東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!
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邯鄲之夢 13
前書き
秋芳と京子の長い長い夢の旅路も、これでおしまいです。
中国のミサイル攻撃をしりぞけた日本はそれを機にアメリカや中国など、経済制裁を実行する国々に対して報復をおこなった。といっても直接武力を行使したのではない。
各国に存在する何万というサーバーがダウンした。
電話もメールもできなくなり、インターネットにもつながらなくなった。それだけではなく各地の発電所のコンピュータに異常が発生し、動きを止めたことで大規模な停電がいくつも同時に発生した。
それは電子式。高度な人工知能を有し、ネットの中で増殖しながら拡散し、特定の言語をもちいるサーバーだけを標的にする特殊な式神による攻撃だった。
電車は動かず、交通信号が消えたため道路はあちこちで渋滞。輸送網は壊滅し、各地で食糧不足が起き、略奪が多発した。
大統領や首相、閣僚といった一部の者らはどうにか自家発電のある建物を利用できたが、それ以外の人々は電力文明の恩恵を受けられなくなった。
電気のない、暗黒の時代に逆戻りしてしまったのだ。
人類という種そのものが伝染性の集団ヒステリーにでもなってしまったかのように混乱は飛び火し、ますますエスカレートしていった。
ドイツをはじめとした欧州各国では極右集団が徒党を組み、移民の家々を襲撃して略奪をし、南米では政府と麻薬組織が武力衝突し完全な内戦状態におちいった。メキシコにいたってはマフィアが政府を追い出して国内を完全に掌握。武装した集団がアメリカ国内に大挙して押し寄せ、アメリカは軍隊を動員して追い散らす。
中国では西北部のイスラム教徒の反乱が起こり、チベットや雲南でも少数民族が暴動を起こし、拡大の一途をたどった。ロシアでは餓死者や凍死者の数が一〇万を超えた。
日本という極東の小さな島国で起きた革命をきっかけに世界各国の政治、経済、社会は破局にむかって急斜面を転落しつつあった――。
「…………」
「――以上だ、ざっくりとだがいまの世界はそんな状態にある」
羊肉を中心とした清真料理をたいらげ、食後のモロッコティーを口にしていた秋芳と京子はこの世界の春虎の語る内容に言葉も出なかった。
「なんとまぁ、壮絶だな」
「ええ、いままでもいろんな世界でいろんなことがあったけど、こんな悲惨な状況ってはじめて」
「日本はかろうじて自給自足できているようだが、世界がそんな状態じゃあ輸出や輸入はおろか生産もままならないで、さぞかし大変だろう。外国産の物がまったくないってのも味気ないよなぁ。俺は特に舶来信仰が強いわけじゃあないがイタリア産のワイン、ドイツのビール、中国の白酒、メキシコのテキーラを口にすることができないのはさびしい」
「そうよね。イタリアのパンドーロやドイツのシュトレン、中国の鳳梨酥にフランスのシードルでスイーツパーティができなくなるのはかなしいわ」
ニューヨークでふたつのビルがくずれただけで世界経済に大きな影響が出る。
ニューオリンズがハリケーンの被害に遭ったときには原油価格が高騰した。そのあおりでインド洋にマグロ漁に出かける漁船の燃料代もはね上がり操業中止に追いこまれ、日本の食卓にも影響が出た。
バタフライ効果や風が吹けば桶屋が儲かるという言葉があるが、この世界で起きることはすべて密接なつながりがあり、世界規模の大事件が起きれば日本にも影響がおよんで個人の生活に大なり小なりなんらかの変化が起きる。
ましてや一国が紛争状態になるなど、何万人もの人間が死ぬような大災害が起きれば経済活動はめちゃくちゃになり平穏な日常なんて崩壊してしまう。
戦争になっても、小惑星が落ちてきても、まだコンビニに物があふれているようなフィクションがたまに存在するが、そのような作品はあまりにも非現実といえるだろう。
「んん? ちょっとまて。さっき食用式とか言っていたが、じゃあいま食べた料理の食材は……」
「察しのとおり天然物はほとんど入っていない。クエビコなどの呪術農園で生産されたものばかりで、羊は食用式の肉だ」
