俺の四畳半が最近安らげない件
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リモート会議
カーテンを引き、ノートパソコンのカメラの位置を確認する。まあまあの汚部屋なので、部屋が映り込まないように細心の注意を払う。リモート会議の常識である。
未曾有のパンデミックは俺達の生活様式をガラッと一変させた。
ZOOMを用いたリモート会議など、その一環といえる。
こんなもの一般の参加者は、音声だけの参加でいいんではないかと思わないでもないが、上司の指示で皆渋々ビデオで参加している。…まぁ、確かにビデオにでも映されてなければ、俺はパラパラ漫画でも作っていたことだろう。
今日の商品企画会議の参加者は13人。俺がログインした時には、既に9人程『入室』していた。
「ちっす」
小規模な部署なので、気楽なものだ。しかしどういう訳だろう。皆の表情が冴えない。
「あれれ?えーっと」
どうしたの、皆どうした?と云おうとした俺は凍りついた。
―――だいぶ先にログインしていた同期の三沢。その背後に、半裸の男が仁王立ちしているではないか。
「……んん??」
つい変な声が喉から洩れた。全員の画面に緊張が走る。
「……あ、いや何でもない」
全員の肩が僅かに下がるのを感じる。俺はさりげなさを装い、資料を並べるそぶりをしながら三沢の画面をチラチラ確認する。ヒョロガリの三沢の後ろに存在しているのがちょっとおかしいレベルで物凄いマッチョの男である。ただし、画面上部で見切れていて、顔が全然見えない。
そのうち、画面右上にログインしていた江口先輩が『わり、ちょっとトイレ』と呟いて席を立った。
程なく、俺のスマホが鳴った。
「すんません、ちょっと外します」
スマホを持って席を立ち、廊下に移動する。着信は『江口先輩』。
「…はい、伊藤っす」
『おい!見ただろ!?』
説明は不要とばかりに、江口先輩が引きつった声で叫んだ。電話口で。音が割れて耳がキンキンする。
「見ましたよ。…あれ誰ですか?」
『いや知らねぇよ!何だあれは!!』
「顔も…映ってなかったですねぇ」
『おう、そうだな…で、どう思う』
「三沢が、気が付いているのかどうか、ですか」
『知ってて無視してんのか、気が付いてないのか…だよなぁ』
「うーーーん……」
俺が三沢を見ていた時間はほんの数秒。その数秒で判断するのならば……
「…いや、分かりませんよ。ただ云えるのは」
三沢は、イヤホンをしていた。
『耳から入ってくる情報って、わりと大事だよなぁ。…やっぱひょっとしてあいつ』
「気が付いてない、という可能性が」
『これ、三沢に教えたほうがいいよな!?』
江口先輩は確認するように、引きつった大声で叫ぶ。耳が、耳が。
「それはちょっと待った方が」
『何で!?』
少し考えて、俺は続けた。
「まず、多分…多分なんですけど、あのマッチョの目的は、三沢に危害を加えることではないと思うんです」
『はぁ?何で云い切れる?』
「俺達からマッチョ丸見えなように、マッチョからも俺達が丸見えだと思うんです。つまり」
危害を加えるには、目撃者が多すぎるんですよ。…口にしながら考えていた。なら、目的は?
『…なあ、あのマッチョってさ』
「はい?」
江口先輩が声のトーンを落とした。
『全員に、見えてると思う…?』
「え?そりゃ…」
―――まて江口先輩。あんた何を云おうとしている。
「実際確認はしてないですが…え、あれ、全員に見えてますよね…?幽霊ではない、ですよねぇ…?」
やばい俺も自信がなくなってきた。いくらなんでもあんな生命力に溢れた幽霊がいる筈は…。しかしそれなら何で三沢はあれ程の存在感を放つマッチョが真後ろにいるのに気が付かないんだ?イヤホンだけで説明つくか?わざわざマッチョを配置しての冗談的なものかとも思ったが、三沢は同期で一番真面目な男だ。そんな冗談を思いつくような男では……。
「あぁ、すみません…俺もう何が何だかわからなくなってきました。もう考えるの怠くなってきたんで…部屋に戻っていいっすか?」
『おいやめろ、俺を一人にするな!』
「でもそろそろ会議開始時間ですよ。主任がログインしてるかも」
『大丈夫だ、主任ならまだ悪戦苦闘している』
「悪戦苦闘?あの人出社してんですか」
『…いや、ZOOMに慣れてないんだあの人』
「ええ!?ZOOM会議もう4回目ですよ!?今までどうやってログインしてたんですか?」
『娘さんがログインまでやってくれてたのが、今日は居ない。彼氏とデートだそうだ』
「そりゃダブルショックですね」
『さっきまで俺がLINEでやり取りしてログインのしかたを教えてたんだけど実は…さっきから未読無視している。これでもうしばらくは時間が稼げるな』
「あんた鬼ですか」
『いいから主任がログインするまでに何とかするぞ。あの人絶対、マッチョに反応して騒ぐからな。まずはどういう状況なのか、考えられる候補をあげていくぞ』
考えられる候補は、こうか?
