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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第七十話 混迷

帝国暦 486年 8月 4日  オーディン  リッテンハイム侯邸  クリスティーネ・フォン・リッテンハイム



「お帰りなさいませ」
「うむ」
夫、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世は疲れた表情をしている。八月一日に起きた爆弾テロ以来、夫は連日遅くまで新無憂宮に詰めている。

エルウィン・ヨーゼフ二世の葬儀をどうするか、次の皇帝は誰になるのか、リヒテンラーデ侯が死んだ以上次の政府首班を誰にするかの問題も有る。思うように決まらないのか、或いは次から次へと問題が起きているのか、夫の顔色が晴れることは無い。

夫は居間に行くとソファーに腰を下ろした。
「クリスティーネ、済まんが酒、いや水を用意してくれんか」
「お水で宜しいのですか?」
私の問いかけに夫は無言で頷いた。疲れているのならお酒を一口飲んで休んだ方が良い。いや、水をと言ったという事はこれからまだ考える事でもあるのだろうか。

侍女には用意させなかった。何の役にも立てないが心配しているという事だけは分かって貰いたい。グラスに氷を入れ冷えた水を入れて夫に渡した。受け取った夫は微かに笑みを浮かべて一口水を飲んだ。

「クリスティーネ、話が有る、ここに座ってくれ」
夫が指差したのは夫の正面ではなく隣だった。余り人には知られたくないという事なのだろう。侍女達に先に休むように命じ、夫の隣に座る。夫はもう笑みを消していた、憂鬱そうな横顔を見せている。

「次の皇帝が決まった」
「……エリザベートですか」
「……」
夫は答えない。黙ってグラスを見ている。

「……サビーネなのですか」
テロが有ったばかりだ。今度はサビーネがその標的になる……。そう思うと声が震えた。
「いや、ブラウンシュバイク公爵夫人が女帝として即位する」
「お姉様が……」
私の呟きに夫が頷いた。夫が見せている憂鬱そうな表情は不満なのだろうか。

「お前も帝国の現状は分かっているな」
「はい」
帝国は今不安定な状況にある。リヒテンラーデ侯が行ったカストロプの一件、あれの所為で平民達の不満がかつてないほどに高まった。エルウィン・ヨーゼフ二世が殺された時も最初は反政府主義者、平民によるテロだと思ったほどだ。

「帝国の政情安らかならず、幼帝の即位を許す様な状況にはない、たとえ女性であろうと、いや女性であればこそ成人した大人を皇帝として仰ぐべき……。それがブラウンシュバイク公と私の考えだ」
夫が私を見た、分かるなと言っている。

「それでお姉様を」
「最初はお前をという話も有った、ブラウンシュバイク公は今回のテロ事件の責任を取りたいと言ってな。だが私がそれを抑えた。何故か分かるか?」

「私の身が危険だと思ったのですか、テロの標的になると」
「そうではない、いやそれも有るが……、ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家では僅かにブラウンシュバイク公爵家の方が実力は上だ。お前が女帝となれば馬鹿どもがブラウンシュバイク公が不満を持っていると騒ぎだすだろう」

夫は遣る瀬無さそうな表情をしている。そしてまた一口水を飲んだ。
「それを恐れたのですか」
「場合によってはあのテロ事件も私が後ろで糸を引いていたなどと言い出しかねん。だからな、私がブラウンシュバイク公に譲る姿勢を見せる事でそれを防いだのだ。我らは協力しなければならん、周囲に隙を見せてはならんのだ」

言い聞かせるような口調だった。私が思う以上に帝国は不安定なのかもしれない、夫がそこまで配慮しなければならないとは……。
「お疲れでしょう、貴方」

私の労りに夫は少し照れたように笑みを浮かべた。髭を生やした夫が困ったような笑みを浮かべている。私はこの笑みが好きだ。
「ブラウンシュバイク公は女帝夫君として女帝陛下の統治を助ける事になる。私も内務尚書として女帝陛下を助ける事になった」

内務尚書? 国務尚書ではなく? 私の表情を見て夫が笑い声を上げた。私は考えていることがすぐ顔に出るらしい。
「内務省は警察、そして社会秩序維持局があるからな。思慮の足りない者に任せると訳も分からず平民達を弾圧しかねん。私も思慮深いという訳ではないが、他に任せられる人間がおらんのでな。ブラウンシュバイク公に是非にと頼まれた……、断れん……」

