至誠一貫
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第二部
第二章 ~対連合軍~
百四 ~長安~
前書き
年度末でバタバタしていて、更新が遅くなりました……。
2014/1/29 一部訂正しました。
数日が過ぎた。
「すると、虎牢関の方は全く連合軍を寄せ付けていないのじゃな?」
「はっ」
「そうか。この洛陽が戦火に包まれる事は、何としても避けねばの……」
安堵の溜息を漏らす杜若(協皇子)殿下。
虎牢関からの報告を聞き、こうして報告に参っている。
戦果は改めて確かめるまでもなく、全てが予想以上であった。
我が軍は堅牢な要塞、選りすぐりの将達、そして高い士気の兵らの奮闘が揃っているのだ、当然の結果と言えよう。
「土方よ」
「は」
「もう、この戦に何の意味もなかろう。何とか、連合軍を引かせる手立てはないのか?」
「難しいかと存じます。勅令が偽であるとの証明を、陛下自らなさっていただかぬ限りは」
「……しかし、それが如何に困難か。どちらを向いても困難ばかりじゃの」
杜若殿下は、小さく頭を振った。
「そう言えば。長安の様子、何かわかったか?」
「いえ、然したる事は。警戒が厳しく、手の者も思うに任せぬようにござります」
「そうか。何とか、姉様に連絡を取りたいものじゃが」
それすら思うに任せぬのが現状だ。
雪蓮らの目的も定かではなく、数を減らしたとは申せ十常侍も健在ではどうにもなるまい。
疾風(徐晃)に無理をさせる訳にもいかぬ。
「今一度、手立てを考えては貰えぬかの。この通りじゃ」
「殿下、頭をお上げ下さい」
「いや、私が頭を下げて済むなら安いものじゃ。必要とあらば、袁術の下に出向いても構わぬ」
全て覚悟の上という事か。
私の知る劉協とは違い、杜若殿下は無闇に実権を取り戻そうという姿勢は見られぬ。
この御仁ならば、仮に歴史通りになっても廷臣を犠牲にする事はあるまい。
「一度、孫策らと連絡を取ってみたいと存じます。悪意あっての行動とも思えませぬ故」
「任せる。何としても、姉様を……頼む」
「はっ」
とは申せ、妙案がある訳ではない。
皆に諮ってみるとするか。
「お兄ちゃん、大変なのだ!」
執務室に、血相を変えて鈴々が飛び込んできた。
函谷関から戻るように伝えてはいたが、それにしても帰りが急過ぎるな。
「慌ててどうしたんですかー?」
「だから、大変なのだ! 長安が火事なのだ!」
「何だと?」
思わず、風と顔を見合わせる。
「それは、朱里らからの知らせか?」
「そうなのだ。霞と朱里は長安に向かうから、この事をお兄ちゃんに知らせろって言われたのだ!」
「……うむ。風、すぐに出るべきだな」
「御意ー。恋ちゃんと愛紗ちゃんに伝えてきますねー」
「頼む。鈴々、とりあえずご苦労だったな」
「疲れたのだ……」
へたり込む鈴々。
函谷関からほぼ駆け通しだったのであろう。
「誰か、月を至急此所へ」
「はっ!」
廊下にいた兵が駆けていく。
城内が、俄然慌ただしくなる。
二刻後。
愛紗を伴い、城門を出た。
兵は僅かだが、函谷関と潼関の守備兵を連れて行く事にしている。
これ以上洛陽の守兵を割くのは好ましくなく、また効率も悪い。
それに、この状況で二つの関に兵を置いておく意味はない。
雛里もそのまま函谷関で合流するよう、使者を出しておいた。
「ご主人様。一体何が起きているのでしょう?」
「わからぬ。先行させた朱里らが、何か情報を掴んでいれば良いのだが」
「御意。しかし、鈴々は大丈夫でしょうか?」
「心配か。だが、当人が大丈夫と言い張っているのだ。信じるより他あるまい」
疲労を隠しきれぬ鈴々は、そのまま洛陽に留まるように命じてきた。
私に同行すると言って聞かなかったが、身体が動かせぬのに無理はさせられぬ。
「そうですね……」
そうは言うが、表情は曇ったまま。
愛紗にとって、鈴々は実の妹同然なのは変わらぬようだ。
……この場に、劉備がいたならばどうなったであろうか。
この二人と、実の姉妹のように接していたのやも知れぬな。
「そこまで心配ならば、今からでも洛陽に戻って構わぬぞ?」
「いえ。それに、私が此所を離れては誰がご主人様をお守りするのですか」
愛紗は、じろりと私を睨む。
「ふっ、その元気があれば良い」
「ご、誤解されては困ります。鈴々の事は勿論気がかりですが、ご主人様の事を蔑ろにするつもりはありませぬ」
