至誠一貫
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第二部
第三章 ~群雄割拠~
百十四 ~会議と密談~
前書き
ちょっと手間取り0時に間に合いませんでした。
「では、始めるか」
「はい」
長い机を挟み、私と麗羽が向き合って座る。
私の側には雛里、霞、疾風(徐晃)。
麗羽側には元皓(田豊)と嵐(沮授)。
この時代では馴染みがないらしいが、蝦夷共和国で用いていた会議の形式だ。
この人数であれば試してみる機会にもなると思ったのだが、どうも麗羽らは居心地が悪そうではある。
「本来でしたら、斗誌さんにも参加して貰いたかったのですが」
「致し方なかろう。幽州を放置する訳にもいくまい」
「……ですわね」
冀州に来たのはあくまでも一時的な避難でしかない。
遠からず華琳との戦に備え、方針を決めておかねばならぬ。
無論、麗羽が華琳と争わぬという選択肢もある。
それであれば、私がこの地にいる事は好ましくなく早々に立ち去るべきであろう。
だが、華琳が正気を取り戻していないままであれば……。
真桜や沙和の言に偽りがなければ、現在も変わらぬと見た方が良い。
「まず、早急に洛陽の白蓮と建業の雪蓮に使者を出さねばなるまい」
「大尉様が仰せの通りですね。お二方が敵に回るとは考えにくいですが、連携は必要です」
「西涼にも知らせた方がええんちゃうか? まぁ、直接ぶつかる訳やないにしても」
「おいら霞姐さんに賛成。味方はこんなもんかな、旦那?」
「うむ。疾風、済まぬがこれが終わり次第月のところへ」
「お任せ下さい」
「お師様、どうなさいますの?」
「一応朱里や稟らにも諮るが……徐州は放棄する他あるまい」
私の言葉に、凍りつく麗羽。
雛里や元皓らは察したのであろう、沈痛な表情をしている。
「な、何故ですの? お師様は正式な徐州刺史として認められた立場ですのに」
「それは確かだ。だが、この状況ではその任を全うするのは困難でしかない。それに、徐州に固執すればあまりにも危険が大きい」
「危険……ですか?」
「そうだ。理由はわかるか?」
麗羽は考え込んでいる。
以前ならば斗誌に振るか、分からないと答えるのみであったであろうな。
まずは自分なりに考えてみる、その姿勢からも成長が伺える。
それが正しければ良し、仮に誤っていたとしても今の麗羽にはそれを指摘する者がついている。
そして、麗羽自身もそれを受け入れるだけの度量がある。
それがわかっているのであろう、元皓も嵐も何も言わず見守っている。
「……徐州とエン州は陸続きで隣り合わせ。戦の準備が間に合わない、という事でしょうか?」
「ほう。何故そう思うのだ?」
「はい。お師様ご自身がまだ徐州に腰を据えた訳ではありません。民からすれば、刺史は陶謙さんであってお師様と考えられないかも知れません」
「ふむ」
「その最中に、華琳さんと戦になったならば果たしてどのぐらいの民が協力するでしょうか?……他人が、自分達の住む土地で勝手に争っていると思うかと」
麗羽の言葉に、雛里と元皓が頷いている。
「お師様に従う皆さんは、精兵揃いで将も綺羅星の如く。それがあったとしても、民の支持や支援なしに戦い続けるのは苦しい……そう思います」
「うむ。続けよ」
「そして、徐州の地理条件です。エン州とは隣接の上、ほぼ地続きで守備にはあまり向かないと聞いています。籠城も一つの手ですが……」
言葉を切り、私を見る麗羽。
そうだな、もう良かろう。
「嵐、どうか? 麗羽の分析は」
「満点、とはいかないけどまぁ合格点じゃないの? あのお嬢様が良くここまで成長したモンさ」
「相変わらず手厳しいですわね、嵐さんは。……あの、お師様?」
「概ね、麗羽の推測で間違ってはおらぬ。確かに今の私は徐州を把握した訳ではなく、備えもない。華琳とそのまま戦うのは無謀だ」
