亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第七十三話 虚実
帝国暦 486年 8月 6日 ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル
「如何思われますか」
ケスラーが俺の表情を窺う様に問いかけてきた。クレメンツは難しい表情をして何事か考えている。
「そうだな……、有り得ない、とは言えないだろうな」
俺の答えにクレメンツとケスラーが深い溜息を吐いた。俺も誘われたように溜息を吐く。旗艦タンホイザーの会議室には重い空気が漂った。
つい先程までこの会議室にはミュラー准将が居た。彼はオーディンのフェルナー中佐と連絡を取っているがこれは俺の方からミュラー准将に頼んでいる事だ。宇宙に居るとどうしてもオーディンの情勢に疎くなる。そして今、帝国は極めて不安定な状態に有るのだ。情報に疎いという事は非常に危険であり例えてみれば目隠しをしたまま歩いているに等しい。
ミュラー准将がこの会議室で話した事は極めて重大な事だった。大まかに分けて二つある。一つは帝国、オーディンの情勢、そしてもう一つは反乱軍、ヴァレンシュタインの動向……。
帝国、オーディンの情勢だが碌なものではなかった。
・テロを起こしたクロプシュトック侯が自領に戻り徹底抗戦の構えを見せている事。
・反乱を鎮圧するため貴族の連合軍が派遣される事。
・貴族達が平民によるテロ活動を怖れ、反乱の鎮圧は過激なものになりかねない事。
・ブラウンシュバイク公は改革の準備を進めるため敢えて貴族による反乱鎮圧を認めた事。
・改革の開始まで今少し時間がかかる事。
唯一慰めになるのはブラウンシュバイク公が改革を実施する意志が有る事を再確認出来た事だけだ。それ以外は頭の痛い事しかない。
そしてそれ以上に問題なのは反乱軍、ヴァレンシュタインの動向だ。フェルナー中佐はリヒテンラーデ侯の遺言だとしてとんでもない事を伝えてきた。ヴァレンシュタインは帝国を混乱させる事を目論んでいる。そのためにはイゼルローン要塞を攻略しない方が得策だと考えている可能性が有る、それはそのまま反乱軍の軍事方針では無いのか……。
「我々を生かしておいたのはカストロプの件の生き証人にするつもりだと思ったのですが……」
「私もそう思った。しかし考えてみれば生き証人なら我々だけでも良かったはずだ。要塞は攻略できた……」
クレメンツとケスラーが呟いた。二人とも表情がさえない。
「イゼルローン要塞が落ちたとする。そうなると平民達が暴動を起こした時、反乱軍が支援する、或いは反乱軍の支援で暴動が起きる可能性が有ったという事か。そうであれば貴族達も渋々ながらも改革の実施に同意した可能性は有るだろう」
俺の言葉に二人が頷いた。
「しかし、イゼルローン要塞が健在となれば仮に暴動が起きても鎮圧は可能、ならば改革など不要だと貴族達が考える、いや考えたがるのは必然だろうな……」
「確かにその通りですな」
「小官もそう思います」
二人に同意されても少しも喜べない。有るのは苦い思いだけだ。またしてもしてやられた……。
「リヒテンラーデ侯の言う通りかもしれない、ヴァレンシュタインは敢えて帝国を混乱させるためにイゼルローン要塞を取らなかった。我々はカストロプの件に気を取られ過ぎた。あの件の生き証人だと言う事に納得してしまい要塞を攻略しなかった事に何の疑問も持たなかった……」
厄介な相手だ。相手の手を読んだつもりでも更にその裏が有ったとは。イゼルローン要塞に居ては分からなかったが、オーディンからなら見えたという事か。政権首班として帝国の混乱を目の当たりにしたリヒテンラーデ侯だから見えたのだろうが、さすがと言うべきだろう。長年宮中で生き抜いてきただけの事は有る。だが、その侯も死んだ……。
クロプシュトック侯が何故テロを起こしたかを考えれば、リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタインの前に敗れたという事だろう……。フリードリヒ四世を打ちのめしリヒテンラーデ侯と幼帝を捻り潰した、ヴァレンシュタインの手は恐ろしく長く強力だ。払い除けるのは容易ではない。
己の思考の海に沈んでいるとクレメンツの声が聞こえた。
「こうなるとヴァレンシュタインが反乱軍を動かしているというのは十分根拠が有りそうです」
「……参謀として作戦立案に関わっていただけではない、そういう事だな」
有り得ん事だ、だがどうしてもそういう結論が出てくる。
「小官が思うに事態はもっと深刻かもしれません」
「?」
言葉通り、クレメンツは深刻な表情をしている。クレメンツは何に気付いた?ケスラーを見た、彼はクレメンツを見ている。
「第六次イゼルローン要塞攻略戦で反乱軍の総司令官、ロボス元帥を解任したのは参謀長のグリーンヒル大将と言われていますが、それを提案したのはヴァレンシュタインです」
