人理を守れ、エミヤさん!
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拾いすぎだ士郎くん!
夜空に煌めく星図を頼りに、平野を行く名も無き軍衆。先頭を歩む士郎は星を見上げながら、第四特異点の攻略指南のデータを纏め、推敲し、理論に穴がないかを真剣に精査していた。
そして、通信を試みる。人理継続保障機関へ。しかし案の定、なんの応答もなく嘆息した。気落ちはしていない。既に何百と繰り返したのだ、また繋がらなかったかと淡々と感じるのみである。
考えてみれば当然の話で、この特異点内外の時間の流れに大きな乖離がある以上、どうしたって通信が繋がりにくいのだろう。仮に通信が通じたとしても、こちらの方が時間の流れが何十倍も早い為、超高速でこちらが捲し立てる形になり、逆にあちらからは超低速で表示され意思疏通は酷く困難なものとなる。というより不可能だ。
カルデア側は録音、録画した映像データを解析し、超低速で再生すればこちらの言っている事は把握できるだろうが、こちらはそういう訳にはいかない。士郎の身に付けている腕時計型の通信機は出来てデータの収集、送受信、通信、時間、周囲の気候の把握、所有者のバイタル表示が精々である。それだけでも流石はカルデア驚異の技術力だと持て囃せるレベルだ。
士郎はもう、すっぱりとカルデアとの通信回復を諦めた。それこそ極めて高位の魔術師が味方になってくれねば、こちら側から連絡を取ることは不可能であると認識する。女々しく、未練がましく、しつこく連絡を試みるのはこれが最後だ。
行軍は緩やかだった。足の遅い難民に合わせているのである。一塊になって歩く難民の両脇を二個小隊で固め、最後列に二個小隊をつけてある。カーターも最後列だ。残りの二個小隊と二十一名の工兵・衛生兵の変則小隊は士郎の指揮下で最前列にいる。
あてどもなく歩く彼らに会話はない。体力の温存のために私語は控えろと言い含めてあるのだ。会話は気力や精神状態の維持に有効だが、今は単純に体力をどんな些細であれ浪費させる訳にはいかないのである。故に時折り発されるのは、士郎の指示の声、それに応じるカーターや、兵士達の気の籠った応答だけだった。
淡々と、何時間も歩き続ける。二時間歩く毎に10分の休憩を挟み、その度に彼ら自身に自らの脚をマッサージさせた。彼らの足を覆う靴下を二重にさせてあるのも、足の裏に豆が出来ないようにする為だ。歩けなくなれば、それだけで荷物になる。それは避けねばならない。それは兵士達にも言えた事だ。
トイレは穴を掘って、そこにする形である。兵士達で遠巻きに囲み、その真ん中でやるのだ。
羞恥心はあるだろう。皆が気を遣って目を逸らしたり背を向けたりしてもなかなか慣れるものでもない。しかし慣れねばならなかった。
徹底して集団行動である。行軍の最中にも訓練は欠かさない。足並みを揃えるというのは、簡単なようで大人数だと大変なもので、気力を削るようなものである。
スコップで穴を掘るのは徹底して工兵部隊だ。なんで穴なんか掘らせるんだ……という疑問は彼らにもあるだろうが。どうせすぐに理由は解る。士郎は目を細めた。
「止まれ」
片手を上げ、後ろの兵士に言う。兵士が大声で難民達に足を止めさせた。やっと休憩かと息を整える彼らを他所に、士郎は最後列から駆けて来たカーターに告げた。
「最後列の二個小隊はそのまま後方を警戒しろ。左右を固めていたCとD小隊は前へ。復唱しろ」
「は! 後方の隊はそのまま警戒、CとD小隊を前列へ配置させます!」
「行け」
「は!」
「工兵隊、横に長く穴を掘れ。深さは腰の辺りまでだ。やれ」
指示通りに動く兵士達を尻目に、士郎は背後を振り返って難民達に気力の漲った声音で伝えた。
「前方10000の距離に敵影を発見した。真っ直ぐにこちらに進んでいる。数は砂煙からして、ざっと二千ほどだ」
ぴり、と緊張が走る。固い静電気に皮膚を打たれたような沈黙が、彼らを硬直させた。
しかし士郎は不敵に、硬骨な笑みを浮かべた事で微かに空気が弛緩する。
「お前達を守る者が、どれほどのものか。見せるいい機会だ。安心していろ、なんの問題もない。退避する必要も、恐れる必要もない。少し早いが休憩していろ、俺達が奴らを殲滅した後、すぐに行軍を再開する」
