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真・恋姫†無双~現代若人の歩み、佇み~

作者:Duegion
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第二章:空に手を伸ばすこと その四

 燭台に乗った蝋燭の小さな光が暗い部屋を僅かに明るくしている。灯す光は机に広げられた地図に向かって顔を寄せて、苦悩の皺を見せる熟年の二人の男の表情を照らした。部下達には決して見せない濃い疲労の色を見せて囁きあう。

「・・・・・・既に一月経っている。敵陣の包囲を崩す余裕も心なしか日に増して小さくなっている」
「どこかの機会で均衡を崩さねば我らは自滅するのみ、であるか」

 二人の男は自分達が置かれている現状をよく理解していた。
 長社が黄巾賊によって包囲されてから既に一月が経っており、その間城壁の外から寄ってたかる賊軍に城壁の上より弓を浴びせたことはあれど、敵軍は此方の兵糧が尽きるのを待つように大規模な突撃を仕掛けてこない。
 攻城戦は基本的に守るほうが有利に働く傾向がある。『孫氏兵法』によると、城攻めにおいてはまず攻城戦の準備に三ヶ月がかかり、陣地設営にも三ヶ月がさらにかかるものであり、そこまで時間をかけても攻撃態勢が充分に出来ずに早合点して突貫してしまったら、貴下の兵の損害は著しいものとなる。それに城攻めというものはその特性上攻撃側の兵が多くなければ成功しにくい。
 両陣営のうち、確かに黄巾側の兵力の方が多いのではあるが、それでも数は十万といったところで二人の連合軍は現状で三万五千ほど、城攻めを良く成功させるにはまだ足りないといったところである。結局賊軍は一月のうち何度も攻撃しては撃退されているのだ。賊軍の指揮官の波才は黄巾賊にしては頭が切れる部類に属する将軍であるが、この戦では一貫して力攻めに頼っているところから戦術に長けた者ではないらしい。一方で、自軍は結局はただの烏合の衆であるという特徴を良く見切っているともいえるが。

「賊軍共もいい加減痺れを切らして無理にでも攻めてくると思ったが、思いのほか我慢強い」
「だが所詮は兵法を諳|《そら》んじることも出来ぬ赤子同然の輩よ。機会が来ればすぐにでも討ち果たせるわ」
「その赤子に貴様が敗北したことを忘れてはいまいか?」
「覚えているわ。貴様こそ、老碌しないように気をつけろ」

 憎まれ口を叩きあいながらもそこには長年競い合ってきた者のみに通じる絶対的な信頼感があった。如何に不利な戦であろうと、将軍とは決して最期まで諦めをしない者達である。それをこの男達は熱く戦意で滾る目線で語っている。老碌と称された男は皇甫嵩、赤子に負けると罵られた男を朱儁という。
 皇甫嵩は何か閃いたかのように蝋燭の火に目をやって問う。

「朱儁よ、確か賊軍は平野に陣を敷いていたな?」
「あぁそうだ。見事なまでに素人の付け焼き刃に過ぎん陣であった。何か策でも?」

 朱儁が賊軍を貶して問い返す。皇甫嵩は蝋燭の火から目を離さずににやりと笑う。

「斉国の田単は包囲された城において、密かに城に開けた穴から角に短剣をつけて尻尾にたいまつをつけた多量の牛を放った。尻を焼かれた牛は怒り狂い、敵陣を混乱に陥れると城に篭っていた自分達も出撃、包囲陣を見事突き崩し敵将も討ち取ったという」
「なるほど・・・・・・火刑か。悪くは無い」

 遥か昔の中国の戦国時代における田単の火牛の計をなぞったそれは、現状を一気に逆転させるのには悪くない手段である。まして相手が農民上がりの賊軍となれば、一気に燃え盛る火を見るだけで恐慌状態となるであろう。
 朱儁は獰猛な笑みを浮かべて皇甫嵩の言葉に賛同する。皇甫嵩もまたこれまでの屈辱を晴らさんとばかりに戦意を燃やしている。長社に包まれる戦場の霧は、一気に晴れようとしていた。




