亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第七十五話 繁栄と衰退、そして……
帝国暦 486年 8月25日 オーディン 新無憂宮 オットー・フォン・ブラウンシュバイク
どうも落ち着かない。ソファーに座り部屋を、調度品を見ながら思った。新無憂宮、南苑にある一室……。アマーリエが即位してから我ら夫婦は此処で寝起きしているが未だにこの部屋に慣れる事が出来ずにいる。おかげで本を読んでいても今一つ集中できない。
アマーリエの即位式が終わり、クロプシュトック侯の反乱を鎮圧するため貴族連合軍がオーディンを出発した。ここ二週間ほど帝都オーディンは喧騒とは無縁な静けさに包まれている、有りがたい事だ。
もっとも不用心と言えないことは無い。今、オーディンを守る兵力は陸戦部隊だけだ。艦隊戦力は皆無と言って良い。オフレッサーの艦隊がオーディンに戻るまでには約十日程かかる。ミューゼル中将の艦隊が戻るには三週間程かかるだろう。
女帝夫君か……、楽では無いな。帝国の統治に関わる様になってようやく分かった。帝国は膨大な財政赤字に悩まされている。原因は大きく分けて二つある。一つは戦争だ、これは誰でも分かる。百五十年も戦争をしていれば嫌でもそうなるだろう。
もう一つが貴族の存在だ。貴族に対しては課税できない、そして貴族達は有り余った財力を遊興に、私兵の増強に、或いは財産を増やすことに費やしている。貴族が財産を増やせば、その分だけ帝国の税収が減るのだ。
戦争という難事は帝国に任せ貴族達は繁栄を謳歌している。そして帝国は負担に耐えかねて喘ぎそれを横目に貴族達は自由を満喫しているのだ。言ってみれば帝国は腹中に獅子身中の虫を抱えているようなものだ。
リヒテンラーデ侯は改革を進め貴族達を潰せと言った。今なら侯の気持ちが分かる。侯は貴族を憎んでいたのだろう、わしやリッテンハイム侯を中心とした貴族を。帝国の困窮を他所に己が繁栄だけを願う貴族を……。だからカストロプ公を生贄とする様な策も考えることが出来たのだ。
侯にしてみれば外戚として娘を皇帝に就ける事で権力を得ようとしたわしやリッテンハイム侯など笑止の限りだったはずだ。侯の最後の言葉を思いだす、“亡命してもよいぞ、命が惜しいならな……”、あの時は皮肉かと思った。だが今はそうは思わない、あれは本心だった。それほどまでに帝国を統治するとは難事だ。
「貴方、どうなさいましたの。怖い顔をなさって」
気が付けば隣に妻が座っていた。
「これはこれは、女帝陛下に御心配いただくとは、ブラウンシュバイク公オットー、恐縮の極み……」
照れ隠しに戯れると妻がしかつめらしい表情を浮かべて
「公は帝国の重臣、心配するのは当然でありましょう」
と答えた。だが耐えきれなくなったのだろう、次の瞬間には声を上げて笑い出す。わしも笑った。
一頻り笑った後、妻が問いかけてきた。
「本当にどうなさいましたの、怖い顔をなさって……。本を読んでいるようには見えませんでしたけど……」
そう言って本に視線を向けた。わしも釣られたように視線を本に落とす。
「うむ、どうもこの部屋は落ち着かん。この本を読みたいと思ったのだが集中できん、読むのは二度目だからかな」
わしの言葉に妻は部屋を見回した。
「そうですわね、私もこの部屋は落ち着きませんわ」
口調からするとわしを気遣っての事でもない様だ。はて、妙な事を……。
「お前は昔、この南苑に住んでいただろう」
「そうですけど、今では他所の家ですわね。私はブラウンシュバイク公爵夫人ですから」
そういうと妻は肩を竦めた。
「女帝陛下だ。……お前はこの国で一番偉いのだぞ、何時までも公爵夫人では困る」
わしが溜息を吐くと妻がまた笑い出した。困ったものだ、朗らかすぎる妻を持つとそれ自体が悩みの種になる。