クレメンツの声が会議室に流れる。何かを確かめるような声だ、そして表情も厳しい。
「軍法会議ではロボス元帥は軍の勝利よりも己個人の野心を優先させようとした、従って解任は止むを得ないものと判断されました」
「それがどうかしたか」
俺の問いかけにクレメンツが俺を、ケスラーを交互に見た。
「ロボス元帥解任後、宇宙艦隊司令長官になったのはシトレ元帥……。これが最初から仕組まれたものだとしたら……」
「……仕組まれた……、どういう事だ、副参謀長……」
ケスラーの声が震えている。クレメンツがまた俺を、そしてケスラーを見た。昏い眼だ、どこか怯えのような色が有る様に見えたのは気のせいだろうか。
「ロボス元帥が解任された遠因はヴァンフリート星域の会戦に有ると小官は考えています。あの戦いはヴァレンシュタインの作戦により反乱軍の勝利に終わりました。しかし、あの戦いでロボス元帥は決戦に間に合わず面目を潰した……」
「覚えている、ヴァンフリート4=2に来た反乱軍は第五艦隊、そして第十二艦隊の二個艦隊だった。総司令官であるロボス元帥はあそこには来なかった。何度も戦闘詳報を読んだから覚えている……」
味方を収容して逃げる俺には状況を確認する余裕などなかった。何が起きたのかを知るため何度も戦闘詳報を読んだ。読む度に体が震えた、負けるとはこういう事なのかと思った。苦い思い出だ。
「面目を潰されたロボス元帥は第六次イゼルローン要塞攻略戦で焦りから不適切な命令を出し解任されました、解任の提案者はヴァレンシュタイン……」
クレメンツの声が続く。ヴァンフリート星域会戦を勝利に導いたのはヴァレンシュタイン、そして第六次イゼルローン要塞攻略戦でロボス元帥の解任を提案したのもヴァレンシュタイン……。
「……ロボス元帥は嵌められたと卿は考えているのか?」
「そうとしか思えません」
俺の問いかけにクレメンツが頷いた。
「有り得ない、総司令官を嵌めるなど……」
ケスラーが呻くような口調で呟いている。俺も同感だ、そんな事が有るとは思えない。
「卿の考えすぎではないか」
しかしクレメンツはそうではないと言うように首を横に振った。
「彼一人でやったわけではないでしょう、ヴァンフリートにヴァレンシュタインを派遣したのはシトレ元帥です」
「つまり、シトレ元帥とヴァレンシュタインが手を組んでロボス元帥を陥れた……」
声が掠れた。そんな俺をクレメンツが見ている、そして頷いた。
「第五次イゼルローン要塞攻略戦、ヴァレンシュタインが亡命した戦いですが、この時の反乱軍の総司令官がシトレ元帥です。あの二人はそこで出会っているのですよ……」
顔が強張る、ケスラーも顔が強張っている。有り得ない、有り得ない事だ。しかし……その有り得ない事を行ってきたのがヴァレンシュタインではなかったか……。クレメンツの声が続いた。
「小官はこう考えています。ヴァレンシュタインは両親を殺害された後、士官学校に入校しました。理由は貴族達への復讐と帝国の改革のためだったと思います。そのためには力が必要だと思ったのでしょう」
「……」
ごく自然に頷けた。俺も力が欲しかった。姉上を救い、皇帝になるために……。だから力を得るために軍に入った。俺もヴァレンシュタインも無力な存在だ、力を得ようと思えば考える事は同じだ。クレメンツの声が続く、ゆっくりと自分の考えを確かめながら話しているような口調だ。
「ですが彼は身体が弱かった。だから頂点に立とうとは思わなかった。自分と同じ望みを持つ人間を見つけ、その人物を助ける事で自分の望みを果たそうとしたのでしょう。ケスラー参謀長の事を知っていたのも協力者として仲間に引き込もうとしていたのだと思います」
「……」
ケスラーは小首を傾げ考え込んでいる。納得は出来ないのかもしれない、しかし反論も出来ない、そんなところか……。
ヴァレンシュタインが帝国に居れば、彼が多くの人間を俺に引き合わせたという事だろうか。ルッツ、ケンプ、ファーレンハイト……。戦いの後、彼らの事を調べたがいずれも力量のある男達だった。彼らを元帥府に引き入れられなかったのは失敗だった……。
「そう考えていくとヴァレンシュタインが兵站科を専攻した理由も分かります。戦争の基本は戦略と補給、彼の口癖ですがそれだけではなく考える時間が欲しかったのではないかと……」
「……考える時間?」
ケスラーの問いかけにクレメンツが頷いた。
「そうです。帝国を変えるためにはどうすれば良いか、それを考える時間を必要としたのだと思います。兵站科なら戦略科に比べ自由になる時間が有る。彼は良く図書室で本を読み、考え事をしていました。彼が帝国文官試験に合格したのも資格を取るのが目的ではなかったでしょう……」
「どういう事だ、クレメンツ」
資格を取るのが目的ではない、では何のために……。