それだけ言ってあっさりと背を向ける士郎を、固唾を呑んで人々は見守る。本当に大丈夫なのかという不安、大丈夫かもしれないという希望、それらを一身に受ける士郎は左右の手に双剣銃を投影する。手の中でくるくると黒と白の銃剣を回す士郎は、目を凝らして前方を睨んだ。サーヴァントがいないか気を張っている。
サーヴァントの姿はない。ケルトの戦士のみ。気は抜かないが、最悪の事態ではなかった。と、不意に士郎は『ある事』に気づいて一人、総毛立って慄然とした。
「――」
刻一刻と近づいてくる戦士の顔が、識別出来る距離になった時だ。士郎はその中に、以前の交戦で討ち取った戦士と全く同じ顔、同じ体格の者がいるのに気づいてしまったのだ。
よくよく見ればそれが何人もいる。双子のバーゲンセールではあるまい。ドッペルゲンガーか? それとも……。
「宝具による召喚……軍勢を召喚する能力……? 規模が桁外れだ。聖杯のバックアップがあるな。……無限に戦力を補充し続けられる訳か」
道理で杜撰な戦力運用をしている訳だ。
例えばペンテシレイアのような将に率いさせれば、それだけで何倍にも脅威度の跳ね上がる戦士達を無作為に、投げ捨てるように運用している理由が解った。そうするだけで充分以上に有効だとわかっているからこその、この戦力の投げ売りなのである。
舌打ちする。これでは幾ら敵を斃しても意味がない。無駄に消耗するだけだ。こちらが、一方的に。それにこの特異点の黒幕が軍勢召喚系の能力を持っているのは極めて厄介極まる。下手をすれば第一特異点のように、サーヴァントを斃しても再召喚なり新規召喚なり出来てしまう恐れがあった。第一特異点では戦下手な竜の魔女だった故に容易く阻止できたが、軍勢召喚系の宝具持ちが軍略なり戦略なりを解さないとも思えない。
士郎は自身の見込みがまだ甘かった事を悟る。悟るも――かといってやる事が変わったわけでもない。工兵らが穴を急いで横長に掘り終えたのを見ると、肩で息をする彼らを短く労い、兵士達へその穴の中に入るように告げた。
『虚・千山斬り拓く翠の地平』を多数投影し、それを難民達を囲うように地面へ突き刺す。流れ矢が飛ばないようにする防壁だ。虚空から現れ、地面に突き立つだけで軽い地響きがするほどの超重量は、そこにあるだけで壁となる。多数の巨大な壁が屹立した。群衆からどよめきが起こる。口頭で士郎の異能を聞かされていても半信半疑だったのが、その質量によって無理矢理に信じさせられた。そしてそれ故に、鉄の如き男への畏敬が高まるのだ。
「銃、構え」
塹壕から上半身のみを出した四個小隊がM4を構える。投影したそれらの突撃銃には、微弱な魔力の籠った弾丸が装填されていた。それで、霊体である戦士やサーヴァントにも通じるようになっていた。
「引き寄せろ」
やがて彼らも敵の姿がはっきりと見えるようになってくる。固い唾を呑み込む音が聞こえた。
兵士達が固くなっている。その中でも特に固くなっている若い兵士に士郎は言った。
「ヘルマン、力を抜け。敵を狙い、引き金を引くだけでいい」
「は……? は――ハッ!」
一度、兵士達全員は士郎に名乗らされていた。
たった一度だ。それだけで、まさか名と顔を覚えられていたとは思わず、ヘルマンと呼ばれた兵士は声を上擦らせて返事をする。
士郎はそれに表情一つ動かさず、紅い聖骸布を額に巻いた。外界からの護りのそれ――単純に髪が邪魔だったので、目にかからないようにするための措置だった。眼帯を指先で撫で、小さく傍らの沖田に言う。
「春、お前は待機だ。合図があれば動け」
「はい」
どんどん敵が近づいてくる。速い。しかし士郎は繰り返した。まだ、まだ引き寄せろ……と。
やがて敵が一㎞先まで近づいてくると、士郎は双剣銃をベルトに差し黒弓と螺旋剣を投影した。
「俺が一撃を加える。その後、着弾と同時に射撃開始だ」
了解! と昂った声が唱和する。士郎は黒弓に螺旋剣を番え、キリキリと弦を引き絞った。
狙いを定める。破損聖杯から流れ込んでくる魔力を魔術回路に更に慣らしながら、隻眼を鋭く光らせて。群衆の耳にこびりつく威の籠った呪文を口ずさんだ。偽・螺旋剣、と。
唸りを上げ、空間を捻切りながら飛翔する投影宝具。着弾と同時に炸裂する壊れた幻想。敵軍勢に大打撃を与えた瞬間、既に距離は五百メートルにまで近づいていた。一斉に撃ち放たれる弾丸の洗礼。螺旋剣の射撃から生き残った多数の戦士が楯を正面に構えて突撃してくる。
死を恐れる素振りは欠片もない。弾丸の連打を楯で凌ぎながらも接近してくる。――その頭上に無数の無銘の剣弾が降り注いだ。
「前を防ぐか、上を防ぐか。好きな方を選べ」