「この羊もどきは饕餮か獬豸(かいち)か?」
「太歳という食用式の肉だ」
「太歳て……」
太歳。道教における架空の惑星や陰陽道の方位神とは別に中国の伝承にある生物で、これを食すと不老不死になれるという。別名を視肉、肉芝ともいい『山海経』や『本草綱目』に記される。
食用式として作られたそれは無限に再生する桃色の肉塊で、周囲の気を吸収して欠損部を回復する、食べても減らない理想の食肉だった。
「あたしたち、タイプ・キマイラを食べたっていうわけ!?」
思わず口元と胃のあたりをおさえて顔をゆがめる京子。さすがに吐き出すような粗相はしないが胃の腑から酸っぱいものがこみ上げてくるのはいなめない。
「さっき『鵺の肉でも食べたほうがマシ』て言ってたが、ほんとうに食べちゃったなぁ」
「鵺じゃなくて太歳。あとタイプ・キマイラじゃなくてタイプ・フードな」
「どっちも霊災じゃない! おなじよっ」
「霊災か、もはや死語だな。多軌子に将門の御霊が降りて東京、ひいては日本国中の霊相が変化してから霊的災害は起こらなくなったんだ。この手の生き物はいちように式神、式と呼んでいる」
「害がなくて安くて美味ければ無問題だ、ほかの食用式もためしに食べてみたいな」
「悪食ぃ……」
「いまはもう太歳しか出回ってないんだ。品種改良が進んでね、鶏肉太歳や魚肉太歳みたいに、これ一種ですべての食肉の味と栄養を再現することが可能になった」
「そりゃあ便利だな」
「まだ食用式が試作の段階だった初期の頃は、それこそ鵺も食べていたんだぜ。……なつかしいな、鵺バーガー。鵺肉で作った重厚感のある肉厚パティをふっくらとしたバンズに挟み込むんだ。パティにする鵺肉はミキサーを使わず、食感が残るようにあえて粗めに仕上げるんだ。そうすることで鵺肉の性質上、部位によって味や食感が大きく異なるという特徴を最大限に利用できて、食べるたびに新しい味に出会えるギャンブルバーガーとして一部の客層から好評だったんだ」
「百味ビーンズかよ。……なぁ、ひょっとしてデミ・ナンディのステーキや豆狸の稲荷寿司とかもあったりした? グリフォンやカラドリウスやチュパカブラの肉で唐揚げ作ったり、マヤウェルの茎から採取した汁を黒蜜やきな粉の代用品にして葛餅にかけて食べたりしてた?」
「はぁ? なんだそりゃ、そんな食材は見たことも聞いたこともないぞ」
「いまはゲテモノ料理の話よりもほかに話すことがあるでしょ。夏目君が夜光の生まれ変わりだってうわさ、この世界では真実なのね。しかも夏目君が女の子で春虎の双子の妹だなんて、たちの悪い冗談。変な夢みたいだわ」
「それに将門公の魂を宿した相馬多軌子に八瀬童子の夜叉丸、蜘蛛丸か……、どれも知らない名だな。将門公がらみで相馬というからには上総氏や千葉氏といった平忠常系の系譜かな。しかしよりにもよって将門公とはねぇ」
平忠常。将門の次女の生んだ子であり、将門同様関東で乱を起こし、鎮圧され京都に護送中に病死したとされる。その子らはゆるされ上総氏や千葉氏、相馬氏などにわかれた。
余談ではあるが将門の嫡子である将国が幼いころ常陸の国、信田に落ち延びたことでいつの頃から同郷の出身である安倍晴明に関連づけられ、安倍晴明と平将国。このふたりは同一人物であるという説が生まれた。
将門の乱のときすでに晴明は成人しており年代的には合わない。源義経=チンギス・カンとおなじようなトンデモ説ではあるが、土御門夜光という安倍晴明に比肩する陰陽師の筆頭が将門の魂を宿した少女と行動をともにすることに、秋芳は時代を超越した奇妙な因縁を感じた。
「相馬って、前の戦争のときに土御門夜光を陰陽頭として帝国陸軍に招き入れた呪術の大家よ。倉橋とならんで夜光の双翼と称されたんだけど、敗戦を境に市井にまぎれて呪術界からは姿を消したって、まえにお祖母様から聞いたことがあるわ」
「ほう、そうなのか。それともうひとり知らない名があったな。法源てのはなに者だ。持禁の術を使えるようだが」
「倉橋法源。『妖仙』の異名をもつ十二神将のひとりだ」
「倉橋ですって!?」
「知っている名前か?」
「いいえ、初耳よ。そんな人親戚にいないわ」
「親戚? あんた倉橋の人なのかい?」
「ええ、あたしの名前は――」
