人理を守れ、エミヤさん!
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クールになるんだ士郎くん!
終末の角笛が吹き鳴らされた。
天地を響もすその咆哮が、およそ尋常なる生物によるものでないのは明白だ。
哭けば吹く風は逆巻く竜の尾を想わせる。それはさながら海神の如き威容を誇り、藤の花を想起させる青紫の外殻は、権能にも通ずる強大な呪いを帯びていた。
全長三十メートルは優に越す古の巨獣。遠き海に在りし偉大なる海の化身。――その名は信念。自らを信ずるモノ。自らにのみ拠って立つ単一の系統樹。嘗て自らの同位体コインヘンと戦い、これに勝利した個体だ。後に戦に長けた神霊と戦い、敗れ去ったそれは、この特異点に復活を遂げて大いに猛っていた。
それは一度は自身を屠ってのけた神霊――ボルグ・マク・ブアインを、その棘によって串刺しにし、即死させたことへの歓喜である。
自らを後押しする得体の知れない力の存在など微塵も気にかけず、ただただ海の化身は死の国に君臨した。
果てに待つものなど知らぬ。ただ存在するだけの大自然。自然への信仰、幻想の持つ神秘、象る生命の奔流――波濤の獣は渦巻く潮流を纏い、この変異特異点『死国残留海域スカイ』にて生命を謳歌する。
自らに挑む小さきもの達を迎え入れ、獣は今に謳うだろう。頭蓋に秘められたる必死の呪いを解き放ち、因果律に干渉する権能を奮って、無謀にも己を滅ぼさんとする者達を串刺しにした後に。自らで自らを讃える、勝利の栄光を。
氾濫する死霊の軍団を観測、マスターに間断なく更新されていく情報を送り、緊迫した空気の中で指示を飛ばし続ける鉄の宰相は、もはや一分の余裕もないと判断し、万能の天才にもう一方の特異点にいるマスターへ、救援要請を出すことを求めた。
果たしてレオナルド・ダ・ヴィンチは一瞬の逡巡の後に決断する。
調査の末に特定できた時代と地域、該当する神話から、対処に最適と目されるサーヴァントを、冬木から送り出して貰うことを。
白銀の騎士王とその反転存在、錬鉄の弓兵とアルカディアの狩人。そして魔術師殺しの暗殺者。送られた増援だけでは足らなかったのだ。
ケルト神話の頂点、クー・フーリンこそが、この原始の世界には必要とされていた。
「貴方は……剛胆な方ですね」
予期せぬ評価に、ん、と首を捻る。
遠くに視た海魔の群れ撃滅のため、ロマニ達の手伝いに槍兵を差し向けた所だ。
本当はクー・フーリンを向かわせる必要性は皆無であり、あの征服王とロマニだけで充分なのは承知していた。
しかしそれでも、敢えて槍兵を自分の許から離したのは、ひとえに自分とアルトリア、アイリスフィールだけの場を作っておきたかったから。
俺はこの世界に対する知識のほぼ全てを忘却したが、それでも冬木に関する聖杯戦争については正確に記憶している。それだけ色褪せない鮮烈な経験だったというのもあるが、冬木の聖杯が内包するものに、一度は呑み込まれた体験が、俺に『忘れる』という逃避を許さなかったのだ。
故にこそ聖杯の泥とそれにまつわる因縁を、俺は知悉している。
あの海魔は、聖杯に取り込まれた英霊の宝具によるもの――即ち黒化英霊の出現を示したものだ。である以上、アインツベルンであり、また小聖杯でもあるアイリスフィールが異変を察知していないわけがなく、俺はアイリスフィールにそれとなく探りを入れるつもりだった。
そのために俺はサーヴァントを傍から離し、一見して無防備であるように見せた。力関係的にサーヴァントを傍に置くアイリスフィールの方が優位であり、その精神的な優位は相手に安心と油断を招く。ある意味嫌らしい手法だが、俺からすれば油断する方が悪い。
そんなことを考えていた俺に、アルトリアは感心したような、呆れたような、微妙な声音で語り掛けてきた。
「俺が剛胆? 何を見てそう思う」
眉を落としてのアルトリアの言葉に、小心者の俺はほんの少し可笑しさを感じた。
自分のことを知らないアルトリアが、いやに新鮮に思える。それだけ深い付き合いだったのだと思うと懐く感慨も味わい深かった。
「貴方は私を前にしていながら、自身の傍からランサーを離した。異変を察知するなり下したその判断に敬意を抱きもしますが、それよりも些か不用心だとも思います」
「なんだ、そんなことか」