「行政官としての目を持つ事、法律家としての目を持つ事が狙いだったと思うのです。だから彼はエリートコースである軍務省官房局にも法務局にも進まなかった。比較的余裕のできる兵站統括部で軍人として行政官として法律家として様々な目で帝国を分析した。どうすれば自分の望みを叶えることが出来るかと……」
戦慄が体を走った。ケスラーが呻いている。俺は皇帝になろうと思った。だがクレメンツの言う事が事実ならヴァレンシュタイン程帝国を理解しようとしただろうか? 軍で昇進し、実力を付ければ皇帝になれると簡単に思っていなかったか……。
「リヒテンラーデ侯がヴァレンシュタインは帝国の弱点を知り尽くしていると言ったのは大袈裟では有りません、至極当然の事なのです。彼ほど帝国を知悉している人間は居ません。帝国を変えるために帝国を知り尽くした……」
「……」
「そして敵対するであろう貴族とは何なのか、その弱点は何処に有るのかを知ろうとした……。おそらくカストロプ公の事もその時に気付いたのでしょう。自分の両親を殺したとは分からなかったでしょうが、カストロプ公はリヒテンラーデ侯の用意した生贄だと推測したのだと思います……」
知らないはずの事を知っている人間がいる、そうヴァレンシュタインは言っていた。知らないはずの事を知っていたのではない、クレメンツの推測が正しければ俺達が知ろうとしなかった事を知っていたのだ。
一体どれだけの時間を知るために費やしたのか……、ヴァレンシュタインは唯一人帝国の闇を探り続けた。それが帝国の、貴族達の弱点だから。そのために帝国の闇を見続けた……。
信じられない思いが有る、そんな事が有るのか? そんな事が出来るのか? だがこれまでの事を考えればクレメンツの言葉には十分に信憑性が有る。第一にあの男を常識で図るのは危険だ。
「シトレ元帥はそんなヴァレンシュタインの力を見抜いたのだと思います。そして積極的に彼を受け入れるべきだと考えた。しかしロボス元帥は違った。彼はシトレ元帥とは敵対していた。当然ヴァレンシュタインに対する扱いも違ったのでしょう」
「シトレ元帥はそんなロボス元帥に不満を持った、卿はそういうのだな」
俺の問いかけにクレメンツは無言で頷いた。確かにシトレは不満に思っただろう。ヴァレンシュタインを用いれば帝国との戦いを有利に進められる、そう思ったはずだ。そしてヴァレンシュタインを活用できるのは自分だけだと思った……。
「シトレ元帥だけではないでしょう、ヴァレンシュタインも同様だったはずです。彼はカストロプ公によって全てを失った。それがリヒテンラーデ侯の、帝国の方針だと知っていた……」
「……」
「である以上、彼はカストロプ公が粛清されるまで自分が帝国に戻れる可能性は無いと思ったはずです。そして何よりもヴァレンシュタインのカストロプ公、リヒテンラーデ侯への恨みは強かったでしょう。彼に残されたのは帝国への報復しかなかった。そして彼が帝国に報復するには同盟の力を借りるしかない……」
「シトレ元帥とヴァレンシュタイン……、この二人が結びつくのは必然という事か」
「その通りです、ケスラー参謀長」
クレメンツとケスラーが顔を見合わせて頷き合っている。二人とも顔色が良くない。
虎視眈々、そんな言葉が浮かんだ。虎は己の野望を遂げるためじっと機会を狙っていた。しかし時と場所を得ず虎は帝国を去った……。そして新たな地で虎は大きな力を得ようとしている……。
「ヴァンフリート以降、シトレ元帥とヴァレンシュタインは二人三脚で戦ってきた、シトレ元帥が総参謀長を置かないのもヴァレンシュタインが総参謀長の役割を果たしてきたからだと思います。フェルナー中佐の言うとおり、今の反乱軍を動かしているのはヴァレンシュタインでしょう……」
クレメンツが話し終わると会議室に沈黙が落ちた。皆、顔を見合わせている。ややあってケスラーが口を開いた。
「だとすると反乱軍は今後もイゼルローン要塞を攻略しない可能性が有る」
「問題は反乱軍がどう動くかですが……」
「可能性は二つだな」
俺の言葉にケスラーとクレメンツがこちらを見た。
「一つはイゼルローン要塞を攻める、そして帝国軍を誘引して撃滅する」
「しかし、それは」
「効率が悪い、そう言いたいのだろう、ケスラー」
俺の言葉にケスラーが頷いた。そう、確かに効率が悪い。帝国軍は要塞主砲の射程内で反乱軍を迎え撃つとなれば効果的な損害は与え辛い。ヴァレンシュタインがそれを選ぶ可能性は低いはずだ。となれば……。
「もう一つは、フェザーンだろう」
「フェザーン?」
ケスラーとクレメンツの声が重なった。二人は顔を見合わせている……。フェザーンを狙うと見せかけて帝国軍をフェザーン回廊へ誘引するのがヴァレンシュタインの狙いだろう。そしてフェザーンそのものも反乱軍へ引き寄せる事を考えているはずだ……。
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