亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第七十四話 肉を斬らせる
帝国暦 486年 8月 7日 オーディン 新無憂宮 オットー・フォン・ブラウンシュバイク
「それで、ミューゼル中将は何と言っておるのだ」
『ミュラー准将の話では反乱軍は、いえヴァレンシュタインはフェザーンを狙うのではないかと』
「フェザーンだと」
わしとリッテンハイム侯が声を同じくして問い返すとスクリーンに映っているフェルナーは無言で頷いた。侯に視線を向けると侯もこちらを見ている。多少困惑しているようだ、わしも困惑を隠せない。
「有り得るかな?」
「ふむ」
正直リッテンハイム侯の問いかけに答えられなかった。フェザーンを狙う……。そんな話はこれまで聞いたことが無い、想定外の話だ。フェザーンの中立を冒すなど、そんな事が許されるのか……。
『リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタインが帝国を混乱させるために敢えてイゼルローン要塞を攻略しなかったと言い残したと聞きました』
「うむ」
フェルナーの言葉にリッテンハイム侯が頷く。
「回廊は二つ、二引く一は一……。手をこまねいていればいずれ帝国は体制を立て直す、それを黙って見過ごすとも思えん。となれば……」
リッテンハイム侯がわしを見た。
「ブラウンシュバイク公、有り得る話だと思うが……」
「……」
有り得る話か……、確かに有り得る話ではある。しかしフェザーンの中立を侵すとなればそれなりにリスクを伴う。一つ間違えばフェザーンを帝国側に押しやる事になりかねない。その辺りをどう見ているのか……。
「公、ヴァレンシュタインが今何をしているか知っているか?」
気が付けばリッテンハイム侯が腕を組み険しい顔をしている。はて、何か気に障る事でもあったか……。
「新たに指揮を執る事になった艦隊の訓練をしていると聞いたが、違ったかな?」
「いや、その通りだ。ヴァレンシュタインだけではない、今回新たに司令官になった二人も一緒だ」
リッテンハイム侯の表情は険しいままだ。
「それがどうかしたか」
「連中の訓練の場所がフェザーン方面らしい」
「馬鹿な……」
『本当ですか』
唖然とした。そんなわしにリッテンハイム侯が頷く。
「事実だ。先日、シュタインホフから聞いた。はっきりとは分からないがイゼルローン方面ではない、フェザーン方面だと聞いた。訓練の最中に帝国との遭遇戦を怖れたのかと安易に考えていたが、どうやら甘かったようだ。訓練は隠れ蓑だろう。彼奴、もう動いている」
吐き捨てる様な口調だ。半ばは自分の迂闊さに対する物かもしれない……。
『リッテンハイム侯の仰る通りだと思います。エーリッヒ、いえヴァレンシュタインは動いていると見た方が宜しいでしょう』
「……フェザーンか……」
思わず顔を顰めた。次から次へと事が多すぎる。四日後にはアマーリエの即位式が行われる。時局重大な折、大袈裟な式典は控えるべし、そういう事で式は控えめなものになる……。実際は式典を盛大にすればそれだけテロの危険度が増す、それを恐れての事だ。
貴族達はその式典に出席した後、クロプシュトック侯の反乱鎮圧に向かう。身内を殺された怒りをクロプシュトック侯に対する報復で晴らそうとしている。だが内心では反乱を徹底的に叩き潰して、平民達に恐怖心を植え付けるのが狙いだろう。
だがこちらも好都合だった、彼らがクロプシュトック侯にかかずらわっている間に軍の再編を進め改革の内容をまとめる事が出来る、そう考えていたのに……、ヴァレンシュタイン、嫌らしいところを突いて来る。
「どうしたものかな、軍を動かすべきだと思うか?」
「……」
わしの問いかけにリッテンハイム侯もフェルナーも答えない、二人とも渋い表情をして口を閉じている。帝国軍は今戦える状態には無いのだ。
敵の意図が読めてもそれを防げない、無力感が全身を包んだ。嫌な沈黙が続いた後、リッテンハイム侯が口を開いた。囁く様な口調だ、目には強い力が有る、睨む様な視線をこちらに向けてきた。
「一つ考えが有るのだがな」
「……」