第二章:空に手を伸ばすこと その四





 曹操軍が進軍を続けていくと、先に放っておいた斥候が息を切らして報告してきた。曰く、長社は包囲されており、賊軍の数は数万を優に越えるとのこと。彼我の戦力差が十倍以上もあると知った荀彧は曹操に対し、こう告げる。
 
 「通常の野戦では数の暴力により自軍が飲み込まれます。ですから、夜に紛れて敵軍を奇襲すべきでしょう」
  
 曹操はこれに特段の異を唱えずに採用。軍の前線に夏候惇と夏候淵を配置して機会を見て襲撃をかける心構えでいた。仁ノ助と錘琳は両名それぞれの軍に組み込まれており、仁ノ助は突撃隊の最前線にて夏候惇のすぐ後ろから敵陣に切り込むこととなっている。錘琳は武芸に通じていなくは無いがそれでも馬上槍をするにはまだ実力に不安が残るため、第一陣が切り込んだ後に夏候淵と共に第二陣として切り込むこととなった。なお、錘琳の陣営配置には軍師荀彧の猛烈な推薦があったことを補足しておく。余程近くに置かれると嫌だったんだろうな。
 長社に着くまでは後半日もかからない距離まで彼は来ている。到着するころにはかなり夜も更けているだろう。到着直後から夏候惇率いる第一陣と共に突撃する事になりそうだ。その間まで、彼は自らの戦意の構築に勤める事としている。

「お前の剣は随分珍しい形をしているな」

 自分の隣に馬を寄せて男が聞いてくる。
 夏候惇の副官でもあり、実年齢よりも五つも六つも若く見える男は興味津々といった感じで、仁ノ助の腰に差されたクレイモアに目を向ける。
 彼の名は曹仁といい、同じ『仁』の文字を持つ仁ノ助に親しみを寄せている。仁ノ助もそれには満更でもない様子であり、曹仁の興味に火をかけるように鞘からクレイモアを抜いた。

「ほぉおおお・・・・・・」

 感嘆の声を上げて曹仁は無骨に光る刀身を見つめる。若々しい反応に笑みが毀れてつい口が饒舌となってしまう。

「双手剣の部類では意外と軽いほうでな、片手でも充分に振れるもんだ」
「十字に交わされた剣というのは見たことが無いなぁ・・・」
「まぁ、お前の場合はアレがあるからな・・・」

 仁ノ助は苦笑いを浮かべて軍の先頭で馬を進める夏候惇を見る。その背に担がれた幅広の大剣、七星餓狼はそれを背負う物の力強さを象徴している。

(比較対象があれじゃ形無しだよ)

 無論クレイモアとて充分に強力な武器である。片手で両手剣を振るうことにも強靭な体が必要であり、それが出来る仁ノ助は充分に鍛え抜かれたことが分かる。
 ただし夏候惇も七星餓狼を片手で振れる。あれは見た目に反せず非常に重量がある武器であり、一振りするだけで轟音を立てて空気を震わす業物である。クレイモアが人間を両断するに留まるのに対して、この武器は人間の肉体に当たってしまえばたちまち肉片となって体が四散することだろう。
 武器が起こす結果が違うのであれば比較の仕様も無い。

「言っておくけど、アレは例外中の例外だからな。真似しようとするなよ?」
「無理ですって。俺はまだ人間でいたいし」

 さりげなく夏候惇を人間として扱ってないことを露呈しつつ、曹仁は自分が片手で担ぐ戟に目をやった。詩花が持つそれよりも二寸は長く、また武器の質も良い。敵の血を多く吸うことになろうとも簡単には刃の通りを鈍らせないだろう。

「ふふふふ、私の七星餓狼が血に飢えているぞ・・・・・・!!あああ戦が待ち遠しい!!!」
「時に落ち着け将軍、まだ六刻はかかるぞ。」

 半日先の血飛沫に早くも飢え始めている夏候惇を諌める。夏候淵はいつもこんな感じで止めているのだろうか、しかも愛を持って。自分とは違う次元に生きる人間達が次々と出て来る現実に対して早くも疲れてくる。
 その点、曹仁はとても普通な人間で安心する。彼にはこの思いが分からないだろう、いや分かってほしくない。そんな思いを抱きながら曹仁を生暖かい目で見る。

