人理を守れ、エミヤさん!
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曙光、されど暗雲晴れず
――見事。お前達の勝ちだ。
厳かに言祝ぐ赤色の視線に、俺は何も言えずその場に頽れた。
力が尽きた。
張り詰めていた線が途絶えた。
難業を成し遂げられた安堵に意識が切れた。
聖杯片手に大慌てで駆け寄ってくるマシュが最後に見えて、苦笑する。
相も変わらず、最後の最後が締まらない。もうちょっと格好よく終わりたかったと思うのは我儘だろうか。余力を残してスマートに片付ける……そんな終わり方もありの筈だろう。
特異点化の原因は排除した。定礎は復元し、特異点は消える。冬木を併せれば三つ目の人類史の異常が正される。
七つある内の、まだ二つだ。なのに半分もこなしていないのにこんなザマ。少しはゆっくり確実な方法で戦いに臨みたい。ギリギリなのはこれが最後だと思いたい。時間的猶予が皆無なのは本当勘弁して欲しかった。
そういえば、冬木の特異点……あれは……なぜ七つの特異点にカウントされていない? 些末な事だが、七つではなく、八つと数えるべきではないか?
意識は無くても、うっすらと体が揺れるのを感じる。カルデアに帰還したのだろう。コフィンから運び出されると、俄かに周囲が騒然とした。
――衛宮殿がまた死にかけておられるぞ!
医療班の誰かがそんな事を叫んだ。コイツは日本人だなと重たい意識の中で思う。
確信だった。間違いない。なんか後藤に似ているな、なんて――冬木で学生をしていた頃の同級生と、下らない相似点を見つけて馬鹿らしくなった。
なんだかなぁ。好きで死にかけてる訳ではないのに、死にかけてる所を見てネタに走らなくてもいいだろう。
というかカルデアに今のネタが通じる奴がいるだろうか。いなかったら不謹慎なネタに周囲はくすりともせず、ネタを口走った奴は針の筵に座らされる事になるだろうに。馬鹿だなぁ。ほんと……馬鹿だなぁ。
「……」
ふと気がつくと、染み一つない白い天井を見上げていた。
清潔な空間だ。病的なまでに。
きっと医務室だろう。ここで眠っていたのはこれが二度目だった。
なんとなしに右手を持ち上げる。手を握ったり開いたり。なんの問題もなく動作するのを確かめて、次は左腕を動かそうとした。
――動かない。
「……」
視線をやると、椅子に腰かけたマシュが、俺の左手を握ったまま縋りつくようにして眠っていた。
デミ・サーヴァントとして武装した姿ではない。カルデア局員としての制服を纏い、いつかとても似合うと誉めた眼鏡を掛けている。
過酷な旅路だった。荒事や行軍に慣れていない少女には、精神的にとても辛かっただろう。なんだか起こすのも悪い気がしてそのままにしておく事にした。
すぅ、すぅ、と一定の寝息をたてる、ずれた眼鏡の奥に見えるマシュの寝顔がなんだか可愛い。やはり眼鏡はいい文明だなと改めて確信する。
左腕に感覚はある。しかしそれは、とても鈍い。
傷の具合からして、俺が医務室に運び込まれ一日といったところか? 流石に何も無しとはいかなかったが、五体満足で帰ってこられたなら上等だろう。
「目が覚めたのですね、シロウ」
気配を感じなかった。頭の芯がボケている。
右側から声がしたので釣られるようにそちらを見ると、そこにはマシュと同じ白衣を纏ったアルトリアがいた。椅子に腰掛け、穏やかな面持ちで俺を見ている。果物ナイフでリンゴの皮を剥いて、自分でしゃりしゃりと食んでいた。傍らにいるオルタはぴくりとも動いていない。
彼女が現代風の衣装を着込んだ姿を見るのは初めてではない。しかしその格好は些か予想外であった。思わず目をぱちくりとさせると、何故かハッとして、アルトリアは大慌てでリンゴを隠す。
その様が可笑しくて、俺は不用意に口を滑らせてしまった。
「……なんだ、普通の女の子みたいだな」
な、と開口一番の不意打ちに、アルトリアは頬に桜を散らして押し黙った。
言ってから、しまった怒られる、と後悔した所へその反応。昔は女の子扱いされるとすぐに怒っていたというのに、どうしたというのか。
