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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第七十二話 目的と手段

宇宙暦 795年 8月 5日  ハイネセン   ジョアン・レベロ



シトレが笑っている、トリューニヒトも笑っている。賭け金はフェザーンとフェザーン回廊? 一体何を言っている。ホアンの顔を見た、彼も訳が分からないといった表情をしている。

「待ってくれ、本気で言っているのか? フェザーンを賭けの対象にする? 正気とは思えんな。大体独立とは何だ、政府に断りもなく勝手に出来る事ではないぞ。必ず反対が出る」

「レベロの言うとおりだ。フェザーンとはさまざまな形で政財界は繋がっている。フェザーンを利用しようと言うのは危険だろう。まして軍を派遣するなど……」
私とホアンの問い、いや詰問にも二人は動じた姿を見せなかった。相変わらず笑みを浮かべている。

「シトレ! トリューニヒト! 一つ間違えばフェザーンを帝国に押しやることになるぞ」
「落ち着けよ、レベロ」
シトレの顔から笑みは消えない、トリューニヒトの顔からもだ。その事が無性に腹立たしかった。一体二人とも何を考えている。

「落ち着けと言ってるんだ」
「……」
「サンドイッチでも食べたらどうだ、少しは落ち着くぞ」
何がサンドイッチだ、そんなもので落ち着くか、サンドイッチを二つ口に入れ、ワインを飲む。落ち着け、ジョアン・レベロ。

私の様子を見て二人が苦笑している、本当に腹の立つ奴らだ。
「落ち着いたぞ、どういう事だ、説明しろ」
二人の苦笑がさらに大きくなった、ホアンまで笑っている。

シトレとトリューニヒトが顔を見合わせた。微かに頷いている。トリューニヒトが話し始めた。

「誤解してほしくないんだが、我々はフェザーンを占領しようと考えているわけじゃない」
「しかし、フェザーン方面で戦争という事は軍を派遣するのだろう」
「軍は派遣する事になるかもしれんが、フェザーンからの依頼を受けてからになるだろうな」

小首を傾げながらトリューニヒトが答えた。つまり帝国軍に先に攻めさせるという事か。
「しかし、そう上手く行くか? 帝国だとてフェザーンを攻める事の危険性は分かっているだろう」
ホアンも小首を傾げて言う、私も同感だ。フェザーンを同盟に押しやることになる。帝国にそれが分からないとは思えない。

「レベロ、ホアン、フェザーンが今一番恐れている事は何だと思う?」
一番恐れている事? 今度はシトレが妙な事を言い出した。ホアンを見ると彼もちょっと戸惑った表情をしている。話の流れからすれば……。

「兵を向けられる、という事か? 中立が破られると」
私の言葉にシトレは首を横に振った。
「少し違うな、フェザーンが恐れているのは中立の前提となる条件が崩れる事だ」
シトレが一つサンドイッチを口に入れた。いける、と言った表情をしている。ワインを一口飲んで話を続けた。

「中立には二つのパターンが有る。一つは自ら強力な力を持ち中立を宣言する事だ。もう一つは周辺の国の勢力均衡を利用して自らの中立を周囲に認めさせる事……」
「フェザーンは後者だな」
私の言葉にシトレ、トリューニヒトが頷く。

「その通りだ、フェザーンは帝国と同盟の軍事的均衡を利用して中立を両国に認めさせ維持してきた」
「……」
シトレの表情が厳しくなった、トリューニヒトもだ。
「しかし、今、その均衡が崩れようとしている……」
「……」

今度はシトレに代わってトリューニヒトが話し始めた。
「軍事的に帝国が劣勢に立ったという事だけじゃない。帝国は今国内が極めて不安定な状態にある。或いは帝国は分裂する、崩壊するという事になるかもしれない」
「……つまり、帝国はフェザーンの中立を保障できなくなりつつある、或いは中立を保証してきた帝国そのものが存在しなくなる、そういう事か」