「・・・がんばれよ」
「?」

 首を傾げる彼の姿は歳相応の若々しさを見せており、思わず可愛くみえてしまったのは内緒である。






「・・・・・・この期に及んで一体どういうつもりだ?」

 日が夜に差し掛かっている。太陽の赤光が仄かに空に血の色を想起させる赤を残している。嵐の前の静けさを醸し出す長社の黄巾陣営。
 その中で波才は張角の使者として使わされた黒ずくめの服を着た男を睨む。その男はこちらの問いを全く気にしていないかのように、これまでの略奪で奪ってきた品々に興味深そうに、ふてぶてしく目を向けている。

「どういうつもりもないだろう?態々俺が出向いてやったのに可笑しな奴だな。・・・うん?これは・・・避妊具か?」
「・・・それはただの玩具だ。で、さっさと俺の質問に答えろ。何しにきた?」

 親切にも略奪品の解説をする男に思わず微笑し、黒ずくめの男は手に持った愛玩具を弄びながら面白可笑しく答える。

「ただの伝令だよ。よっぽど重要らしく、一介の馬鹿な賊を介せずに俺を遣わすほどだ。予想は出来るだろう?」

 元山賊の自分自身を馬鹿にしているような気がしてむかむかと腹が立ってくる。男はそれを意識してかしないでか話を続ける。

「『三つ子のあやしは計画通りに進行中』だとさ。いやぁ、凝った暗号ですこと」
「・・・っ・・・」

 暗号を言うあたりからから自分を見つめてきた男の視線を見て、先ほどまで溜めた怒りが沈んで背筋に冷や汗が流れる。茶化すような口調とは裏腹に視線が完全に冷え切っている。
 もしかしたら先ほど言った伝言の内容を粗方分かっているのかもしれない。だがここで動揺したらこいつに何かを悟られてしまう。冷えた視線を熱するように波才は威勢を取り戻して睨みつける。
 数秒の間、視線は僅かでも離れなかったが、黒ずくめの男が波才の努力に諦めたかのように笑みを零すと言葉を続けた。

「まぁ俺は伝えることは伝えたし、すぐにでも広宋に戻るとしよう。では波才殿、後は委細よろしく」

 二の次を言わせないように矢継ぎ早に言葉を出すと、黒ずくめの男は飄々とした態度を崩さずに本陣の幕をくぐって外に出た。そのすぐ後、馬が駆ける男がしたことから本当に直ぐ帰ってしまったらしい。内心に溜め込んだ怒りと同様を吐き出すように溜息が毀れた。

(なぜあんな奴を重用するのか理解が出来ませんよ、張角様・・・。)

 彼の脳裏に自身が崇拝する人物が浮かび上がる。その者が持つ気性あの怪しげな風貌を持つ男を受け入れるとは到底思えなかった。風貌もさることながら、その内心も彼には見えてこない。常に自分の心の深奥を覗き込んでくる視線にはかなり耐えかねるものがあった。

 しかしいつまでもそんなイヤなことを気にしている場合ではない。頭をぶんぶんと強く振って波才は現状打開の戦術を編み出そうと苦悩する。
 既に自軍の兵達は攻撃が進まないことに苛立ちを募らせており、下手を打てば暴発させてしまい自分すら危うくなる危険があった。苛立ちを消すために時折官軍に攻撃を仕掛けているが、相手方はひたすらに防御を固めており攻め落とすにはかなりの犠牲が伴うだろう。
 また、そろそろ糧食も心細くなってくる頃合である。進軍の度に略奪と陵辱を横行してきた彼らは、一月半でも足を止めてしまうと食糧不足が発生してしまい、軍隊全体の補給が滞ってしまう致命的な弱点を供えていた。これを避けるためには城を攻め落とすか若しくは諦めて周辺の村へ行くしかない。しかし蒼天の獣達を目の前にして背を向けるとなると、黄巾の信奉者達からの圧力が厳しくなり、やはり自身の命が危うくなってしまう。
 どうあがいても八方塞に見えてしまう現状に波才は頭を抱える。そして悩んでいるうちにまた日が過ぎていくことの繰り返しをこの一月は続けている。その例に漏れず、波才は再び日を跨いで策謀することを決めた。既に昼のうちから自軍に危機が迫っているとも知らずに。





