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人理を守れ、エミヤさん!

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それでいいのか士郎くん





 いつしか変質してしまった聖杯戦争。

 万能の杯に満たされたるは黒い泥。

 その正体の如何など、最早どうだっていい。重要なのは、この聖杯がために世界は滅びたということだ。
 度しがたいことに、この冬木に於ける首魁は我が身である。聖杯を与えるなどという甘言に乗せられて、愚かにも手を取ってしまった小娘の末がこれだった。

 ……小娘とてなんの考えもなかったわけではない。自らに接触してきた者が人ならざるモノであることを見抜き、その思惑を打ち砕くために敢えて奴の傀儡となったのだ。
 そして掴んだ聖杯を、小娘は使わなかった。
 ほぼ全てのサーヴァントを打倒して我が物とした聖杯を。手に入れることを切望した聖杯を。使わずに、何者の手にも渡らぬよう守護していたのだ。
 この変質した聖杯戦争の裏に潜むモノの思惑を薄々感じ取り、聖杯の使用は何か致命的な事態を引き起こすと直感したがためである。
 しかし、出来たことと言えばそれだけ。聖杯は呪われていた。なにもしなくとも、聖杯は膨張した呪いを吐き出し、結果として世界は滅びてしまったのだ。小娘のしたことなど、所詮は徒労。滅びを遅らせるのが精々だったのである。

 だが、すべてが無駄だったわけではない。滅びが緩やかなものとなったお陰で、『あること』を知ることができたのだ。

 この特異点は、人類史を焼却するためのもの。即ち人間界のみならず、世界そのものを焼き払う所業だったのである。
 そうなれば、たとえば人の世界より離れた幽世『影の国』もまた焼却されて滅びるということ。そして、影の国すら滅ぶということは、あの妖精郷(アヴァロン)すらも危ういということになる。
 今でこそ無事だが、2016年を境に余さず滅相され燃え尽きるだろう。そして未来に於いてアヴァロンが滅びるということは、そこにいたアーサー王もまた滅んだ、ということだ。

 英霊の座に時間の概念などない。

 死に至ったのなら、英雄は一部例外を除いて座に招かれることになる。

 アーサー王は、アヴァロンにて眠りにつく定めだった故に、死しても英霊の座に招かれることはないはずだったが、そのアヴァロンが無くなるとなると『死んだ』という事実だけが残り、英霊の座に流れていくことになった。
 それは人類史が滅びるが故の異常事態である。もしも人類史が焼却を逃れ、復元されれば、アーサー王が英霊の座に登録されたという事実も消え、アヴァロンにて眠りにつくことになるだろうが、それはまだ先の話。

 否、夢物語か。

 現時点のアーサー王は既に生者ではなく英霊として存在している。順序が逆のあべこべな状態だが、それは間違いない。
 故にこそ、この冬木に在るサーヴァントのアーサー王は、自分が平行世界の聖杯戦争で戦い、そこで得たものの記録を共有することになったのだ。

 ――よもやこの私が、な……。

 聖杯に侵され、黒く染まり、属性の反転した我が身ですら微笑をこぼしてしまうほどの驚きだった。
 まさか平行世界で自分がこの時代に召喚され、仰いだマスターを女として愛する可能性があったなど、まさに想像の埒外の出来事であったのだ。
 黒い騎士王は鉄面皮を微かに崩し一瞬だけ微笑む。だが、それも本当に一瞬だけ。騎士王を監視する者も気づくことはなかった。

 蝋のような病的に白い肌、色の抜けた金の髪、反転して掠れた黄金瞳。

 ぴくりともせず、黙って聖杯を見つめ続ける。
 その絶対悪を無感動に眺め、佇む姿は彫像のようであった。
 この特異点の黒幕とも言える存在の傀儡となって以来、ただの一度も口を開かずにいた騎士王は――その時(・・・)になって漸く、氷のような表情にさざ波を立てる。
 黒い鎧を軋ませて、この大空洞に至る入り口を振り返った。

