エヴァンゲリオン REAL 最後の女神
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使徒大戦
第一章
1.03
[chapter:1.03]
「裏切ったな! ボクの気持ちを裏切ったな! 父さんと同じに、裏切ったんだ!」
初号機のプラグの中で、シンジは行き場のない怒りに震えていた。依存対象であった少年の許し難《がた》い不実。想いは裏返り、強烈な殺意になる。
だが奇妙なことに、シンジは、カヲルが自分を殺そうとしたことについて怒りを覚えているわけではなかった。嘘をつかれた、騙された、ということに対する憤怒《ふんど》のみが白熱して彼の思考を灼《や》いていた。
怒りに身を任せることで、自分が使徒という異形の存在に変わってしまったかもしれないという可能性あるいは事実から、無理矢理意識をそらしているということもあるだろう。
著しくバランスを逸した精神状態、それは狂気につながる扉である。
「初号機、第二コキュートスを通過。目標を追撃中!」
日向のアナウンスに、ゲンドウのサングラスの光が揺れた。ポーカーフェイスに隠しきれない動揺がわずかに漏れたのだ。それを冬月だけが見ている。
「碇、何故ヤツは自分が弐号機に搭乗しているときに動かずに、わざわざセカンドの搭乗を待ったのだ?」
「……おそらく、セカンドの中にある『因子』の回収のためだろう。エヴァは対人戦闘には向かん。セカンドごと弐号機の『因子』をとりこむつもりだろう」
「だが、どうやって? 彼は使徒ではないのだろう? 現に今でも使徒のパターンは検出されていない」
「それはわからん……槍も衛星軌道上だ。あるいは……ゼーレが我々も知らぬ切り札を持っているのか」
「いずれにせよ、今はシンジ君に頼るしかないが……間に合うか? ドグマにたどり着くのはヤツのほうが早いぞ」
「問題ない。あそこには最後の一欠片《ピース》は無いのだからな」
そうゲンドウがうそぶいた、まさにそのとき。
「弐号機、最下層に到達!」
「目標、ターミナルドグマまであと二〇!」
悲鳴のようなアナウンスに、さすがに冬月の冷静さのメッキが剥《は》がれかける。ぎりっ、と噛みしめた奥歯がきしんだ。
「最終安全装置解除! ヘブンズドアが開きます!」
「……ついにたどり着いてしまったのね、使徒が」
無意識に、父親の形見であるペンダントのトップを握りしめるミサト。それはサードインパクトに対する恐怖ではなく、焦燥感ですらなく。奇妙な達成感──安堵とさえ言えたかもしれない。
ミサトは14年前の南極から、今までずっとこの瞬間を有る意味待ち望んでいたのかもしれない。それは、あの日の真実を──父の死の意味を──知ることなのだから。
だが。
その主役たる少年は、顔をしかめていた。歓喜ではなく、失望に。
約束の地に眠るもの──それは、十字架に磔《はりつけ》られた白い異形の巨人。それは人に似ていた。七つ目の仮面をかぶったような異貌の下には、引きちぎられたように上半身だけがあった。その傷口の断面は、人の足や下半身のようなものが無数に生えていた。そしてその全体が、不健康に白く、水死体のようにぶよぶよと膨らんでいる。まともな感覚の持ち主ならば、吐き気を超えて精神に深刻な影響を受けかねない冒涜《ぼうとく》的な人間の戯画《カリカチュア》だった。
彼はその異形にさしたる感銘を受けたふうでもなく、ただ弐号機の掌の上から見上げながら、失意をつぶやく。
「違う。これは……リリス。そうか、そういうことか……」
弐号機の右手が異貌の巨人の胸に食い込む。抵抗もなく、あっけなく弐号機の掌は沈み込んでいく。
「!」
発令所に緊張が走った。
事情を深く知らされていない職員らからすれば、使徒と地下のアダム(と認識されていたもの)との接触はサードインパクトを起こすものと教えられていたからだ。そして、エヴァは使徒の似姿であり、模倣品であるという認識が暗黙の了解としてあった。ならば、その接触は──。
しかし、はたしてと言うべきか、何も起きはしなかった。
さらに深く、まさぐるように動かした弐号機の掌に、何かを握りしめるように力が入ると、白い巨人は静かに輪郭を失い、赤い液体《LCL》となって溶け落ちた。弐号機の足下の赤い水面に、主を亡くした七つ目玉の仮面が流れてきた。
「……リリスを餌にするとはね。ボクまでだまされてしまったよ。確かにアダムの伴侶、母たるリリスの悲鳴ならば、使徒《こども》たちは『呼ばれる』だろうね」
それきり興味をなくしたように、仮面に背を向けるカヲル。視線を来た道に向ける。ヘブンズドアの向こうの闇に。
「ふ、それにしてもシンジ君は遅いな」