「うむ。だが恐らく、長安では戦になるまい」
「そう言い切れますか? 確かに孫策殿は、ご主人様と争うつもりはないと仰せでしたが」
愛紗は首を傾げる。
「この軍勢も万が一の用心、勝てぬ喧嘩をせぬ為だ。雪蓮らはともかく、張譲が何を企むかわからぬからな」
尤も、如何に悪賢い張譲と言えども策を弄するのは難しいであろう。
仮に雪蓮らが何かを命じられたとしても、周瑜がいる。
引き連れた兵を合わせれば数は我らがやや上、しかも地の利も此方にある。
既に偽とは言え逆賊と名指しされた身だ、兵を率いる事で非難を受けても構わぬ。
最悪、月には累が及ばぬ筈だ。
……勘ぐり過ぎやも知れぬが、その程度の事は備えておいて損はないからな。
「はい。万が一奴らが不埒な真似に及べば、この私が容赦はしませぬ」
「私とて同じだ。話は終わりだ、先を急ぐぞ」
「はっ!」
長安までは指呼の距離とはいかぬ。
強行軍になるが、今は時が惜しい以上やむを得まい。
長安の手前、二里ほどの場所で霞らが待っていた。
「歳っち、愛紗。早かったな」
「急がせた故な。朱里、雛里、状況は?」
「はい。孫策さんの軍には動きはありません」
「その他に、長安に出入りする人の気配もなさそうです。念のため、兵士さんに見張っていただいています」
私は頷くと、望遠鏡で長安の様子を見てみる事にした。
火の手は見えぬが、未だに各所から黒煙が上がり続けているようだ。
単なる小火騒ぎではなく、かなりの大火だったらしいな。
「孫策さん達が消し止めたんでしょうか?」
「恐らくな。張譲や廷臣共に素早い処置が執れるとは思えぬ」
「問題はこれだけ大火になった原因や。単なる火事って規模ちゃうで?」
城壁の向こう側までは見られぬ以上、宮城や市街の子細はわからぬ。
だが、立ち上る黒煙の量、眼に入る焼け跡の規模は尋常ではない。
「あわわ。ご、ご主人様!」
雛里の声に、全員が城門を見た。
「はわわ、城門が開かれちゃいました!」
「どういうこっちゃ?」
打って出てくるとは思えぬが、兵らは身構えた。
城門の向こうから姿を見せたのは、雪蓮ともう一人。
褐色の肌に長い黒髪、そして眼鏡の女子。
「朱里、あれは?」
「はい。冥琳さん、いえ周瑜さんです」
「ほう」
実際に目にするのはこれが初めてだが、なるほど理知的な面構えだ。
と、その隣にいた兵が白旗を持ち、此方に向かってくる。
「軍使のようですね」
「どうやら、戦う気はないようですね」
「せやな。歳っち、ええんか?」
「使者を断る理由などなかろう。ただし、構えは解くな」
「御意。皆の者、油断致すな!」
愛紗も霞も、得物を手に私の前に立った。
不測の事態に備えて、というつもりか。
この期に及んで、そのような事になるとは思えぬがな。
使者は私の前まで来ると、礼を取った。
「土方様に、我が主孫策寄りの言伝です」
「聞こう」
「はっ。我が主が土方様と直接、話がしたいと」
内密の用件ならば、明命を使えばいい筈だが……未だ、虎牢関に残っているのやも知れぬな。
常識で考えて、今の孫策には袁術からの監視が付けられているであろう。
仮にも朝敵として名指しされている私との会見が如何に危険な事か……知らぬ雪蓮と周瑜でもなかろう。
「ふむ。だが、場所と方法はどうするのだ?」
「土方様さえ宜しければ、すぐにでも此方へとの事です」
「ほう。雪蓮自ら参ると申すか?」
「はい。我が主並びに周瑜の二人で、勿論武器は一切置いて参ります」
私が手を出さぬと言う確信あっての事であろう。
無論、亡き睡蓮(孫堅)の言葉を忘れた訳でもなく、忘れるつもりもない。
その程度の事、先刻承知ではあろうがな。
「良かろう。朱里、雛里も良いな?」
「御意です」
「ご主人様が宜しければ」
使者は頷くと、手にした白旗を大きく振った。
それを合図に、雪蓮と周瑜が一気に駆けてくる。
「皆、手出したらアカンで。ええな?」
「はっ!」
「やっほ~。久しぶりね、歳三」
「……雪蓮。親しき仲にも礼儀あり、だぞ?」
「ぶー、冥琳が堅いのよ。歳三はそんな事気にしないわよ、ね?」
相変わらず陽気な雪蓮に、こめかみを押さえる周瑜。
どうやら、雪蓮の気質には周瑜も苦労させられているようだな。
「ほらほら、そんな顔してないで挨拶しなさいって」
「全く、誰のせいで。……失礼しました」
表情を改め、周瑜は私に礼を取った。
「お初にお目にかかります。姓は周、名は瑜、字は公瑾と申します」
「姓は土方、名は歳三だ」