何を以て剛胆と称したのか不可解だったが、彼女からすれば直前まで敵対していた相手に、こうも無防備を晒すのは驚くに値したのだ。信頼するには時期尚早ではないか――俺の軽挙とも取れる判断を、高潔なアルトリアは戒めてくれている。
俺は苦笑した。俺にとって同盟を組んだアインツベルンは信頼するに値する存在だったからだ。
何せ――
「アインツベルンと俺は同盟を結んだ。であればそのサーヴァントであるお前が、俺に対して刃を向けるなど有り得ないことだ。騎士王アルトリアはそういう奴で、そのマスターであるアイリスフィール・フォン・アインツベルンも、同盟を組んだ相手の不意を突いて殺めようとはしないだろう。もしも斬られたなら、その時は俺の眼が節穴だっただけのことだよ」
もし切嗣がいたら絶対に信頼しなかったが。
ともかく、一旦味方となった相手を、信義に悖る行いに手を染めてまで斬る不義の輩ではないと俺は知っている。アイリスフィールについては、そういう人物なのだと勝手に判断したまでのことだ。
あのアルトリアがなんの迷いもなく彼女を信頼し、衒いなく戦えている時点で、彼女もまた信じるに値する。アルトリアを通しての判断だから、アイリスフィールが見込み外れの不埒な輩だったらやはり、それは俺の自業自得でしかない。
アルトリアは目を丸くして、アイリスフィールはほんのりと頬を緩めた。アイリスフィールは俺がアルトリアを通して自分の人柄を見越したのだと察したのだろう。
「セイバーのこと、よく知ってるのね」
「それはそうだ。俺と青ペンちゃんは愛し合った仲なんだから」
「はっ!?」
「あら! 面白そうな話ね、是非詳しく聞かせて貰いたいのだけど」
「ああ、それは構わない。だがその前に、」
「ええ、その前に聞かなくちゃならないわね」
俺の戯れ言にアルトリアは心底虚を突かれて挙動不審になるも、アイリスフィールと俺は含むものを匂わせて相対する。
冬の聖女の写し身である白い女は、そんな俺の態度に軽く表情を動かし、確信を持って訊ねてきた。
「……第三次聖杯戦争に参加したらしい貴方なら何か知っていそうね」
「さて、なんの話だ?」
「惚けないで」
アイリスフィールは一転して厳しく問いただして来る。
彼女の娘であるイリヤスフィールと同等の機能を獲得した聖杯である彼女は、やはりあの冬木の泥について察知したのだろう。存在するはずのない、脱落したサーヴァントの気配も。
故にこうして矢鱈と事情通な俺に探りを入れて来た。そしてその反応から、彼女は冬木の聖杯に宿る『この世全ての悪』について何も知らされていないと判断できた。
「どうして今、私の城に聖杯の気配が近づいてくるの? そして何故、こんなに悍ましい呪いを発しているの? 何か知ってるんでしょう。話して貰うわ」
「構わないとも。俺達は今や盟友、情報は共有すべきだ」
剣呑な面持ちで威嚇してくる彼女に迫力はない。いや、高貴な育ち故の威厳はあるが、ギルガメッシュやアルトリア、そしてネロや神祖を知る身としては威圧される訳もない。
言っては悪いが深窓の令嬢だった箱入り娘である。そんなアイリスフィールの厳しい目は、どことなく可愛くすら思える。いや、イリヤの母親に当たるひとを可愛いと称していいのかは微妙だが。
「俺が先程目視したのは、言ってみれば産業廃棄物だ」
「え? 産業、廃棄物……?」
「詳しく話すと長くなるから省略するが、端的に言って冬木の大聖杯は汚染されている。第三次聖杯戦争でアインツベルンが召喚した怨霊、アンリ・マユによってな」
「アンリ・マユですって?!」
その名に驚きを露にするアイリスフィール。俺は思った。アインツベルン、報連相ぐらい徹底しろよと。
最初から事情を知らされた上で参戦していたなら、途中で事情を知り心変わりする可能性も低くなるだろうに。そんなだから本来の歴史で切嗣に裏切られるのである。
なお事前に説明しても裏切られるだろうが。まあそこはそれ、もともと神霊を召喚しようと試みるにしろ、『この世全ての悪』という謎のチョイスが悪い。もっと別の、戦いに向いた、善性の、触媒の用意しやすい奴がいただろって話だ。
今でも思う。なんでアンリ・マユなんだよ、と。そんなマイナーで触媒の手配も難しい悪性の奴とか有り得ない。同じ神話に悪と対になる奴もいるんだからそいつにしとけと思うのだ。
「ぐ――」
不意に急激に魔力を持っていかれ、俺は思わず声を漏らす。
魔力の過半を持っていかれた。
ロマニの奴だ。あの野郎、豚箱に放り込まれたことを逆恨みして腹いせしてきやがったな!