その独白に応えるように──紫の鬼が闇の中から姿を現した。暗闇に光る双眼は、憤怒に赤く染まっていた。
「……いた!」
「待っていたよ、シンジ君」
「カヲル君!」
シンジの顔が奇妙に歪んだ。怒りと、殺意と、そしてそれでもまだ捨てきれない好意と──わずかな期待に。
パイロットの内心のためらいを振り捨てるように、初号機は疾風のごとく走った。弐号機の顔面を握りつぶさんとつかみかかる初号機の右腕を、自らの掌でもって受け止める弐号機。次いで伸ばされた左手も掌握し、そのままエヴァ同士の渾身の力比べが始まる。
先刻まで弐号機の掌の上にいたカヲルは、身軽にキャットウォークに飛び移っていた。優雅に観戦としゃれこむつもりらしい。
わずかに初号機の膂力《りょりょく》が上か、徐々に押し込んで行く。弐号機が膝をつく。さらに力をこめようと体重を込め、のしかかる初号機を見上げる弐号機。
一瞬、その弐号機の顔に、憎からず思っている少女の面影がよぎる。この機体はアスカのもの。アスカが搭乗したままなのだ。シンジの気がわずかに緩んだ。そして、その隙を見落とす弐号機ではなかった。自分から後ろに倒れ込み、わずかにバランスを崩した初号機の腹を蹴り上げた。柔道でいう巴投げである。
壁面に叩きつけられる初号機。頭から床に着地。幸い角は折れなかった。角が折れたからと言って、別にそこに指揮官用機能が搭載されているというわけでもないので、困るわけではないのだが。
「ぐはっ……」
LCLの中に気泡まじりの苦鳴が漏れた。ある程度の衝撃はLCLが吸収してくれるが、まったくゼロになるわけではない。
けれども機体の損傷自体はたいしたことがない。気を取り直してシンジは素早く立ち上がる。いったん投げられて、頭が冷えるのを感じた。
カヲルの背信は許し難く、怒りは腹の臓腑《ぞうふ》に重く残っている。しかし、それよりも優先すべきは、アスカの無事のはずだ。そんな大事なことを失念してしまっていた自分が信じられなかったが、まだ取り返しがつかない状態ではない。手遅れではないのだ。あのときとは、違う──違ってみせる。
「アスカ……」
弐号機との通信は回復していないので、その声に応えるものはいない。
「もうトウジみたいに何もできずに見殺しにするなんてイヤなんだ。だから、たとえ君を傷つけても止めてみせる! そしてカヲル君を止める!」
罪を背負う覚悟が、鉛のように胃の腑に落ちた。下半身がしびれるのは、恐怖か。しかし、逃げないと決めた。歯を食いしばって、操縦桿を握る掌に力を込める。
シンジの意思に答えるように、肩からプロブレッシブナイフが射出され、右手に握りしめる初号機。
相対する弐号機もナイフを装備。
「はぁっ!」
初号機の中段突き。それをナイフで受け止める弐号機。高振動粒子で構成された刃同士の干渉波が火花として飛び散る。
弐号機が刃を傾け、力のベクトルをずらすと格闘に秀でていないシンジは簡単にバランスを崩してしまう。初号機が体を泳がせるところを、刃を返した弐号機の切り払いが襲う。
間一髪、飛び退いてそれをかわす初号機。反応速度自体は初号機のほうが上のようだ。
切り払った体勢から、その反動を利用した弐号機の左回し蹴り。もう一歩下がってそれもかわす。動体視力は初号機の目をつかっているため、集中力とシンクロが上がれば銃弾でさえ認識できる。左回し蹴りの蹴り足を軸足にかえて右後回し蹴りがくるのを、シンジは見えていた。
一歩踏み込むことで力点をずらし、威力を減退した蹴りを右手で受けると同時に、軸足を蹴りではらう。
バランスを崩して倒れ込む弐号機。だがその場で回転し、立ち上がりざまの上蹴りが初号機を襲った。カポエラ、それもヘジォナウの動きに近い。胸を痛撃されてたたらを踏む初号機。
「……強い」
いままでの力押しで技など無かった使徒とは別次元の、したたかな強さにシンジは冷や汗が流れるのを感じた。少し距離をとる。
「弐号機はセカンドの技を覚えているからね」
カヲルの声を外部マイクが拾った。地下深いこのセントラルドグマでは、エヴァが動くことによる騒音がなければ、耳が痛いほどの静寂である。人の声をマイクが拾うのもわけはない。
やはり格闘訓練歴の長いアスカは強かったんだ、とあらためてシンジは思う。自分は初号機の性能と運に助けられていただけだ。その自分が戦功をたて、それが欲しくても手に入らないアスカが自分を厭うのも無理はない。
「……カヲル君、どうしてこんなことをしなくちゃならないんだよ?」
「ふふ……君が使徒だから殲滅するのが人類の使命だと言ったら、君は納得してくれるかい?」
「!」
それは棚上げにし続けてきた、深刻な恐怖だった。