麗羽はほう、と息を吐いた。
軽く試すだけのつもりであったが、当人には殊の外緊張を強いられたのであろう。
あまり的外れな事を言い出せば別だが、そこまで麗羽は愚かではない。
「お師様。ではわたくしには何が足りないのでしょう?」
「……そうだな。麗羽の申した事は、推論の一つに過ぎぬ。もう少し、視野を広げる事だ」
「視野、ですか?」
「そうだ。着眼点は悪くないが、それだけで徐州の放棄という結論を出した訳ではないぞ?」
「…………」
「雛里。地図を」
「ひゃい!」
慌てる事はないのだが、あたふたとする雛里。
それでもどうにか地図を取り出し、机の上に広げた。
用意させた碁石を取り出し、その上に置いていく。
「まずは味方を白石とする。冀州が此処、揚州が此処……」
「では敵は黒石ですわね。華琳さん、美羽さん……」
旗幟を鮮明にしていない勢力もあるが、この際は除外だな。
少なくとも、差し迫っている戦には何の影響もない。
……そして。
「お師様、これは……」
「わかったようだな、麗羽」
「はい。……徐州は半包囲される格好ですわ」
袁術に劉表。
揚州も雪蓮がいるとは申せ、まだ統一された訳ではない。
そもそも、まだ刺史ですらない以上一大勢力とはいかぬ。
つまり、揚州に残る豪族が敵に回る可能性もあり得るという事だ。
「戦線を分けて対処は出来ないのでしょうか? お師様の麾下には一軍を率いるだけの人物が揃っているかと」
「あー、それは悪手やで」
「どういう事ですの?」
「まず、歳っちの兵だけやと数が足らへん。兵の数を指揮や策でひっくり返せるのは、相手がその程度だからや」
「……確かに、華琳さんはそんな生易しい相手ではありませんわね」
「せや。袁術や劉表かて、黄巾党とは訳が違う。そんな相手に戦力分散なんて、各個撃破されるのがオチやろな」
霞の指摘に、肩を落とす麗羽。
「それだけではありません。もしかすると、徐州内部で戦いが起きる可能性も捨てきれませんよ、太守様」
「そ、そんな……」
「だから、今大尉様が徐州に赴くのは危険……。いえ、速やかに放棄するのが正しいと僕も思います」
「そういう事だ、麗羽。……疾風、頼むぞ」
「はっ! では!」
飛び出していく疾風を見送りながら、私は息を吐く。
「そんな次第だ。月らを此方に呼ばねばならぬ……。迷惑をかけるな、麗羽」
「……いえ。いずれ、華琳さんとは戦わなければならない宿命にあるのですから。それに、お師様と轡を並べて戦えるなら本望ですわ」
ふっ、言うではないか。
いきなり自分に従えと言ってきた人物と同一とは、誰も信じまい。
「漸く、二人きりになれましたわね」
「仕方あるまい。事が多過ぎるのではな」
夜更け。
麗羽に、話がしたいと私室に誘われた。
私的な事か内密な事かはわからぬが、私に否はない。
刺史としての職務がある以上、それを済ませてから……となればこの刻限になるのも当然ではあったが。
麗羽は茶の用意をさせると、侍女も下がらせた。
「私も麗羽に尋ねたい事があるのだが。麗羽の方からでも構わぬぞ?」
「いえ、それでしたら先にお伺いしますわ。わたくしの方は、長くなるかも知れませんし……」
「……わかった。では、単刀直入に尋ねる」
身を固くする麗羽。
私がこれから話す事に、思い当たる節でもあるのやも知れぬ。
「まず、この冀州だが……麗羽が問題なく治めている。この認識で良いか?」
「……問題なくかどうかは断言できませんわ。ですが、何かあれば報告を受けている筈です」
「そうであろうな。元皓や嵐がそれを隠すとも思えぬ」
「あの……。何かあったのですか、お師様?」
この様子では、知らされておらぬか。
いや、もし知らせがあれば斯様に落ち着いている筈もないな。
麗羽にはそのような腹芸は無理であろう。
