SAO-銀ノ月-
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悠那
前書き
執筆用の端末がクラッシュ!
「いやー、悪ぃな。こんなところまでよ」
代々木の病院。そこにクラインたちが入院していると、調べてくれていたエギルから連絡があった。面会時間すぐに病院へ行った俺とキリトが見たものは、右腕を折られてベッドに横たわったクラインの姿だった。
「んな顔すんなって。見た目ほどすげぇケガじゃねぇからよ」
「あ、ああ……」
そんなこちらの表情が透けて見えていたのか、クラインがわざとらしくギブスに包まれた右腕を大きく動かしてみせ、痛みに少し顔をしかめていた。そのことには気づかないように、髪の毛を掻きながら視線を逸らすと、病室に《アミュスフィア》が置いてあるのを発見した。
「ま、入院ってのも一週間ぐらいで……ん? ああ、エギルの旦那に持ってきて貰ったんだよ。入院生活って暇でよぉ」
「なあ、クライン……」
「お?」
多少ボロボロになった《アミュスフィア》を見ていたのに気づいたのか、既に昨日あたりに見舞いに行っていたエギルのおかげだと、クラインから何故か得意げに説明が入る。すると今まで黙っていたキリトが、意を決したかのように口を開いた。
「《SAO》のこと……覚えてるか?」
「……あー……そうだな、なんか思いだそうとすると、頭ん中にモヤがかかった感じで」
……キリトからの問いかけに、今度はクラインが目を逸らす番だった。しばらく言いにくそうに口ごもっていたが、それだけでもリズたちと同じ症状であることが伝わってきて、無意識に拳を握り締めていた。ただしそんな俺たちに対して、クラインはいたく自然な動作で寝転んでいたものの。
「ま、そんないいことばっかでもなかったからよ。仕方ねぇかなって」
「そうか……」
「んじゃ、こんなところにいる場合じゃねぇだろ? 行った行った」
そうしてクラインはもう話すこともないとばかりに、俺たちがいる方向とは正反対に寝転がった。何も話していないにもかかわらず、こちらが何をしているか察したかのような態度に、キリトとばつが悪そうに顔を見合わせる。
「また来るよ」
「へいへい……無理すんじゃねぇぞ」
どうも全て見透かされているらしいが、何も言ってこないことを感謝しながら。最後にそんな激励が小さな言葉で放たれるのを背後に聞きつつ、俺たちはあまり晴れない表情でクラインの病室を出ていった。
「いいことばっかりでもなかったから仕方ない……か」
そうして代々木の病院から出た俺は、無意識のうちにクラインが語っていた言葉を口にしていた。いや、クラインだけの言葉ではない。クラインの後に見舞いに行った他の《風林火山》のメンバーも、打ち合わせでもしたかのように、似たような意味合いの言葉を語っていたのだ。
「クラインたちが言った通り、いい記憶じゃないのも確かだけどな……」
「ああ……」
キリトがそうして口ごもるように、クラインたちの言っていることも理解は出来るものの、割りきることが出来ないのは俺たちがまだ子供だからか。あの《SAO》がなかったのならば、今の俺たちは全く違う人間になっていただろうと、自嘲気味にだが断言は出来る。そんなことを言ってしまえば、生還者学校でまた特別な相談プログラムが組まれてしまうが。人格が形成される年齢にあったあれほどの出来事に、まるで影響を受けるなというのも無理な話だ。
「割りきれないな……」
そんな自分を形作っている記憶がなくなってしまえば、自分は今までの自分でいられるのか、という自分が自分でなくなる恐怖。先日はリズに『あんなクソゲーの記憶がなんだ』と啖呵をきったはいいが、そんなリズが今なお味わっている恐怖に、逆の立場なら俺は耐えることは出来ないかもしれない。
「……よし。それじゃあ――」
ならばこそ、そんな恐怖をリズたちに与えた奴らが許せないと、キリトと言葉を交わすまでもなく通じあった。そうしてお互いに決意を新たにし、行動を始めようとすれば。
「あ、お兄ちゃ-ん!」
「スグ?」
病院の前に停まったバスから、見知った少女がバッグを片手に飛び降りてきた。すぐさまこちらに駆け寄ってきたかと思えば、まるでおまけのように「ショウキくんも」と付け加えられつつ、直葉もばつの悪そうな表情でバッグの中身を漁りだした。