 ――アーチャーが敗れたか。

 それは、確信だった。鋼のような気配が乱れ、消えていくのをはっきり感じたのだ。

 赤い外套の騎士、アーチャーはこの聖杯戦争で最も手こずった相手である。
 もとが大英雄であるバーサーカーは理性無きが故に、赤い弓兵ほどには苦戦せず、その他は雑兵のような英霊ばかりであった。もしもあのキャスターが槍兵のクラスだったなら最も手強い強敵と目したろうが所詮はドルイド、反転して低下したが、極めて高い対魔力を持つ騎士王が正面から戦えば敵足り得るものではない。
 そんな中、英霊としての格は最も低かったであろう赤い弓兵は、徹底してまともに戦わず、遅延戦術を選択して遠距離戦闘をこちらに強いた。マスターを失っても、単独行動スキルがあるためか逆に枷がなくなったとでも言うように――魔力が尽きるまでの二日間、黒い騎士王を相手に戦い抜いたのである。

 見事である。その戦果に報いるように騎士王はアーチャーを打ち倒した。彼の戦いぶりは、それほどまでに見事なものだった。
 そして、反転した騎士王の手駒となってからは、アレが騎士王の許に寄れぬように、門番となって守護する者になることを選んだ。その在り方は、騎士王をして見事と言えるものだった。円卓にも劣らぬとすら、胸中にて誉め称えたものだ。

 そんな男が、戦闘をはじめて半刻もせずに倒されたとは、にわかには信じがたい。

 ――いや。あの男の持ち味は、冷徹なまでの戦闘論理にある。泥に侵され思考能力が低下すれば、案外こんなものか。

 加えてあの場所は、弓兵として十全に戦える戦場でもなかった。ある程度の力を持つ者なら、あの男を打倒することは決して不可能ではないだろう。
 しかし問題は、誰があの男を倒したかだ。
 唯一の生き残りであるキャスター、アイルランドの光の御子は、槍兵のクラスだったなら近距離戦でアーチャーを一蹴するだろう。あの大英雄には矢避けの加護もある。相性の良さから騎士王が手こずったほど苦戦することもなかったはずだ。
 だが、光の御子はキャスターとして現界した故に、アーチャーの弓を凌ぐことはできても詠唱できず、攻勢に回ることができなかったはずだ。しかも、黒化したサーヴァントに追われ、ゲリラ的に戦い続けている最中でもあったはず。聖剣すらも凌いで逃げ切る辺り呆れたしぶとさだが、逆に言えばそれだけで、単独でこちらに攻めかかることは出来ないはずだ。

 では、誰が。

 ――なるほど。異邦の者達か。

 暫しの沈思の末、騎士王は思い至った。人類が滅びるほどの事態、抑止力が働かぬ道理なし。されど、この滅びは既に決定付けられている。既に滅んでいるのだ、滅んだものに抗う術などあるはずもなく、必然、抑止力が働くことがあるはずもなし。
 であれば答えは自明。過去に因果なく、現在に命なしとなれば、特異点と化したこの時代を観測する術を持った未来の者しか介入は出来ない。
 異邦の者が人理を守らんがために過去に飛ぶ――出来すぎた話だ。都合が良すぎる。しかし、そんな奇跡がもしあるとしたなら……この身は試練として立ち塞がるしかないだろう。

 既に滅んだものを救おうというのなら。滅びの運命を覆さんとするのなら。――魔術王(・・・)の偉業に荷担する羽目になった小娘一人、打ち倒せずして使命を果たせるわけがない。

 ――私を超えられもせず、聖杯探索(グランド・オーダー)を果たしきれるはずもない。超えて魅せろ、この私を。

 王としての矜持か、意図して屈するような腑抜けにはならない。むしろ全力で迎撃し、これより聖杯を求めて来るだろう者達を滅ぼす腹積もりであった。
 全力の騎士王を打倒してこそ、はじめてグランド・オーダーに挑む資格ありと認められる。そう、騎士王アルトリア・ペンドラゴンは信じていた。
 信じていたのだ。

