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俺の四畳半が最近安らげない件

作者:たにゃお
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逆さ屏風

それは、とある寒村の旧い風習であった。


お産を終えた女が、その子を『育てられない』とき、屏風を逆さまに置いて産婆に知らせる。
逆さまの屏風を確認した産婆は、そっと産まれたばかりの子供を葬る…


全国各地にあった『口減らし』の因習。それはその、ほんの一つであった。


豊作の祭りを終えて、ほろ酔い気分で自宅の戸をすらりと開ける。すると背を丸めた産婆がオロオロした様子で俺の方ににじり寄ってきた。
「ど、どうしましょうかねぇ…」
産湯に浸された状態でほったらかしにされている血塗れの我が子に若干ビビり、あとじさる。
「どうしましょう…って…?」
「ほら、この屏風…」
「……屏風、だと?」
ぞわり、と厭な寒気が背筋をのぼってきた。そう云えば昔、婆さんに「逆さ屏風」の話を聞いた事がある。間引く子供がいる場合、屏風を逆さまにして産婆に絞めさせる、という。
「い、いやそんなまさか…長子だぞ!?間引くわけないだろう!?」
「いや問題はそういうとこじゃなく」
「どこぞに障害でもありそうなのか!?」
「ピンピンしてますよ。だから」
ちょっと落ち着いて屏風を見てください!じれったそうにそう云われ、改めて屏風に目を向ける。この屏風の向こうのこじんまりとした四畳半で、今頃妻は横たわっている筈なのだが…屏風の向こうは意外な程に無音だ。
「………なにこれ?」


屏風にでかでかと描いてあるのは、おっさんの顔なのだ。


「………何で?何でこの屏風の陰で子供産もうと思ったの?」
しかも妙にキャラが立った、というか、不自然なかんじのおっさんなのだ。ハゲなんだが妙に髭が豊かで口は髭に埋もれている。額には妙に目立つ皺が2~3本、くっきりと刻まれている。
「……えっと……この屏風……」
「そうなんですわ」
産婆が屏風のフチを掴み、くるっと逆さまにする。すると毛髪が豊かでむっつりと口を引き結んだ不自然な若者の顔が現れた。
「あ、あ、あれか!!逆さまにするとアラ不思議!とかいう…!!」
屏風を掴んで元に戻しながら産婆が頷いた。
「逆さ絵とか、云うんでしたっけ…?」
「それ、だよなぁ…」
俺と産婆は、暫くの間、茫然と屏風を眺めていた。そしてどちらともなく屏風をくるっと半回転させたり、戻したりし始めた。しかし逆さにすればするほど、どっちが正位置でどっちが逆位置なのか分からなくなる。
「どっちが、逆さってことになるんでしょうねぇ…」
「嫁に、確認してみるってのは」
云った途端、産婆はぶんぶんと首を振った。
「なりません!とってもデリケートな問題なのですよ!」
―――この村はいつもこうだ。
村民性なのだろうか。『不文律』というか『暗黙の了解』というか、そういうのが異様に多い。村を挙げての『察してちゃん』なのだ。
「旦那さん、この子を育てるのかどうか、お話合いはしてるんですか?」
「えぇっ……」
そう云われても、村の中で最後に『間引き』が行われたのは随分と前のことだ。こんな風習があるってこと自体、俺自身も忘れかけていた。嫁もこの村の娘なので、逆さ屏風自体は知っていただろうが、初めての子供である上に特に食い物に困っていないこの状況で、間引きなどというハードな選択をするか?
「え、そんなの…当然産むものと思って…」
「それはちゃんと、お嫁さんの口から聞きました?」
産婆がじわじわと膝を詰めて来た。近い。産婆超近い。ちょっと怖い。
「そ、それは……」
「たとえば昨日、子供の話はしましたか?」
「えっと…昨日は今日の村祭りの打ち合わせに…酒呑んで帰ったからその…寝ちゃって」
「…一昨日は?」
「隣村の豊作祭りに…ちょっと、呑んだかな…」
「……じゃあその前は?」
「向かいの友蔵んとこの出産祝いに…酒、振る舞われたかな…」
「………」
「……はい、その前も友達と呑んでました」
「……うっわぁ……」
産婆はそっと、身も心も引いた。前のめりだった首をすっと後ろに引き、斜め45度の角度で俺をチラ見する。
「――分かってますよ。すみません。俺が悪かったから、そういう汚物を見るような顔すんのやめて下さい」
「……へえぇぇ……」
この村の女は昔っからこういう感じだ。云いたい事があるのに云わないこの感じ。態度だけで8割伝えようとする感じ。
「云いたい事があるならハッキリ云って下さいよ。話し合いとか云うけど、あんたら何を云っても察しろ察しろって」
「くずですねぇ」
「急に云うのかよ!!」
本当ビックリするわこの村の女の『謎の切り替え』。云わずに溜めに溜めこんだ末に急に放出するのだ。俺の母も、祖母もそうだった。多分嫁もそうだ。兆候がある。
―――その結果がこの『逆さ屏風』なのだとしたら!!
「……ぶっちゃけ話、これ、逆さ屏風だと思う……?」
俺は恐々、産婆に聞いてみた。産婆はまた最前の途方に暮れたような表情を取り戻し、2~3度辺りを見渡した。
「そ、そう云われましても…」
「じゃあさ、この絵、どっちの方が無理がないと思う?」
はげ爺だった屏風の絵を逆さにしてむっつりした若者に変える。産婆は屏風を凝視し、首を傾げるばかりだ。再度、屏風を返してはげ爺に戻してみる。産婆は頭を抱え込んだ。
「どっちも無理がある気がしますぅ…」
「だよなぁ…」
なにしろ逆さ絵である。ひっくり返したら別の絵になるように、爺と若者はちょっとずつ『不自然さ』をシェアしているのだ。そりゃもう、思ってたよりすごい公平にだ。
理不尽かも知れないが俺は、だんだん腹が立ってきた。こんな底意地の悪い屏風までご丁寧に用意して、嫁は一体全体、俺がこの子をどうすれば満足なのだろう。
「―――俺が悪かったよ。悪いのは俺だよ。そんなのは分かってるし、しろってなら土下座して謝るよ。だけど子供に罪はないだろ!?こんな悪ふざけで俺達が子供を殺せば満足なのか!?…おい、聞いてるのか!?」
押し留めようとする産婆を振り切り、屏風の向こうの暗がりに向かって叫ぶ。
「だ、旦那さん、今は…」
「やっていい冗談と悪い冗談があるだろ!?人の命を何だと思ってるんだ!!」
「臨月の嫁を三日放置した旦那さんがそれ云ってどこに説得力が」
「場をおさめたいのか混ぜっ返したいのかどっちなんだあんたは!!」