「お前には話しておかねばなるまいな。実は洛陽を出て後、黄河で襲撃を受けたのだ」
「襲撃? お師様がですか?」
「そうだ。幸い、こうして五体満足で済んだが」
「な、何者ですか!……もしや、それは」
顔面蒼白になる麗羽。
「わからぬ。無人の船に爆薬を仕掛けて突っ込まれたというだけで、下手人を確かめた訳ではないのだ」
「ですが、華琳さんの自作自演という訳はありませんわ。となれば……」
「……心当たりがあるか?」
「……いえ。確たる証拠がある訳ではありませんし」
「麗羽。……わかっておるであろうが、華琳との戦は生半可なものでは済まぬ。使いは出すが、白蓮や雪蓮は恐らく軍を動かすどころではない筈だ」
「……はい」
「翡(馬騰)は遠い上に体調が優れぬと聞いた。つまり、我らだけで戦いに臨む事になる」
「…………」
「麗羽の事は無論信じておるが、他の者も同じかどうかはまた別の話だ。戦う前から足元がぐらついていてはどうにもならぬ」
「……そうですわね」
何度か自分に言い聞かせるように、麗羽は頷く。
そして、顔を上げた。
「……可能性があるとすれば、甥の高幹ですわ」
「高幹?」
「ええ。お師様はご存じないと思いますわ、わたくしがお師様の後を任されてから冀州に来ましたから」
もう記憶もかなり朧げになってきたが、確かに袁紹には高幹という甥がいたと記されていた。
だが、記憶にも残らぬという事は然程の活躍はしておらぬ筈。
「その高幹とやらが、何故に私を襲う? 会った事もない相手から恨みを買う覚えはないのだがな」
「ええ、確かに高幹はお匠様と直接会った事はありませんわ。ですが、あり得ない話でもないのです」
「……わからぬな」
これが尊攘浪士と言うのであれば話はわかる。
職務とは申せ、新選組時代は多数の者を斬ったり捕らえた。
必然的に恨まれ、狙われる事も多かった。
その中には無論、見覚えのない顔も少なからずあった。
私だけでなく、近藤さんや斎藤君、平助らもだな。
この世でも、黄巾党からならば付け狙われる事もあり得よう。
だが、麗羽の身内……ふむ。
「若しや、麗羽に厳しく当たった事か?」
「いえ、それはありません。お師様からのご指導を、いくら甥と言えども伝えたりなどしてませんから」
「では、別の原因があるのだな?」
「……ええ。身内だからと贔屓するつもりもありませんが、高幹はかなり才気煥発で」
「ほう」
「男に産まれなければ、私や美羽さんと並んで袁家の後継者と目されてもおかしくはなかったかも知れません」
この世は、見事に女子上位。
私のような存在は寧ろ異質、それは華琳らも認める事実だ。
無論、それだけではなく本家分家という血筋の問題もあろうが……。
「後継者候補でない限り、周囲の扱いはお察しの通りでした。……嘗てのわたくしは愚かで、そのような甥の心中に気づく筈もありませんでしたし」
「才はあっても認められぬ、か。故に、歪になったと申すのだな?」
「仰せの通りです。……一方、お師様は殿方にも関わらず認められ出世なさいました」
「……妬み、か」
「そうでしょうね。そして、そんなお師様がこの冀州の近くを通りがかった。……身勝手ではあっても、意趣返しの絶好の機会と考えたのでしょう」
「堂々と名乗りを上げなかったのは、麗羽にまで累が及ぶと考えたか」
「それもあるでしょう。それに、お師様に真っ向勝負を挑んでも勝てないぐらいの分別はあったと思います」
それであのような手段を講じた次第か。
才気煥発と麗羽は申したが、策を弄するようでは底が見えておる。
明らかな嫌がらせではなく、あれは気づかねば私も含め死人が出ていても不思議ではなかった。
当人はそれで溜飲を下げたやも知れぬが、やはり見過ごせぬ。
平時であれば糺しても良いが、今は猶予はない。