「……嘘だ! ボクは人間だ!」
「そう、嘘だよ」
あっさりと、カヲルはそう言った。しかし。
「君が使徒なのは本当だよ。けれど、それがボクの目的はじゃない。ボクはその君の力、体、魂、すべてを欲しいんだ。ボクと君は一つになる……君の命をボクが食らうことで」
「君が何を言ってるのかわからないよっ。ボクが殺したいなら、ボクが邪魔で、存在を消したいならそう言えばいいじゃないか!」
「違うよ、シンジ君。ボクの望みは君と一つになること。そのための手段が死だというにすぎない。ボクにとって生と死は等価なのだから」
「……?」
「愛しているよ、シンジ君。そうだ、これは愛にとてもよく似ている。だけど、残念ながら今回はお預けだ。ここにあると思った最後の欠片が無かった。これでは僕たちは約束の地で永遠に一つであることはできない。だからボクはボクの欠片だけ回収していくよ。ついでに君を惑わす邪魔な赤猿を始末してね」
カヲルが掌を天井に向け、天を振り仰いだ。
「槍よ!」
巨大な質量が天から、第三新東京市に降臨した。大気を貫き、灼熱した鉄槌が、ジオフロントの上部要塞都市を貫いた。
兵装ビルの一つを粉砕する。ほぼフルに貯蔵されていた八一式短距離地対空誘導弾が誘爆し、近隣の建造物を粉砕した。しかしその物体の質量、速度に比して、被害はあまりにも軽微だった。本来ならば、巨大な物体が高速で落下してきたことによる見かけ上の質量は理論的には無限大に等しく、上部都市まるごと消滅していてもおかしくないのだ。それなのにその程度の被害で止まったのは、
その理由は、モノの持つ非常識なほどの貫通力のためだった。つまり鉄甲弾はマンストッピングパワーに欠けるのと同じ理屈で、地表面で破壊力が解放されなかったのだ。しかし、それは科学的には、物理的にはありえない現象だった。
裁きの雷はジオフロントの多重装甲板に食い込み、さらにそれを易々と貫いていく。地球という密度の濃い巨大な質量を苦もなく貫通するその様は、まるでニュートリノを肉眼視しているようだ。けれどもそれは地球を貫通して飛び去って行くことはなく……主人の目の前に到達すると、まるで慣性など無いかのごとく静止した。
慣性制御《イナーシャルコントロール》。
それが地上都市が救われた理由だった。
「……ロンギヌスの槍!」
「そう、これはボクたちの所有物《モノ》だからね」
にやりと笑って、カヲルは右手を振りかぶった。それを振り下ろすと、まるで投擲《とうてき》されたかのように、槍がその延長線上を飛翔する。初号機の右胸に向かって。
「ぐはぅッ!」
右胸を貫く信じられないほどの激痛にシンジはのたうち回った。ごぼっ、と気管が音をたてて喀血《かっけつ》する。高シンクロで肺をやられたのだ。
だが、次の瞬間苦痛が消えた。
いや、肉体──肺の破損による苦痛は残っていた。しかしそれはわずかな残滓《のこりかす》であって、先ほどまでの魂まで砕かれるような激痛と比べれば無いも同然だった。
「?」
訳が分からずシンジはあたりを見回すと、エントリープラグ内の電源が落ちている。ただわずかに必要最低限の生命維持装置、通信機器、そして小さな外部モニターだけを残して。電源の強制切断によりシンクロが停止したのだ。
「……電源がっ……!」
S2機関を初号機が取り入れてからマックスである8888を常に表示していたはずの残時間タイマーも消灯してしまっている。
「君と一つになるのは、すべての時が満ちてからだ。だから邪魔できないように力の実を奪わせてもらったよ。悪く思わないでおくれ」
「……カヲル君っ! ちくしょう、動け、動いてくれよ!」
だがその叫びはカヲルに髪の毛一筋ほどの感銘すら与えられず。シンジは絶望と、貧血に青ざめる。
「そこで君の愛しい女性の死を、看取ってあげるがいいよ……」
「カヲル君! やめてよ! カヲルぅぅっ!」
──いいね、君の呪詛《じゅそ》は。たまらない。ゾクゾクするよ。
カヲルはその身を歓喜にふるわせた。
君の魂が絶望に染まると、それはどんな味がするんだろうねえ。カヲルは夢見るようにうっとりとした顔で、舌で上唇をなぞった。
初号機のエントリープラグがわずかに揺れた。槍が引き抜かれる振動だ、とシンジは感じた。
慌てて初号機のレバーを握り直す。しかし初号機は何の反応も起こさない。
キャットウォークに立つカヲルのそばを、ゆっくりと槍が周回する。主人に従う忠犬のように。
後書き
なんだかんだで、けっこう修正・加筆してます(笑)
やっぱり年月が経つと、アラも見えますね……(笑)
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