人理を守れ、エミヤさん!
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
士郎くんは一人のために、士郎くんは皆のために
助け出したのが実は著名な偉人であったとか、実は高名な軍人だったとか、実は幅広い知識を有する識者であったとか、そんな事はまるでなく。救出したのはとりたてて秀でたもののない、極々普通の民間人であった。
「なんでもっと早く助けてくれなかったんだ!」
――そして。極限状態から解放された故の、軽い興奮から。心が強かったわけでもない青年は、八つ当たりと理解していても士郎にきつく当たる。
「なんで、なんで!? なんでだよッ! エマもシャーリーも皆死んだ! 殺されて、おれだけが――おれとチャーリーだけが……!」
咽び泣きながら士郎に殴りかかる、二十歳そこそこの青年、イーサン。彼は溜め込んだ鬱憤を晴らすように泣きじゃくっている。
「愚図! 糞野郎! ノロマ! そんな強いんならなんで!? なんでだよぉ! ふざけんなぁ! もっと早く助けに来いよ!」
無茶苦茶だ。全部お前のせいだと遮二無二に拳を振るイーサンに、士郎は沈痛に目を伏せ、一度だけその拳を受ける。
痛くはない。素人が闇雲に叩きつけてくるものに苦痛を感じるほど柔ではない。しかし、その一度だけ顔に受けてやっただけで、後は全てはたき落とし。最後にはその拳を手で受け止めた。泣きわめくイーサンに、士郎は言う。
「すまないとは言わない。俺が助けられるのは、俺の目の届く範囲にいる奴だけだ」
「分かってんだよそんなこと! だけどなぁ、おれは――」
「そしてどんな理由があっても、一発は一発だ、イーサン」
手の甲を平手のように振るってイーサンの頬を強かに打つ。撥ね飛ばされたように地面を転がった。呆然とするイーサンが、士郎を見上げる。
その視線に下ろされるのは、憐憫を隠した冷淡な鋼。押し潰されそうな鉄の如き瞳。ひっ、と青年が怯える。その胸ぐらを掴み、腕一本で引き摺り上げた士郎は、イーサンの目を覗き込んだ。
「お前の癇癪に付き合ってやる気はない。嘆くのはいい、悔やむのもいい。だが他者に当たってどうする。俺はお前の親父でもお袋でもないんだ、甘えるな。愁嘆場を演じて『俺は可哀想だから何をしても許される』とでも? 悲劇を免罪符にするな戯け」
手を離し、イーサンを軽く突き飛ばす。よろめいて尻餅をついた彼を捨て置き、士郎は天幕のついた馬車の中に入る。
そこには重体の青年が横たわっていた。イーサンも血塗れだが、それは彼自身の血ではない。恐らく身近にいた人が斬り殺され、その血を浴びてしまったのだろう。翻るにこのチャーリーというらしい青年は深刻な状態だった。
士郎は軽く隻眼を見開き、即座に駆け寄って彼の体に触れる。同調開始と呪文を唱え、彼の体の設計図を読み取る。
必要な処置を把握し士郎は冷静に包帯や糸、針、ガーゼやビニール手袋などを投影する。
チャーリーは手足が冷たく、湿っており。顔は青く、目がうつろ。表情もぼんやりとしている。腰に括りつけていた水筒を開けて自身の手を清潔に洗い、手袋を嵌めながらイーサンを呼んだ。
「イーサン! お前のツレが死にかけている、処置してやるから早く来い!」
慌てて馬車の中に飛び込んできたイーサンに、ビニールの手袋を嵌めさせ、ガーゼでチャーリーの左上腕部の深い傷を押さえさせた。
「心臓より高い位置に上げておけ」
それだけ言って、士郎は彼の右の大腿部にある裂傷に水をかけ、出来るだけ綺麗にしてから縫合を始めた。
麻酔なんてない。苦痛に歪むチャーリーの顔。しかし意識がないのは幸いだった。ものの一分で傷口を塞ぐとガーゼを貼り付け、包帯を巻く。次に骨折しているらしい左脚にタオルを巻き付けて添え木をし、止血などを終える。