皮肉げに笑い、士郎は次々と倒れていくケルト戦士を見下す。
「それとな――」
士郎は肩を竦めた。
「後方注意だ。悪く思え」
自らの傍らにいた剣者の姿は消えていた。一斉射の開始から数秒後、合図を出したのだ。一瞬にして敵軍勢の背後に回り込んだ沖田が、ケルト戦士の背中から次々と斬り伏せていく。
正面の弾幕、上空からの剣弾、背後からの強襲――混乱し隊形もなく殲滅されていくケルト戦士の軍勢。その殆どが倒れ伏すと士郎は射撃を止めさせた。肉壁が減った以上は、沖田に誤射しかねない。そう判断したのだ。後はもう、僅か三十ほどしか敵に生き残りはいない。
ケルト戦士は破れかぶれに士郎の方へ突撃してくる。その背中を沖田が情け容赦なく斬り捨てていった。士郎の前に到達する頃には、沖田が全て撫で斬りにしてしまうだろう。そう思っていると不意に、沖田が膝から崩れ落ちて吐血した。
士郎は嘆息する。
あからさまな隙を晒した沖田に攻撃しようとしている一人のケルト戦士の頭部を、腰のベルトから抜き放った白い銃剣で発砲し撃ち抜いた。
そして士郎の許に辿り着いた満身創痍、隻腕となった戦士が斬りかかってくるのを黒い銃剣で受け止め、腹部を蹴り抜いて吹き飛ばすと、そのまま眉間に弾丸を撃ち込む。
殲滅は終了した。沖田の吐血に動揺する兵士達を宥め、『虚・千山斬り拓く翠の地平』の防壁を消す。行軍を再開するとなんでもないように告げた士郎は、小隊らに元の配置につけと命じた。
こんな、簡単に……。誰かが呟く。本当に、俺達は生き残れるんだ……! 淡い希望が、確かな形となった瞬間である。
それはさておくとして士郎は沖田を回収する。若干の呆れが顔に出ていた。
「うぅ……面目ないです……」
「あのな……もう少しなんとかならないのか? 敵にサーヴァントがいたら色々とマズかったぞ」
「沖田さんも我慢しようとしてたんです……でもそれで我慢できたら苦労しませんよ!」
「これで本当に大丈夫なのか……?」
行軍を始める前、割といい空気で守り合うと言い合ったのが遠い日の出来事のようだ。士郎は安定感のある戦力が欲しい、切実に……と、思う。思うが瞬間的な戦力の瞬発力で、沖田はかなり優秀である。短期戦の一撃を決する場面が一番適しているなと、沖田の運用法を徐々に頭の中で固めていく。
逆ギレする沖田に呆れながら、彼女を背負う。ほらほら休め、休めと言いながら歩く。衆目に晒されながら背負われる沖田は羞恥に呻いた。なんとなく後ろから生暖かい目を向けられているのが分かるのだ。こんなおき太に誰がしたぁ、と沖田が怨嗟の声を漏らす。「そりゃあ、沖田総司が病弱な天才剣士と信じている現代日本人全員だな」と士郎は軽く答える。英霊は基本、人々の信仰の形に大小様々な影響を受ける故に。
「つまり、沖田さんの病弱っぷりは、マスターの責任という事ですね……」
「そうなるな。せめてもの誠意だ、日本人として一億分の一の責任は取ろう」
「責任感薄いですよ!? 誠意の欠片も感じられません! 断固抗議します!」
「分かった。分かったから落ち着け。暴れるなバカ」
「誰がバカですかーっ!」
お前だお前、と士郎は投げ槍に答える。
背中で暴れられると色々と感触がマズイ。なんとか宥め透かそうとするも、沖田は軽く興奮状態だった。最後の最後で吐血したのが相当に悔しいらしい。
「ん?」
士郎は再び遥か前方に砂塵が上がっているのに気づいた。またかとうんざりするが、どうにも様子がおかしい。沖田は大人しくなる。マスター、またですか? そう訊ねる沖田は下ろして欲しそうだった。士郎は彼女を下ろすと、鷹の隻眼を凝らす。
追っているのは、例の如くケルト戦士。逃げているのは――明らかに重傷を負っている民間人の御者。馬車の手綱を握り、馬に必死に鞭をやりながら逃走していた。
「……一旦止まれ」
自身の率いる群衆を止め、士郎は嘆息した。百人そこそこの戦士が人を追っている。様子からして馬車には他にも怪我人がいるのかもしれない。
「助けに行く。ここで待っていろ。カーター、隊を纏めておけ」
「了解」
士郎は返事が返ってくるのも待たず、身体能力を強化して駆け出している。
また要らない苦労を増やそうとしてる……そう沖田は呆れるも、苦笑して自身のマスターを追った。この調子だと大名にでもなっちゃいそうですよと思いながら。
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