Secret Garden ~小さな箱庭~
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『終わりの始まり編』
親が居なくとも。兄妹二人だけしか居なくとも。ヨナが幸せなら、お兄ちゃんが幸せになってくれるなら、それでよかったのに――。
「ただいま」
ルシアはいつものように家のドアを開けた。眩しい笑顔で出迎えてくれる妹の姿を期待して。
「……ヨナ?」
だがしかし期待していた妹の笑顔はそこにはなかった。あるのはがらんと開けた空間。灯りがついていない窓から差し込む月明かりしかない静かなる部屋。いつもならテーブルの上に置かれた蝋燭に火が灯り、部屋の中央にある暖炉に巻きをくべて、前に置かれた揺り篭のように揺れる椅子にヨナが座っており、ドアが開いた瞬間嬉しそうな笑顔をこちらに向ける。外から帰って来たルシアは寝てないと駄目じゃないかと叱りつつもその顔は緩みにやける。何気ないやり取りがルシアにとっての癒しであり、当たり前のように毎日やってくる幸せだった。なのに今日に限ってそれがない。
初めは大人しく自分の部屋で寝ているのかと思った。だがヨナの部屋を見に行ってみてもやはりがらんと静けさが漂い誰も居なかった。ベットを触ってみたが冷たくなっており体温は感じられない、何時間も前にベットから出て帰って来ていないようだ。
ではヨナのもう一つの居場所、台所か? そう思い部屋を出て階段を下り一階の台所へ行ってみたが此処も同じだった。月明かりで白くぼんやりと光っているだけで誰も居ない。お風呂かトイレにでも行っているのかと、ドアの前まで行きノックしてみたが返事はない。中に人が居る気配も感じられなかった。
家の中をくまなく探してみたがヨナの姿は何処にもなく、あるのは誰も居ない静けさだけ。ヨナがこんな夜更けまで外で遊んでいた事など一度もない、そもそも外で長い時間遊べるような身体でもないのだ。もしかしたら図書館に行った帰り道で何かったのかもしれないと悪想像ばかりしてしまう。ぞわっと血の気が引いていくのが自分でもわかる。息を吐く量が自然と増え荒くなり鼓動が早くなる。
「待って……もしかしたら入れ違いになっただけかも。図書館はすっごく広いから僕の知らなかっただけでまだヨナがいたのかも」
そうだ。きっとそうに違いない。自分に言い聞かせる。大丈夫、大丈夫、大丈夫……身体は弱いけどヨナはしっかりとした強い子。だから大丈夫、大丈夫、大丈夫……胸を掴みそう何度も自分に言い聞かせ歩いてきた道を戻り駆け走った。
†
世界最大と呼ばれている此処には何億冊と数えだけでも大変な数の本が収納されいる。ミトラスフィリアで起こった全ての事象が記録された書物が収納されていると言っても過言ではない。何故なら新しい書物が発掘されるたびに、誰か新しい本を書くたびに、偽物ではなく本物が何処知れずから本が送り届けられるからだ。
「こちらの本は……」
「オディーリアさん!」
司書の仕事は主に本を整理整頓すること。世界各国から集められ高いピラミッドとなっている本の山を種類ごとに仕分けていること。せっせと一人黙々と仕事をしているとまた良く知る兄妹の兄の方がやって来たようだ。今度は血相を変えて必死の形相だ。何か問題でもあったのだろうか。オディーリアはカタカタと歯車が回る音を小さくたてくるりと身体を動かし、客人と向かい合い静かに訊ねる。
「本日はどのようなご用件で?」
「ヨナが! ヨナが! ヨナ!」
気が動転しているのだろうか、見振り手ふりで何かを伝えようとしているが主語がはっきりしていない。これでは何を伝えたようとしているのか理解できない。これは一度落ち着かせた方が良いと判断したオディーリアは優しく丁寧に諭すように言った。
「落ち着いて下さいルシア様。さあお水をどうぞ」
「あ、ありがとうございます……んんっ」
「落ち着きましたか? それでは何があったのかご説明お願いします」
「ヨナが何処にいるか知りませんか? 家にまだ帰って来てなかったようなんですが……」
「いえ知りません。……そういえばお昼頃一度来られて花の図鑑を熱心に見ておられました」
「花の図鑑ってこれのことですよね?」と言いながらルシアは鞄の中から借りた花の図鑑を取り出しオディーリアの前へと置いた。図鑑が置かれるとオディーリアはペラペラとページをめくり、時間の最後の方あとがきに近いページでめくる手を止めた。そこには白と桃色の小さな花の絵が描かれており、上の方に幸福の花と書かれているようだが、この花とヨナが居なくなってしまった事になんの関係があると言うのだろうか図鑑に描かれた絵をじっと見つめているとオディーリアが答えた。
「この花の名前は胡蝶蘭。花言葉は【幸福が飛んでくる】この花を持っていれば幸せになれると信じられています。ヨナさんはこの花が何処に咲いているのか訊いてきました。そうですね、その時の顔は今の貴方と何処か似た者を感じました」
「幸福の花……? 持っていれば幸せになれる花……? まさか、僕の為にその花を摘みにヨナは!? オディーリアさん。その花は何処に咲いているんですか!?」
「花が咲いている場所ですか? ヨナさんにも説明しましたが、この花は木漏れ日が差し込むような日陰に咲いている花です。灼け付くような太陽の日差しの昨今では咲いている姿を見かける事がなくなり、幻の花と言われています」
静かに首を横に振るオディーリア。彼女の言う通りだ。砂漠のように熱い太陽の光は植物を枯らし水を涸らし人々の喉を嗄らしている。こんな状況下で幸福の花が育つわけがない……と納得しようとしたその時だった、村周辺で唯一木漏れ日が差し込むような日陰と言えるような場所があった事を思い出したのは。
「石の神殿ならどうですか!? 気温が下がっているように感じるし、人の手が入っていないから自然のままだし崩れ落ちた建物であまり太陽の日差しを浴びないからいい感じに日差しが避けられていると思うんです」
「石の神殿ですか……それは盲点でした。確かにあそこならば可能性も……」
顎を手でもちうんうんと頷き唸っている。なんでも知っている村の知識であるオディーリアが可能性あると言っているのだこれはもう正解だと言っていいだろう。ルシアはオディーリアの見解を聞く前に背を向け走り出した。
「ありがとうございました。後は自分で何とかやって見ます!」
オディーリアに礼を述べたのと扉を閉めたのは同時だった。閉じたドアを見つめぽつりと呟いた。
「胡蝶蘭のもう一つの花言葉は【純粋な愛】 ですが純粋過ぎる想いほど危険な物は何と思われます」
それは誰に向けて言った言葉。去ったルシアの背に向けて言った言葉。それとも空間に突如発生したひび割れた硝子の入れ物に入ったヒビのような無数の亀裂。ばっくりと瞼を開ける目のように開かれたそれは黒と白の渦を巻き在るもの全てを飲み込むブラックホールのよう。図書館に収納されている本と言う本を吸い込んでゆく、此処に在るものは全て吸い込んで行くそれに例外などない。背後に現れた亀裂にオディーリアは口角を僅かに上げ。
「やっと迎えが来たようですね。とても退屈で楽しい時間でした」
頬を伝う一筋の液体。彼女は自らの意思で開いた空間の中へと入って行った。無限大の本が収納されていた図書館から全ての本が奪われ、無数にあった亀裂は何事もなかったかのようにゆっくりと閉じられて消え、残されたのはがらんと空っぽになった巨大な本棚だけだったという――。
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