冥王来訪
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第三部 1979年
戦争の陰翳
柵 その5
前書き
今年でもう4年目ですね。
東ドイツ政府が、F‐14に使われている新素材の秘密を探っている。
米国情報筋の動きとハイネマンの訪問時の話から、ミラは事前に察知していた。
アイリスディーナは、ミラから情報を聞き出す事に関し、議長やシュトラハヴィッツから言い含められていた。
だが、経験のない彼女にとって、ミラの話術は難関だった。
かつてミラは、議会や軍での予算獲得のために、並みいる政治家たちを説き伏せ、場合によっては仲間に引き込んでいた経験の持ち主だった。
そんなミラの前では、アイリスディーナは小娘同然だった。
F‐14の新機能の話を聞いていたはずが、いつの間にかF‐14のデメリットの話になっていた。
これはミラの作戦で、F‐14のデメリットを知って、東独政府に諦めてもらう作戦だった。
どうしてこういう作戦を思いついたかというと、かつてロバート・マクナマラの失敗があったからだ。
マクナマラは、ケネディ、ジョンソン政権下で国防長官を務めた人物である。
前線を知らないマクナマラは、予算削減のために三軍統一の戦闘機を求めて、軍内部と予算折衝でもめた。
彼は、米国には国防に必要な予算を回す余力はあるが、その余力を理由に国防費を使い過ぎるは許さず、費用対効果を厳密に分析する必要があると信じていた。
その際、米海空軍で共用できる戦闘機として開発されたのがF-111である。
両方の組織の意見を聞き入れた結果、航空母艦での使用が不可能な大型機が残されることになった。
そういう経緯を知っていたので、あえてF‐14のデメリットを説明することにしたのだ。
「東ドイツに必要なのは前線飛行場でも離着陸が可能で整備性が良く、滑空爆弾等を運用可能な機体であって、こんな整備性の低い機体は必要じゃないでしょ。
稼働率悪化で、定数割れが関の山」
米海軍内部でF-14トムキャットは、高性能だが、整備性が劣悪で費用の懸かる金食い虫の戦闘機と呼ばれた。
「今、米国政府内では新しく作ったF‐14の生産コストが高くて、量産できないの問題に直面しているの……
だから、もっと安価で性能をうまく維持した機体を作ろうって、話になっていてね」
ミラに当たり前のようにさらりと言われ、アイリスディーナは驚きとともに不信感がもたげる。
「開発資金のない東ドイツは、どうすればいいですか……」
アイリスディーナの詰問に、ミラは、一瞬言葉を詰まらせた。
なぜならアイリスディーナのに、満足な答えがなかったからである。
しかし、低価格高性能の戦術機は、ジョン・ボイド少佐が率いる優れた研究チームによって行われていた。
その結果、BETA戦でもっとも重要であるのは、光線級の対空砲火からの高速での回避運動であることが判明した。
そして、光線級を撃滅するには、先進複合材を用いた軽量戦術機が必要であるという結論が出た。
しかし、開発に成功したF-16は、米政府の方針で輸出が禁止されていた。
「その後、ジェネラル・ダイナミクスが問い合わせたら、最新鋭機の場合はダメだという答えを貰ったの」
「じゃあ、東ドイツがF-16を購入することは無理だと……」
「外装やエンジン性能を落とした廉価版なら、国務省が許可するって話が出たの。
モンキーモデルって、言えばわかるかしら」
軍事用語に、「モンキーモデル」という言葉がある。
これは、生産される兵器に対して、意図的に性能を落とした派生モデルのことを指す言葉である。
一般的に使うようになったのは、1978年に英国に亡命したGRU(赤軍参謀本部情報総局)将校ヴィクトル・スヴォーロフの著書で用いられたのが嚆矢である。