1・マッチョは幽霊で、三沢には見えていない
2・マッチョは生身で、三沢は気が付いていない
3・マッチョを使った三沢の悪戯
4・三沢はこの状況に違和感を持っていない
「…てとこですかね」
『1は困るな…俺達じゃどうにもならないぜ』
「田所先輩って寺の息子じゃないですか?」
『寺の息子は全員霊能力者と思うなよ!?あいつんち、物凄い生臭だからな』
「3と4ならスルーでオッケーなんですけど」
『問題は、2の場合だな』
三沢の自宅に生身のマッチョが侵入し、それに気が付いていない三沢。マッチョの方は、俺達を視認しているという。
『…あるかなぁ、そんな状況』
「確かめようがない限り、様子を見るしかないでしょう」
『…戻るか』
電話を切り、俺達はZOOMに戻った。
ZOOMの画面には、14の困惑も露わな顔と、三沢とマッチョが映る。主任はまだログインしていない。
『あー、あの…主任が来る前にひとつ』
右端の顔が口火を切った。三沢を除く全員の肩に緊張が走る。
『例の資料は、どの辺まで仕上がってますか?』
……なんだ、普通に仕事の話かよ。全員の肩から緊張が抜けた。俺もそっと息を吐いた。左下の奴が頷く。
『ああ、仕上がってるよ、仕上がってる』
ぶわぁ、と、三沢んとこのマッチョが胸筋を開くようにポーズを取った。また全員に緊張が走る。俺は急いでLINEの画面を開き、江口先輩にLINEを送る。
『反応しましたよ』
『資料に反応したのか?』
『いや?資料に、というよりは』
―――仕上がっている、というワードに。
『…おい、ちょっとお前、もう一回畳みかけてみろ』
『俺すか!?』
『はやくやれ』
「んー、仕上がってますね、すごい仕上がってる」
マッチョのポーズが変わった。斜めに構えて胸筋と上腕の筋肉を見せつけるようなポーズだ。そして異様に白い歯を剥いて、二カッと笑った。
『笑ったーーー!!』
『やっぱりこれだーーー!!』
『あいつ筋肉への称賛を欲していますよ!!』
ボディビルの大会で、ある種の掛け声をかけることによって場を盛り上げる、というのを聞いた事がある。
「仕上がってるよ!」だとか
「でかい!!」だとか
「大胸筋が歩いてる!!」
だとかいうやつだ。
奴が夢半ばに散ったボディビルダーの霊なのか、実在の変質者なのかはさておき、一つ分かったことがある。
奴の目的だ。
ZOOMに参加する全員が、そのことに気が付いたらしい。奴らはそっと周りを見渡すと、発言のきっかけを探し始めた。
「すごいデカい!もうデカい資料だな!」
「それでいて無駄がない。ここまで絞るには、眠れぬ夜もあったろうに!!」
「…それにしても…あれだな!肩凝ったな…肩メロン!肩メロンだなこれは!!」
いや最後のは無理があったきがするが…奴らが発言するたびに、マッチョはポーズを少しずつ切り替えて生き生きと歯を剥いて笑う。
「こんな資料もありますよ…はい、ドーーーン!!」
「デカい!デカすぎて固定資産税かかりそうだな!!」
「チョモランマ!!」
「ちょ…どうしたんですか?みんなさっきから変ですよ?」
三沢が明らかに変化した場の空気に戸惑い、眉を寄せた。お前、この場の空気を読む能力があるのなら、自分の周りを取り巻く異様な空気を少しは読み取れ。お前の真後ろでマッチョが歯を剥いて笑ってんだぞ。
「いや、なんでもない。資料の話を、そのな」
江口先輩が咄嗟に誤魔化す。三沢への説明は後だ。マッチョを満足させてお帰り頂くのが先決である。
「へぇ…なんか…ボディビルの掛け声、みたいな」
「…なにお前、そういうの詳しいタイプ?」
「うーん…詳しくなりたくないけど、親父がずっとやってるから…」
「お前の親父かーーーーい!!」
14人全員から同じツッコミが入った。
弾かれたように振り向いた三沢は、一瞬最高にイラついたような表情を浮かべ、次の瞬間スッと立ち上がってマッチョを追い出しにかかった。
「なにフレームインしてんだよ!もう諦めろって云ってんだろ!?」
……諦める?
名残惜しそうなマッチョを画面外に押し出して、三沢はプリプリ怒って戻って来た。
「すみませんね…コロナの影響でボディビルの全国大会が中止になっちゃって…せっかく仕上げてきたのに披露する機会がないって落ち込んでたんですが」
まさかZOOM会議に割って入るほど欲してたとは…そう云って三沢は汗を拭った。
「いや、俺らは気にしていないが…おい」
28の瞳が一斉に強張った。
先程、三沢の父親が追い出された扉の奥に、マッチョのビキニが白い歯を剥いて微笑むのが、チラチラ垣間見えるのだ。
―――お袋さん、それはやめてやって下さい―――!!
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