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Secret Garden ~小さな箱庭~

作者:猫丸
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『終わりの始まり編』

異変に気が付いたのは図書館を出てすぐの事だった。

「月が紅い……? 村が紅く染まって別の世界みたいになっているみたい……どうして……」

 生まれた時からこの村で暮らしているがこんな色をした月を見るのは初めての事だ。それに今宵は満月の日ではないはず、今宵は新月だったはず、しかし頭上に燦々と輝いているのは血のように毒々しい色をした満月、まるであの世とこの世が繋がってしまったかのように錯覚させる紅い月。ぞわりと背筋に汗が滴り落ちる……厭な予感がする……身を翻しルシアは村へと足を動かした。

 月明かりに染まり紅く染まり民しんと静まり返った家。誰かいませんか、と声をかけてみても返事はない。一軒一軒訪ね歩いて見るがやはり返事はなかった。それどころか人の気配が全く感じられず、開かれたままになっている窓から部屋の中を覗き見れば夕食の途中だったのだろうか、まだ湯気が漂う温かいシチューに香ばしい香りがするパンとその隣にワインのボトルと中身が入ったままのグラスが置かれていた。暖炉の火も燃えたままで放置されている。ほんの数時間前までは確かに人のいた痕跡だ。

「誰もいないんですか!?」

 普段絶対に出さない大きな声をあげた。覆い潰ぶされそうな不安を払うように。

「図書館でオディーリアさんと話していた数分で世界が変わってしまうなんて……まるで御伽噺(おとぎばなし)に出て来るような主人公になった気分だよ」

 ルシアが思い出したのは親のいない孤児(みなしご)の少年が偶然見かけた二本足で立って歩く猫を追いかけ町中を走り彷徨い路地裏から誤って妖達の世界へ迷い込んでしまう。少年は最初妖達に捕まり晩食のおかずにされそうになるのだが、そこへ現れた妖の王の娘であるヒロインの鶴の一声によって救出される。その礼として少年は妖達の世界に蔓延る悪を退治する手伝いをすることになり、数々の出会いと別れを繰り返しやがて少年は伝説の勇者として成長し新たな妖達の王として就任するという物語を何故か今このタイミングで思い出した。確かに紅く染まった世界は物語に出て来た妖達の町に酷似しているようにも見えなくはない。居なくなってしまった村人達、それは居なくなってしまったのではなく、ルシアが村そっくりの別世界へやってきてしまったのだと考えれば、数分で村人全員が居なくなってしまった事に説明が付かなくもない。

「でもあれは御伽噺(おとぎばなし)の話であって現実の話じゃない。そんな夢みたいなことが現実に起きるわけ……」

 ない、と言葉を続け自分を納得させようとしたその時だった。これが現実なのか夢なのか更に訳が分からなくさせるモノが目の前に現れたたのは。

グルシャアア!!

 四つ角の道に差し掛かったところで聞こえた地響きのような低い声に驚き歩みを止めた。こんな声で鳴く獣を知らない、図鑑などでも見た記憶もない、言い寄れない恐怖にごくりと唾を飲み込み曲がり角の陰に身を潜めルシアは恐る恐る顔だけを覗かせてみた。一つ角を曲がった先の光景は信じられない者だった。まるで本当に御伽噺(おとぎばなし)に書かれていたような世界に紛れ込んでしまったと錯覚してしまうくらいに。

「――――っ!?」

 うう……ああ……と低い唸り声をあげてのろのろと不自然に動いている人型をしたナニカ。どろっとした液体のような身体はコータイルを思わせる黒く光沢しており、人型とひとえ言ったがその体は不規則に動き一秒たりとも同じ姿は保てていない、少しずつ変化し進化していっているように見える。
それが一体二体三体……十、百、千、と見える範囲いっぱいにいるのだ。地面に落とした甘いお菓子に群がる蟻のようにうじゃうじゃと。うっ、と遠くから観察しているだけで胸の奥底から消化された食べ物がこみ上げてくる。口を押さえ吐き出されようとするものを必死に抑え込み、ふらふらとした足取りでその場から離れることにした。見たあれが何なのかはわからないが自分にとっていい物でない事は確かだ。味方ではなく限りなく敵に近い存在だという事はあの何も見ていない虚ろの赤い目と意思なく徘徊する不自然な動きから理解できる。

「早くヨナと合流しなくちゃ……あんな変な奴らがうようよしている状況に一人でいるのは危険だ」

 一人で胡蝶蘭(こちょうらん)を探しに出かけたヨナへ向けて言った一言であり、一人でヨナを探しに石の神殿へ向かう自分へ向けた警告。あれは危険だ。今まで狩りをする為色々な獰猛な獣達と相対してきた経験が言う、どの生物にも分類されない奴らに絶対に見つかってはいけない捕まってしまえば殺されるだけでは済まないぞ、とそう告げるのだ。奴らが居る道に背を向け走り出した。石の神殿へ行くには遠回りになる道になってしまったが、奴らに見つかってしまう危険性から考えればそこまででもない。とにかく早くヨナを見つけなければっ! その想いだけでルシアはひた走る。直線に続く民家に挟まれた道をひたすら走り続ける。息があがり心臓が痛くなってきても我慢し休憩を入れることなく走り続けた。全てはヨナの為に……だがその判断は間違っていた事をルシアは思い知らされる事になる。

 村を抜け北側にある森を走っている時だった。吐く息はぜぇぜぇと荒いものになり、走る足もよろよろとなりふらふらであっちへこっへとよろけ真っ直ぐ前へ進めず、ついには膝を付きしゃがみ込んでしまった。けほっけほっと吐き出される唾液。

「さすがに……休憩なしで村から石の神殿へはやりすぎだったかな……」

 えへへ……と零した自嘲の笑み。

「休憩はもう終わり。ヨナ……を」

 がくがくと生まれたての小鹿のようにたよりの無い膝を奮い立たせもう一度立ち上がった。顔を前へ向けると一瞬頭上が光ったように感じ、不思議に思い首を上へと動かすと紅く煌いている満月に視線が奪われた。紅く輝く満月を背景に星の無い夜空と同じくすんだ蒼い色をした円の中に白薔薇のような色の五芒星が描かれてものが大小様々空一面を覆い尽くすように広がっているのだ。見たことない紅い月の次は人でも獣でもない生物で、その次は知らない紋章のようなナニカが空を覆っているだと……狐にでも抓まれてしまったのだろうか? いや……これが現実の光景でないのならその方がどれだけましだったろう。眠り夢でも見ているのなら目覚めてしまえばいいのだから。だがどちらも叶わないだろう……頬をつねれば痛い、凄く痛い、これが夢でも幻でもなく現実のものであると教えてくれるのだから。

 
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