ホアンが呟くように吐く。それきり部屋が静かになった。皆顔を見合わせ黙っている。なるほど目の前の二人、いやヴァレンシュタインはフェザーンの中立が成り立たない事態が来ると見ているという事か……。

トリューニヒトがワインを一口飲んだ。そして話を続ける。
「フェザーンにとって帝国の崩壊は悪夢だ。帝国が崩壊すれば有力貴族、軍人達は独立し地方政権を作るだろう。彼らは自らの手で帝国の再統一を目指すはずだ。その時必要になるのが金だ」

「当然だろうな、軍備は金がかかるし戦争はさらに金がかかる。経済力の裏付け無しに戦争など出来ない。嫌と言うほど知っているよ」
「私も分かっている、顔を見れば軍事費を削れと言われるからな」
「私もだ、戦争屋と呼ばれて国家財政を考えていないと貶されるよ」
トリューニヒトとシトレが私の顔をニヤニヤしながら見た。

「仕方がないだろう、金が無いのは事実なんだ!」
憤然として言うとホアンが笑いだした。トリューニヒトとシトレも笑う。面白くない奴らだ。笑い終えるとトリューニヒトが口を開いた。

「彼らが簡単に金を手に入れようとすれば、当然だがその眼はフェザーンに行く。彼らは先を争ってフェザーンを自分のものにしようとするか、軍事的な圧力をかける事で金を毟り取る事を考えるだろう」

「……まるで犯罪組織だな」
「国家なんて多かれ少なかれそんなところは有るよ。いざとなったら同盟だって同じ事をやるだろう」
「他人事みたいに言うな、お前さんはその同盟の政治家なんだぞ」
トリューニヒトが肩を竦めて見せた。そして今度はシトレが話し出す。

「そうなった時、フェザーンが頼れるのは同盟だけだ」
「つまりヴァレンシュタインは……」
「フェザーンの中立、いや安全を保持したければ同盟寄りの姿勢を取れ、ルビンスキーにそう脅しをかけるという事だ」

言っている意味は分かる、しかし……。
「上手く行くのか? 仮にも黒狐と言われた男だ、ルビンスキーは一筋縄でいく男ではないぞ」
私の言葉にシトレとトリューニヒトが笑い出した。笑いながらトリューニヒトが口を開いた。

「上手くいかなくてもいいのさ、問題は帝国だ。帝国がどう受け取るかだ」
帝国がどう受け取るか? ホアンと顔を見合わせた、彼が少し考えるような風情を見せて話し出した。

「……中立の前提が崩れつつある、フェザーンがそれを見越して同盟に擦り寄っている……、そう帝国に思わせるという事か」
「そういう事だ、ルビンスキーは否定するかもしれん。しかし否定すればするほど帝国は疑うだろう。レベロ、ホアン、帝国はフェザーンの離反を受け入れられるかな?」

無理だ、先ず受け入れられない、トリューニヒトの話を聞きながら思った。彼の言葉が続く。
「先ず受け入れられないだろう。となれば帝国は自分達がフェザーンの中立を保障する力が有る、それを証明しようとするはずだ」
「つまり、戦争だな」

ホアンの言葉にトリューニヒトが頷いた。
「連中が何処から攻めてくるかは分からない。イゼルローンかもしれないしフェザーンかもしれない、しかしその戦いはフェザーンの帰属を賭けた戦いになるだろう」
「……政府に了承を取る必要は無いのか、事が事だぞ」

私の問いかけにトリューニヒトは首を横に振った。
「君の言うとおり事が事だからな、事前に説明するとフェザーンに漏れかねん。あくまで帝国軍を引き摺り出す事を目的とした軍の謀略として行う。フェザーンの独立はそのための手段だ」
「……」
「但し、いずれは目的と手段が入れ替わるかもしれん……」