「いささか非常識な案ではあるのだが……」
「……その非常識な案を聞かせて貰おうか」
わしの言葉にリッテンハイム侯が暗い笑みを浮かべた。
帝国暦 486年 8月 7日 ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル
「知らぬ振り? どういう事だ、それは。フェザーンを捨てると言うのか」
会議室に俺の声が響いた。思ったより声が響く、ケスラーとクレメンツが心配そうな表情で俺を見ているのが分かった。少し興奮したようだ。
『捨てるのではありません、この状況を利用するのです。反乱軍がフェザーンをどうするのかは分かりません。征服するのか、或いは協力体制を結ぶのか……。ですがどちらにしろそれを理由に貴族達を反乱軍にぶつける事が出来る。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はそう考えています』
「……」
『フェザーンとは特別な繋がりを持つ貴族達が多いのです。彼らはフェザーンを失う事に耐えられないはずだと御二方は見ています』
「それを利用すると言う事か」
フェルナー中佐が頷いた。
『その通りです、単純に出兵しろと言っても彼らは嫌がるかもしれません。ならばこれを利用するべきではないかと……』
「……そうかもしれない、知らぬ振りか……」
『はい、それに今軍を出すことは危険でしょう』
「……」
フェルナー中佐の言葉にケスラーとクレメンツが顔を顰めるのが見えた。
敢えて見過ごすことでその状況を利用するか……。というよりそれしか方法が無い、そういう事だろう。フェルナー中佐が言ったように軍を出すのは危険だ。となれば先手は取れない、面白くは無いが相手の作り出す状況を利用するしかない。
「しかし、良いのか。貴族達が敗れれば帝国の劣勢は誰が見ても明らかになるだろう。フェザーンは帝国から距離を置くかもしれんが」
ケスラーの言葉にクレメンツが頷いている。
『今帝国が何よりも優先しなければならないのは改革を実施する事でしょう。それなしでは帝国は安定しない、そのためには邪魔になるものを排除しなければなりません。それを優先すべきです』
「……」
『それにフェザーンは交易国家です。反乱軍に付こうと交易そのものが止まることは無い』
フェザーンを失っても邪魔者を排除するか……。肉を斬らせて骨を断つという言葉が有るがこの場合ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯はフェザーンが肉だと判断したという事か……。非情、冷徹、そんな言葉が頭をよぎった。二人とも腹を据えてかかっている、
考えている事は理解できる、その狙いもだ。現状ではそれが最善の策だろう。問題が有るとすれば主導権を持てない事だ。主導権はヴァレンシュタインが持っている。それが帝国に何をもたらすか、それだけが不安だ……。
宇宙暦 795年 8月 16日 第一特設艦隊旗艦 ハトホル ワルター・フォン・シェーンコップ
第一特設艦隊はリオ・ヴェルデ、ロフォーテン、バーミリオン星域を通過してランテマリオ星域を目指している。予定では二十三日にはランテマリオ星域に到着するだろう。残り一週間の日程だ。到着期限は二十五日だから二日程余裕が有る。十分間に合うだろう。
旗艦ハトホルの艦橋には落ち着いた雰囲気が漂っている。期限前に到着できるという事も有るのだろうが、最近では哨戒部隊がきちんと任務を果たすことが出来ているのが大きいだろう。当然ではあるが哨戒部隊が機能してからは奇襲を受けていない。ようやく第一特設艦隊は艦隊として機能しつつある。チュン参謀長を始め幕僚の多くがそう考えている。
「参謀長、各哨戒グループの位置を確認しました、特に問題は有りません」
「うむ、御苦労」
チュン参謀長がラップ少佐の報告に頷いている。周囲も問題なしの報告を当然として受け取っている。四時間おきに少佐は哨戒グループの位置を確認しているが訓練当初と違い問題有りの報告が上がることは無い。今でこそ皆平然としているが以前は問題ないと分かると露骨にほっとした表情を見せたものだ。