あらためて自己紹介をすると、春虎と冬児がおどろきの声をあげる。
「京子だって!? 倉橋の……」
「ええ、それがどうかしたの?」
「そうか、そっちの世界の倉橋京子か……。だが、おれたちの知っている京子とは似ていない、別人みたいだな」
「ふぅん、こっちの世界にも『倉橋京子』が、あたしがいるのね。やっぱり春虎たちとおなじ闇鴉の一員なの?」
「いいや、京子はいない。風水塔の人柱にされてしまったんだ」
「なんですって!?」
「人柱だと!?」
「風水塔を稼働するには龍脈の流れを読み、あやつる者が必要だ。京子には龍脈の流れを見極め、制御できる如来眼の力があった。それゆえ生きながらにして式にされた」
一日二四時間、一年三六五日、何年も何十年も何百年も、未来永劫に――。
食事も排泄もせず、休むことも眠ることもなく、ひたすら気の流れを見て調整する。生身の人間には不可能なことだ。そのため人としての肉体と魂を封印されて風水塔を動かすだけの道具に、式にされているというのだ。
「年中無休で働かせるなんて、どんだけブラックなのよっ、法定労働時間はどうなってるわけ!」
「まったくだ、八時間労働ですら奴隷の生活だとニーチェ先生もおっしゃられているってのに全人生労働だなんてクソくらえだぜ」
「いや、そういうレベルの話じゃないからね」
「わかってるわよ! あまりにも酷い話だったから軽く現実逃避しただけ」
「だがクソくらえってのは本当だ。ひとりの少女を生贄にした永久機関なんてあってはならないことだ」
「生贄になっているのは京子だけじゃない。陰陽省は魂に関連する呪術の研究開発を進め、そのために多くの人々を実験材料にしている」
「ショッカーかよ、この国は……」
「悪の秘密結社そのものだよ」
「そう、そして俺たち闇鴉はそれに反旗を翻すレジスタンスってわけだ」
いつの間にか席をはずしていた冬児が大きめのノートパソコンを持って現れた。
「さっき多軌子や八瀬童子を知らないって言ってよな。百聞は一見に如かず。言葉だけだとわかりづらいところもあるだろうし、こいつを使って説明するぜ。世界情勢についての補足もある――」
『相馬多軌子。先の大戦時、土御門夜光の呪術的才能に目を留め、彼を軍部へと招いた一族「相馬」の末裔。周囲からは「姫」と敬称され――』
『大連寺至道\夜叉丸)元宮内庁御霊部部長で十二神将。二つ名は「導師。相馬の秘術により八瀬童子という式神に転生し、夜叉丸と称す――』
PCのモニターに画像や動画つきの人物データが次々と表示される。
「ストップ! ねえ、秋芳君。これって……」
「…………」
『倉橋法源。十二神将の筆頭である倉橋源司の子。幼い頃に賀茂家の養子となり帝国式陰陽術に組み込まれなかったいにしえの呪術を学ぶ。韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の子孫より呪禁の術を伝授され現代に復活させた功績は大きい。その呪術の技量と享楽的な性格から「妖仙」の異名を持ち――』
倉橋法源の項目に載ってある画像は秋芳その人だった。
「他人のそら似、と思いたいが経歴までかぶってやがる。これがこの世界の俺か?」
「こっちの秋芳君、あたしのお兄様なんだ……」
「妹か……、歯磨きプレイがしたいな……」
「え? 歯磨きがなんですって」
「いや、気にするな」
モニターに表示されている秋芳と瓜二つの法源の姿を食い入るように見つめ、語るふたりに春虎と冬児が怪訝そうな表情を浮かべ、口をはさむ。
「おまえも法源のように呪禁が使えるのか。でも外見は似てないだろ」
「似通っているのは髪型くらいに見えるぜ」
冗談を言っているのではない、本当に春虎たちには別の人物に見えるらしい。
「まさか、じゃあ京子は――」
倉橋京子のデータを閲覧。金に近いあざやかな亜麻色の髪をハーフアップにし、長いまつ毛に紫がかった瞳と薄バラ色の唇が快活な美貌を彩っている。腰高で手足の長いすらりとした肢体はファッションモデルのよう。
画像はまさしく倉橋京子その人なのだが、やはり春虎たちには目の前にいる京子は別人に見えているらしい。
「どうもこの世界の住人の目には俺たちは異なる外見に映るらしいな」
「んー、そのほうが混乱がなくていいんじゃない」
