冥王来訪
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第三部 1979年
戦争の陰翳
国際諜報団
前書き
今回は短めです。
夜も更けた京都市内。
闇夜の中から、4ストロークのエンジン音を響かせたCB750Fが姿を現す。
バイクは篁亭の前に止まると、運転手の女が降り立った。
ライダースーツを着た運転手は突如として、2メートル近くある塀を飛び越えた。
女は、空中で奇麗なバク転を描き、音もなく庭に着地すると、屋敷の母屋に駆け寄った。
屋敷の主人である篁は、庭の向こうにかすかな気配を感じた。
篁が押っ取り刀で障子を開けるより早く、ライダースーツ姿の人物が入ってきた。
「どうした、美久!」
マサキの呼びかけが遅れていたら、美久は切りかけられている所だった。
篁の右手には、すでに抜身の真剣が握られていたからである。
「お迎えに上がりました。榊次官がお呼びです」
昭栄化工(1992年以降はshoei)s-12の黒いフルフェイスヘルメットを脱ぐなり、美久はそう言い放った。
「何だって!!」
マサキの怒りで真っ赤になった顔を、美久は平然と見ていた。
その表情があまりにも平坦なので、後ろで見ていたアイリスディーナは奇異に感じた。
篁に抜身の打刀を向けられているのに、まるで人形のように見えたからである。
普通なら顔をゆがめたり、悲しそうな表情になるのではないか。
それがまるでそんな気配はなく、当たり前だという表情をしていたからだ。
眠っているユウヤを抱きかかえていたミラは、拍子抜けした。
「とにかく時間がありません。
バイクで祥子さんのスナックに行きましょう」
いきなり話が飛躍したので、マサキは一瞬ポカーンとした。
すぐに、マサキの表情に狼狽の色が現れ、いっぺんに落ち着きを失った。
しばらくすると、何かが飲みこめたようだった。
マサキは、いかにも仕方がない感じで、美久の顔を見た。
「わかったよ。
だがアイリスディーナは……」
「私が帰ってくるまで面倒を見ますわ」
「ミラ……」
ミラの話ぶりには、人の良さと誠実さを感じた。
「博士、後のことはお任せください
何かあっても、僕と篁さんがいますから」
自信たっぷりな白銀のいいように、マサキは納得した。
この男は、鎧衣と共に3000名ものPLFPゲリラから生還した男である。
敵陣の中から、手負いのデルタフォースを無事に救出したのを知っている。
マサキは白銀にうなずくと、黙って美久の後についていった。
バイクは深夜の府道37号線を疾走した。
帝都城の目の前の幹線道路であるが、深夜なので通る車も人もほとんどいなかった。
ヘルメットをかぶったマサキは、強い力で美久の背後から抱き着いた。
バイクの2人乗りで走行中に抱きつくのは、実は危険なのは、マサキも知っていた。
運転手の重心が変わり、操作性に影響するからである。
だが、美久を慰撫する意味もあって、彼女の背中に抱き着いたのだ。
美久は自分が作った推論型AI搭載のアンドロイドである。
高度な学習システムで人間のような感情を持つのは知っていたが、秋津マサトに好意を抱ていたのは本当だったのだろうか。
マサキは自問自答していた。
もしマサトが最初から躊躇なく人を殺せる人間だったら、美久が人情を持つことは無かったのではないか。
人間の愛は、心を持たぬアンドロイドをも動かすことができる。
ならば、人間と機械の間の壁は、決して越えることは不可能ではない。
壁がある者同士が絆を結んでいくというアイリスディーナの考えも間違ってはいないのではないか。
共産圏の人物でありながら、アイリスディーナへの未練を断ち切ることのできない、愚かな人物という意見もあろう。
マサキは、理想と現実と、心と体の葛藤に一人悩まされていた。
スナックで待っていたのは、榊といつもの彼の取り巻きだった。
「こんな深夜になんだ」
言葉を切るとタバコに火をつけた。
「ハイネマン博士が何者かの車に乗って、失踪したとの匿名のタレコミがあった」