 その男(・・・)を見るまでは。







 ――弓兵を倒し、先に進んだ。

 何か物言いたげなマシュの頭に手を置き、今は勘弁してくれと頼んだ。
 嘆息一つ。仕方ないですね、とマシュは微笑んだ。困ったようなその笑顔に、やっぱりマシュはいい娘だなと思う。普通、あんな卑劣な戦法を取った奴に、そんな含みのない笑みを向けられるものではない。
 しかし、「勝つためなら仕方ないです。この特異点をなんとかしないと、人類が危ないんですから」と言われた時は、流石に閉口してしまいそうだった。無垢なマシュが、自分に影響されていくようで、なんとも言えない気持ちになったのだ。

 ――それでも、もう心は固めている。特異点となっているのが冬木と聞いた時から、覚悟は決めていた。

 進んだ先に、顕現した聖杯を仰ぎ見る。十年前に見て、破壊した運命を直視する。
 そして、その下に。
 いつか見た女の姿を認めて、俺は一瞬だけ瞑目した。

「先輩? どうかされましたか?」

 まだ、マシュは気づいていないのだろう。鷹の目を持つ俺だから先に視認できただけのことだ。突然立ち止まった俺に声をかけてくるマシュに、口癖となった言葉を返す。なんでもない、と。

 ――目が、合った。

 気のせいじゃない。黒く染まった騎士王が、黒い聖剣を持つ手をだらりと落とし、驚愕に目を見開く姿を見た時に、俺は悟っていた。
 ああ。あれは、俺の知るセイバーなんだ、と。
 理屈じゃない。『衛宮士郎』と絆を結んだセイバーじゃなくて、俺に偽られていた女なのだと言語を越えた部分で直感したのだ。
 天を仰ぐ。なんて悪辣な運命なのか。もしここにセイバーがいたとしても、顔が同じなだけの他人として割りきり、俺は迷わず戦闘に入っていただろう。だが、なんでかここにいるのは俺のよく知る騎士王だった。

「……悪く思え。俺は、お前を殺す」

 好きになってしまって。
 でも、死にたくないからと偽って。
 本当の自分を、ただの一度もさらけ出さなかった。

 ――シロウ。貴方を、愛しています。

 その言葉は果たしてこの身の欺瞞を見破った上でのものなのか。彼女が愛したのは、『衛宮士郎』なのではないか。
 怖くて聞けなくて。そして、何よりも。

 生き残る為に『衛宮士郎』を成し遂げた達成感に、これ以上ない多幸感に包まれて、彼女を偽っていた罪悪感を忘れた俺に、今更会わせる顔などあるわけがなかった。
 俺は『衛宮士郎』ではない。事実がどうあれ、俺はそう信じる。俺が『衛宮士郎』ではない証拠など何もないが、信じて生きていくと決めていた。
 だから躊躇わない。黒弓を投影し、後ろ手に回した手でハンドサインを送ったあと、マシュに戦闘体勢に入れと指示を出した。

 呪われた大剣、赤原猟犬(フルンディング)を弓につがえる。決意を固めるため、言葉を交わすこともせず、俺はもう一度、自分に言い聞かせるために呟いた。

「セイバー。――お前を、殺す」

 最低な言葉。

「お前が愛したのは、俺じゃない」

 あの思いを、否定する。

「俺はあの時の俺じゃない」

 愛した女への思いを忘れ去る。

「許しは乞わない。罵ってもいい。殺そうとしてもいい。だが殺されてやるわけにはいかないんだ。俺は死にたくない。こんな場所が俺の死に場所なわけがない」

 なんて、屑。

「俺に敵対するのなら、死ね」

 ――心を固める。魂が鋼となる。
 最後に、しっかりと言葉に出して、俺は宣言した。

「勝ちにいく。奴を倒すぞ、マシュ。俺と、お前とでだ」
「はいっ!」

 勝算はある。だってアルトリア。あの日、お前と共に戦ったことを、俺は今でも覚えているのだから。






 
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