人理を守れ、エミヤさん!
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士郎くんの戦訓 3/5
麗らかな日差しに微睡んでいると、なんでもない日々の尊さに感じ入れる。
木の枝に遮られた木漏れ日が、平凡な宝石のようで。激動の日々に疲弊していた心身を癒す。
何もない土地だった。風光明媚と言えば聞こえはいいが、自然の中にある都市に名物となる観光名所があるでもなし。他者の目を引くような特別な催しがあるでもない。
故に閑散としている。しかし寂れている訳でもない。生まれ育った者にとっては退屈で、いずれは巣立つだろう土地だった。
子供は少なく、若者はそれなりの、年寄りばかりの街。時の流れが酷く緩やかで、士郎はそれを気に入った。恐らく岸波一家の夫妻もそこを気に入り、この都市に滞在しているのだろう。
『あ、いたいた! しーろーうーさーん!』
何をするでもなく木の陰で地面に横たわっていると、士郎を探していたらしい少女が駆け寄ってきた。
何が楽しいのかにこにこして、士郎の傍にやって来たのは栗色の髪を背中まで伸ばした、小学生高学年ぐらいの少女だった。
その容姿には取り立てて特徴といったものはない。しかし充分に愛らしい、稚気と快活さを持った爛漫な少女だ。彼女は士郎の傍まで来ると、士郎を真似るようにダイブして、士郎の腕に頭を乗せた。
『何か用か、白野』
甘んじて腕枕を受け入れ、士郎がそう言うと、白野はごろごろと喉を鳴らした。
『んーん。特に何もないよ。何もないから来たのだ』
『なんだそれ』
苦笑する。確かに子供にとっては、本当に何もない故に退屈だろう。その何もないというのが、得難いものだと云う事をまだ知らないから。そして出来れば、知らないままの方がずっといい。
『日向ぼっこー』
『……』
暇と体力を持て余し、ごろごろと転がる白野が士郎の腹に頭を乗せた。そして目を瞬く。
『固い!』
ぼす、と頭を上下させて腹筋の感触を確かめる白野。士郎は呆れた。
『……構ってほしいのか?』
『うん。構えー、構ってー』
『……』
黙っていたら物静かな印象なのに、口を開けば活発な性が顔を出す。そんな白野に士郎は嘆息をして上体を起こした。
木の幹に背を預ける。白野は士郎の膝に転がっていった。丁度いい位置を探り、膝枕をする。それだけで無邪気に笑う様に、青年は微笑んで頭を撫でてみた。くすぐったそうにする少女は、ふと思い出したようにねだってきた。
『ね、士郎さん。お話しして、昨日の続き!』
『俺の語りは退屈だろうに』
『娯楽のないこの街は、わたしには退屈過ぎる。なので士郎さんの語りは充分楽しいのだ』
裏を返せば他の娯楽があれば訊かないと云う事でもある。語るに落ちる素直な告白に嘆息一つ。記憶を掘り返して、昨夜の夕餉前まで話していた伝説を話し始める。
アーサー王伝説だ。それ以前にも、多種多様な神話や、歴史上の偉人についても語って聞かせていたが、どうやらこの白野はそういった方面に興味があるらしい。ゆくゆくは歴史学者かなと思いながらも、とっておきの話をした。
『――白野は知ってるか? アーサー王は実は女性だったんだ』
『え? またまたそんな……冗談きついよ』
白野は苦笑いする。まるで信じていないが、それも当然だろう。薔薇の皇帝やらフンヌの王、日本で言えば源氏の頼光や義経、織田信長やら沖田総司が実は女だと言っているようなものだ。有り得ないだろう、士郎の主観では特に源氏二人と信長と天才剣士とか。
『そして物凄い健啖家で、不老だったから容姿は十代半ばの少女のそれだったんだ』
『ぷふっ!』
『お国の雑な料理に胸を痛め、円卓の騎士にはぶられて涙目になってたりするんだ』
『あははは! なにそれ! ないない、そんなの絶対ないって!』
分からないぞ、と。まだまだ青さの残る顔つきで笑む青年を、微妙そうな目で見詰めるアルトリア達である。
しかし何も言わなかった。語る士郎の目が、ひどく懐かしげな光を湛え、心の内が穏やかだったからだ。白野は信じなかったが、士郎の噺を面白そうに聞いている。
『――歴史から学べるものは多い。だが其処に居た英雄や偉人の生き様、偉業から学べるものは一つしかない』