警保局長の瀧元は、簡単に事件のいきさつを述べた。
超高性能ミサイルを搭載可能な戦術機の設計技師の誘拐は、それ自体が国際問題である。
日本警察は、なにをしているのだろうか。
マサキはおもわず失笑した。
「これを見たまえ」
そういうなり、瀧本は上着の内ポケットから、封筒を取り出した。
黒髪に緑色の瞳をした壮年のスラブ人が写った数葉の写真を、机の上に並べる。
「ワシリー・アターエフ。
この男は、75年から続くモザンビーク内戦に参加しているGRU将校とされる。
今年に入ってから、イラクの共和国防衛隊の軍事顧問団に参加したと内務省では見ている」
写真には、それぞれカーキ色のイラク軍の軍服とモザンビーク解放戦線のトカゲ迷彩服が写っていた。
「この男は、ソ連戦略ロケット軍の少佐で、ヤンゲリ設計局の将校だったという話がある。
60年のネデリン事件の後、GRUにスカウトされて、工作員に転身した様だ。
今夕、アエロフロート機で伊丹国際空港に来たという情報を得た」
ネデリン事件とは、1960年10月24日にバイコヌール宇宙基地で発生したR-16ミサイルの自爆事故である。
ソ連の科学者サハロフによれば、ミサイル技術者が150名近く死に、ビデオカメラでその光景が録画されていたという。
「そろそろ京都市内に入って、GRU工作員と接触するとの情報を得た。
ハイネマン博士は、おそらく彼らに監禁されているのだろう」
マサキは、吸っていたホープをもみ消した。
「敵は外交官旅券を持つ連中だ。
日本国内に居るうちに処理になければ、我々も迂闊に手を出せない」
場面は変わって、京都市内にある九條家の館。
そこではソ連工作員とスパイたちが密議を凝らしていた。
「新型のフェニックス・ミサイルは、最大射程50キロという大したものです。
このミサイルの特徴は、49キロほどは一つのミサイルで飛び、標的の100メートル前で散弾する仕掛けになっております。
50キロ先の動く標的を、確実にしとめることができるのです」
穂積は顔をゆがめると、九條とGRU工作員の少佐の方を向いた。
「これをイラクの革命防衛隊に流せば、ペルシャのファシスト共は手も足も出まい。
ミサイルを解析して、対策を取れば、イラン空軍は秘密兵器を失うことになる」
帝政イランには、すでにフェニックスミサイルを搭載したF‐14の引き渡しが決まっていた。
イラン領空を侵犯するソ連偵察機を撃退する目的で、米国から購入したのであった。
「あるいはPLOに渡して、イスラエルや親米反ソの諸国を攻撃させる。
中東経由の石油が入って来なくなれば、国際的な石油価格は上がり、ソ連は経済的苦境から脱出できる。
まさに一石二鳥の作戦よ」
ソ連の経済は、資源価格に左右されたものだった。
史実の1980年代においてアンドロポフやゴルバチョフが冷戦を終結させたのは、石油価格の下落が一因だった。
湾岸諸国の石油増産によって、石油価格が下落し、ソ連は天然資源の売買による利益が低下した。
収入が立たれたことによって、ソ連は過大な軍拡競争に耐えられなくなったのだ。
「その気に乗じ、中東各国の石油コンビナートを爆破し、人工的な大気汚染や石油流出を作る。
環境汚染で苦しむ水鳥や動物の写真などを取って、西側諸国にばらまいて、大気汚染の深刻さを演出するのだ」
もう一人のソ連協力者である大野は、少佐の意見に相槌をうつ。
「それで、西ドイツのヒッピーに金を出して、緑の党を作ったのですな」
「ああ、西側諸国が偽物の環境汚染で足踏みしている間に、ソ連は行き場の失った最新技術を格安で導入する。
やがては、極東の工場群で作られた石油化学製品で、世界経済をリードする。
我ながら、素晴らしい作戦よ。フハハハハ」
後書き
今年から毎週日曜日の連載に変えさせていただきます。
執筆時間がなかなか取れないためです。
ご意見、ご感想お待ちしております。
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