帝国暦 486年 8月 6日 ミュラー艦隊旗艦バイロイト ナイトハルト・ミュラー



「ではクロプシュトック侯は……」
『そうだ、前回の戦いで息子を亡くしている。後継者を失った事、それがリヒテンラーデ侯の所為だと知った事が今回の爆破事件に繋がった』
目の前のアントンはやり切れないといった様な表情をしている。以前は頭部に包帯を巻いていたが今は無い。右腕は三角巾で釣ったままだ。

『皆言っているよ、エーリッヒの呪いだとね』
「……」
『無理もないさ、立て続けに皇帝が死んだ。皆フリードリヒ四世陛下もエルウィン・ヨーゼフ二世陛下もエーリッヒに殺されたと思っているんだ。当然だがリヒテンラーデ侯もね……』
「……」

アントンが遣る瀬無さそうに話す。呪いなどと馬鹿げているだろう、本当なら否定すべきなのかもしれない。だが俺は否定できない。艦隊の中でも同じような事を言っている人間が殆どなのだ。そして艦隊の現状を見ればまさに呪いとしか言いようのない状況だ。

「……クロプシュトック侯は、今は何を」
『領地に戻って徹底抗戦の姿勢を見せている。討伐軍が編成された』
「討伐軍? そんな兵力が有るのか?」
俺の問いにアントンは顔を顰めた。

『貴族達が連合して討伐軍を出す』
「はあ、なんだそれは。連中は反乱軍にぶつけるのだろう」
『あの爆破事件で身内を殺された貴族が大勢いる。その貴族達が復讐したいと言っているのさ』
吐き捨てるような口調だ、アントンは納得していない。

「ブラウンシュバイク公はそれを許したのか」
『許した。こちらは改革を如何進めるか、何の準備も出来ていないんだ。今の状態では貴族達を反乱軍にぶつける事は出来ない、少なくとも改革の理念と内容を貴族達に示さなければ……』
「……」
アントンの表情が沈痛なものになった。こんな顔をする奴じゃない、オーディンの状況は決してよくない。

『現状では小煩い貴族達が一人でもオーディンから居なくなってくれるなら大歓迎と言う訳さ。現実にクロプシュトック侯の反逆を放置できないと言う理由も有る』
「……だからと言って」

『連中、恐れているんだ。この件で平民達がテロに走るのを恐れている。徹底的に叩き潰して、平民達に恐怖心を植え付ける。それが目的だ』
吐き捨てるような口調だった。余程に嫌な思いをしたのだろう。貴族達はブラウンシュバイク公に詰め寄ったはずだ、その相手をさせられたのかもしれない。

「……大丈夫なのか」
俺の問いかけにアントンは肩を竦めるしぐさをした。
『さあな、鎮圧に時間がかかっても構わない、ブラウンシュバイク公はそう思っているようだ。その方が時間が稼げるからな』
「……」
溜息が出た。

『一ヶ月早かった……、あと一ヶ月あれば如何改革を進めるか、準備できたんだ……。おかげで今、後手後手に回っている。我々は改革をどう進めるか、検討に入ったところだが、事が事だ、貴族達に知られぬようにこっそりと行わざるを得ない、当然だが進みは遅い……。余計な事をしてくれたよ、クロプシュトック侯は……』

呻くような声だ。あの計画が上手く行けば、クロプシュトック侯の事件さえなければ、そんな思いがアントンにはあるのだろう。その思いは俺にも、ミューゼル提督にも有る。全く余計な事をしてくれた。

「……上手くやってくれとしか言いようがない、こっちはもう如何にもならないんだ。軍は戦争なんか出来る状態じゃない。指揮官達は皆頭を抱えている……」
俺の訴えにアントンの顔が辛そうに歪んだ。

『分かっている、公もそれは理解しているんだ。そして軍が頼りにならなければ皇帝の座がいかに危険かも理解している。必ず改革は行う、だからもう少し我慢してくれ』
「頼む」