アルトリアとは少し距離を置き、こちらを見詰めているオルタは、闇色のゴシックロリータじみた格好で静止している。その雰囲気に察して、俺は問いかけた。
「もしかして、ずっと着いててくれたのか?」
二人に訊ねると、こほん、と咳払いしてアルトリアが応じた。
「ええ。シロウが倒れているとなると、私達もする事がありませんから。どうせなら着いておこうと決めて、オルタと共に傍にいさせて貰いました」
「……そっか。ありがとうな、アルトリア、オルタ」
「いえ。礼には及びません。勝手にしている事ですから」
「……本当にな。その『私』は寝ているシロウの額に唇を落とす程度には勝手だ」
「!? お、オルタ!?」
突然の暴露にアルトリアが慌てて背後を振り返った。
オルタはそんな自身を薄く笑いながら揶揄する。先の戦いの最中の事を指して。
「シロウ。余り『私』をからかわない方がいい。私はともかく、その『私』は、貴方が思っているほど慎みがある訳ではない」
「そっ、そんな事はしていません! シロウ、今のはオルタの虚言です、私はそんな破廉恥な真似はしていませんから!」
「……」
額を触ると、なんとなくされた気がする。
一瞬だけ柔肉が触れたような、触れていないような。曖昧な、錯覚と言えなくもない感じ。微笑んで、悪くない気分だよ、と呟く。
固まるアルトリアを横に、オルタに言った。
「羨ましいならオルタにもしてやろうか?」
「……何を」
一瞬体を揺らしたオルタは、半眼で俺を睨んだ。ちょっとした冗談なのに……。
「起き抜けに冗談を言えるとは、どうやら思っていたよりも元気そうですね。結構な事です。今度私の霊基を再臨する為のプログラムに付き合って貰いましょう」
「ああ。お前達の強化は必須だからな。必ず付き合う。約束する。……ところで他の連中は?」
「ネロは新規マスターとして色々な手続き、現代の常識の詰め込み等、超特急で知識を植え込まれています。アタランテはランサーに付き合い、専ら種火集めとやらに集中しているようです」
そうか、と呟く。俺が寝ていても、カルデアは変わらず大忙しという訳だ。
働きすぎて誰かが倒れなきゃいいが。特に、あの臨時司令官殿とか。
今度機会があったらゆっくりと話したい。何かあの男は俺に対して遠慮がある。その垣根を取り払って普通に付き合いたかった。誰にも弱味を見せられない立場の者同士、言い合える事もあるはずだから。
安心しきっているのか、無防備なマシュのふやけた寝顔に目をやって、淡く微笑む。
あの時。真の力を発揮したマシュの想いは真っ直ぐに俺に届いた。恥ずかしいとか、照れ臭いとか、そういう余分な感情は無い。ただ嬉しかった。その心が心地よかった。白百合のような魂に向き合える事の喜びは、きっと何よりも得難いものだろう。
上体を起こして、右手を伸ばす。ほっぺたを指先でつつくと、少女は眉根を寄せて難しそうに唸った。その様に、アルトリアも微笑み、オルタすら相好を崩す。
「守られてばかり、というのも情けない話だ。俺も、まだまだ強くならないと、な」
「貴方ならきっと、まだまだ強くなれるでしょう。私が保証します」
そりゃ心強い、とオルタが相槌を打つのに俺は応じる。アルトリアも、遠いものを見る目で告げた。
「あの赤い外套の騎士の領域に、シロウは近づいて行くのでしょう。強くなるのは良い事ですがくれぐれも御自愛ください。シロウは今や、人理を守る最後の砦のメンバーなのですから」
アルトリアの碧い瞳は俺の頭部を見ている。なんだ? と思って髪の毛を一本抜いてみると、それは白く染まって――否、正確には元の色素が抜け落ちていた。
もしかして、真っ白? 問うと頷かれ、俺は暫し沈黙する。
宝具の投影を、短期間でこなし過ぎた弊害だろう。別に死ぬ訳ではないし、肌はまだ無事だから気にしないでおく。マシュとお揃いだ、なんて笑ってみると、アルトリアは呆れたふうに嘆息した。
緊張感も無くなると、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように空気音がした。扉が横にスライドする。医務室に、新たな訪問者がやって来たのだ。
「やあ。目が覚めたようだね」
やって来たのは、ロマニ。医療部門のトップで、現カルデア・トップ。そして過労が最も嵩張る優男だ。目元にびっしりと濃い隈がある。