 松明を持ってゆっくりとした歩みで陣外を見張る。波才軍陣営を哨戒する兵は大層不満そうな顔で職務に就いていた。
 かれこれ一月は女も抱かず、酒も満足に飲み干せやしない。頭はいったい何をしているんだ、早く攻撃しないのかと不平不満がぼろりと毀れてくる。表で不満をいえないのは、不満をいってがために軍規を正すために見せしめとして処刑された奴を知っているからだ。しかし見えないところでは誰もが波才の事を快く思っていないのは明らかである。この哨戒をする男も同じ口で、この半月は何度も陰口を叩いている。退屈の余り欠伸が出そうとなり、目をつぶって大きく口を開ける。
 その瞬間、ひゅんと風を切る音が走って賊の口の中で止まった。口腔の奥に止まった衝撃と違和感に強く驚いて声を出そうとしたとき、二つ目の音が男の喉下に刺さる。声帯を見事に射抜かれた男は口の奥から血反吐を毀れ、どろりと溢れ出す血を止めようとして喉元に手をやり、さらに追い討ちをかけるように走ってきた三つ目の音が頭を刺すと、糸が切れた人形のように倒れ込む。
 数秒経っても男が起きてこないことを確認すると、ゆっくりと黒影から数人の者達が走り寄ってくる。

「よし、手筈通りにやれ」

 走り寄ってきた男達の中から一人が囁くと、全員が音を一切立てないように黄巾賊の陣営に侵入していく。
 どうも入ってニ町|《≒218メートル》もしないところに兵糧を蓄えている場所があるらしい。よくもこんな馬鹿なことした連中に自分達は追い込まれたものだと思いながらも、男達はゆっくりと懐から水筒を取り出す。しかし中に入っていたのは火の勢いを増す油であった。
 彼らはそれを兵糧や天幕に範囲が広がるようにかけると、近くにあった棒を拾い上げて篝火から火を灯した。一瞬火が強くなり男達の表情が見える。鬼気迫った様子のそれは、これまでの恨みを晴らすかのように皺を寄せており、目には簡単には消えそうにない復讐の炎が映り出されていた。
 男達はそれぞれ油をかけた場所に火をつけると、火が広がらないうちにその場を後にしていく。他の場所にも火をつけにいくのであろう、男達は振り向くことを一切しなかった。





「夏候惇将軍。夜空が燃えているぞ」
「あぁ分かっている!!」

 仁ノ助は長社まで残りはニ里|《≒8キロ》もない所まで足を進めている。曹操軍第一陣の行軍の足は速められており、暗い夜空に一際目立って輝く赤い光の根源に向かう。この不自然なまでに輝く光はどうみても原因は炎である、それもかなり勢いが強く燃えているのが遠目からでもわかる。
 一里にも近づくと敵陣に起きている事態が明白となる。陣地のあちこちから燃え滾る炎が地を舐めて這っており、天へと灰色の煙が何十もの筋を出して上がっている。その炎の中から逃げ出そうと、何万もの黒い影があちらこちらへと右往左往している。
 皇甫嵩立案で朱儁実行の火計は見事に炸裂したのである。その結果惹起されたのは賊軍が混乱の極みに陥り、包囲された連合軍は士気が轟々と高まって反撃の一撃を痛烈に決めた事だ。あの調子では官軍により数千以上の首級があがることだろう。
 哀れ勢いが強まる炎に焼かれ、悲鳴を高らかと大地に響かせる一般賊兵とは対照的に、賊軍本陣から組織的に一つの方向へと伸びていく列があった。三十六計逃ぐるに如かずとばかりに火の手魔の手から逃れようと一心に駆けていくその人の列は、考える暇がなく立ち往生している賊と比較すると不自然であった。

「みたところアレの先頭に敵将と見たほうが良さそうです、将軍!」

 曹仁が顔に戦意をたたえて大きく声を出す。戟を握る力が強くこめられているのが肩の緊張から分かった。地を素早く駆ける馬にさらに鞭を入れるが如く、夏候惇が自軍に向かって怒号を叫ぶ。