溜息が出た。軍はもうどうにもならない。戦えない軍など軍ではない……。指揮官達は皆、自分達の存在意義さえ見失いかけている。

『ナイトハルト、気になることが有る』
アントンが浮かない表情で話しかけてきた。
「何だ、一体」
『反乱軍、いや、エーリッヒが次にどう出るかだ』

「……今度こそ反乱軍はイゼルローン要塞の攻略をするんじゃないか」
俺の問いかけにアントンが首を横に振った。
『とは限らない、リヒテンラーデ侯が死ぬ間際にブラウンシュバイク公に言った言葉が有る』
「……リヒテンラーデ侯?」

『エーリッヒがわざとイゼルローン要塞を取らなかったと侯は言ったんだ。イゼルローン要塞を取れば帝国が改革やむなしで一つにまとまる、だから敢えて要塞を取らずに帝国を分裂させようとしたと……』
「まさか……」
声が震えた。考えられない、そんな事が……。

『俺もまさかと思いたい。だが現状はリヒテンラーデ侯の言ったとおりだ、どうしても気になる。もしそれが事実ならエーリッヒの次の狙いは何か……』
アントンが俺を見ている。深刻な表情だ、かなり思いつめている。

「……イゼルローン要塞攻略は反乱軍にとっては悲願だろう、それを止める事が出来るのかな……。それにあいつは司令部参謀から艦隊司令官に転出した。反乱軍の作戦に関与できるのか?」
俺の問いかけにアントンは大きく息を吐いた。

『分からん、だが前回はイゼルローンを落とせたのに何もせずに軍を返した。エーリッヒはかなり反乱軍の上層部に信頼されているんだと思う。だとすれば作戦に関与してもおかしくは無い……』
「……もし、そうだとすれば厄介だな」
『ああ、厄介だ』

俺もアントンも、そしてギュンターも分かっている、エーリッヒは出来る。エーリッヒを嫌っていたシュターデンでさえそれを否定はしなかった。そのエーリッヒの口癖は“戦争の基本は戦略と補給”だ。目先の勝利には拘らない、戦争の目的を定め、万全の準備をしてから戦う。だとすれば……。

前回、反乱軍がイゼルローン要塞を落とさなかったことをもっと重視するべきなのかもしれない。亡命者だから、いやエーリッヒだからイゼルローン要塞に拘らなかった……。だとすればエーリッヒはかなり反乱軍に信頼されている、いやエーリッヒが反乱軍を動かしている可能性も有るだろう。亡命者にそんな事が出来るのかとは思う。本来なら有り得ない事だ、しかし……。

俺が考えているとアントンの声が聞こえた。
『もう一つ気になる事が有る。エーリッヒは何故カストロプの件を知っているんだ? 俺達はあの件をルーゲ伯に聞くまで知る事が出来なかった。だがエーリッヒは知っていた……、何故だ?』
「……」

アントンが俺を探るような表情で見ている。
『エーリッヒはカストロプ公が贄であることを最初から気付いていたんじゃないか』
「馬鹿な、そんな事が有り得るはずが無い」

『だったら何故亡命した? 卿は憲兵隊に全てを話そうと提案したがエーリッヒはそれを拒絶した。確証は無かったかもしれんがうすうす気付いていたんじゃないかと俺は思っている』
「……」

イゼルローンでの出来事を思い出した。俺は憲兵隊に全てを話そうと提案した、だがエーリッヒは頑なに拒んだ。そして亡命することを選んだ……。あの時の事が鮮明に蘇った。エーリッヒの声が聞こえる……。

“ナイトハルト、私は決して卿のことを忘れない”
“俺もだ、俺も決して卿のことを忘れない”
“それは駄目だ、私は味方を撃ち殺して亡命する裏切り者なんだ、直ぐに忘れてくれ”

『ナイトハルト、俺の考えが正しければエーリッヒにはかなりの謀才も有るぞ。ただの戦略家じゃない、注意が必要だ』
アントンの声が俺を現実に戻した。その通りだ、注意が必要だ。感傷に浸る暇は無い……。ミューゼル提督にも話しておく必要が有るだろう……。




 
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