『一つだけなの?』
『ああ。俺の考えだがな。だって彼らは天才だったり、特別な生まれだったりする。そんなのは真似できないだろ? 追えるのは結果だけ、過程を踏むのは学問でしかない。俺のような凡人にその軌跡をなぞる事は出来ないだろう。だから学ぶべきは諦めない事だけだ』
『諦めない事……』
『例え伝説の英雄、時代を代表する天才であっても、苦難に見舞われない訳じゃない。挫折しない訳でもない。彼らは皆、才能の如何に拘わりなく絶対に諦めなかった。その体よりも心が強かった。才能や血筋は真似できないが、その心の在り方だけなら辿る事は出来る。だから白野、ここぞという時には、絶対に諦めるな。世の中には理不尽な事ばかりだから、人間一人じゃどうしようもない事は沢山ある。だがそれでもと言い続けろ。諦めない限り、生きている限り、絶対に道は拓けると信じるんだ』
本人に自覚はないのだろう。しかしその言葉には、途轍もない重みがあった。
それこそ人生経験の浅い少女にどう響いたのかは判じようがない。だが白野は頷いた。それはとても大切な事のように思えたからだ。
士郎は冗談めかして相好を崩す。
『ま、場合によりけりだがな。時には諦めも肝心だって言うだろ?』
『……なにそれ』
可笑しそうに、白野も頬を緩めた。
とりとめもない会話は夕暮れまで続いた。士郎は白野を両親の泊まる宿に送り届け、彼らと卓を囲んで夕飯を共にした。白野の両親とも打ち解けていて、互いの連絡先を交換し合うほどだった。
その席で士郎は云う。そろそろここを発とうと思っています、充分休んだので、と。白野はごねた。一緒にいてと。だが士郎はまた会えるからと繰り返し説得して、彼らとの別れを惜しみながらもその街を出た。
思い立ったら、時間帯に関係なく動く。士郎の癖だった。
街を歩いて出る。元々目的の地はなかったのだから、隣街まで歩いて、そこでタクシーなりバスなりに乗ろうと思っていた。
――いい街だった。いい出会いがあった。いやどこに行っても出会いは必ずある。彼ら一家との思い出を胸に抱けば、善き営みの思い出に勇気を貰える――
二時間ほど歩いただろうか。
辺りはすっかり暗くなっている。人気のない道だからか、車が通りかかる事もない。
道沿いに歩いていると、不意に士郎の所持していた携帯電話が着信した。
見ると、着信相手は岸波夫妻の旦那である。なんだろうと思い電話に出る。すると――
『――助げ、でよぉ! じろうざッ、』
ヅ、と。
それだけで、通話が途切れる。
『――』
なんだ、今のは。白野の、声?
真に迫る、魂を削る懇願。悪戯なんて可能性は絶無だ。涙に濡れた、幼い悲鳴に偽りはない。
咄嗟に元来た道を振り返る。夜、その空は綺麗な星光に輝いていたのに、振り返った先の空は、冒涜的な紅蓮に染まっていた。
強化の魔術を眼球に叩き込む。心臓が一際強く脈打った。正確に見て取れる距離ではない、しかしそれは、嫌になるほど目にした事のある――戦火である。
判断は刹那。行動まで一瞬。
無駄な荷物はその場に捨てた。革の鞘を投影し左右の腰に交差する形にする。そこに投影した干将莫耶を差し、それを隠すように灰色の外套を投影する。そして大口径の拳銃デザートイーグルと対物ライフルを投影した。
剣ではない故に通常よりも魔力は食うが、宝具ではない故に負担は然程ない。脚を強化し全力で走り出す。士郎の冷徹な部分が確信していた。
間に合わない、と。
――それは突然だった。予兆も何もない唐突さだった。
長閑なその街に現れたのは、黒衣の男達。十字架を首に提げた、無慈悲な断罪者。時代錯誤な騎士団がいる。彼らは呆気に取られる住人を前にするや――殺戮を始めた。
街に火を放ち、住人の浄化を始めたのだ。
成す術なく、殺められる人々は、混乱して逃げ出した。しかし街は包囲されている。逃げ場はなく、点在する十字架の黒衣や騎士達、そしてそれとは違う学者然とした者達が人々を殺害し、燃やしていく。
『――この街に逃げ込んだ死徒は見つかったか』
『いえ、未だ』
『祖に迫る不死性を持つと云う。逃せば後々の禍根となるのは必定。ここで滅するぞ。この街を滅ぼしてでも』