スヴォーロフの著書により、諜報の世界から一般に知られ、主にソ連製の兵器に用いられた。
「正規モデルの輸出許可は出るでしょうが、いずれにせよ、時間はかかるわ。
それまではモンキーモデルで頑張ってもらうしかないわね」
軍事におけるモンキーモデルは、実は日本も無関係ではない。
日本政府は、第一次世界大戦前に、英国ヴィッカーズ社に金剛型戦艦を2隻発注した。
(1828年から1999年までヴィッカーズ。1999年から2005年までBAE システムズ。2005年以降はBAE システムズ・ランド・アンド・アーマメンツ)
その際、「金剛」と姉妹艦の「比叡」の製造方法が異なるという事態があった。
金剛は英国の工廠で、基準的にも優れた品質の鉄で作られた。
しかし比叡は、英国のデータを元に日本国内で建造された軍艦だった。
その為、船体に使われている鋼鉄の質が、従来の英国製に比して劣り、日本製の劣悪な工具で改造できるほどだった。
篁亭を後にしたフランク・ハイネマンはあてもなく京都市街をさまよっていた。
篁とミラが結婚したという話は知っていたが、すでにその間に子供がいた……
予想もしない事実にハイネマンの衝撃は大きかった。
本当にミラは、篁の妻になってしまったのだな。
結婚すればいずれは子供ができるという予想はしていたものの、その事実はやはりショックだった。
その時である。
ハイネマンの目の前に、車が止まる音がした。
彼は思考を打ち切って、近くにあるシトロエン・CXの方を見る。
運転席は暗くて見えないが、日本人の様だった。
「こんばんわ、ハイネマン博士」
開いた後部座席から声をかけてきたのは、穂積という男だった。
ハイネマンの認識では、彼の来日費用を立て替えてくれたビジネスマンだった。
「お見かけしたもので……
急ですが、私の家まで来ませんか」
ハイネマンは穂積を信用して、男の館に向かうことにした。
男が向かったのは、五摂家の一つである九條家の屋敷だった。
ハイネマンは、穂積に睡眠薬入りの酒を飲まされ、そこにある地下室に連れてこまれた。
気が付くと、ソ連赤軍の軍服を着た一団に囲まれていた。
ソ連兵は何を考えているのか。
剣呑な表情で、AKM突撃銃の銃口を向けてきた。
下手な事をすれば、自分の命は危ない。
そう考えたハイネマンは、ソ連軍の将校に訊ねた。
「要件を聞こう」
ソ連軍将校は両手を腰に置くと、不敵の笑みを浮かべた。
コンクリートが打ちっぱなしの室内を、軍靴を踏み鳴らしながら歩く。
「簡単な事。
F‐14に使われた新兵器、フェニックスミサイルの技術を、BETAで苦しむソ連に提供してほしい」
「バカな事を!そんな事をすれば……」
「あなた方は、GRUの連絡員に設計図面を渡せばいいだけです。
後の始末は私たちが……」
「無茶だ!断る」
「死にますよ。
ご友人の篁とその一家が……」
ソ連軍将校は、懐中からパーラメントのキングサイズを取ると、1本抜き出す。
煙草に火をつけ、吸いこんだ後、紫煙と共に口を開いた。
「GRUを、舐めんでほしい。
貴方の大事なご友人の傍には、GRUの潜入スパイがすでにいるのです。
電話一本で消せるのですよ……」
将校が黒電話の受話器を取ろうとしたとき、ハイネマンは飛び掛かった。
「止めろ!貴様ッ!」
将校は素早い動きでハイネマンを羽交い絞めにすると、その頬に平手打ちをくらわした。
「わ、私がF‐14のファイルを渡せば……
た、篁は、ミラは無事なんだろうな……」
GRUの将校は、大げさに肩をすくめた。
「それはあなたの出方次第」
四方より銃口を突き付けられたハイネマンは、押し黙るしかなかった。
天才技術者の無様な姿を見て、GRU将校は悪魔の哄笑を浮かべた。
後書き
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