「会えて良かった-。はいこれ、お弁当」
「お。わざわざ悪いな」
「えへへ。怪我したら承知しないんだから、頑張ってよね」
「ん……?」
お兄ちゃんはこっち、ショウキくんはこっち――と、弁当箱が入ったポシェットをわざわざ指定されて渡されると、直葉はバッグを持ち直してガッツポーズを作る。キリトが何やら不審げにこちらの弁当箱が入ったポシェットを見ていたが、その視線に気づいた時にはすでに弁当箱は俺のリュックの中に収納されていた。
「それじゃあ、私もクラインさんたちのお見舞いだから!」
「俺たちなんかより、スグの方が喜ぶだろうからな。よろしく頼むよ」
「……どうやって説得したんだ?」
何か言いたげにしながらも、こちらから逃げるように立ち去っていく直葉の後ろ姿を眺めながら、聞こえないような小さな声でキリトに問いかけた。直葉なら「自分がオーディナル・スケールを攻略する」と言いそうなものだが、というこちらからの言外の問いかけに、キリトはこちらから視線を逸らしながら答えた。
「……別に。昨日、話しただけだよ」
「……そうか。じゃあ、手はず通りに。そっちは頼む」
まだ直葉は完全に納得した、とは言い難いようだったが。あまり言いたくなさげだったのを無理して聞くこともないと流すと、今しがた直葉が乗ってきたバスが折り返しの運転を始めたのを見て、キリトに向き直りながら語りかける。キリトのようにバイクでもあれば、わざわざバス移動などしなくて済むのだが、これは無い物ねだりという奴だろう。
「ああ。絶対に手がかりを掴んでみせる。そっちは……」
こちらもただやられっぱなしではないと、向き直ったキリトの瞳には決意が宿っていた。菊岡さんの手配のおかげで、これからキリトはあの《オーグマー》の開発者のもとを尋ねて、今回の記憶喪失事件のことを問いただすそうだ。
……その開発者の教授というのが、あの茅場や須郷を輩出したゼミの教授だというのだから、悪いが疑ってかかってしまう。しかしてそちらはキリトの方に任せておいて、俺はもう一人の手がかりを追うこととなっている。
「ユナのことは……俺がやらなきゃいけないんだ」
――先日のボス戦。キリトと直葉の方は例のノーチラスと遭遇し、短い時間ながらも刃を交えたらしい。直葉がいなければ危なかったというのはキリトの弁だか、構わずこちらを直接的に殴ってくるノーチラスを前にすればこそ、直葉に危険だから関わらないように説得できたらしい。幸か不幸かというべきか怪我の功名というべきか、ともかく。
対して俺とシノンが参加したボス戦は、特に手がかりらしい手がかりは見つけられなかったが、またあの白い少女と対面した。いや、対面したというよりすれ違っただけだったが――おかげで思い出せていた。
彼女は、『ユナ』だ。
「……」
代々木の病院から発進するバスに乗りながら、俺は《オーグマー》を起動する。もちろん《オーディナル・スケール》をプレイしようという訳ではなく、呼び出すのは東京都の地図アプリとネットに流れる『白い少女』の目撃情報だ。一度でも目撃された、かつ今なお《オーディナル・スケール》のイベントをしている場所を巡ってあの少女を捜そうと、《オーグマー》が適切なルートを検索する。
そうしてまず立ち寄ったのは、アスナとともに鳥獣型ボス《ザ・ストーム・グリフィン》を倒し、初めて俺があの少女を目撃した代々木公園。公園の全域を探索するのではとても時間が足りないが、目撃情報があるのは《オーディナル・スケール》が出来る場所――すなわち、通信緩和用のドローンが定期的に飛んでいる場所のみだ。
「イベント中か……」
それが何を意味しているかは今は分からないものの、とにかく広場で《オーディナル・スケール》のイベントが始まっている今ならば、その白い少女が現れる条件は満たされていた。ゴールデンウィークだけあって広場の見物客は多く、そんな人目につく場所にはいないだろうと近くの細道に入っていく。
「っそ……」
あまり整備されていない裏道。コンクリートではなく地面が剥き出しになっていて、木々が林のように群生していて見通しは悪い。《オーディナル・スケール》がプレイできる場所で、あまり人目につかず、ドローンが上空に飛んでいるという条件は全て満たしているものの、いるかも分からぬ焦燥感に晒されてしまう。
