれ、かなり手間をかけた事が見て取れる。
「かなり古い物のようですね」
「ああ。しかも、かなり本格的なものだ。急造ではこうはいくまい」
朱里と冥琳が、頻りに感心している。
「隠し通路ってところかしら?」
「いや、単なる通路ならばここまでする必要はあるまい。それ以外の目的もあった筈だ」
「……じゃあ、この先に陛下が?」
「可能性はある。いや、高いやも知れぬ」
「そうよね。じゃ、急ぎましょう」
そう言うと、雪蓮はさっさと歩き出す。
松明を持った兵が、慌ててその後を追う。
道は二手に分かれているのだが、迷いもせずに左へと進んで行った。
「あの……。手分けしなくても大丈夫なんでしょうか?」
「信じるしかあるまい。あれの勘は、時々軍師など要らぬのではないかと思ってしまう程だ」
表情は窺えぬが、冥琳は苦笑を浮かべているのであろう。
肌寒さすら感じさせる空気だが、完全に澱んでいる訳でもないようだ。
松明の炎が時折、微かに揺らめくのがわかる。
「…………」
雪蓮は何を思うのか、無言で先頭を歩んでいる。
必然的に、皆が押し黙る。
いや、寧ろ不用意に喋らぬ方が良い。
コツコツと、靴音だけが辺りに響き渡る。
不意に、雪蓮が足を止めた。
「どうした、雪蓮?」
「行き止まりみたいよ」
松明で照らすと、確かに石の壁が行く手を塞いでいた。
「確かにそのようだな」
「はわわ、道を間違えたんでしょうか?」
「おかしいわね、確かにこっちから気配を感じたのに」
雪蓮は首を傾げながら、壁を触っている。
……ふむ。
「松明を貸せ」
「はっ」
兵から松明を受け取り、壁を調べてみる。
仕掛けの類はないようだが、雪蓮の勘が誤りだとも思えぬ。
となれば、この向こうに出る方法が何かある筈。
試みに、押してみるとするか。
松明を手渡し、両手を壁にかけた。
少し踏ん張り、腕に力を込める。
……と。
ズズ、という音と共に壁が動いた。
「ほう。このような仕掛けが」
「へぇ、じゃあ押してみましょ」
楽しげに、雪蓮が私の隣に立つ。
それを見て、他の兵らも慌てて寄ってきた。
「では、行くぞ」
「はっ!」
数人がかりで、壁を一斉に押す。
軽い地響きと共に、ぽっかりと空間が姿を現した。
「歳三!」
その刹那、雪蓮が剣を抜いて飛び込んだ。
カンッ、と金属音が聞こえた。
「冥琳、朱里。お前達は下がっておれ!」
「はい!」
「は、はい!」
私と兵も、剣を抜いて雪蓮の後に続いた。
暗がりから、何やら光る物が突き出される。
咄嗟に兼定で切り払うと、それは槍の穂先だった。
「雪蓮、気をつけろ!」
「ええ!」
待ち伏せを受けたようだな。
敵に行動を読まれていたというよりは、仕掛けを動かす音で所在が知れてしまったのやも知れぬ。
だが、鋭気は此方の方が十分。
敵は追い詰められている故の必死さは伝わるが、所詮は多勢に無勢であろう。
油断さえしなければ、制圧も時間の問題だ。
「死ねぇっ!」
「甘いな」
繰り出される槍も、腰が定まってはおらぬ。
緩慢な突きを躱すと、柄を掴んで引き寄せた。
「う、うわっ!」
「ふん!」
そのまま、敵の首筋に一太刀。
「はあっ! えいっ!」
「ぐはっ!」
「ぎゃっ!」
雪蓮が更に二人ほど、斬り捨てたようだ。
敵は小勢だったようで、後から兵らが雪崩れ込んだ時点で片はついた。
「あら、もうおしまいなの?」
「終わりだな。参るぞ」
「あ、待ってよ」
生き残った数名が、奥へ奥へと逃げていく。
恐らく、張譲らはその先にいるのであろう。
「く、来るなっ!」
宦官特有の甲高い声が、地下室に響く。
哀れな程に狼狽しきったのは、紛れもなく張譲だ。
そして、その手には短剣が握られている。
小脇に抱えられた陛下は、ただ震えるのみ。
「張譲。貴様、何をしているのかわかっているのであろうな?」
「う、五月蠅い! 貴様さえいなければ……貴様さえ!」
「あらら、随分な逆恨みね」
雪蓮が、冷ややかな眼で張譲を見た。