「お、これが夏目か」
「夏目君、じゃなくて夏目ちゃん……」
それは京子の知る美少年ではない、妙齢の美しい女性だった。漆黒の外套を身に着け、長く垂れた髪を後ろでひとつにたばねている。黒絹のように艶やかな髪とは対照的に肌は新雪のように白く、ほのかな照明のもとで雪花石膏のようになめらかに輝いていた。
「綺麗……、夏目君――、じゃなくて夏目ちゃんて女の子になるとこんなに美人なのね」
黒い髪と白い肌。対照的なふたつの色が生み出す美貌に、秋芳は陰陽を表す太極図を思い浮かべた。
「でも、中身は夏目ちゃんじゃないのよね。夜光の生まれ変わりとして覚醒したって」
「夏目の人格はもうないのか? なんとかして夜光の魂を封印すれば――」
「……そういうんじゃないんだ。夏目はあくまで『夜光の記憶のある夏目』なんだ」
「なんと」
「だから人格が不安定になるとか分離するとか、そういうことはいっさいない」
それはつまり土御門夏目の意思で多軌子に、いまのディストピア国家に仕えているということだ。
「でもなんで? あたしの知っている夏目君はそんな人じゃないわ」
「夏目に関しては説得の余地がある。おまえたちにはちょっと別のことをしてもらいたい」
「なにをさせるつもりだ? 饗応を受けたからにはご期待に応えるつもりだが、さすがにミサイルや軍艦を沈めるような怪物相手に立ち向かえるほど俺たちは強くはないぞ」
「その怪物をどうにかする手段もあるからこちらで対処する。おまえたちには風水塔の制圧する手助けをして欲しい」
風水塔の制圧、すなわちこの世界の京子の救出である。ことわる理由はない。
「わかった。だが似ているとはいえ右も左もわからない並行世界でいきなりドンパチに加わるのも不安だ。時間に余裕があるならちょいとぶらついてこっちの世界を見聞きしたいんだが」
「そうだな……、いいだろう。三日やるからその間にこの世界になじんでくれ。それまではここにある施設は好きに使ってくれていい。専用の部屋も用意する」
「ちょっとまって。あたしたちがレジスタンスに参加するのはいいわ、けれどもそれ以降の明確なビジョンはあるわけ? 首尾よく風水塔を制圧できても管理運用できなくちゃ意味ないでしょ。ていうかあたしが……、『京子』がいないと制御できないんだったら彼女を救出したら電力の供給もなくなっちゃうんでしょ、それって問題なんじゃない?」
「風水塔以前に稼働していた各地の発電所は破棄されたわけじゃない。もとのライフラインにもどすための手立てはすでに手配済みだ」
「たいした組織力と技術力だ、いちレジスタンス組織にしてはずいぶんと手際が良すぎやしないか?」
「あいにくと闇鴉は『いちレジスタンス』程度の存在じゃないんだ。いま明確なビジョンと言っていたが、おれたちが多軌子を無力化し、新民党の独裁を打破したあとのプランはすでにある。もっともそっちのほうは政治的なあれこれが中心で、おれたちの分野じゃないがな」
闇鴉の後援者には今の日本を良しとしない政財界の大物や、呪術関係者が多くいるという。驚いたのは冬児の父親が直田公蔵という、かつて自主党の幹事長を務めていた大物政治家だったということで、そのような反体制勢力の指導者的地位にいるらしい。
闇鴉による革命が成功したあかつきには直田らが治世にたずさわり、各国との関係も修復する予定だ。
「謝罪と賠償をするにあたり燃料電池を大量にばらまくそうだ」
日本は無尽蔵の電力を駆使して海水から二酸化炭素と水素を抽出し、それをもとに燃料電池を大量に生産している。頃合いを見て電力不足に悩む諸外国に高値で売りつけるつもりだという。
自分たちで電力を断っておきながら有料で電力を売りつけるなど、ヤクザまがいの商法である。
直田は謝罪と賠償の意味を込めて、押収したそれら燃料電池を諸外国に無償で提供する考えだ。
「念のためうちのメンバーから案内役をひとりつけるから、なにかわからないことや欲しい物があったら遠慮なく言ってくれ」
案内役は中原星哉と名乗った。ボサボサのくせっ毛にハーフリム眼鏡をかけた〝おしゃれなアキバ系〟という感じの青年に見えた。