「ん……?」
そして走っていった先に、突如として開けた空間が現れた。白を基調にした中世風の舗装に、緩やかに流れていく綺麗な川の周りには、色とりどりの花が咲いている。どう考えても代々木公園の風景ではないそこに、まるで異世界に迷いこんで来てしまったかのような錯覚と、どこか懐かしいような既視感を感じさせていた。
だが、そんなことより――俺の視界は、橋の上で歌う白い少女に向けられていた。
「ユナ……?」
震えた呼び声に、白い少女――ユナはゆっくりと振り向いた。フードの下に隠されていたその表情は、眉ひとつ動くことはない鉄面皮だったものの、記憶の中に存在する彼女の顔と全く同じものだった。ノーチラスの仲間なのか? 生きていたのか? 目的はなんだ? ARアイドルの『ユナ』と同じ顔なのは? レインとSAOで何があったんだ? ――そうして、幾つもの質問が脳内で現れては消えていく。
「お前は……誰だ」
『誰なんだろうね。でも確かなのは、私はあなたが知っているユナじゃないこと』
脳内で巡った問いかけは全て消え失せ、無意識に口から出てきた質問に対して、ユナはフードを下ろしながら答えた。ソプラノ調の言葉にこちらをからかっているような様子はなく、表情も相まってどこか自嘲するようで。その答えに対してこちらも、『死人』が蘇るわけがないと再確認する。
そう、『ユナ』はあの浮遊城で死んだのだ。
『それでも、『ユナ』の記憶は私に戻ってきている』
「それじゃ……」
『あなたのことも』
戻ってきている――とはどういうことか、そもそも目の前の『ユナ』ではないユナが何者なのか、まだ分からないことばかりだが。とにかく、こちらからの問いかけにユナは小さく頷いた。
――かつて、あの浮遊城において。かの血盟騎士団が台頭しはじめた中層攻略の際、俺は攻略組を道具や素材類などの仕入れで支えていた、ある商人ギルドへと所属していた。死の恐怖から攻略組には参加することは出来なかったけれど、それでも間接的に攻略に参加しているのだと、自らに言い聞かせていた時期だ。
商人ギルドとはいえ俺の役割は戦闘が主であり、攻略組との商談はリーダーであるアリシャが担当していた。よって他のメンバーは休息時間と同義であり、当時は25層にあった血盟騎士団の本部を出ると、特に意味はないが一人でブラブラとしていた時だ。
そこで俺は彼女と出会った。時刻はすっかりと夜になってしまっていて、NPC以外の人通りなどまるでなかったが、風に乗って小さく歌声が聞こえてきていた。その歌声に誘われるように歩いてみれば、転移門の近くでいつまでも音楽を奏でているNPCに交じって、一人のプレイヤーが歌声を囁いていたのだ。
この浮遊城において歌などの娯楽など、こうしてNPCが奏でてくれるもの以外はろくになく。久方ぶりに聞いた人間の歌声に聞き入っていたが、こちらの存在に気づくや否や、少女は恥ずかしそうにフードの下に顔を隠してしまう。どうやら秘密の特訓の邪魔をしてしまったらしく、髪を掻きながら謝罪しながらも、反射的に綺麗な歌声だったと称賛の声を送っていた。
「……ホント?」
そんな半ば無意識ながら放った言葉だったが、彼女はフードを外しながら、恐る恐る問い返してきた。恐る恐るとはいえ、その表情は喜ばしそうな笑みに満ちていて、事実だとばかりに頷いてみせると。
「やったぁ!」
まるでこのデスゲームから解放されたかのように、彼女は飛び上がって喜びを表現してみせる。そんな喜びように呆気に取られていると、彼女はまた恥ずかしそうにフードを被り直していた。
「ごめんなさい……」
……それから、しばし彼女と話していた。転移門の近くにあったステージを見て、いつかこんなステージで歌ってみたいというささやかな夢の話。そのものズバリ《吟唱》という歌のスキルがあり、密かに練習しているということ。幼なじみがあの《血盟騎士団》に入っていて、何か手伝えないか心配なこと。
そして俺は、彼女に対して口にしてしまう。今の歌とその《吟唱》スキルならば、絶対に攻略組の役に立つことが出来る、と。
そんな死地へと彼女を向かわせてしまう言葉にもかかわらず、おかげで元気付けられたと喜ぶ彼女に、偶然の出会いに祝してフレンド登録を申し込まれた。そこで商談が終わったと連絡が来たことで、彼女とは別れることとなり――二度と出会うことはなかった。それから俺が所属していた商人ギルドは、かの《笑う棺桶》に俺のみを残して壊滅し、俺は攻略組の一員になるべく行動していた。