「……血を流し過ぎだな」
ぽつりと溢し、折角泣き止んだのにまた泣き出しそうなイーサンを横目に、チャーリーの脈を再度図る。脈が弱い。不意に、彼の呼吸が止まったのに気づく。
気道を確保し、人工呼吸で酸素を吹き込み、心臓マッサージをする。その繰り返しでチャーリーは辛うじて息を吹き返した。士郎はアゾット剣を投影する。その剣は遠坂凛のものではなく、ギルガメッシュの王の財宝に秘められていたものだ。つまり錬金術師パラケルススの魔剣である。
厳密にはそれそのものではない。しかし似たような効果はある。パラケルススの魔剣の柄頭の玉には癒しの力がある……気休めにはなるだろう。それをチャーリーに包帯で括りつける。
「イーサン」
「あ、ああ……」
「コイツをずっと見ていてやれ。もう俺にやれる事はない。容態が変化したらすぐに声をかけろ」
三頭の馬が牽く、それなりに大きな馬車の御台に座り馬に鞭をやって走らせる。自身の率いていた群衆の許に向かうと、そこで士郎は一兵卒のヘルマンに声をかけた。
「ヘルマン、誰か馬車を操れる奴を知らないか」
「は……自分は知りません」
「そうか……春、カーターを呼べ」
「はい」
ワープしたように瞬間移動する沖田を見て、縮地は便利だな、俺も出来るようになりたいと士郎は思うも、無理なのは分かっていた。自分にその才能はないと弁えている。
カーターが駆け寄ってくる。彼にも訊くが、やはりそう都合よく馬術や馬車の操術を修めている者はいなかった。カーターを除き。士郎は馬術をエーデルフェルト家で学ばされたから、辛うじて乗れる程度であるし、馬車の手綱捌きも拙い。
「カーター、女と子供達の中で、特に体力のない者を選んで馬車に乗せろ」
「了解しました」
「それとな、三頭の馬で馬車を牽いていたが、二頭だと何人まで乗せて走れる?」
「およそ七名かと。それでも、最大速度は落ちます」
「分かった。中に二人いる。小柄な連中を五人乗せてやれ」
言って、馬車から真ん中の黒馬を放した。
轡と鐙を投影して掛ける。馬の首筋を軽く撫でて跨がった。……何年も馬に乗っていなかったが意外となんとかなる。ルヴィアには今度、感謝しないとな……と士郎は一人ごちた。
人に慣れた馬だ。よく鍛えられている。かなりの距離を走っているだろうに、まだ余力があるようだった。労りながら手綱を操り、集団の先頭に戻ると士郎は声を張り上げる。
「出発だ!」
上体を倒して黒馬の首にしがみつき、水筒の上半分を割って、それを馬の口に近づける。頭がいいのだろう。理解したのか小さく口を開けた黒馬に水を飲ませてやった。
水筒を捨てる。どうせ投影品だ、消えるだけだが――返す返すも思う。己に投影魔術が……正確には固有結界だが、その力があってよかったと。極めて便利で、汎用性が高い。この力がなければとっくの昔に死んでいた。
自分の後ろに沖田を乗せる。沖田はサーヴァントだ、騎乗スキルは最低ランクだが、相乗り程度は問題ない。「なんか、すっごく恥ずかしいんですけど……?」沖田の文句は無視した。士郎としては体を密着させるおんぶよりも、こちらの方がずっと精神的には平和なのだ。
時折り馬車の方に近づき、イーサンに声をかける。ツレの様子はどうだと。大丈夫なようです、と初対面時とは打って変わってしおらしく、大人しい声で応答があった。どうやら彼も落ち着いたらしい。ひどく申し訳なさそうだ。
それから八時間、休憩を挟みながら只管歩く。陽が昇り、中天に差し掛かる。疲労が早くも滲み始めた彼らを見渡し激励した。
「もう少し頑張れ。あと1㎞歩けば河がある。そこで一時間の休憩を取る。飯にしよう」
最後の力、というわけでもないが。飯という言葉に釣られて奮起する群衆を護衛する。