「いや~、春虎さんの星読みを信用してないわけじゃなかったけど、まさか本当に異世界から稀人が来るなんて、正直なところ半信半疑だったんすよ。聞けばおふたりは神龍武士団の連中をフルボッコしたとか、お強いんですね! ――あ、ここがおふたりに用意されたお部屋です。もうお休みになられますか?」
「いや、時間が惜しい。外の様子を見たい」
「わかりました、じゃあこちらから外に出られます」
星哉の先導でアジト内をぐるりと見回ったあと、入ってきたエレベーターとは別の出入り口から外へと出るや、騒動に出くわした。
ゴミが路上に散乱する、お世辞にも清潔とは言えないセンター街の一角に人だかりができていた。なにやらもめごとが起きているようで、数人の男の怒鳴り声がする。
「目障りなんだよ、おまえらは。とっとと自分の国に帰って死ぬまで礼拝し続けてろ」
「いもしない神にむかって一日五回も礼拝してんじゃねぇよ蛮族」
「それともイスラムお得意のテロでも起こすか、ああ!?」
「日本から出てけ!」
人だかりの合間をくぐり抜けた秋芳らの見たものは、四人の若い男たちがひとりの浅黒い肌をしたムスリムふうの外国人を取り囲み、口々に罵声を浴びせながら蹴り回している姿だった。額に例の呪印がないところを見ると神龍武士団の正規団員ではないらしい。
まわりにいる数十人の通行人はだれも制止しようとせず、警察に連絡するような人もいない。小声でささやきを交わしながら遠目に見ているのはまだいいほうで、軽く眉をしかめただけで通り過ぎる者のほうが多かった。
この街の住人にとって、このような暴行は日常の出来事だということをうかがわせた。
「またナンチャラ武士団のシンパかしら、止めないと……」
「さっきのモスクの一件といい、日本人はイスラム教徒に対して恨みでもあるのか?」
「……世界を相手に戦争しているから、外国人全般に対して八つ当たり的な怒りを感じている者が多いのは事実です。あとイスラム教徒を自称する集団がなんどもテロ未遂事件を起こしてるってのもあるんで、それ系の人たちに対する風当たりが強くて」
呪術の台頭を嫌悪するのは第一に中国。その次に一神教を熱心に奉じる国々だった。イスラム教でもキリスト教でも魔法や呪術のたぐいは否定されており、多神教信仰とならんで大罪とされ、原則非難されるもの。神に背く行為とされた。
一部の暴力的なイスラム教原理主義者たちが日本を標的になんどもテロを画策したが、いずれも未然に防がれている。星読みなどの卜占系呪術による未来予知のたまものだ。
また新皇多軌子は在日外国人の存在を好ましく思っていなかったが、ことさら排斥するような指示は出していない。来る者は拒まず去る者は追わず、という姿勢だ。
そのため電力を失い、科学の恩恵を受けられなくなった国の人々は不当なあつかいを受けるのを承知でいまだ日本に多くおとずれるという。
だが配下の者たちはそんな多軌子の意を必要以上に汲み取り大衆に流布している。さらに対外戦争中ということもあり日本国内に攘夷思想が蔓延してヘイトクライムが多発しているという。
一部の善良な市民もいるにはいたが、彼らの善意はあまりにも無力だった。陰陽師の専横や新民党の圧政によって生じた不満は、より弱い立場の人々にむけられた。
「自分たちに害を成そうとする相手を攻撃するというなら筋は通るが、一般人相手に八つ当たりで殴る蹴るは感心しないな」
若い男の蹴りが腹に命中した。外国人は腹を押さえてうずくまる。
「ああいう乱暴を止めるのも、僕たち闇鴉の仕事です。ここはまかせて」
星哉がスマートフォンを取り出し操作すると写真のフラッシュにも似た強い光が放たれた。だがカメラではない。星哉のスマホから黄色い電撃がほとばしり、白熱の軌跡を描く。
「ギャッ!?」
スタンガンを押しつけられたような激しい痛みと衝撃に筋肉をこわばらせ、神経を麻痺させられて転倒する若い男たち。
「雷法か? 詠唱も呪符もなしに……」
「ううん、ちがうわ。式神よ! 護法……とはちょっとちがうわね」
一泊の間をおいて答えが出た。
「「電子式!?」」
「正解。僕の実力じゃあ護法も雷法もあつかえないですからね」
電子式はなにもインターネット上のみに存在するわけではない。
人間が神仏や精霊といった霊的存在と交信する儀式や祭祀、必要な触媒や供物などといった面倒な手順をすべて省略し、データ上だけのやり取りで済ませ、一定の霊力を代償にさえすればだれにでも簡単に霊的存在を召喚・使役できる画期的なアプリケーション。