「不毛な議論を繰り返しているのかね、旧世代の諸君!!」


よく通るがうすっぺらい声が、過疎の村外れに響き渡った。「全共闘」と大きく書かれたヘルメットを被ったマスクの青年が、ちょっとだけ小高い裏の山の天辺から俺達を睥睨していた。
「…おいお前」
完全に、数年前に進学のために上京したお向かいのキヨシである。純朴な坊主頭の少年だったキヨシは、どうやら都会の変な流行にハマるのも早かったらしい。テレビで観る限り、学生運動は苛烈さを増している。よりによってこの時期に、地元に帰ってきているということは答えは一つ。彼はファッション左翼である。
「小遣いの催促にでも来たんかえ?」
産婆は吐き捨てるように云った。彼らのような旧弊な老人にとっては、キヨシのように上京していった若者は『村を捨てた裏切者』なのだ。…それはそれで随分と乱暴な話なんだが。
キヨシは薄汚れた電動メガホンを口元にあて、徐にスイッチを入れた。そして大きく息を吸った。
「我々はぁ!!零細なコミュニティで旧態依然とした生活から抜け出せない貴様ら旧人類に啓蒙する!!」
物凄いハウリング音と共に、割れまくってボロボロの声が鼓膜をつんざく。
「やめろ、痛い!耳が痛い!!てかこの距離と人数にメガホン要る!?」
「古い因習に囚われた、不衛生な産婆を用いての出産!!」
俺の抗議を完全無視してキヨシは続ける。産婆が『はァ!?』とこめかみに血管浮かび上がらせて凄む。なにこの人怖い。


「そして暗黙の了解と化した、新生児殺害!!我々はこの現状に、激しく抗議するものである!!」


…何を云いだしたんだ?

「先ずは苦しむがいい…」
「…ん?」
「どっちが逆さか、分かるまい!!貴様ら旧人類が逆さなんだかどうだか分からない屏風に苦しむ様を、我々新人類は特等席から眺めてやろう!!」


「お前の仕業かあぁぁこの悪戯坊主があぁ!!!」


産婆が木綿の着物を端折りあげ、山の上のキヨシに飛びかかった。
余裕をかましてメガホンを構えていたキヨシの顔が強張る。
「捕まえたぞおぉ!!」
「ふえぇ!?」
情けない悲鳴を最後に、キヨシは自慢のメガホンを取り落とした。
…あの動きは何だ。『縮地』というのか?驚くべき速度で産婆はキヨシの間合いに入り、その襟首を掴んだのだ。少なくとも俺にはその動きが追えなかった。
「そこに直れえぇい!!その根性を叩きのめしてくれる!!!」
頑強なふくらはぎを晒し、子供の頃から畏れ続けた『なまはげ』とまったく同じ顔をして、産婆は震えるキヨシを引きずって、自宅の裏に消えていった。
「…〆ちゃダメですよー、大人ですからねー…」
俺の声が彼女に届いたかどうかは知らない。


暫くして、恐る恐る裏庭を覗き込んでみると
一番樹齢の高い柿の木に、キヨシが逆さ吊りにされていた。
ボコボコにされてうなだれるキヨシは、逆さまにしてみても
ハゲのおじさんには見えなかった。
 
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