……そんな時、フレンドリストの一人が灰色になっていることなどに気付けず。一度だけ出会った彼女のことなど、全く記憶に残ることなどなかった。
――その彼女の名前は、『ユナ』だった。
「だから、お前は死んだはずじゃないのか」
『その『ユナ』を、あの人たちは蘇らせようとしてるの』
「蘇らせ……!?」
……先日、ようやく思い出したその記憶を頼りに、目の前の白いユナへ問いかけた。すると返ってきた言葉は全く現実味のない一言だったが、こちらへ歩み寄ってくる白いユナからは、冗談を言っているような感情は感じられない――むしろ、悲しみしか感じられない、ような。
『……でも、私の記憶の中の『ユナ』はそんなこと望まない。誰かを犠牲にしてまで生き返りたいだなんて』
「お前は……誰なんだ」
どのようにしてか方法は見当もつかないが、SAO生還者の記憶を使って『ユナ』を蘇らせる、という計画。クラインも、風林火山のみんなも、レインも、アスナも――リズも。その計画の犠牲になっているという事実に震えながら、それでも他人事のように頼んでくる白いユナに対して、もう一度だけ先程と同じ質問を繰り返した。
『私は……『ユナ』の記憶の受け皿。いつか『ユナ』そのものになるだけのプログラム』
「『ユナ』になるプログラム……」
断片的なキーワードが一つに繋がっていく。リズたちから奪われたSAOの――『ユナ』の記憶に、その記憶を受け止めるいつか『ユナ』になるという白いユナ。つまりSAO生還者から奪った『ユナ』の記憶をこの白いユナに再現させれば、確かに『ユナ』が蘇ったと言えるのではないだろうか……?
そんな仮説が脳内を巡っていくと、すぐ目の前に白いユナ――いや、名もなき少女は立っていた。こちらの心中を読んだかのように、その仮説は正しいとばかりに静かに頷いた。
『エイジを、お父さんを止めて。それが私の中の『ユナ』の願い……』
「……伝えてくれて、ありがとう」
それでも『ユナ』はそんなことは望まないと、目の前の白い少女は語る。いつかは『ユナ』に上書きされてしまうだけのプログラムは、それでも『ユナ』の思いをこちらに伝えてくれた。心の底から感謝しながら、差し出された白い少女の手を掴む。もちろんARによって作られた彼女の手に触れることは出来ないが、それでも関係ないと感謝の念を込めて手を掴む。
『ありがと……優しーんだ』
もはや二度と出会うことはないだろう、プログラムで構成された少女は、そうして微笑みながら消えていき――
「……」
――俺はゆっくりと目を開けた。まるで白昼夢を見ていたかのように、景色は白い少女がいた場所から代々木公園の雑木林に戻っていて、もはやどこにもあの少女の姿は見当たらない。ただ白昼夢と決定的に違うのは、今までのことは実際に合った事実だと確信できることだ。
「お父さん……?」
とにかく有力な情報を得ることは出来た。今は大学の教授の元を訪れているだろう、キリトに連絡を取ろうとした時、ふと先の少女の言葉が頭に浮かんでいた。ノーチラス――エイジだけではなく、お父さんを止めてという懇願を思いだし、キリトに送る文面に内容を多少なりとも加えていた。
そしてキリトへのメールが送信されるとともに、こちらに向けて足音が響き渡ってきた。まるでステージに立った劇団員のような、わざと目立つように歩く慇懃な足音の主は、すぐに俺の目の前に現れていた。その紫色を基調としたコートを着た青年は、俺やキリトよりも年上にあたる雰囲気を漂わせている。
「……どうも」
「ああ、三日ぶりだったか」
ノーチラス――もとい、『ユナ』に止めてほしいと依頼されたエイジ。向こうで開催していたイベントに参加していたのか、今回の件の手がかりを握る人物が現れる。お互いに字面だけ見れば和やかな会話だったが、どちらも剣呑な雰囲気を崩すことなく、今にも殺しあいが始まってもおかしくない雰囲気が流れていた。
「そこでやっているイベントにも参加せず、優雅にお散歩ですか?」
「……ユナと会った」
「なに?」
そんな会話を続ける気はこちらにはない。事実をありのままに伝えると、余裕ぶっていたエイジの表情に曇りが生じた。その名前をお前が口にすることは許されないとばかりに、眉間に皺がよっていく。