その窶れた顔を見ると、ゆっくり寝ていた俺が悪い奴に思えて、若干居たたまれない気分になった。ロマニはそれでも、しっかりした足取りでベッドの横まで来ると、眠るマシュに微笑みを落としてまずアルトリアらに言った。
「割り込むようで恐縮だけど、ちょっといいかな?」
「ええ、構いません。……貴方には返しきれない恩がある。邪魔はしない」
……? そのやり取りに、首を傾げる。
アルトリアとロマニは、俺が寝ている時に何かあったのだろうか。意味深な会話に、しかし深い疑問は抱かない。ロマニが俺の横に立って困ったふうに語りかけてきたからだ。
「さて。調子はどうだい、士郎くん」
「悪くはないな。ただ左腕の鈍りが酷い」
「魔術回路が焼き切れる寸前だったからね、それは仕方ないよ。寧ろそれで済んだのは幸運と言える」
脇に抱えていた鏡をロマニは俺に向けた。
……肌の色以外、赤い弓兵と瓜二つの顔。やはり鏡は見ていて愉快になれるものではない。
今のロマニはどうやらお医者様のようだ。こちらの怪我の具合、完治まで要する時間、現在の容態を詳細に説明してくれる。
その上で、彼は髪の色について触れた。
「士郎くんの髪から色素が抜けた件だけど……士郎くんは、原因は分かっているね?」
「自分のした事だ、把握はしている」
「ならいいんだ。後遺症は今のところ確認出来ていないけど……」
一旦、ロマニは言葉を切る。その上で前置きをした。
「これは医療部門を預かる者としての言葉だ。そうと知っておいてほしい」
「ああ」
「士郎くん。……もう固有結界は使っちゃダメだ」
「……」
真剣な目だ。疲労ゆえか遊びのない、直截な物言い。
分かりきっていた事である。当たり前の事を、彼は言っていた。
「固有結界。魔術の世界の奥義。使えるのはスゴいよ、それは認める。けれどキミの体は能力の割に回路が少なすぎる。サーヴァントを複数運用する身ではかかる負担を処理し切れない。今後、下手をするとキミは再起不能に陥りかねない程だ」
「……」
「……で、言いにくいんだけど、今度はカルデアの司令官として言わせてもらう。キミの固有結界はとても有用だ。能力じゃなく、結界という特性がだ」
矛盾した事を言っている。そうと弁えているからこそなのか、ロマニは気まずげに目を背けながら髪を掻いた。
ロマニの言わんとしている事はわかる。いや寧ろ言われるまでもなく有用性など知っていた。
「……敵がどれ程多くても関係ない、狙った敵だけを結界に取り込んで、こちらが数の優位を確保したまま戦闘に入れる優位性、士郎くんなら言うまでもなく分かって貰えると思う」
「まあな」
「ボクも言いたくはないけど、言わないといけない。もし今後、戦いを決めにいく時、或いは圧倒的多数の敵に囲まれた時、必要なら躊躇わず固有結界を使うんだ。タイミングは士郎くんが判断して良い」
「了解だ、司令官」
苦しそうに言うロマニに、しかし俺はあくまで軽く応じた。戸惑ったようにこちらに視線を戻してきた優男に、俺はなるべく陽気に笑いかける。
「どうした、気に病む必要はないぞ、ロマニ。お前は当たり前の事を命令しただけだ。ロマニは正しい、全く以て。反論の余地などどこにもない」
「……」
「俺は最後のマスターだった。だが今はネロがいる。つまり、俺だけが人類の命運を担っているわけではない。最悪俺を切り捨て、ネロを生かすべき状況も今後出てくるかもしれないんだ。あらゆる可能性を想定しておくのは必要なことだ」
「……そうだとしても、ボクは、そんな命令はしたくないんだよ」
絞り出すような声音だった。静かに激する瞳は、しかし気弱そうな、情けない表情に隠されている。
マシュを見下ろし、ロマニはぽつりと言った。
「キミがカルデアに来たばかりの事、覚えてるかい?」
「ああ」
「マシュが何も知らないで……いや、知識ではなく、何も体験が積めてない状態でいた事に、キミはとても怒った。一発殴られたの、今でもはっきり覚えてるよ」
「……おい、その話は済んだだろう。後、お前も殴り返してきたろう」
「殴り返せと言ったのはキミだ」
殴られた左頬を擦るロマニは、なぜか嬉しそうだった。