そんな会話が成されている。だがそんなものに耳を傾ける余裕は誰にもあるまい。逃げ惑う人々は訳も分からぬままに切り裂かれ、焼かれ、滅されていく。
誰が噛まれているか分からない故に。疑わしきは滅ぼす、殄勠の命が下っている故に。
浄化が進む。長閑な街が、死都となっていく。
その紅蓮を、目に焼き付ける人々がいて。人の死が、心に焼き付く者がいた。
必死に息を潜め、隠れる者もいる。だが――巻き込まれる。元より逃げ場などない。死徒を見つけたぞ! その声に続々と参じる聖堂騎士、単独の群れから成る代行者。漁夫の利を得んとする魔術協会の蒐集者達。
代行者の一人を引き裂き、一個の吸血鬼が死に物狂いで血路を拓いて逃走していた。
死闘が繰り広げられる。精鋭であるはずの聖堂騎士や、魔術師達が犠牲を払いながら死徒を追い立てていた。着実に追い詰めていく。やがて死徒は衆寡敵せず、多少の損耗は度外視して逃げの一手を打った。
結界に囚われる訳にはいかぬ。彼もまた必死であり。自らの傷を癒す為に餌を求めた。
逃げ惑い、隠れ潜んでいた幾人かの無辜の住民をその場で喰らい、己の養分とする。そして自らの手足である魔獣を使役し非常食を確保した。囲みを突破し死徒が逃げ去る。殺戮者達がそれを追う。一団を指揮する者に、或る者が問い掛けた。どうしますか、と。その問いの意味は。
『浄化せよ。この街は、既に穢れている』
誰が噛まれているか分からない。故に根刮ぎ滅するのみ。
一部の精鋭が死徒を追った。残された聖堂騎士らが浄化の炎を掲げる。
隠れ潜んでいた者は、止まらぬ殺戮に絶望していた。こんな所で、こんな訳もわからないまま死んでしまうのか。殺されてしまうのか。
その絶望の火の海。燃やし尽くされるモノ。残骸に呑まれる。そして此処に、殺されるまでもなく火に炙られ、息絶えようとする者もいた。
『ああ――誰か、頼む……助け……』
仰向けに倒れ、虚空に伸ばされた手が、力尽きて地に落ちる。
だが、落ちる寸前。その手を掴む者がいた。
『――任せろ』
それは。
先刻別れたばかりの、精悍な顔立ちの青年だった。
火の手を放った者らの正体を、一目で察した士郎は、彼らと事を構える考えを棄却した。
しかし救える者を救わない訳にはいかない。士郎は彼らの目を盗み、時に発見される恐れが高い場合は容赦なく不意を打ち射殺した。忍び寄り、双剣により切り裂く事にも躊躇はない。
士郎は自身が保護した者を、街の外れまで運んでいた。或いは安全な地点を知らせ、自身の脚で動ける者は誘導した。今、最後に岸波夫妻を保護し、街の外れにある森に連れて行きそこに固まっていた住人達と合流する。
少ない。たったの、十名ほどか。
だがこれが限界だった。己の力の無さを悔やむも、後悔に浸る暇もない。士郎は一番重態だった岸波夫妻の旦那に応急処置を施し、彼らにここで騒ぎが治まるまで動かないよう厳命する。
彼らに、死徒に噛まれた者がいないのは確認済みだ。
これだけ組織立っての行いだ、下手に助けを呼べば犠牲が広がるだけだと説明し、決して勝手な真似をするなと言い聞かせる。そんな士郎に縋りつく女がいた。白野の母だ。彼女は今まで気絶していたが、目を覚ますなり取り乱して士郎に縋ったのだ。娘を助けて、と。士郎はそれに力強く頷いてその場を離れる。重態でも意識を保っていた白野の父に、事の次第を聞いていた。曰く、化け物に襲われたと。娘が連れ去られた、と。
迷いなど有り得ない。士郎は死徒を追った聖堂教会の代行者や騎士団、魔術協会の執行者らを目撃していた。それを追跡すればいい。その先にこそ、白野がいる。――既に殺されている可能性は高い。
その場合は最悪だ。死徒に噛まれ、直後に食屍鬼と化す事はまず有り得ない。死後すぐに活動を開始する訳ではなく、死体となった後に脳髄が溶け、魂が肉体から解放されるまでに数年をかけるのだ。そして起き上がったモノが、死徒となるのである。
故に白野が死徒として復活する事はまずないと言える。何故なら死徒に噛まれ、死んでいた場合――その遺体を、燃やし尽くすのだから。
士郎さん――白野の笑顔と、声が脳裏を過る。口の端を噛み、その結末が訪れない事を祈った。