最後は溜息を吐いた。夫は本心からブラウンシュバイク公を助けようとしている。それほどまでに帝国の状況は良くない、そういう事なのだろう。妙な話だ、夫がブラウンシュバイク公を助けて内務尚書になるなど今まで考えたこともなかった、今でも半信半疑だ。

「一年前なら公と張り合ったのだがな、今の帝国ではそんな余裕は無い」
ぽつんと寂しそうな口調に胸を衝かれる様な思いがした。いつもなら“何を言っているのです!”と叱咤したかもしれない。夫は“そう言うな”と私を宥めただろう。でも今はとてもそんな気にはなれない、少しの間沈黙が落ちた……。

「ブラウンシュバイク公は改革を行うつもりだ。私もそれに協力する事になる」
驚いて夫を見た。夫は水の入ったグラスを見ている。
「大丈夫ですか、貴族達が反発するのでは?」
「反発するであろうな、だがこれ以上放置すれば帝国が崩壊しかねん」
夫がまた溜息を吐いた。

「軍がどうにもならん、聞いているか?」
「軍が? いえ聞いていませんが」
「兵達の士気が下がって戦える状態ではないそうだ」
「オフレッサーは何をしているのです! エーレンベルクは、シュタインホフは!」
私が怒りの声を上げると夫が笑い出した。

「貴方!」
「許せ、ようやくお前らしくなったと思ったのだ」
「まあ」
夫は可笑しそうに笑っている。腹が立ったが沈んでいる夫よりは良い、我慢する事にしよう。それより軍がどうにもならないとは、一体……。

「軍がどうにもならないと聞きましたが?」
「カストロプの件でヴァレンシュタインが反乱軍に亡命した。それがきっかけでヴァンフリート、イゼルローンで一千万人以上が死んでいる。兵達にしてみれば何故彼らが死んだのか納得がいくまい。兵達は帝国に幻滅しているのだ」
先程までの軽やかな笑いは無い、何処か自らを嘲笑うかのような笑いがある。

「帝国内で反政府活動が激しくなれば我々は孤立しかねん。軍は当てにならんどころか反政府勢力に同調するだろう」
「貴族達は、貴族達は当てにはなりませんか」
私の言葉に夫は昏い笑みを見せた。滅多に見せたことのない笑み……。

「自分の利益の事しか頭にない連中だ、当てにはならん。おそらくは自領の反政府勢力を押さえる事に軍を使うだろう。我らのためになど援軍は出さん、たとえそれが帝国の滅亡につながると分かってもな」
「……」

「今回のテロ、犯人がクロプシュトック侯で良かった」
「どういう事です、貴方」
意味深な言葉だ、どういう意味だろう。クロプシュトック侯なら良かった? 犯人が他の誰かなら都合が悪かった?

「平民が犯人であってみよ、改革を行うのは難しい事になる。テロが改革を呼んだと思わせてはならぬ。平民達に自分達の要求を通すにはテロしかないと思わせてはならぬのだ……、犯人がクロプシュトック侯で有ったのは僥倖だった……」

厳しい声だった。夫は思いつめた様な目をしている。また一口水を飲んだ。
「……次は無い、そう仰るのですね」
夫が頷いた。私の声が掠れているのに気付いたのだろう。夫がグラスを私に差し出してきた。一口飲んで思ったより喉が渇いている事に気付いた。もう一口飲んで夫にグラスを返した。夫が残った水を飲み干しグラスをテーブルの上に置いた。

「危うい所であった……。反政府活動を抑えるためには改革を行うしかない。それによって彼らを抑え兵の帝国への忠誠心を取り戻す……。それしか帝国が生き延びる道は無い」
帝国が生き延びる道……、即ち私達が生き延びる道という事か。夫が私を見た、厳しい視線だ。思わず姿勢を正した。

「女帝陛下がテロに倒れれば、その時はお前が新たな女帝として立つことになる。当然だがお前を危険な目に遭わせる事になるだろう……」
「……」
「それでも私はお前に頼まざるを得ん、帝国を守るために女帝になってくれと……」