「それで、その本は何ですの。貴方が本を読むなんて珍しい事ですけど」
「失敬な、わしだとてたまには本を読む」
「たまには?」
妻が屈託なく笑う、やれやれ、わし自身が墓穴を掘ったか……。
「“銀河連邦の終焉と帝国の成立”……、少し奇妙な本ですわね。帝国の本ですの?」
小首を傾げるようにして妻が問いかけてきた。
「いや、フェザーンで書かれた本だ。二十年ほど前にな」
妻が納得したように頷く。
“銀河連邦の終焉と帝国の成立”、銀河連邦が停滞を始めた頃、宇宙歴二百五十年から始まり帝国歴四十二年、ルドルフ大帝の崩御までの約百年を記述した歴史書だ。
妻が不審を抱いたのには理由が有る。連邦末期から帝国成立期というのは帝国の歴史家にとって非常に書き辛いのだ。この時代の事を書こうとすればどうしてもルドルフ大帝の事を書くことになる。そして大帝の事を書くとなればあくまで帝国の正史に準拠した書き方しかできない。
正史はルドルフ大帝の生誕から始まる。大帝の皇帝即位が帝国歴一年となるため、それ以前は帝国歴前××年という書き方になる。正史の始まりは帝国歴前四十二年からだ。そしてその内容は当時の連邦が腐敗、堕落しそれを憂いた大帝が神の如き指導力で一掃した。そして市民達の支持を受けて帝国を建国したと言うものだ。
独自の解釈による記述、そんな事をすればたちまち非難を受け社会治安維持局に逮捕されるだろう……。つまりこの時代の事は誰が書いても内容は同じで極めて詰まらない本になる。“この時代の事は正史があれば十分”という歴史学者達の皮肉はそこから来ている。
「宜しいのですの、貴方のお立場ではそのような本を読むのはいささか……」
妻が気遣うような視線を向けてきた。フェザーンで書かれたとなれば内容にはルドルフ大帝にいささか都合の悪い記述もあるだろう、そんな本を読んで良いのか? そういう事だろう。実際、記述内容にはかなりルドルフ大帝を批判的に書いた部分がある。
「構わん、元々は士官学校に有ったものだからな」
「士官学校? その本が士官学校に有りましたの?」
「うむ、ある生徒が学校にこれを取り寄せてくれと頼んだそうだ」
わしが本を手で弄ぶと妻は黙ってそれを見ている。ややあって躊躇いがちに問いかけてきた。
「その生徒というのは……」
「お前も想像はつくだろう、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、あの男だ」
「……」
リヒテンラーデ侯はあの男は帝国の弱点を知り尽くしていると言った。だからかもしれん、あの男の事を知らねばならないと思った。フェルナーに尋ねるといつも図書館で本を読んでいた、何かを考えていたと答えた。多分帝国とは何なのかを考えていたのだろう……。
気になってあの男の読んだ本を調べた。色々な本を読んでいる、軍事関係以外にも法律、経済、政治、歴史、社会……、幅広く読んでいた。確かに、あの男は帝国を知ろうとしていたようだ。
幾つか気になった本が有った。その内の一冊がこの本だ、本来なら士官学校には存在しないはずの本……。ヴァレンシュタインが学校側に取り寄せを頼まなければ存在しない本だった。取り寄せの理由は民主共和政の欠点を理解するため……。
本来なら取り寄せは不可能だった。だがヴァレンシュタインが優秀な生徒で有った事がそれを可能とした。士官学校二回生の時点で既に物流技術管理士、船舶運行管理者の資格を取得していたのだと言う……。ちなみにその翌年、彼は星間物流管理士の資格を取得、さらに翌々年には帝国文官試験に合格した……。
「どんなことが書いてありますの?」
「銀河連邦末期のさまざまな問題、そしてルドルフ大帝がそれに対してどのような対策を取ったか。それによる成果とそれが現在にどのような影響を与えているか……、そんなところだな」