「それで麗羽。その高幹は今何処だ?」
「それが……」
言い淀む麗羽。
「どうした?」
「華琳さんとの戦に備えるとの口実で、平原に向かいました」
「勝手に兵を動かしたと申すか? 如何に親族とは言え、それは越権行為だぞ」
「わたくしもそう言ったのです。ですが、一族の私兵を私財で動かすだけだ……と」
「……その様子だと、高幹一人ではないのだな?」
「……はい。わたくしの一族で主だった方々は全て高幹と共に」
袁一族はまとまりに欠けるとは聞いていたが、何と愚かな。
華琳は生易しい相手ではない、その程度もわからぬとは。
私を妬むのは構わぬが、我らが敗れれば次は自分達の番だと……わかっていたとしても抑えられぬか。
「やむを得ぬ。高幹らは捨て置く」
「宜しいのですか?」
「我らの足を引っ張る、或いは華琳に加担するなら話は別だ。そうなったら容赦なく叩き潰す」
「……致し方ありませんわ。そうなったとしても、それは自業自得でしょうから」
「ただし、念の為見張りはつけておく。後背を襲われてはたまらぬ」
手当は、月らが合流した後に皆に諮るとしよう。
まだ何か裏があるやも知れぬが、それは高幹と問い質すしかあるまい。
「私の方からはこれで終わりだ。では、麗羽の話を聞こうか」
「あ、そ……そうでしたわね。お師様、お茶のお代わりは如何ですか?」
「麗羽。手が震えておるようだが」
「え? お、オーッホッホッホ。む、武者震いって奴ですわ!」
声まで震えていては説得力もないのだがな。
それを言えば更に縮こまりそうではあるが。
「今は二人きりだ。遠慮は要らぬ」
「え、遠慮はしてませんわ。ええ、遠慮なんて……」
「では何故言い辛そうなのだ?」
「……ハァ」
深い溜め息をつき、麗羽は私の方に身体を向けた。
「あ、あの……。お師様、真剣に聞いて下さいますか?」
「私がいつ不真面目にお前の話を聞いた? 揶揄するつもりなどない」
「そ、そうでしたわね。申し訳ございません」
「謝らずとも良い。切り出せぬのならまた日を改めても良いが」
「いえ。もうそんな余裕もなくなります。今のうちに、どうしてもお師様にお伝えしたい事がありますの」
「そうか」
暫し、待ってやるとするか。
まだ夜更けには程遠い、今宵だけならば刻はある。
とりあえず、茶でも所望するか。
そう思い、茶碗に手を伸ばそうとした。
……と。
不意に、その腕を掴まれた。
「麗羽?」
「……お、お師様! わたくし、一生のお願いがございます!」
その手は、震えていた。
「華琳さんとの戦に決着がつきましたら……。わたくしも、お師様のお情けをいただきたいと」
「……意味をわかった上で言ってるのであろうな?」
「勿論ですわ!……ま、まだ未経験ではありますが、何をするのかぐらいは……」
「お前は素性の知れぬ私とは違う。名家である袁一族の当主だぞ?」
「それも……わかっていますわ」
「この事、私以外に知る者は?」
黙って頭を振る麗羽。
最も、べらべらと言い触らして良い類の話ではないが。
うむむ、これは迂闊に返答は出来ぬ。
「決意は揺るがぬのだな?」
「はい! お慕いする方は、もうお師様以外には考えられません」
「……華琳に勝てるとは限らぬぞ? 敗れて、骸を晒す事になるやも知れぬ」
「それはありませんわ。お師様と一緒なら、例え大陸中が敵に回っても負ける気がしません」
「言うようになったな。……ならば、戦が終わった後に風らと諮る。今はこれ以上は申せぬ」
「……ありがとうございます」
麗羽の震えが止まったようだ。
「さて、茶をもう一杯頼む。喉が渇いた」
「え、ええ!」
しかし、これでは益々死ぬ訳には行かなくなったようだ。
ならば、精々抗わせて貰うとするか。
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