ドリトル先生の長崎での出会い
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第十幕その一
第十幕 教会の中で
先生は今も長崎の街をフィールドワークしています、そうしながら今も一緒にいる動物の皆に言いました。
「プッチーニさんは蝶々夫人だけじゃないね」
「そうそう、色々な作品を作曲していて」
「歌劇界きってのヒットメーカーだね」
「多くの名作を生み出した」
「そんな作曲家さんだね」
「イタリア生まれでね」
歌劇の本場のです。
「あの国で生まれ育ってね」
「確かお父さんに音楽を教わって」
「叔父さんに詳しく教えてもらって」
「作曲家さんになったね」
「お父さんはとても優しかったけれどね」
それでもというのです。
「叔父さんは厳しくて」
「よく怒られて」
「そうしながら成長したんだよね」
「あの人は」
「そして学校で学んだんだ」
音楽のというのです。
「先生は作曲家のポンキエッリさんだったよ」
「何かとても優しくてもの静かで」
「オウッチーニさんの才能を見抜いて」
「おおらかに見守っていたね」
「そこで後に有名になるマスカーニさんとも知り合ったよ」
その学校でというのです。
「カヴァレリア=ルスティカーナで知られるね」
「あの人とだね」
「よく知られてるね」
「そうだね」
「そして作曲家になって」
そうしてというのです。
「マノン=レスコーやラ=ボエームを作曲して」
「世に知られたね」
「そうなったね」
「そこからだね」
「そうだったんだ、それまでは妖精ヴァッリやエドガールを作曲したけれど」
それでもというのです。
「知られる様になったのはね」
「マノン=レスコーとかだね」
「そうした作品で知られて」
「ラ=ボエームが大人気で」
「知られたね」
「そうだったんだ、この二作品はパリが舞台で」
そうであってというのです。
「次のトスカはイタリアのローマがね」
「舞台だね」
「まさにプッチーニさんのお国だね」
「あの国が舞台だね」
「そうだったんだ、イタリアが統一されてね」
そうなってというのです。
「まだ何十年か経った頃だったけれど」
「ローマはイタリアの首都になっていて」
「そのローマを舞台にしたね」
「そうした作品ね」
「だからラ=ボエームとか以上に実際にあった場所が出ているよ」
作品中にというのです。
「ファルネーゼ宮殿やサン=タンジェロ城がね」
「そうなってるね」
「ファルネーゼ宮殿は今はフランス大使館で」
「サン=タンジェロ城は観光名所になってるね」
「そうだよね」
「そのトスカも大人気で」
そうであってというのです。
「アメリカを舞台にした作品もあるよ」
「西武の娘だったね」
「丁度西部劇の時代のカルフォルニアで」
「保安官さんとか出て来るね」
「衣装もそうした感じで」
「思い切った位の異色作でね」
西武の娘はというのです。
ページ上へ戻る