やがて河まで来る。進行方向に横たわる河だ。橋を渡らねば対岸には進めない。しかし橋は落とされていたが、特に問題ないと士郎は言う。例の巨大な剣を橋の代わりに足場に出来るのだ。
兵士達が食糧を回す。貧相なものだが、不満は出なかった。私語も許され、思っていたよりも和やかに食事が始まる。士郎は意外に思うが、この時代の民衆は士郎の想像よりも強かだったというだけの事だろう。
士郎は黒馬から降り、河の水を飲む彼――いや彼女か。牝馬の首を撫でてやる。鬣を整え、脚の手入れも不馴れながらもなんとか不快に思わせずにおこなった。体を水で濡らした手拭いで拭いてやる。見ればカーターは手慣れた所作で二頭の馬の世話をしてやっていた。
ふと思い付いたかのように、士郎は赤い布を投影する。丁度手拭いのようなものを、321枚。
それを手近の兵士数名に渡した。
「全員に配れ。一人一枚だ。体の何処かに括りつけておけ。同志の証だ」
薄く笑みを浮かべながらそう言うと、兵士達は照れ笑いを浮かべて仲間達に赤布を配り始める。
バンダナとして額に巻いた聖骸布を外し、自分も汗を流す。そろそろ臭くなってきた頃だと自覚はしていた。裸になって体を洗い、髪の汚れを落とす。それから再び服を着ると手早く飯を食い、外していた眼帯と聖骸布を装着する。
皆が思い思いに河で体を洗ったりしている。上流の方に行き、水筒に水を入れたりするのも忘れていない。
「出発するぞ」
一時間の休憩を終えると、再び進発する。
「次に落ち着ける場所があれば、そこで今日の行軍は終わりとする。隣り合った者と助け合いながら歩け」
兵士達は赤い布を腕に、頭に、或いは首に掛けていたりした。同じものを身に付ける事で、仲間意識が深まっているのだろう。特に、若者ばかりの軍だ。そうした心理に影響され易い。
黒馬に跨がる士郎の視線は高い。士郎は慎重に彼女の体を調べ、魔術的な同調に努めていた。何せ全力で走れば自動車並みの速度を出せる士郎の方が速いのだ。馬に乗ってもメリットが視線の高さだけというのは些か物足りない。
彼女に強化の魔術を掛けられたら、それこそ疾風のように走ってくれると期待できる。といっても自分にならいざ知らず、自分以外の生物に強化の魔術を掛けるのは至難の業だ。士郎の魔術の技量だとかなり厳しい。
故に裏技として霊的パスを繋げようと試みている。それが繋がれば、強化魔術の難度は格段に下がるのだ。何時間もずっと一人、四苦八苦しながら模索していると、漸く黒馬とパスを繋げられた。
「……遠坂に見られたら、『三時間も手こずるとか相変わらずのへっぽこね』とか言われそうだ」
相変わらずの技量に士郎は落ち込んだ。気を取り直して黒馬が嫌がらないように、そっと魔力を流す。びくんと体を跳ねさせた彼女を宥めるように首を撫でてやり、針の穴に糸を通すように慎重に魔術を掛けた。
成功、は――した。軽く腹を蹴って走らせてみる。と、瞬間的に士郎は振り落とされた。
稲妻のように走った黒馬の速度に面食らってしまったのだ。思わず笑ってしまう。一人黒馬の背に取り残された沖田が「ひゃぁあああ!? マスターのばかぁぁぁ――」と残響を残して彼方に走り去ってしまう。士郎は声をあげて笑った。落馬の際にもきっちり受け身は取っていたから怪我はない。
「まぁすぅたぁ?」
「ははははは! いや、すまんすまん。予想してたよりずっと速くてな」
「すまんじゃありませんよ!? 私まで振り落とされて、この仔が止まるまでずっと追い掛けて、それから乗ってここまで帰ってきたんですからねコフッ?!」
「怒鳴るか吐血するかどっちかにしろよ」
口から血を吐いて黒馬に寄り掛かった沖田に苦笑する。黒馬が士郎に顔を寄せ、ぺろりと湿った舌で顔を嘗めてきた。自分の身体能力が著しく上がった原因が、本能的に士郎だと分かっているらしい。今の快走がお気に召したらしく、またやれとせっついているようである。