ある種の高等人造護法式ともいえるそれは実体化することなく設定されているいくつかの呪術を主の指示に従って行使することのできる、特殊なタイプの式神だ。
スマホの画面には頭に二本の角を生やした虎縞ビキニの美少女が雷をまとい、微笑んでいた。これが星哉の式神らしい。
「すげー、悪魔召喚プログラムみたいだな。ひょっとしてこれを作ったのは中島って人? それとも車椅子のおっさん?」
「中島って人でも車椅子のおっさんでもないし、船みたいなホテルのオーナーでもありません。天馬博士です」
「天馬だって!?」
「天馬ですって!?」
「はい。伴侶である大連寺鈴鹿夫人と共に様々な呪具や人造式の開発に貢献し、いまも闇鴉のために敏腕を振るう現代の発明王です」
この世界の天馬は技術者として大成しているうえ、大連寺鈴鹿と結婚しているというのだ。まったくもって驚きの連続だった。
「天馬博士は『個人の力量に左右されることなく性能を発揮できる』というウィッチクラフト社製人造式のコンセプトをとことん追求し、現在の式神使役アプリを発明したんです。もちろん高レベルの式神を使役するにはそれなりの霊力や技術が必要ですが、見鬼の才がない一般の人でも低レベルの式ならあつかえるんですよ!」
「それ、かわいい! あたしも欲しいわ。どうやって手に入れるの?」
「手順そのものは霊災を祓って式に降すのといっしょで――」
京子は未知の技術の産物に興味があるらしく目を輝かせて説明を受けるが、秋芳の食指は動かなかった。
「技術の進歩ってのはたいしたものだなぁ。サーバー内に位置情報が読み込まれて、携帯端末にキャラの動画が表示されるだけの単純なゲームに大騒ぎする世界とは大違いだ。……こんなのがあったら、俺らの使う陰陽術なんざ廃れちまうんじゃねぇのか……?」
秋芳の思惟をよそに次々と電子式を入手していく京子。呪術者としてのレベルが高いため簡単に手に入るようだ。
「あ、ほらほら見て見て秋芳君っ、ピクシーちゃんが仲魔になったわよ。これであたしも星哉君みたくスマホで雷が撃てるわ」
「ほう、そうかい」
「あ、こんどはブラウニーよ」
「メイド服着た犬耳少女? あの妖精ってそんなルックスだったか?」
「キジムナー、コロポックル、鎌鼬、あやかし――」
赤い髪に褐色の肌をした女ターザン、アイヌの民族衣装をまとったロリ少女、手から刃が生えたクールビューティーな女性、全身ローションまみれの長身美女――。
「なんでどれもこれも美少女化してるんだよっ、安っぽいソシャゲかっ!」
「擬人化は日本の文化みたいなものじゃない、八百万の神のおわします神道的世界観が根底にあるの。アニミズムの一種よ。それにほら美少年もいるわよ」
「そうですよ。おどろおどろしい姿形より美少女キャラのほうがいいじゃないですか」
「視覚化できない高次元の概念や存在に名前と形をあたえることで神や悪魔を創造した呪術的な擬人化と、萌え豚の下半身狙いの萌えエロ擬人化は断じてちがう!」
そんなやり取りをしつつ歩いていると、街のそこかしこに隠形された文字が書かれていることに気づいた。
『陰陽師に従え』『呪術は偉大だ』『多軌子新皇に忠誠を誓え』『権威を疑うな』『自分の考えを持つな』『順応しろ』――。
建物の壁や道路。新聞や雑誌にそのような内容の文章が呪力で刻まれている。
「なんなんだ、この悪趣味なメッセージは。まるでカーペンターの『ゼイリブ』に出てきた洗脳文字じゃないか」
ジョン・カーペンターのSF映画『ゼイリブ』には貧困層を労働に明け暮れさせ、富裕層には贅沢な高級品を買わせるよう物欲を煽る、特殊なメッセージが出てくる。
「まさにそれですよ、サブリミナル効果を利用して無意識下に刷り込んで洗脳しようとしているんです」
「でもサブリミナル効果って偽科学のたぐいでしょ、効果なんてあるの?」
サブリミナル効果とは人間が知覚できない潜在意識に音や映像などで刺激をあたえ思考や行動に影響をおよぼす効果のことだ。一九五七年、アメリカのニュージャージー州にある映画館でコーラとポップコーンを勧めるメッセージをフィルムに差し込んでくり返し放映した結果、コーラとポップコーンの売り上げが急増したという逸話が有名だが、これは真っ赤なウソであり、その後なんどもおなじような実験、たとえばカナダではテレビ番組の中で三五二回もメッセージを差し込んだ再現実験をしたが、効果はなかった。