何に祈るのか、神か、悪魔か。――いいや、違う。そんな偶像に縋る意義はない。そんな異形に甘える意志はない。祈りの対象は、白野自身だ。あの娘が生き延びられる運命に祈った。その運命が自分である。ならば、一秒でも早く駆けつけねばならない。助けて、士郎さん。そう彼女は言った。なら、助けに行くのが俺だと士郎は決めている。そう、それは――エミヤシロウだからではなくて。士郎が元来、助けを求める声に背を向けた事などなかったが故の――
死体が、転がっている。
少女の、死体。
『――』
残像を引いて、森林の中を駆け抜けていた時の事だ。士郎は咄嗟にその傍に立ち止まり、遺体を確認する。――金髪の、見知らぬ少女だった。
黒衣を纏っている。十字架を首に提げていた。白野ではない。それに安堵する己を嫌悪し、彼女の冥福を祈る。せめて彼女が信じた信念が報われるように。
辺りを見渡せば多数の遺体が散見される。年齢はまばらで男女の境もない。それらの遺体は少女同様に、体の何処かが大型の獣に捕食されたように食い千切られていた。
そして太い樹木が薙ぎ倒され、大穴を穿たれ、地面が無惨に抉られている。耳を澄ませば死闘の気配を感じ取れた。魔力の高まり、凄絶な魔獣の咆哮、立ち上る血の臭い。逃げられないと察したのか、それとも勝機を見いだしたのか、死徒が戦闘に踏み入ったのだろう。代行者と執行者が共闘している可能性がある。
追跡していた際の痕跡と、この近辺に散らばる死体の数からして、代行者・執行者の生き残りは三人か二人――或いは既に一人になっているかもしれないと感じる。
ならばそんな怪物に士郎が単独で当たったところで勝機は殆どないだろう。かといって退く事は選択肢としても存在しない。救援に来たフリーランスの魔術使いという線で、横槍を入れるのが最善だ。
ここまでで消耗していた対物ライフル、デザートイーグルの弾丸を投影し、装填。弾丸、銃身を強化し、耐久力と破壊力を向上させる。対人としては元より過剰火力なそれを、だ。
相手は物質を伴った存在。霊体のサーヴァントではない。故にこの手の武器も通用する。肉体を破壊する一点に於いては。
戦闘の現場に辿り着く。即座に周囲の状況に目を走らせながら士郎は拳銃を口に咥える。対物ライフルを両手に構え、片膝をつき、全身を強化して無茶な態勢での狙撃を行う準備に入った。
開けた空間だった。湖がある。その畔で、一人の女が戦闘を行っていた。人間の無惨な死体が二体転がっている。既に壊滅していたのか。死徒は人間の形態を逸脱し、都合三体の魔獣を使役している。本体は全長三メートル、体重三百㎏はありそうな、筋骨隆々かつ二足歩行の獅子といった姿をしていた。三体の魔獣はそれぞれ、羆、虎、大猩々である。
何故逃走を選んだはずの死徒が戦闘に突入したのか。
敗色濃厚だったからではないのか? そしてその要因がなくなったと判断したから戦っている。その要因とは? 先程と異なるのは、戦場。そして人間側の数。少数精鋭には勝てると踏んだ? この場所なら勝てると? 後者は考え辛い、流水を克服出来ない死徒が、わざわざ湖の畔を戦場に選ぶ意義がない。ならば数か。
だが質で言えば、代行者や執行者は、決して聖堂騎士団に遅れを取らない。では比較するに、代行者や聖堂騎士の違いは? ――死徒が恐れているのは討伐する装備ではなく、己を封印出来る結界を警戒しているのだろう。それほどに、己の不死性に自信があるのかもしれない。
女が軽快なステップを踏み、革手袋に包まれた拳を振るう。一閃、二閃。稲光のように鋭く迅い拳の軌跡が嗜虐心も露に襲い掛かってくる死徒の腕を弾き、顎を下からカチ上げる。
獅子を象る頭部が破裂するほどの拳撃。されど女はバックステップで素早くその場から飛び退いた。死徒は頭を潰された程度では死なないのか。瞬く間に頭部が再生する。虎、羆、大猩々の三体の魔獣が女を襲う。それらを捌きながら女は立ち回り、着実に損耗を強いる。何度死徒を殺したのか数えるのも億劫だ。しかし士郎は気配を殺したまま佇む。
女は強い、しかし魔獣らを使役する死徒は狡猾だった。女を逃がさないように常に包囲を崩さない上に、それぞれが女を遥かに上回る身体能力を持っている。この女さえ殺せれば、と死徒は躍起になっているらしい。