「……貴方はそれを読んでどう思われたのです」
「そうだな、……貴族など滅ぼすべきだと思った」
わしの言葉に妻が驚いたように目を見張った。その表情が可笑しかった、わしが笑っている事に安心したのだろう。妻がほっとした様な表情を見せた。
「……過激ですわね、貴方らしくもない……」
「そうかもしれん、ここ最近貴族というものにうんざりしているからな。 だがわしがそう思ったのだ、あの男も同じ事を思ったはずだ」
「……ヴァレンシュタイン、ですか……」
「そうだ。……そしてルドルフ大帝が今の世をご覧になれば、やはり同じ事を考えられたに違いない」
「貴方……」
妻がまた驚いている。だがわしは取り消すつもりは無い。大帝がこの場におられれば間違いなく貴族を滅ぼしたはずだ。
「アマーリエ、まあ聞いてくれるか」
銀河連邦末期、連邦政府の統治力は著しく衰えていた。統治者達は利権と政争にのみ関心を持つ衆愚政治に堕落した。本来なら選挙という手段で政治家達を選択できる連邦市民もその権利を放棄した、能力有る政治家を選べなかったのか、或いは存在しなかったのか。民主共和政は自浄能力を失っていた……。
ルドルフ大帝が生まれたのはそういう時代だった。大帝が現状に不満を持ったことは間違いない。何とかしなければ、そう思った事だろう。強力な政府を、強力な指導者を、社会に秩序と活力を……。そう唱えた大帝に連邦市民は終身執政官として連邦の統治を預けた。だが大帝が選んだのは民主共和政による統治ではなく専制君主制による統治だった。
終身執政官として民主共和政を維持する事も出来たはずだ。それなのに何故大帝は専制君主制を選んだのか? 多くの歴史家が自己の無謬性を過信した独裁者が専制君主制を選んだのは当然だと答えている。
だがわしはそうは思わん。大帝は民主共和政を否定したのではない、当時の銀河連邦市民を、人類を否定したのだと思う。人類、未だ民主共和政を運用するに能わず、人類が己の手で統治者を選ぶなど無謀なりと……。終身執政官では自分の死後、また銀河連邦は衆愚政治に戻るかもしれないと考えたのだと思う。
それを防ぐには連邦市民の支持を必要としない指導者が必要だと考えた。もっとはっきり言えば連邦市民に主権など不要だと考えた。秀でた人物が頂点に立ち、その人物が他の優れた人物を選抜して一握りの優秀な人間達が統治者として国を治めるべきだと考えたのだ。その他大勢は黙って従えばよい、ルドルフ大帝が専制君主制を選んだ理由はそれだと思う。
大帝は己の無謬性を過信した独裁者だったのではない、人類を信じる事が出来なかっただけなのだ。逆に言えば銀河連邦末期の衆愚政治はそれほどまでに酷かったと言える。
大帝は連邦においては一政治家として活動もした。その時何度も腹立たしい思い、嫌な思いをしただろう。そして民主共和政という衆愚政治に、それを生み出した連邦市民、共和主義者に幻滅したに違いない……。
大帝が共和主義者を弾圧したのもそれが理由だろう、劣悪遺伝子排除法に反対した事はきっかけでしかなかった。大帝を弾圧に駆り立てたのは人類を信じ民主共和政を信じる者達への憎悪だったとわしは思っている。それほどまでに衆愚政治を望むのかと……。
貴族制度を作ったのも帝室を守る藩屏を作る事だけが目的では無いだろう。指導者層を固定化し、爵位を与える事で誇りと矜持を持たせようとした。それによって衆愚政治を防ぐのが真の目的だったとわしは考えている。
当然だが領地を与え、非課税にしたのも恩賞ではない。統治の一端を任せたと考えるべきだ。星系レベルでの統治を行わせることで行政官としての、統治者としての能力を向上させたのだ。その事が帝国の重臣としての識見に繋がると大帝は考えた……。