「者共ぉぉおおお!!!!!我に続いて突撃せよおおおお!!!!!!」

 曹操軍第一陣に選ばれた猛者達が魂の底から雄叫びを上げて将軍の言葉に答えた。自らの本懐を遂げるがのように夏候惇は我先にその列に向かって突っ走る。仁ノ助は駆け馬に鞭を打ちながら眼前に広がる有象無象の獲物の中から、自らが狩るべき対象を冷静に選び抜く。いくら切れ味が良い武器であろうとも血脂がのってしまえば鈍ってしまう。なるべく最小限の敵のみを殺しながら敵将に向かわねばなるまい。

「曹仁、俺は先に駆けるぞ!!」
「副官を差し置いてそれはない・・・・ってちょっとぉっ!!」

 本来夏候惇の背中を守る立場にある曹仁は突込みを入れるも、仁ノ助は二月以上も乗っている駄馬に鞭を入れてさらに早く駆けていった。彼はこの戦で馬を変える気でいるのだろうか。本来以上の力で走らされている馬は哀れのあまり口から涎を垂らしている。
 敵との距離が四分の一里となったあたりから、目に節穴でも開いていたのか漸く賊軍が新たな敵にどよめいているのが分かってきた。
 生臭く不健康な血をさらに大地にぶち撒けようと、夏候惇と仁ノ助は待ちきれんとばかりに己の得物を抜く。目の前を必死に逃げる賊はちらりとこちらを振り返るとさらに足を速める。中には剣や糧食を手放して足を動かすものも居る。それら全てを餌食にしてくれんと、遂に曹操軍が黄巾の軍列に食い込んだ。
 真っ先に武器を振るったのは前を行く二人と半瞬遅れた曹仁である。七星餓狼の勢いは凄まじく、脳髄ですら剣に当たった瞬間に八方に吹き飛ぶ。クレイモアが振るわれれば体の一部を切り落とされる賊が喚き、後続の騎兵隊が戟と槍・剣を振るい、鮮血で悲鳴を飲み込ませた。

(ほんとっ、信じられない勢いだよ、あの女性|《ひと》は!)

 右に左に得物を振るって賊の半身をただの挽肉にしながら夏候惇は勢いを止めずに直進する。不運にも立ちはだかる人の群れを踏み潰し斬り倒して進む姿は、猛将の名に恥じないものである。視界の端にそれを度々入れながら仁ノ助はひたすらに馬を駆けていった。賊の貧弱な、またはそれなりに鍛えられた筋肉を断ち切ることは容易であったが、
 何分賊兵のその数と、視界の前から勢い良く飛んでくる血飛沫と肉、そして脳みそを零しながら半分に分解した頭部が飛ばしてくる、馬鹿力の猛将にうんざりとする。
 だが抵抗を試みる者も賊軍にはいるため、横から急に飛び出してくる槍や剣が馬の体に当たらないように手綱を操り、右手でクレイモアを振るい続ける。しかしそれでも馬に掠り傷が小さな刺し傷が徐々につき始めていることは変わりない。心臓が破れんばかりに息を荒げる馬は直ぐにでも死んでしまいそうな勢いだ。
 それに決定打を決めようと、遂にやけくそに投擲された剣が彼の馬に深く刺さった。痛みで絶叫しながら横に倒れる馬の手綱を無意識に放し、仁ノ助は素早く鞍につけた呉鉤を攫う。回転しながら受身を取った仁ノ助の前に青筋を立てて槍を構えて突っ込む賊が現れる。こちらを運の無い将軍の一人と捉えたのか怒りを滾らせて狂声を挙げながら槍を突き出した。
 仁ノ助は突き出された槍の穂先の近くを反射的に掴むと、クレイモアを振るって槍を半ばから両断した。自らの得物を潰された賊は驚愕の表情をたたえて、次いで返す刃で頭部を横から振るわれて鼻から上の表情を地面に落とした。

(クソ、早く賊の馬を奪わんと・・・・・・っ!)