私はこれまでこんな厳しい表情をした夫を見たことは無い。頷くことも出来ずにただ夫を見ていた。そんな私に夫の言葉が続く。
「その時はお前の事を思い遣る様な、気遣うような余裕は有るまい。だから今謝っておく、済まぬ、……許せ」

夫が私の目で頭を下げている、そしてそのまま上げようとしない。その事が無性に悲しかった。夫の肩に縋りついた、夫が私の背に手を回してくる。暖かい手だった、その事が嬉しかった。きっとこの手が私を守ってくれる、守りきれない時は運命だと受け入れよう、決して夫を恨むようなことはすまい……。



宇宙暦 795年 8月 4日  ハイネセン  最高評議会ビル   ジョアン・レベロ



自由惑星同盟最高評議会は十一名の評議員から構成されている。
最高評議会議長ロイヤル・サンフォード
副議長兼国務委員長ジョージ・ターレル
書記トーマス・リウ
情報交通委員長シャルル・バラース
地域社会開発委員長ダスティ・ラウド
天然資源委員長ガイ・マクワイヤー
法秩序委員長ライアン・ボローン
人的資源委員長ホアン・ルイ
経済開発委員長エドワード・トレル
国防委員長ヨブ・トリューニヒト
そして財政委員長である私、ジョアン・レベロ

今日は緊急の会議が開かれている。帝国で起きた皇帝暗殺事件、この事件の詳細を知るためだ。説明者はトリューニヒト国防委員長、皆彼の説明を神妙な面持ちで聞いている。幼帝が僅か即位二ヶ月で暗殺など尋常な事ではない。皆が今帝国で何が起きているかを知りたがっている。

「では今回のテロ事件は反政府活動ではなく、クロプシュトック侯の個人的な恨みによる犯行だというのだね。政治的な意味は無いと」
「その通りです」

トリューニヒトがサンフォード議長の質問に答えている。自信に溢れた姿だが、その答えのほとんどはヴァレンシュタインからシトレへ、そしてトリューニヒトへと伝わったものだ。私もホアンも知っている事だが、初めて聞くような顔をして聞いている。時折相槌を打ったり、驚いたり、面倒な事だ。

「なるほど、よく分かった。それにしても短期間の間に良く調べたものだ」
サンフォード議長の称賛にトリューニヒトが満面の笑みを浮かべた。それをボローン法秩序委員長が忌々しそうな表情で見ている。

例のスパイ事件で面子を潰されたと思っているのだろう。そしてあの事件以降、軍はヴァンフリート、イゼルローンで大勝利を収めている。当然だがトリューニヒトの政治的地位は高まった。益々面白くないに違いない。

「次の皇帝が誰か分かるかね、国防委員長」
問い掛けたのは副議長兼国務委員長のジョージ・ターレルだ。意地の悪い表情をしている。この男もトリューニヒトに良い感情を持っていない。次の議長職を狙っているのだろう、予測が外れれば大声で言いふらすに違いない。嫌な男だ。

「ブラウンシュバイク公爵家か、リッテンハイム侯爵家から出るとは思いますがどちらとはまだ言えません。帝国は今国内が不安定な状態にあります、両家とも皇帝を出すことが必ずしも自家の利益になるとは考えていない節が有ります」

彼方此方でざわめきが起きた。中には信じられないというように首を振る者もいる。
「帝国が混乱しているならイゼルローン要塞を攻略するべきではありませんか。帝国は敗戦により兵を大量に失っている。効果的な防衛は難しいのでは? イゼルローン要塞を奪取するチャンスです」

ガイ・マクワイヤー天然資源委員長だ。顔面が紅潮している、興奮しているのだろう。トリューニヒトの顔からは先程までの得意げな表情は無い。面倒な事を言い出したと思っているのだろう。

「軍はイゼルローン要塞攻略を考えていない。軍の基本方針は敵兵力の撃破だ。要塞攻略よりも敵兵力の撃破の方が帝国に効率良く損害を与えられると考えている。前回の戦いを振り返って見れば妥当な考えと言って良い」

「方針を変えるべきではないかね。帝国を打倒するのであれば待ち受けるのではなく踏み込むべきだろう」
阿呆、それをやれば同盟は破滅する、分からないのか。いや、分からないのだろうな、私もヴァレンシュタインに指摘されるまでイゼルローン要塞攻略が危険であることを理解していなかった。