擽ったい。士郎はこそばゆさを堪えながら再び馬に乗る。沖田を自分の前に座らせ、腕を回して手綱を握った。
やがてまたも森が見えてくる。日は斜陽に差し掛かり、今夜はあそこで夜営だなと思っていると――不意に兵士の一人が大声で報告してきた。
「BOSS! 後方を!」
「だからBOSSは止せと――」
士郎は言いながら後ろを見る。すると、其処には大きな砂煙を上げながら進軍してくるケルトの戦士団がいた。
舌打ちして眼球を強化して陣容を検める。見たところ数は五百余り。雑兵ばかりなら始末は楽なものだと多寡を括っていると……士郎は顔色を激変させた。
「カーター、全員を指揮して兎に角走れ!」
「BOSS!? 迎撃は――」
「サーヴァントがいる! 四の五の言わずにいいから走れェッ! お前達は邪魔だ!」
敵軍の先頭にいるのは。
白馬に跨がった金髪の青年である。
手には槍。優美な美貌の持ち主で。剣としての属性もあるのか、解析は容易に出来た。
敵サーヴァント。真名はフィン・マックール。アーサー王伝説の円卓、その原典とされるフィオナ騎士団の長。
彼だけではない。その背後に付き従うようにして走る、美貌の双槍騎士もいる。フィンに従う二本の槍の騎士となれば、『輝く貌』のディルムッド・オディナだろう。サーヴァントが二騎も……最悪だ。
カーターは血相を変えて指揮を取り、一団を走らせ始める。
士郎は歯噛みした。距離が近い。このままでは追い付かれる。いや、絶対に追い付かれる。そうなったら終わりだ。鏖にされる。足止めするしかない。是が非でも。
やれるのか。自分と、沖田だけで。いいや、やれるのかじゃない。やるしかないのだ。
しかし士郎は、そこではたと気づく。逃がしたはずの群衆の内、二個小隊が残っていたのだ。
「何をしている!? 早く逃げろ!」
「逃げません! BOSSだけ置いて逃げるなんて、絶対出来ません!」
「馬鹿野郎ッッッ! ……クッ、今更逃げられんか……!」
怒鳴り付けるも、今更逃げても無駄だった。あらゆる煩悶が士郎を苛む。死ぬ、ほぼ間違いなく死ぬ。こんな所で、彼らを巻き込んで死んでしまう。士郎は有らん限りの敵への罵倒を呑み込んで号令した。するしかなかった。
「――銃、構え! 吐いた唾は呑めないぞ、莫迦どもが……ッ!」
「BOSSの為に、ひいてはこれから先、BOSSが助ける人々の為に、おれ達は死ねます! だから……!」
「軽々しく何かの為に死ねるなんてほざくんじゃないッ! だが――! グッ……すまん……! お前達の命を、俺にくれッ!」
「了解!」
兵士達の上げる気炎が一致していた。
苦渋の滲む士郎は、その魂の炎が余りにも悲しくやるせない。誰一人死なせない――その誓いは余りに儚く、果たせないと知っていても割り切れなかった。だが、だからこそ……。
「ただでやれると思うな、フィオナ騎士団……! 俺達の命は、易くないぞ……!」
迫り来る敵影の迎撃に、士郎は自らの全智全能を振り絞る。
「春、最悪令呪を使う。第二宝具の使用も許可する。白馬に乗ってる奴がフィン・マックール、双槍の騎士の真名はディルムッド・オディナだ。奴らを任せる。少しでいい、一人で奴らを抑えてくれ」
「承知。我が剣にて敵を穿ちます」
英霊として、二騎の騎士は沖田総司よりも遥かに格上だ。だがそれでも、沖田は欠片も怯まずに応じた。
虚弱な身にそれは至難だろう。だがそれでもやらねばならない。天才剣士に悲愴さはなかった。まずは雑魚から片付ける、士郎はそう決断し。
――敵も全く同じ事を考えている事が、衛宮士郎という存在へ最悪の事態を招く。
戦いが、始まる。
ページ上へ戻る