なんて野郎だ、と苦い顔をしかけるも、アイリスフィール達の前だ。なんとか平静な顔を保つ。
悪いことは重なるもので、左の手首に巻き付けていたカルデアの通信機が点滅した。
連絡が入ったのだ。俺は嫌な予感に駆られつつ、それとなくアイリスフィールに断りを入れた。
「すまんが少し席を外す。話は後だ、すぐに戻るから待っててくれ」
「え……? どこに行くの?」
悪いと思いつつも無視して急ぎ足で城から離れ、樹木の影に隠れる。
そこで通信機に応答すると、写し出された立体映像は完璧な美を体現したダ・ヴィンチだった。
穏やかならぬ顔である。俺は嫌そうな顔をするのを止められなかった。
「なんだ、レオナルド。報告なら最小限で構わないと言っただろう」
『ああ、出てきたのがアグラヴェインじゃなくて、私の顔を見るなり何やら察したらしい士郎くん。朗報だ、君にはいつもの縛りプレイをして貰うことになった』
「オーケー、ちょっと待とうか。いきなりだなおい」
いつものとか言うな。分かっちゃいたが面白くもなんともないぞ。
折角危なげない戦略で最短の距離を駆け抜けようとしているんだ、もう少し待ってくれてもいいだろう……? 頼むから後二日待ってほしい、そしたらなんとかするから……。
その思いを寸でで口にせず、俺はこめかみを揉んだ。
「端的でいい、なんでそうなった」
『ネロ達のレイシフトした特異点、アンノウンの時代と地域を特定した話はしたろう? 正式名称を変異特異点『死国残留海域スカイ』とした。そこでネロ達は神霊クラスの幻想種と交戦に入ったんだけど……それがどうにも聖杯を宿してるらしくてね。聖剣を食らっても死なない、再生する、ちょー強いの三拍子で全滅まで待ったなし。撤退しようにも死霊の数が万を超えていて、カルデアに一旦戻って貰って体勢を整えようにも、ネロ達の妨害がないとこの特異点が人類史に付着して、決して定礎復元できない状態になる。戦うしかないわけだけど戦力不足だ。以上、何か質問は?』
「オルタはもう出したのか?」
『現状出せる戦力は全部出した。その上でじり貧だ。いやもっと言おう、時の経過と共に詰んでいく。どうやらここでは知恵とか戦略とかよりも、純粋な強さだけが尊ばれているらしい』
サーヴァントを全て出したということは、ネロは一人でアタランテ、アルトリア、エミヤーズ、オルタの五人を使役していることになる。
負担は半端ではなく大きいだろう。愚痴とか不服とか諸々をグッと呑み込む。言っても詮無きことだ。そんなものを吐き出す暇があるなら状況に対応するべきである。
「了解した。一旦ランサーを戻す。タイミングはそちらに合わせるが、具体的にはいつ頃になりそうだ?」
『話が早くて助かるよ。そうだね、じゃあ半日後だ。ネロにも通達しておく』
「半日後だな。ああ、そうだ。そちらにはもう切嗣は要らないだろう。出来たらでいいから切嗣をこっちに回してくれ」
『了解。こっちでもしないといけないことがあるからここらで失礼するよ』
プ、と通信が切られる。
俺は頭痛すら感じつつ、ようやくソロモンの意図を察した。
――あの野郎、こうなることも想定してキャスターに成り代わったのか?
クー・フーリンに抜けられたら戦略はガラッと変わる。だがソロモンがキャスター陣営に成り代わったことで、辛うじてだが修正は可能な範囲に収まるだろう。
全て計算づくなら流石は叡知の王といったところだが……ロマニだしなぁ。ただの偶然とも考えられる辺り、流石の威厳である。
問題は、せっかく張り切ってくれてるクー・フーリンに、どう言って納得して貰うかだ。
クソッタレなことに否とは言えない。言わせてやれない。仕方ないと受け入れる他にない。俺はどう状況に対応したものかと頭を悩ませつつ、踵を返してアイリスフィール達の元に戻っていった。
もうすぐロマニ達もこちらに来るだろう。そこで打ち合せして、知恵を絞ることにした。
混沌とする戦局に、流石に一人だけで考えられる事態ではなくなりつつあると悟っていたから。
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