「前回の戦いでイゼルローン要塞を攻略するべきだったのだ。そうしていれば今回の混乱に乗じて帝国に大きな打撃を与える事も可能だっただろう」
ボローン法秩序委員長が意地の悪そうな笑顔を見せている。この男はトリューニヒトを困らせるためなら裸踊りだってするだろう。

「要塞を攻略しなかったのは軍の謀略の一環でもあったのだ、あれが有ったから今の帝国の混乱が有る。それを無視してもらっては困る」
トリューニヒトが部屋を見回しながら言った。ボローンに同調する人間が現れる事を防ぐつもりだろう。

「私は軍の方針を支持します。待ち受けて撃滅する、大いに結構。これ以上の戦争拡大は反対ですな。これ以上戦火が拡大すれば国家財政とそれを支える経済が破綻する、到底賛成できない」

「しかしこれは絶対君主制に対する正義の戦争だ。不経済だからと言ってただ敵を待つというのはどうだろう。多少の無理をしても踏み込むべきではないのか」
頼むから口を閉じてくれ、マクワイヤー。それと皆こいつの馬鹿な意見に同調するな、頷くんじゃない!

「私も戦争拡大には反対だ。戦争が拡大すれば現在減りつつある教育や職業訓練に対する投資が更に削減されるだろう。今でさえ労働者の熟練度が低くなり社会機構全体にわたってソフトウェアの弱体化が進んでいるのだ。これ以上弱体化が進めば社会機構の維持そのものが難しくなる」

やれやれだ、私とホアンがトリューニヒトを援護するとは。出来るだけトリューニヒトとは距離を置くようにしていたのだが……。しかし戦争拡大論を放置は出来ん。

「そこで提案するのだが軍に徴用されている技術者、輸送および通信関係者の内から四百万人を民間に復帰させてほしい。これは最低限の数字だ」
ホアンが皆を見渡しながら言った。いいぞ、ホアン、戦争拡大など論外だと連中に分からせてやれ。

「無理を言わないで欲しい。それだけの人数を後方勤務から外されたら軍組織は崩壊してしまう」
トリューニヒトが苦虫を潰したような表情で答えた。内心では感謝しているだろう。戦争拡大はトリューニヒトも望むところではない。

ホアンはまだ周囲を納得させるには十分ではないと判断したようだ。そのあとも事例を挙げてソフトウェアの弱体化を訴えた。トリューニヒトを責める形にはなったが周囲も問題だとは認識しただろう。いずれ和平論を持ち出すときに役に立つ。良いタイミングで出したと言える。

結局結論は出なかった。サンフォード議長が今すぐ決めなくても良いだろうと先送りして終わりだ。有耶無耶にするつもりかもしれんがイゼルローン要塞攻略が無くなるなら願ったりかなったりだ。

会議終了後、ホアンが近づいてきた。小声で話しかけてきた。
「拙いな、少々勝ち過ぎたか」
「そうは思わんが現状を認識していない阿呆が多すぎる」

同じように小声で答えながら思った。帝国に戦争継続の意思を捨てさせるまで叩く、その考えに間違いは無い。問題は勝利というものが余りにも甘美で有りすぎる事だ。皆がそれに酔って現実が見えていない。

目の前をトリューニヒトが歩き去ってゆく。そして何人かが私とホアンを見ながら部屋を出て行った。多分私達に戦争反対派とレッテルを張っただろう。その通りだ、それのどこが悪い。

「このままではまたイゼルローン攻略論が出るだろうな」
「一度、四人で集まるか」
「四人か、五人でないところが痛いな」

ホアンが顔を顰めている。そのとおりだ、あの若造は生意気で人を人とも思わないなんとも忌々しい若造だが嫌になるほど頼りにはなる。シトレはヴァレンシュタインが傍に居ると負ける気がしないと言っていたがその気持ちが良く分かる。

なんであの男があと三人居ないんだ? あと三人いれば私とホアンとトリューニヒトの所に一人ずつ置けるのだ。そうすればホアンは抜け毛の心配をせずに済むし私だって血圧の心配をせずに済む。トリューニヒトだって白髪が増えずに済むだろう。シトレだけが楽をしている。後で文句の一つも言ってやらねばなるまい……。

 
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