司令部は少なくとも通常の艦隊行動については問題ないだろうと考えている。次の課題は戦闘訓練と見ているようだ、俺もその点については同感だ。果たして分艦隊司令官達は司令部の命令通りに動けるか、自らの判断で戦局を優勢に運べるか、そして司令部は適切な命令を下せるか……。
ヴァレンシュタイン提督は指揮官席に静かに座っている。彼が指示を出すことは滅多にない。ただ黙って司令部要員達の仕事振りを見ている。そして司令部要員達もそれは分かっている。時折ではあるがチラと見るときが有る。例えば今のラップ少佐の報告の時だ。何人かが提督に視線を向けた。
ヴァレンシュタイン提督もそれは分かっているだろう。しかし提督がその視線に応えることは無い。視線を向ける事もないし表情を変える事もない。ごく当たり前の事であって驚く事ではないし、周囲に声をかける必要もない、そう思っているのだろう。もしかするとそんなつまらない事で一々自分の顔色を窺うな、そう思っているのかもしれない。
自分が居なくても問題なく艦隊が機能するように鍛える。それを知っているのは俺とミハマ中佐だけだが司令部はチュン参謀長を中心にまとまりつつあるようだ。後は皆が思っているように戦闘訓練だけだろう。しかし、提督はどうするつもりなのか、戦闘訓練も参謀長に一任するのか、それとも……。
「参謀長、シェーンコップ准将」
ヴァレンシュタイン提督が俺と参謀長に声をかけた。
「少し話したい事が有ります。私のプライベート・ルームに来てください。ミハマ中佐も」
そう言うと提督は席を立ち歩き始めた。
ミハマ中佐が後を追う。参謀長に視線を向けると向こうも訝しそうな顔をしてこちらを見ている。俺に思い当たる節は無いが向こうにも無いらしい。周囲も困惑した表情で俺達を見ている。視線から逃げるようにチュン参謀長が司令官の後を追い、その後を俺が追った。
提督のプライベート・ルームに入るとソファーに座る様に指示された。俺と参謀長が隣同士、提督とミハマ中佐が隣同士だ。そして俺の正面にはミハマ中佐が、斜め右には提督がテーブルを挟んで座った。
「ヴァレンシュタイン提督、お話と言うのは何でしょうか」
チュン参謀長が問いかけた。
「ランテマリオに着いたら、私は艦隊を離れる事になります」
艦隊を離れる? チュン参謀長が困惑した表情を見せた。ミハマ中佐もだ、彼女も初耳らしい。
「それはどういう事でしょう? 向こうでは戦闘訓練をする予定ですが」
「戦闘訓練は参謀長を中心に行ってもらう事になりますね」
チュン参謀長の困惑が益々大きくなった。例の自分が居なくても動けるように、そのためか……。中佐も同じ事を考えたのだろう、チラとこちらを見た。
「しかし、訓練は第一艦隊、第三艦隊との共同訓練のはず、ワイドボーン提督、ヤン提督には何と説明します」
参謀長の困ったような声にヴァレンシュタイン提督は微かに笑みを浮かべた。
「心配はいりません。私が居なくなる事はあの二人も了承済みです」
「それはどういう事なのでしょう、事情をお話しいただけませんか」
「軍の極秘任務でフェザーンに行きます」
「フェザーン……」
眉を寄せて参謀長が呟く、提督がそれに頷いた。
「フェザーンに赴き、アドリアン・ルビンスキーと接触するのです」
「黒狐とですか」
驚いたのだろう、参謀長は目を見張ってフェザーンの自治領主の異称を口にした。そして何か考えている。
極秘任務、フェザーンに赴きルビンスキーと会う……。なるほど、艦隊を離れるのは単純に第一特設艦隊を、司令部を鍛える事だけが目的では無いというわけか。となると俺が此処に呼ばれたわけは同行して護衛をしろと言う事だろう。つまりフェザーン行はそれなりに危険が有るとヴァレンシュタイン提督は見ている。
「巡航艦を一隻用意してください。艦も艦長も信頼できる艦が良いですね」
「それは構いませんが、もう少し説明を願えませんか。ルビンスキーとの接触とは政府の命令なのでしょうか」
チュン参謀長の問いかけにヴァレンシュタイン提督は静かに首を横に振った。
「そうでは有りません、政府の命令ではなく軍の命令、極秘作戦です」
極秘作戦、その言葉に部屋の空気が重くなった。チュン参謀長が一瞬目を逸らし考え込む姿を見せた。