まったく科学的根拠のないガセネタであるというのがこんにちの通説だ。
「それについてはいまでも不確かで、実行者である陰陽師でも効果を疑問視する声があがっています。でも無理やりこんなメッセージを見せられるのはムカつきますよ、マジ不快です」
「たんなる文字ならともかく、呪力をもちいた隠し文字ってのがこわいな。甲種言霊ならぬ甲種文霊で人の意識に作用する可能性は完全に否定できない。……しかし、そうか。そんな手があったか。そのうち甲種言霊による洗脳ソングとか放送しそうだな」
「それはすでに一部の強制収容所で実行されています」
「ますますディストピアだな」
「食料を増産したり、都市を空に浮かべたりとか、そういうところはユートピアなのに」
なんとはなしに空を見上げる京子。視線の遠い先には宙をただよう巨大な岩盤。相馬の天空内裏が見えた。岩山を丸ごと持ち上げて頂部を平たく削ったような造りをしている。
「どういう景をしているんだろうな、あそこは」
「天空内裏ですか? なにせ多軌子と夜光以外は十二神将など一部の上級陰陽師にしか昇殿をゆるされていない別天地で、一般の陰陽師でも立ち入り禁止なんです。画像とかもないですよ」
「昇殿ときたか、まさに内裏だな、貴人にしか拝めない殿上。ぜひこの目で見たいものだ」
余談ではあるが平安時代の貴族は官位が六位より上の人を指す。
太政大臣が一位。
内大臣、右大臣、左大臣が二位。
大納言、中納言が三位。
これらが貴と呼ばれる超のつくエリートで二〇人ほどしかいない。
次の四位五位は通貴といって帝のゆるしがあれば昇殿できた。ここまでが貴族だ。
六位以下の官人との間には大きなへだたりがあった。
安倍晴明は最終的には従四位下で昇殿が認められる貴族にまで出世している。
「ずっと飛んでいるわけじゃないんだろ、食糧や物資の運搬で地上に降りたりしないのか?」
「物資の運搬はしていますが内裏の底部からトラクタービームを射出して物資を回収しているので降りません。あんな巨大な建造物を着陸させるとなると大ごとですよ」
「人は? ヘリコプターとかで出入りするのか?」
「ヘリポートや空港のたぐいがあるという話は聞かないですね。おもに式神や自身の術を使って出入りしているそうですが、許可なく近づこうものなら撃ち落とされます。周囲を浮遊する飛び島を階段状に配置して大勢が移動できる機能がついているとか……そんなに行きたいんですか、あそこに」
「ああ、行きたい。俺たちのいた世界にはあんなのなかったからな、ぜひとも見物したい」
「あまり危険なまねはさせるなと春虎さんから言われているので自重してください」
「そうは言うが星哉、おまえも行ってみたくはないか?」
「そりゃまぁ少しは……、いや、正直かなり興味はありますが」
「だれにも気取られず侵入するにはどうしたらいいか、京子。なにか良い策はないか?」
「そうねぇ……。じゃあ、こういうのはどう?」
渋面を浮かべる星哉を尻目に、秋芳と京子は内裏に忍び込む算段をしはじめた――。
聖蓮寺の境内。
話しはじめてからどれほどの時が経ったのか。
詫びた風情の枯山水を望む縁側に座った桃矢は秋芳の夢語りをずっと聞いていたが、遠くから聞こえていた女子たちの歓声も、さすがに途切れ途切れになってきた。
「――で、それからいろいろあって俺たちは春虎たちに協力して革命を成し遂げた」
「……え? ええエッ! ちょ、ここまできてはしょりすぎでしょ! 相馬の天空内裏に忍び込む話はどうなったんですっ。なかに入れたんですか!?」
「もう一四話分も話してきて、いい加減飽きたし疲れたわ。これ読んでる人だっておなじだと思うよ。それどころか『もうこれ東京レイヴンズじゃねえじゃん!』とか思ってるんじゃない」
「またそういうメタな発言を……」
「というのは冗談で、実はそのあたりから記憶が曖昧模糊なんだよ。それこそほんとうの夢のようにな」
「そうなんですか?」