続けて、霞と雛里も名乗りを上げる。
「関羽も元気そうね?」
「ええ、孫策殿もお変わりないようで」
愛紗も、いくらか肩の力を抜いて応えている。
「ご無沙汰しています、冥琳さん」
「ああ、久しぶりだな朱里」
微笑みを浮かべる周瑜と朱里。
私の読んだ書では対立した二人だが、この世界ではそのような事もなさそうだな。
「さて雪蓮。早速だが話を聞かせて貰おう」
「そうね、時間もないものね」
雪蓮は表情を引き締め、我らを見渡した。
「歳三。勅書が偽物だって噂を流したのは、あなたね?」
「そうだ。だが、根拠あっての事だ」
「でしょうね」
雪蓮が頷き、周瑜が後を引き取る。
「あの噂が流れた後、私も独自に調査しました。その結果、単なる噂ではないという疑惑が浮かび上がってきました」
「それで?」
「それとなく、袁術殿に伝えてみましたが」
「無駄だったのよね。あの子にそれが理解出来る訳もないんだけどね」
雪蓮が肩を竦めた。
「ふむ。では、長安に向かったのは何故だ?」
「事の真相を確かめる為よ。当人に聞くのが一番間違いがないでしょ?」
「……とは言え、そのまま袁術殿に言上しても無駄な事ですから。陛下を土方軍よりも先に保護しておくという名目で許可を得たのです」
「周瑜さん。連合軍の中で、偽勅書の話題は一切なかったのですか?」
雛里の問いかけに、周瑜は頭を振った。
「いや。反応を見せたのは曹操殿、それに今は土方殿に降った公孫賛殿だ」
「白蓮さんは真相に気づいたと仰ってました。曹操さんは、承知の上で動かなかったようですね」
「その通りだ、朱里。だから、虎牢関攻めでは消極的な姿勢に終始しているのだろうな」
「せやけど、周瑜はん。偽物やっちゅう事がはっきりしたら、連合軍には損になるだけやろ?」
「霞の申す通りだ。ご主人様と月様に対する戦いの意義そのものが疑われてしまう事になる」
周瑜が、二人に向かって頷く。
「ああ。寧ろ、徒に軍を発し天下を騒がせた……処罰の対象になりこそすれ、賞される事はないな」
「そこがわからへんな。曹操はんの事や、それが見通せえへん筈ないやろ?」
「だが、素知らぬ顔で最後まで勅命に従えば、少なくとも信義を問われる事はない……そう考えればどうかな?」
不敵な笑みを浮かべる周瑜。
「なるほど……。曹操さんなら、そこまで読んでいる事は十分考えられますね」
「そうだね、朱里ちゃん。あ、あの……ところで、続きをまだ伺っていませんが」
「ああ、そうね
雪蓮は頷いた。
「でね、陛下に謁見を願い出たわ。勿論、袁術ちゃんの使者としてね」
「だが、門前払いを食らってな。官位を持たない者を宮中には入れられないの一点張りでな」
「んなアホな。仮にも味方ちゃうんか?」
「ええ、そう思ったんだけど。どうやら、張譲から見ればわたし達も敵という認識みたいなの」
「……睡蓮様の一件から、我らと土方様とか示し合わせて動いているのではないか。そう勘ぐられていたようなのだ」
「まさに下衆の勘繰り、という奴だな」
吐き捨てるように、愛紗が言った。
「それどころか、糧秣の支給すら渋ったのよ? 酷いと思わない?」
「それでは、孫策さんの兵が飢えてしまいますね」
「その通りだ、朱里。かと言って、役目も果たさずに戻れば袁術からどんな処罰を受けるかわからん」
「いっその事、歳三に降っちゃおうかとも思ったんだけどね。ただ、そうなれば残してきた祭や飛燕(太史慈)達がただじゃ済まないわ」
「あわわ、ま、まさかこの火事は……?」
なるほど、そういう事か。
雛里のみならず、皆が顔色を変えた。
「あら、何の話かしら? ねぇ、冥琳?」
「ああ。偶々、宮城の一角から火の手が上がっただけだな」
「し、しかしだな。この規模の大火だぞ、死者も少なくなかろう?」
「それなら心配無用だ、関羽。今の長安には、殆ど庶人は住んでいないからな」
「陛下はともかく、廷臣達があの体たらくだもの。愛想を尽かして出て行っちゃったわよ、殆ど」
それはそれで妙な話だが、この際それは問うまい。
「……そういう事にしておくか。それで?」
「当然、緊急時だから兵を動かしたわ。あれだけ行く手を阻んだ近衛兵も、流石に制止しなかったわよ」
「ですが、宮中はもぬけの殻でした。陛下も張譲殿も行方知れずです」
「残っていた官吏を問い詰めたら、裏門から馬車で逃れたらしいの。今、必死に探させてはいるんだけど」
「ふむ……」
如何に悪賢い張譲とは申せ、そこまで素早く動けるものであろうか?