「ユナに会って頼まれたんだよ。お前を……止めてほしいってな」
「嘘をつくな!!」
――閑静な雑木林に、エイジの激昂の声が響き渡り、どこかから小鳥が飛んでいく音が聞こえてきた。その表情は先程の余裕ぶったものとは別人のように乖離していて、今にもこちらに殴りかかってきそうなものであったが、俺は構わず言葉を続けていく。
「お前も会ったはずだろう……あのユナに」
「アレは……まだ『ユナ』じゃない! 自己保存プログラムが言わせてるにすぎないんだよ!」
「そのプログラムが『ユナ』の意思を代弁したんだろう!?」
「黙れぇっ!」
そもそも俺などに警告が出来るのであれば、白い少女も真っ先にエイジやその協力者へと警告しているだろう。 その読み自体は正しいようだったが、あくまであのプログラムが勝手に言ったことだという結論に、白い少女の決意が無駄にされたかのような錯覚を覚えてしまい、こちらも声を荒げてエイジを糾弾する。
「お前の方がよっぽど分かってるだろう! アレが『ユナ』なのか、そうじゃないのか!」
「ふざけるなぁ! お前がユナを語るなよ……ユナを殺したお前が!」
浮遊城で本物のユナと出会った際に、血盟騎士団に入った幼なじみがいると聞いていた。十中八九、それはこのエイジのことであり、彼は幼なじみのユナを蘇らせるべく行動しているのだろう。ならばユナなのかプログラムなのか、それはエイジが一番よく知っていることだろうと。
「お前が……前線に行け、だなんて焚き付けなければなぁ!」
「っ……」
ただしその問いかけは、こちらへの怒声として返された。浮遊城で出会った『ユナ』とのことを思い出した今、エイジからの糾弾に身を竦めるとともに、エイジに感じていた違和感の正体を掴んでいた。ユナを前線に焚き付けたなどと言われては否定できないが、だからお前が殺したなどとまでは、流石にそこまでの責任は俺にはないと考えてしまう。実際に第三者が聞いたとすれば、エイジの八つ当たりと判断するだろうし、エイジも心の底ではそう理解しているはずだ。
だが、もしも俺が逆の立場だったのならば。リズがいなくなってしまった後に、蘇らせる手段があるとなれば。そして犠牲にする対象であると同時に、目の前に彼女がいなくなった遠因がいたとすれば、俺も、今のエイジと同じ行動を取っているかもしれない。何を犠牲にしようと目的を達成し、関係のない人物にまで憎しみをぶつけるような、そんな行動に。
「……何であれ、お前を止めてほしいって頼まれたんだ」
目の前に立つエイジは、まるで鏡のようだ。どこか一つだけ、ボタンを掛け間違えてしまった、もしもの自分を映し出す鏡。ならばこそ、『ユナ』の願いにリズの記憶についてはもちろんのこと、もしもの自分を止める義務は俺にはある。安っぽい同情心に酔っている自覚症状を持ちながら、俺は《オーディナル・スケール》に必要な端末を握り締める。
「……余計なお世話だ……!」
地獄から響き渡るような怨嗟の声。こちらを射殺すように睨み付けながら、エイジもまた《オーディナル・スケール》の端末を掴み取った。握り潰さんとするような力が端末に込められていることに気づき、エイジが冷静さを欠いている今こそがチャンスかもしれないと、知らず知らずのうちに息を呑む。
「オーディナル・スケール、起――」
『いた-!』
――ただし勝負を決めようと《オーディナル・スケール》を起動しようとする前に、一人の少女が俺たちの前に割って入って来ていた。
『もう! エイジったら、また勝手にいなくなって……あら。ショウキくんも。久しぶり!』
ARアイドルであるユナ。俺たちの間に漂っていた一触即発の空気など知ったことではないとばかりに、マイペースに挨拶などしてみせる仕草に、あっさりと毒気を抜かれてしまう。どうしてここに、という思いがないわけではないものの、ユナの名前を持ちながらエイジと無関係というのも、考えてみればおかしい話だ。どこまで関わっているかはともかく、エイジと関係はしているだろう。
「……明日のユナのライブ」
「何?」
毒気が抜かれたのはエイジも同様のことだったらしく、嘆息とともに《オーディナル・スケール》の端末を仕舞い込んだ。もうこちらの顔など一秒たりとも見たくないとばかりに、忌々しげな表情を隠すことはなく吐き捨てる。