代行者や執行者などの精鋭を屠れば、後は烏合の衆。封印される前に聖堂騎士も屠れる自信があるのだろう。聖堂騎士団の楯と成り得る彼らさえいなければ。
しかし、女はそれでも粘る。冷徹に戦闘を押し進めている。やがて養分が足りなくなってきたのか、死徒は焦りを見せ始めた。そろそろか、と口の中で呟く。
灰の外套を肌蹴、鞘に納めていた干将を手近の木の幹に突き刺し、莫耶を虚空に溶かす。今は不要だ。そして対物ライフルの引き金に指を掛けゆっくりと銃口を定める。
女の疲弊が極限まで高まっていた。地面が死徒の血や肉片でぬかるんでいる。それに足を取られ転倒した瞬間、虎型の魔獣が襲い掛かり死徒は勝ち誇った。
その頭部を狙撃する。強化した身体能力に物を言わせた二連射は、虎の魔獣と死徒の獅子頭を吹き飛ばした。流石に頭が無くなれば、再生するまで視覚と嗅覚、聴覚は死ぬ。女は咄嗟に転がって死地を逃れ、狙撃地点に目を向けてきた。
『――援護する』
言いながら更に二連射し、羆と大猩々の頭部を吹き飛ばす。素早く後ろ手に莫耶を投影し、あたかもそれを鞘から抜き放ったようにしながら、死徒の視界が潰れている内に投擲。
『何者かは知りませんが、助かります』
冷徹な声音には、しかし微かな安堵の色があった。戦闘技術は卓越していながら、精神は張り詰めていたのだろう。故に疲弊していたとはいえ、足をとられて転倒してしまった。
死徒の頭部が再生する。怒り狂って士郎を睨む獅子頭。士郎は嘯いた。『お前が喰らった街の人間の怨みだ、此処で死ね』と。すると死徒は憎悪の滲む瞳に喜悦を滲ませ、自らの巨体の腹に手を突っ込んだ。――奇妙な膨らみがある故に怪しいと睨んでいたが。案の定か。
それは、白野だった。人間を喰らい、その養分を補給するつもりなのだろう。士郎が街の人間の怨みと言ったから、これ見よがしに見せつけながら喰らおうとしている。士郎は失笑した。馬鹿が、と。獲物を前に舌舐めずり――三流のする事だ。
白野の小さな体を、頭から食い潰さんと顎を開く獅子の後頭部に、木の幹に突き刺していた干将に引き寄せられた、投擲しておいた莫耶が突き刺さる。慮外の一撃――干将莫耶のオリジナルは対怪異に絶大な威力を発揮する。今回投影した干将莫耶は、英霊エミヤが好んで投影する物をオリジナルに近い性能にしている故に効果は莫大だった。
後頭部に突き立った莫耶に悲鳴を上げ、動きが止まる寸前に木の幹の干将を引き抜いて投擲。莫耶に吸い寄せられ獅子頭の眉間に突き刺さる。
白野を取り落とし、倒れ伏した瞬間に対物ライフルを捨て駆け出して、士郎は白野を救出した。――息は、ある。まだ生きている。生きていなければ命を、魂を喰らえない故に当然だ。安堵して気は抜かない。士郎は白野を抱えて女の傍に移動した。
『あれは――』
『俺は伝承保菌者だ』
女が干将莫耶が宝具である事を悟ると、それについて何かを言われる前に伝える。虚偽だ。宝具を投影するなどと知られる訳にはいかない。
執行者がいるという事は、この死徒は封印指定の魔術師の元人間なのだろう。知られた瞬間に、士郎もまた魔術協会に追われる身となるのは目に見えていた。まだ伝承保菌者扱いされる方がマシである。
『俺は衛宮士郎。フリーランスの魔術使いだ。あんたは?』
『私は――』
士郎の死角から襲い掛かってきた羆の頭部を女が拳の一撃で粉砕し、女の死角から迫ってきた虎の頭部を士郎が拳銃で撃ち抜く。女は名乗った。
これより先、長く共に共同戦線を張る事になるその名を。
『バゼット・フラガ・マクレミッツ。封印指定の執行者です』
暗闇故に、顔は見えなかったが。その名に、頼もしさを抱く。
『聖杯戦争の覇者と肩を並べる事になるとは、奇遇ですね』
『――こちらの台詞だ。話は後だ、奴を仕留めるぞ、バゼット!』
バゼットの死角になるように体の向きを変え、反対の手にもう一挺の拳銃を投影する。死徒がもがきながら干将莫耶を抜き、それを地面に捨てた。血走った目が睨み付けてくる。
負ける気は、まるでしなかった。
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