 勢いのままに進む曹操騎兵隊に目を遣って、それに合流しようと馬を持つ賊兵を暗闇を焦がす大地から探そうとした時、半町|《≒55メートル》もしない所に一人だけ賊軍にしては豪華な衣装に身を包んだ男が馬に乗ろうとしているのと見付けた。
 それを見た瞬間仁ノ助は敵軍の先頭を行く物は将軍の囮ではないかと直感する。クレイモアと呉鉤をいっぺんに左手で持ち、外套の内側に括りつけた投げナイフを一本抜く。助走をつけてそれを投げながらあてずっぽうにその者に呼びかける。

「おい波才!!!!!!」
「っ!?!?!?」

 鞍に腰掛けた男が勢い良くこちらを振り返った時、力強く投げられたナイフが馬の後ろ足を一本断ち切った。突然無くなった平衡感に驚いた馬が横倒しに崩れて波才が地面に投げ出された。それに止めを刺そうと仁ノ助が呉鉤を右手に持って疾走した。
 波才が自分に迫りくる二本の剣に目をやると、足元の地面に落ちている二本の剣をむんずと左手で掴んで素早く立ち上がり、片方の剣の柄を右手で持ちながら仁ノ助の胴体に向かって投擲する。飛来した剣は風を勢い良く切りながら迫るが、胴体に刺さる前に血脂が刃全体に広がった双手剣により弾かれる。
 波才は残った剣を右上段に構えると仁ノ助に向かって走っていく。飛び掛る火の粉は自分で振り払うために彼は疾走し、両手で柄を掴みながら得物の距離に入った仁ノ助に向かって勢い任せに振るう。波才自身が知らぬことに生命の危機に瀕した彼は人生で最も冴えた一撃を繰り出していたのだ。
 しかしそれを嘲笑うかのようにクレイモアの刃先でそれを防いだ仁ノ助は、向かってきた波才の体の右後ろに向かって地を飛ぶ。敵兵が突然視界から消えた波才は口を開けて唖然とする。しかしその一瞬の唖然により背中ががら空きとなり剣を持つ力を緩めてしまった。
 跳躍した仁ノ助は波才の右肩と首の間からから左胸に向かって呉鉤を真っ直ぐに刺した。そして素早くそれを引きながら、抵抗が弱まった剣を弾いてクレイモアを返し、波才の首に向かって走らせる。力が抜けた波才の剣は首に迫りくるそれを止める手段を持ち合わせていない。
 振られたクレイモアによって肉が裂けて骨を絶ち斬られ、途中で途切れた頚動脈と静脈から赤と黒の噴水が吹いて鉄の臭いが増した。飛んでいった首は回転しながら宙を舞っていき、仁ノ助は上から落ちてくるそれを器用な事に呉鉤の刃尖にぶすりと刺す。
 乱戦となって辺りから沸いて出て来る賊の攻撃をひらりとかわし、左手に持つクレイモアでその賊を威圧するように体の動脈が通る辺りを狙い振るう。未だ鈍りを生じない刃先が賊の体を裂き血が噴出する。思わぬくらいの血液が溢れ出すことに悲鳴をあげる賊を掻き分けて、仁ノ助は主を無くしてぽつりと佇む馬を見つける。その鞍に乗ってすぐさまに鞭を入れると、呉鉤に刺した男の頸を高々と上げて叫んだ。

「敵将波才、討ち取ったりぃぃぃいいいいい!!!!!」






「やはりこうなるか・・・」

 あれから黄巾賊は総崩れとなった。首領を討ち取られた彼らを指揮する代替わりは存在せず、勇気あるものが代わりを務めようとするも曹操軍から連合軍から刺し込まれる刃の数々、飛来する矢の数々に寄って次々と命を落としていった。曹操軍と連合軍はさらに戦果をあげんと追撃の手を苛烈なものとし、結果的に首級数万が地に倒れ伏すこととなったのだ。

 その惨状を見渡しが良い崖から眺めていた黒ずくめの男は、先ほど波才と話したときの飄々とした口調を消して呟く。これがこの男の素であり波才に対してのはただの一時の戯れだったのだろう。冷ややかに現実を見つめ直す男は見飽きたものを見る暇が無いのか、馬を返して鞭を打った。

(これで乱の趨勢は決まったも同然、後は如何にして三人を逃がすかだ・・・)

 ここで散った数万の元農民の命など初めから興味など無かったのか、彼は自らが寄せる広宋にいる三人の主を考え始める。走り去った彼の後ろでは猛火の燻りが未だ白煙となって残り、朝焼けを湛えている空を不安気にさせていた。 
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