「明日のユナのライブに《黒の剣士》と来い。そこで記憶を返してやる」
――まさか本気で記憶を返す気ではないだろう。邪魔が入らない場所で決着をつけようと、そういう意味合いの言葉だと解釈して頷いた。
『ショウキくん、ライブ来てくれるの!? やった、みんなも連れてきてよね!』
「あ、ああ……」
そんな心中で静かに誓われた決意も、ユナの満開と形容するに相応しい笑みが割って入る。よく見ればその顔は記憶の中の『ユナ』にそっくりで、どこか見覚えがあると思っていたのも、あながち間違いではないらしい。もしかすると、そうして『ユナ』のことを思い出させるのが狙いなのかもしれない――とまで思えば、二つのことに気づいていた。
『どうしたの~? 私の顔じっと見て。まさか惚れちゃった?』
「あ、いや……あいつが……」
『あいつ? って、あー! またどっか行っちゃった……』
一つは、ユナがとても意地悪そうな笑みを浮かんでいたこと。そしてもう一つは、気がつけばエイジがどこかに消えていたこと。もちろん戦う気だったとはいえ、予期せぬ遭遇だったために、ここで戦いにならなかったのは正直にありがたかった。
『も~。それじゃ、ショウキくん――』
「ユナ…ちょっと、待ってくれないか」
『え?』
そしてエイジを追おうと、小走りになったユナの後ろ姿を引き止めた。するとユナは疑わしげな様子ながらも、顔だけはこちらを振り向きつつ足を止める。
「ユナは知ってるのか? エイジがやろうとしてることを」
『ん~、わかんない!』
「……え?」
聞かずにはいられなかったその問いかけは、他ならぬユナによって、あっさりと答えを示された。あまりにもあっさり過ぎたために、今度はこちらが虚を突かれて聞き返してしまうほどに。そんなこちらの様子を見て、ユナは楽しげに微笑みながら身体全体をこちらに向けていた。
『私は歌うしか出来ないから。歌うことしか……出来ることが、ないから』
「ユナ……」
『……なんて。またね、ショウキくん』
ずっと微笑んでいたユナが最後に見せた表情は、自分には歌うしか出来ないからと告げる、とても寂しげな表情だった。そんな表情を隠すようにユナは消えていき、雑木林には俺のみが残ることとなって。
《SAO》をクリア出来なかった、もしもの自分を見ているかのような、戻れないところに行ってしまいそうなエイジと。誰かを犠牲にしてまで蘇りたくないと伝えてくれた『ユナ』と。いずれ消えてしまうだけの存在であることを、悟って受け入れている白い少女と。歌うことしか出来ることがないと語る、ARアイドルのユナと。それぞれと向き合って、俺はどうするべきなのか。
どうせ結論は、リズたちを傷つけた奴らをどんな理由であれ許すわけにはいかない、と決まっているだろうに。この期に及んで何が、俺はどうするべきなのか、だ――と心中で自嘲する。
「飯でも……食べるか」
……何にせよ、腹が減っていては考えもまとまらないと、雑木林から出ていき空いている机を探す。幸いなことに病院前で直葉から貰っていた弁当もあり、ユナ――というより白い少女――に会って話を聞く、という目的も達成したところだ。あとはキリトからの連絡を待つだけのため、余裕のある時間は直葉の弁当に舌鼓を打たせてもらうことにする。
「ん……?」
ただ考えることを先伸ばしにしているだけかもしれないが、とにかく空いている机を見つけると手早くゴミを払い、いただいた弁当の蓋を開ける。最初に目に飛び込んできたのは、多少ながら焦げた巨大なハンバーグだった。ハンバーグが大きすぎて他のおかずが圧迫されているほどで、何度かご相伴に預かった直葉の料理らしくないな、と違和感を覚える。
「これは……」
違和感の正体を探ろうとしてみれば、弁当箱が包んであったポシェットに何やらメモ用紙が入っていたことに気づく。そこに書かれていたものは――
後書き
自己保存プログラムちゃんマジ薄幸のヒロイン。ついでにこの映画編のキリト先生はアスナに害を及ぼした相手は絶許モードになっていますが、ショウキくんはよくも悪くも相手の事情もごちゃごちゃと考えてしまいます的な差別化?
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