適量
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第三章
だがそれでもだ、こう言うのだった。
「しかしです」
「幾ら何でもドイツ語の歌劇は」
「それは無理なのでは」
「彼にしても」
「それは聴いてみればわかることだよ、まずは完成されて観て聴くのを待とう」
その歌劇をとだ、こう言ってだった。
皇帝は完成と上演を彼が為すべき政治を行いつつ待つことにした、途中トラブルもなかった訳ではなかったが歌劇の曲は全て完成し歌劇場で上演されることとなった、ここで皇帝は自ら上演を観て聴いた。
序曲からアリア、重唱、合唱と様々な音楽がありその中でもテノールとソプラノが二人ずついてバスの歌手もいる、その彼等が中心となりドイツ語で歌われていくが。
その歌を聴いてだ、ドイツ語での歌劇なぞ出来るものではないと思っていた者は誰もが驚いた。
「これは」
「何ということか」
「これは素晴らしい」
「ドイツ語の歌劇も出来るのか」
「この様に」
皆驚愕さえしていた、多くの者が歌劇はイタリア語でしか歌えないと思っていた。だがそれがだったのだ。
ドイツ語でも出来た、このことに驚いていた。だが可能ではないかと思っている皇帝にとっては会心のことだった。
見事だと思った、だがそれでもだった。
あることに思うことがあった、それでだった。
上演を観た後で宮廷にモーツァルトを呼んだ、そのうえで素晴らしい歌劇と絶賛した。だがその後でだ。
怪訝な顔になってだ、彼にこう尋ねたのだった。
「音符の量は多くなかったかね」
「音符の量がですか」
「そう、音楽の量がだよ」
それがというのだ。
「どうもな」
「ジングシュピールの様にですか」
「あれ位ではないのかね」
「いえ陛下、歌劇なのですから」
モーツァルトは皇帝の問いににこりと笑って答えた。
「あれで、です」
「いいのかい」
「音符の量は適量です」
あくまでというのだった。
「あれで」
「そうなのか」
「はい、私は音符の量を減らすことは考えていません」
あくまでこう言う、そしてだった。
皇帝も彼の言葉にミューズの子と言われるだけのことはあると思ってそれ以上言わないことにした。ここには彼の皇帝としての度量も加わっていた。
「ならいい、ではだ」
「あの作品はですね」
「このままでいい」
こう言ってだ、その作品をよしとしたのだった。
これが後宮からの逃走、ドイツ語のはじめての歌劇が生まれた話だ。モーツァルトはイタリア語でしか出来ないと思われていた歌劇でドイツ語でのものを作った。そしてその出来はイタリア語のそれにも負けないものであった。ジングシュピールではなくドイツ語の歌劇はこの時に生まれた。モーツァルトの天才が歌劇はそして音楽はイタリア語やあの半島の者でないとないことを証明してみせると共に新たな歌劇を生み出しもした。このことは音楽の歴史において今も語られていることの一つである。音符の量は適量だったと皇帝に言い切ったこともまた。全ては歴史にある通りである。
適量 完
2018・9・4
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