「ああ――、相馬の天空内裏には入れた。なにか京子の力で侵入できたのはたしかだ」
まさにまことの夢のように記憶がぼんやりとし、内容を鮮明に思い出すことができない。
「なんとか策を講じて内裏に潜入したんだが、どのような手で入ったかの細部を思い出せない。さらに内部の景。樹々や花々が生い茂り、青々とした芝生や池が広がり、鹿や兎。小鳥やリスが放し飼いにされた、それはもう良き景観だったのだが……。くそっ、やっぱり思い出せん」
「はぁ……、ほんとうに夢みたいですね」
「そうだ。まことの夢のようにおぼろげで、一秒ごとに脳から失われつつある。夢日記にしたためようにも、俺にはあの情景を文章にできるだけの文才はない」
陰陽師のユートピア、一般人のディストピア世界を最後に夢から覚めた。
体感時間で何年という旅をしてきただけに京子は気疲れしたので刀会の打ち上げに顔を出せないというのも、これまた残念だった。
「――さて、そろそろ終いにするか。明日からはシェイバにそなえて猛特訓だぞ、なにせ俺の三五〇〇〇万円がかかっているんだ」
「ああ~っ、思い出してしまったぁぁぁ」
「だが勝てば奴の三五〇〇〇万円を山分けだ」
「え? さっきはほとんど僕にくれるって言ってませんでした?」
「ええい、二年近く前に投降した作品の科白まで覚えておってからに」
「それもふくめて本日の刀会打ち上げの費用とか、ありがとうございます。お金、だいじょうぶなんですか」
「まぁ、京子に元・闇寺の宴会を見せてやりたかったとか、俺自身が飲み食いしたかったてのもあるしな。いつ死ぬかわからんのが人生だ、過ぎた蓄財なんぞしないで散財したほうが世は潤う、経世救民。世のため人のためだ」
「いいのかな~、下流老人になっちゃいそう」
「いいんだよ、だいたい金に価値がある世の中が永遠に続くとも限らないしな。金銭の価値なんてものは幻だ」
秋芳はふところから一万円紙幣を取り出してヒラヒラともてあそんだ。
「これは紙に模様を印刷しただけのものだ。特殊な印刷をしてはいるが、原価はまぁ一枚二〇円かそこらだろ」
「そうなんですか!?」
「そうだ。国が『これには一万円の価値がありますよ』と勝手に言っているにすぎない。だがみんながその幻を信じているから、この紙切れ一枚で一万円の買い物ができる。映画館で映画が五回は観られる。安い文庫本なら一五冊は買える。ゲームソフトを一本新品で買ってお釣りがくる。高めのワインをボトルで飲める。ビキニの女の子が五〇分間手コキしてくれる」
「最後のはいいですよ!」
「だがその幻が破れたらただの紙にもどる。ただの紙が原価の何百倍もする物と交換できるなんて本来ならありえないことなんだ。鰯の頭も信心から。人はあまりに長くその幻を信じ続けてきたから、それに疑いを持たなくなっている。呪にかけられちまったのさ」
「呪、ですか」
「そうだ、呪だ。金銭以外にも株や土地、貴金属や宝石類――。芸術作品なんてまさにそうだ。有名な画家の絵が競売に出されて一億円で落札されたとしても本当に一億円の価値があるわけじゃあない、だれかが一億円で買った。ただそれだけのことにすぎない」
「呪術の真髄は嘘……」
「まさにその言葉に尽きるな」
ふたりのいる縁側からは枯山水の庭園をまたいで遠くの山野も見えた。
薄が風になびいて秋にふさわしい風情をかもし出している。
この趣のある風景を京子とともに見たい。
そんな欲求に駆られた秋芳は来週にでも誘ってみることにした。
金も土地も、地位も名誉もあの世には持っていけない。
もしも魂やあの世というものが存在し、そこに持っていけるとしたら記憶。人の想いだけだろう。
愛しい人との逢瀬。思い出は金では買えない。
ケイタイで撮った画像を添えて誘いのメールを送る。ような真似はしなかった。
この場でそれはふさわしくない。
風景を映した式を飛ばすことにした。
夜烏が空を往く――。
後書き
ギャラリーにも投稿しましたが、先日あんこう鍋を食べました。
汁はそばつゆベースの薄味なんですが、煮立つにつれあん肝が溶けて汁に混ざり。
味噌のようで味噌でない、独特の風味が生まれて美味しかったです。
まさに冬の滋味。
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