「小娘、控えよ! 私を誰だと思っているのじゃ!」
「えっと、天下の大悪人?」
「ぶ、無礼者め! へ、陛下。今すぐ、この下賤の者どもを捕らえよとお命じなされ!」
「こ、怖いよ……」
「もう止せ。貴様は終わったのだ、見苦しいぞ」
「ええい、黙れ黙れ! 陛下、お命を長らえたくばお命じなされよ!」
短剣が、陛下の喉元に突き付けられた。
「嫌だ、嫌だよ!」
「聞き分けのない事を!」
言っている事は支離滅裂だが、迂闊に動く訳にもいかぬ。
今の張譲には、説得を聞き入れる事はまずあり得まい。
あの短剣さえどうにか出来れば、赤子の手をひねるに等しいのだが。
「張譲。貴様に恨みを買う覚えなどないが」
「その通りよ。貴様はそこまで愚かではないようじゃ」」
「ならば、謀反人に仕立て上げてみせたり、交州赴任を命じたのは何故だ? よもや、全て陛下の御心のまま……とは言わせぬぞ?」
「目障りなのだ、貴様が」
「どうしてかしら? 歳三はあなた達を脅かした事があったかしら?」
「直接はない。……だが、遠からずそうなっていた事は明白よ。女子を誑かす手管でな」
小馬鹿にしたように、張譲は口元を歪める。
「ち、違います! ご主人様はそんな御方じゃありましぇん……あう」
「如何にも。張譲殿、いくら貴方様でも誹謗は無礼でありましょう」
「ほう。お前達までその小娘同様誑し込まれているようじゃの」
その言葉に、朱里と冥琳の眼に怒りが浮かんだ。
「張譲。私を愚弄するのは構わぬ、だが他の者まで嘲笑する事は許さぬ」
「ほう、許さぬとはどうするつもりじゃ? この十常侍筆頭である私を斬るか?」
「高をくくっているのであろうが……」
私は兼定を構え直す。
「う、動くでない! 陛下がどうなっても良いのか!」
「語るに落ちるとはこの事だな。陛下、宜しいですな?」
「た、助けるのじゃ! 朕はまだ死にとうはない!」
「御意」
その刹那。
張譲の両腕が、胴を離れていた。
「……へ? ひぎゃぁぁぁぁぁっ!」
激痛に、張譲はその場でのたうち回る。
噴き出す血が、辺り一面を汚していく。
「陛下。お怪我はござりませぬか?」
「怖かった……怖かった、うわぁぁぁぁぁん!」
疾風にしがみつき、陛下は泣き喚いている。
「疾風、明命。絶妙の頃合いだったな」
「いえ、歳三殿が張譲の眼を引き付けていて下さったお陰です」
「それに、陛下のお許しもいただきましたから」
薄暗いとは申せ、二人の太刀筋は見切れなかった。
見事という他にあるまい。
「それにしても、二人とも何処から来たの?」
「はい。地下牢があるという事で、その入口を宮中で見つけたのです」
「疾風さんと、そこ以外には考えられないだろうと結論を出したんです。やはり、正解でした」
「そうか」
その間にも、張譲はもがき苦しんでいる。
「歳三。これ、どうするの?」
「殺すのは容易い。だが、こやつにはまだ話して貰わねばならぬ事がある」
「……そうね。じゃ、連れて出ましょうか」
これで、全てが終わったか。
とは申せ、まだまだ安息を得るには時を要しそうではあるが。
その後、張譲らに対しての尋問が行われた。
何皇后らは既に毒殺され、密かに葬られていた事。
張譲から袁術に対し、私や月を討伐した暁には大将軍に叙する密約があった事。
その他、悪事や生臭い話には枚挙に暇がなかった。
唯一、陛下と杜若が再会し、互いの無事を喜び合ったのが明るい話題と言えよう。
連合軍もなし崩し的に解散。
袁術のみならず、麗羽や華琳らも任地へと戻っていったようだ。
「これで、やっと無益な争いが終わりましたね」
「……うむ」
だが、これで朝廷の権威は完全に地に墜ちた。
群雄割拠の時代へ突入する事になるのであろう。
それを察しているのであろう、月の笑顔もぎこちないものだった。
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