「極秘作戦というと」
「帝国軍を同盟領内に大規模出兵させる、それを目的とした挑発行為です。今帝国は極度に不安定な状態にあります、余り出兵はしたくないと考えている。ルビンスキーと接触する事で同盟はフェザーンを取り込もうとしている……、そう帝国に思わせるのが目的です」
なるほど、帝国は今不安定な状況に有る。出来れば出兵などは避けたいだろう。しかし帝国はフェザーンの離反を放置はできない。それを防ごうとするならば同盟軍を叩くしかない……。嫌がる帝国軍を引き摺りだそうと言うわけか……。
「しかし、宜しいのですか。政府の許可なしでフェザーンの自治領主に接触するなど……、後々厄介な事になりませんか。今更ですがフェザーンに接触するよりイゼルローン要塞を攻撃する、その姿勢を見せる事で帝国軍の出兵を狙った方が良かったのではと思いますが……」
チュン参謀長は表情を曇らせている。フェザーンは経済面で同盟と密接に絡んでいる。政府もそれには配慮しなくてはならない。軍が勝手にフェザーンに対して行動を起こして良いのか? もっともな懸念だろう。
「要塞攻防戦は効率が悪いですからね」
「いっそイゼルローン要塞を落としてそこで防衛戦と言うのはどうです。帝国はイゼルローンを必ず奪回しようとするでしょう。そちらの方が効率は良いと思いますがね」
俺の言葉にチュン参謀長が鋭い視線を向けてきた。
「簡単に言わないでもらおう、あれはそう容易く落ちる代物ではない」
いかんな、声が低い、怒っているのか? 僅かに肩を竦める仕草をした。半分はジョークだ、あれが簡単に落ちる代物では無い事は俺も理解している。ちょっと雰囲気を変えようとしただけなんだが……。
ヴァレンシュタイン提督がクスクスと笑いだし部屋の空気が幾分軽くなった。チュン参謀長も困った様なバツが悪そうな表情をしている。
「まあ落とす事は可能なんですけどね」
「……」
何気ない、さらっとした口調だった。俺も参謀長もミハマ中佐も唖然として提督を見ていた。提督はそんな俺達を見て悪戯っぽく笑い声を上げた。
「では何故イゼルローン要塞を落とさないのです。先程も言いましたが要塞での防衛戦の方が有利に戦えると思いますが」
今度はチュン参謀長も何も言わない。黙って提督を見ている。
「イゼルローン要塞を落とすと帝国領へ攻め込めと言う意見が出そうです。防衛戦どころか侵攻作戦になりかねない……」
「……」
「十分な戦力が有るのなら戦争は防衛戦の方が有利なんです、地の利が有りますからね。戦力を集中しやすいし補給の負担も少なくて済む」
なるほど、だからフェザーンか……。イゼルローン要塞方面での戦闘では帝国軍は要塞周辺での防御戦を行うだろう。それでは帝国軍に大きな損害を与え辛い。要塞を落とせば帝国領への侵攻作戦になる。どちらも同盟にとってはリスクが高い割にはリターンが小さい……。
「参謀長が政府の許可を得なくて良いのかと言っていましたが、これは帝国軍を誘引する軍の謀略として行う、それがトリューニヒト国防委員長、シトレ元帥の御考えです」
政府内で了承を取ろうとすれば必ずフェザーンに漏れる、それを怖れての事だろう。国防委員長、シトレ元帥の考えと言っているが、ヴァレンシュタイン提督もそれに関与しているはずだ。いやイニシアチブを取ったのは提督だろう。
「小官が此処に呼ばれているのは護衛という事ですか?」
俺の質問にヴァレンシュタイン提督が頷いた。
「そうです、フェザーンでは何が有るか分かりません。頼りになる人間を十人ほど用意して欲しいですね」
「了解しました。当然ですが小官が護衛の指揮を執ります。ミハマ中佐はどうします?」
「小官も同行します、宜しいですよね、提督」
俺の問いかけに慌てたように中佐が答えた。睨むように提督を見ている。
「良いですよ、多分、一生の思い出になるでしょう。楽しみですね」
そう言うとヴァレンシュタイン提督は笑みを浮かべた。怖い美人の笑顔だ、どうやらフェザーンでは余程の修羅場が待っているらしい。
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