「それから、キミはボクやマリーに、マシュに情操教育と称して色んなレクリエーションをさせた。歌ったり踊ったり……楽しかったよ。マリーもマシュの事を怖がってたけど、最後らへんはヤケクソになって楽しんでたと思う。ボクは……不躾だけど、士郎くんのことを友人だと、思ってる」
「……」
「……マシュが今みたいに活気づいて、普通の女の子になれたのはキミのお蔭なんだ。ボクはキミにとても感謝しているんだよ、士郎くん。だから、」
「……ロマニ。それ以上は言うな」
苦笑して言葉を遮る。
彼が自分に友情を感じてくれているのは素直に嬉しい。
だがそれとこれとは話は別だ。俺だって死ぬ気はないし死にたくないが、公的には優先順位というものがある。
私的には幾らでも私情を垂れ流していいが、ロマニや俺の立場を思えばそれさえも自制すべきなのだ。
なぜなら今のカルデアは、ロマニという存在と、俺の実績によって保っているようなもの。せめてカルデアのスタッフらがメンタル面で持ち直すまで、あらゆる場面で泰然としていなければならない。
「感謝しているのは俺も同じなんだよ、ロマニ」
「え……?」
「カルデアに雇われたお蔭で人理焼却から免れた。命の恩人なんだ、お前達は。そしてこんな俺が、強制的とはいえ正義の味方じみた偉業に携われている。……形だけの、看板だけの正義の味方だが、こうしていられる事はとても幸運なんだと思う」
「……」
「だからロマニ、お前は何も気にするな。正式な雇い主はアニムスフィアだが、今はお前が代行だろう。雇われ者として最善は尽くす。だからロマニは命令すればいい。人理を守れ、エミヤさんってな」
「……分かった」
後ろめたさのようなものを隠しながらロマニは頷いた。
カルテを纏め、ロマニは数瞬、俺を見て。
何かを言いかけ、酷く迷う素振りを見せた。だが、
「ロマニ・アーキマン」
オルタが唐突に口を開き、ロマニに釘を刺した。
「黙っていろ。それはシロウが知る必要はない事だ」
「……でも、これは」
「黙れと言った。私は気にしないし、シロウも知った所で気にしない。だから余分だ、それは。無駄な事を貴様は自己満足で口走ろうとしている。自制しろ。死ぬまで」
「……」
「当人の前で堂々と秘密事か? 余り良い気はしないな」
人間誰しも秘密は抱えているものだが、こうも明け透けにされると鼻白むものがある。
思わず呆れると、オルタはそっぽを向いた。
アルトリアは何も言わない。ロマニも気まずそうだ。
はぁ、と嘆息する。
「そんな重苦しい顔をするな。よく分からんが、俺が知ってもどうしようもない事なんだろう? なら言わなくて良い。そこのところはお前が判断しろ、ロマニ」
「……すまない、ちょっと変なことを言い掛けたかもだ」
マシュもそろそろ起きそうな気配がする。俺はそれで、と本題に入る事にした。
「で。何しに来たロマニ。スタッフを使わず、わざわざ自分で俺の所まで来た事情を言え。どうせろくでもない事だろうけどな」
「……お見通しか。流石だよ」
「何が流石だ、そんなあからさまに何かありますよって面しておいて」
もう苦笑すら出来ない。本当、忙しないなと思う。
体調は万全ですらないのだからトラブルは勘弁してほしいなと心から願った。
が、無常。現実は残酷である。
意を決したロマニが、重苦しく言った。
「新たに特異点が二つ観測された」
「………………なに?」
「二つの、七つの特異点とは別に、人類史の歪みを発見した」
「……………………」
アルトリアを見ると、目を逸らされた。
天を仰ぐ。神よ、どうか殴らせたまえと呟くしかない。
ロマニは言った。
「ついてはカルデアは、それぞれの特異点に衛宮士郎、ネロ・クラウディウス両名をレイシフトし、同時に特異点をなんとかする事になった」
「………………いつ?」
「三日後」
「……………………」
俺は思った。
糞過ぎるだろ、と。
しかし腐っていても仕方ない、俺はロマニに提案するしかなかった。
「新規のサーヴァントを二騎、出来るなら三騎召喚したい。至急手配するようにレオナルドに言ってくれ」
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