戦国異伝
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第三十七話 二つの砦その三
「しかしです」
「しかしか」
「そうです。どちらにされますか」
「今川は尾張に入っておるな」
「鷲津と丸根に近付いております」
林の言葉はいよいよ切迫したものになっている。
「それでも何もされないのですか」
「まあ落ち着け」
信長は怒った様に言う林に平然として述べた。
「茶でも飲むか」
「今は茶はいりませぬ」
林はきっとした顔で主に言い返す。
「そんなものはです」
「いりませぬか」
「左様です。とにかくどうされるのですか」
「さてな。とりあえずはじゃ」
「とりあえずは?」
「落ち着くのじゃ」
またこう告げる信長だった。
「よいな、今はじゃ」
「あくまでそう言われますか」
「そうじゃ。茶でも飲んでじゃ」
こんなことを言ってだ。彼は動かない。林はその主に小言めいたことを言い並べたがやはり動かない信長だった。結局林はそのまま彼の前を退いた。
そのうえでだ。苦々しい顔で柴田に言うのであった。
「このままではじゃ」
「確かに。まずいですな」
「篭城するならするでよい」
林はそれは悪くないというのだった。
「外で戦をするのもそれでよい」
「どちらにしても悪い戦にはなりませぬな」
「殿はあれで戦上手じゃ」
そのことはだ。もう林も充分過ぎる程わかっていた。瞬く間に尾張を統一した信長の技量は傍で見ればさらにわかることだからだ。
しかしだ。それでもだった。今はだ。
「だが今川はそうはいかんぞ」
「先陣にあの太源雪斎」
「しかも松平元康じゃ」
この二人のことを言うのである。
「何もしないで勝てる相手か」
「まず無理でござろうな」
「殿は何を考えておられるかわからぬ時が多いが」
その腹の読めなさがだ。今林を余計に苛立たせていた。
それでだ。彼はこう言うのであった。
「このままでは。まことに」
「今川に敗れると」
「わしは殿以外に、織田家以外に仕えるつもりはないわ」
それは信長が幼い頃から変わらない。彼にしても忠義は絶対なのだ。
「だからこそじゃ。殿には今こそじゃ」
「殿が動かれれば」
「戦はそれで終わりじゃ」
信長がだ。勝つというのだ。
「だからこそ言うのじゃが」
「ううむ、ここは」
「待つしかないのう」
「それが我慢できんのじゃがな」
「しかし新五郎殿がじゃ」
「わしが。何じゃ?」
林は柴田の今の言葉に顔を向けた。
「何だというのじゃ」
「いや、その様なせっかちなことを言うのがどうもな」
「おかしいか」
「そういうことはわしや又左が言うのが常だからのう」
柴田は織田家きっての直情家である。それは己でもわかっているのだ。
しかしだ。今はなのだった。
「それを林殿が言われるとは」
「何しろ今はこれまでにない危機じゃ」
だからだというのである。
「それでなのじゃ」
「左様でござるか」
「わかっていても焦ってしまう」
実際にだ。言葉にそうした感情が出ていた。
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