奴一人ならば兎も角、陛下をお連れしてとなれば尚更であろう。
「霞。済まぬが急ぎ洛陽に戻ってくれぬか?」
「ええけど、何するんや?」
「書状を認める故、暫し待て」
「わかった」
「愛紗、雛里。お前達は半数の兵で長安の周囲を固めよ、何人たりとも出入りさせてはならぬ」
「御意!」
「御意です」
二人は兵を連れ、駆けていった。
「では雪蓮。残った兵は全て入城させるが、良いのだな?」
「ええ。陛下がおられない以上、歳三と戦わなきゃいけない理由も義理もないでしょ」
「よし。雛里、兵の指揮は任せるが良いな?」
「ぎ、御意です」
陛下の行方だけが気がかりだが、どうやら無用な戦はこれで終わりを告げたな。
長安は、確かに廃墟同然であった。
これでは、仮に襲撃を受けたら一溜まりもなかったであろうな。
仮の本陣で書状を認め、霞を見送った。
後は、待つより他にないな。
「土方様」
周瑜が、表情を改めた。
「何か?」
「はい。この命を助けていただいた御礼を、まだ申し上げていませんでしたので」
「体調の方は良いのか?」
「おかげさまで、嘘のように身体が軽くなりました。華佗の話では、もう再発する恐れはないようです。本当に、ありがとうございました」
「わたしからもお礼を言うわ。ありがとう、冥琳を助けてくれて」
「私は何もしておらぬ。礼ならば華佗に申せばそれで良い」
「いえ、そうは参りません。何人にも隠し通していたこの病、もう天命と諦めていましたから」
「……わかった、それで気が済むのであれば受け取ろう」
「はい。それから、今後は私の事は冥琳、とお呼び下さい」
「いいだろう。私の事は、好きに呼べばいい」
「わかりました、歳三様」
「良かったわね、冥琳」
「ああ」
微笑み合う二人。
断金の交わりは、この世界でも変わらぬらしい。
「さて。じゃ歳三、今夜は一緒に……ね?」
「何をするのだ?」
「決まってるじゃない。なんなら、冥琳も一緒にどう?」
妖しげな笑みを浮かべる雪蓮。
「あなたみたいな男の血なら、大歓迎よ? ねぇ、冥琳?」
「……雪蓮。それはいくらなんでも非礼だろう」
「いーじゃない。真名を預ける程の相手なんでしょ? もしかして、歳三じゃ不満?」
「そうではない。それに、良いのか?」
「え?」
慌てて振り向いた雪蓮。
その視線の先には……般若がいた。
「孫策殿。何をご所望で?」
「あ、あら関羽。いつの間に?」
「ご主人様に報告を、と思って今し方ですが。ところで、ご主人様に何をなさるおつもりで?」
「あ、あははは。い、いえね、一緒にお酒でもどうかなぁ、って」
「ほう。私の耳にはそうは聞こえませんでしたが」
「そ、そう? あ、そ、そう言えば落款があったんだ。じゃあまたね、歳三!」
雪蓮は、脱兎の如く駆け出した。
「全く、油断も隙もない」
「済まぬ、関羽。後で厳しく叱っておく」
「是非、そうして貰いたい。……ご主人様もご主人様です、もっと毅然と拒んでいただかねば困ります」
私はまだ、何も言っておらぬのだが。
「では歳三様、私もこれで」
一礼し、冥琳も去って行った。
……兵らも空気を察してか、皆下がったらしい。
「愛紗」
「……何か?」
「私が信じられぬか?」
「そ、そうではありませぬ。ただ、紫苑の例もありましたから」
「あの時とは事情が異なる。それに、今雪蓮を抱けばどうなるかぐらい、私も弁えているつもりだ」
「……それならば良いのですが。ご主人様、あまり私達を不安にさせないでいただきたいのです」
「……うむ、善処しよう」
その後愛紗を宥め賺すのに、暫しの刻を費やす事になった。
それから数日、雪蓮は姿を見せなかった。
「冥琳さん、はりきって孫策さんにお仕事させているみたいです」
「な、何だか生き生きとしてました」
様子を見に行った朱里と雛里が、何故か震えながらそう報告した。
さて、一体何が起きているのやら……関わり合いになるべきではなさそうだが、な。
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