そして帝政初期においてそれは上手く行ったと言える。当時は共和主義者の反乱は有っても貴族の統治に対する反乱は無かった。政治制度に対する不満であって統治に対する不満ではなかったのだ。帝政の有効性、貴族制度の有効性は誰もが認める所だったはずだ……。
この統治体制に誤りが有ったとすれば、貴族制度をあまりにも固定化し過ぎた事だろう。特に爵位を持つ貴族を優遇しすぎた事が他の貴族、平民を排他することになった。階級間の流動性が失われるとどうなるか? 簡単だ、流動性が失われれば閉鎖的になり、閉鎖的になった階級は活力を失い階級内部に閉じこもる事になる。それが帝国の統治を担うべき大貴族の間に起きた……。
「つまり貴族達は民を顧みず、国を顧みず己が権勢と利権にのみ関心を持って行動している。何処かで聞いたような話だとは思わんか?」
わしが問いかけると妻は頷き、そして躊躇いがちに話しかけてきた。
「貴方はルドルフ大帝が誤ったとお考えですの」
「随分と大胆な意見だな、アマーリエ」
わしが大袈裟に驚いた振りをすると妻はすました表情で答えた。
「悪い夫を持った所為ですわ」
「女帝陛下の夫としては不届きなる者ですな、それは。後ほどきつく叱っておきましょう」
妻がわしを叩く様なそぶりをする。“参った”と言って両手を上げて降参すると笑い出した。
「それで、どうお思いですの」
「この本の中では間接的にだが誤ったと書いてあるな。だがわしに言わせればいささか酷だと思う。少なくとも帝政初期においては貴族制度は極めて上手く機能していたのだ。死後の事まで責任を持てというのはな……。それは生きている人間の責任だろう」
妻は頷いている。そして少し俯いて話しかけてきた。
「貴族達を滅ぼすというのは本気なのですね?」
「……」
「だから私にお話になったのでしょう?」
妻はもう俯いていない。わしの目を覗き込もうとするかのようにじっと見ている。
「アマーリエ、軍は貴族、下級貴族、平民の交流が活発だとは思わんか。政治の世界、貴族社会に比べれば遥かに開かれているし活力に満ちている。宇宙艦隊司令長官はオフレッサー元帥、そして宇宙艦隊で頭角を現してきたのはミューゼル中将だが彼は平民にも劣るほどの貧しい家に生まれた。完全にとは言わんがある程度の実力主義は成立している」
「……そうですわね」
「何故だか分かるか?」
「……」
「今から五十年ほど前の事だ、反乱軍の手で貴族出身の将官が大量に戦死した」
「ブルース・アッシュビーの事ですね」
「そうだ」
ブルース・アッシュビー、反乱軍が生んだ用兵の天才。ファイアザード星域会戦、ドラゴニア会戦、第二次ティアマト星域会戦等において帝国軍に損害を与えた……。特に第二次ティアマト星域会戦では僅か四十分程の間に将官約六十名が戦死した。いわゆる軍務省にとって涙すべき四十分だ。戦死した将官は殆どが貴族だった。
「貴族達は大量に戦死した将官の補充が出来なかった。その補充を行ったのは主として平民だった……」
「……かつて軍で起きた事を政治の世界でも起こそうと言うのですね」
「……」
わしは答えなかった、答える必要も無かっただろう。妻も敢えて答えを求めようとはしなかった。ただ二人でソファーに座っていた。妻がわしの持っている本に手を伸ばしてきた。そして題名を指でなぞる……“銀河連邦の終焉と帝国の成立”。
「いつかこんな本が出版されますわ」
「ん?」
悪戯を思いついたような表情だ。はて、何を考えついた?
「銀河帝国の衰退と再生……、素敵な題名だと思いません?」
意表を突かれた。妻はこういう言い方でわしの考えに賛成してくれたのだろう、有り難かった。
「そうだな、出来れば生きている間にその本を読みたいものだ……」
「読めますわ、きっと」
妻が指を絡めてきた、華奢で滑らかな白い指だ。その指を握り返しながら思った。本当にそうであれば嬉しいと……。
ページ上へ戻る