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SAO-銀ノ月-

作者:蓮夜
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加速

 総合病院の待合室。検査が始まった者や終わった者などが一様に座って待つそこに、身体を小さくしながらリズは座っていた。いつものように胸を張って自信に溢れた姿が嘘のようで、ポケットから響いた携帯の振動音にビクリと身体を震わせた。

「やっぱりバレちゃった、わよね……」

 悲痛な表情を見せながら、リズは取りだした携帯の画面を眺めた。そこにはショウキからの連絡の通知が、ひっきりなしにかかってきていたものの、それらに目を通すことなく電源を落とした。それらの通知に何一つでも反応するのが恐ろしく、まるで嫌なことから耳を塞ぐ子供のように。

「っ……」

 電源を切った携帯をポケットに乱雑に仕舞い込むと、リズは再び持っていた本を広げていた。入念にブックカバーが装丁された裏には、《SAO事件目録》と題が刻まれていて、リズは食い入るようにその本を眺めていた。

 中でも攻略組と呼ばれるヒロイックなプレイヤーたちの活躍劇のページで、多少なりとも脚色されているにしても、リズも浮遊城の際にアスナやショウキから聞いた話が多かった。つい先日にこの本を購入した時は、攻略組の友人たちが英雄譚の勇者のように描かれているのを見て苦笑しながらも、確かに自分たちにとっては勇者そのものだった、と当時のことを思い返していた。

 ――思い返していた、筈なのに。

「ぁ……」

 読んでいたSAO事件目録を取り落とし、ブックカバーが外れて表紙が露わになってしまう。黒い装丁に血だまりを思わせる赤という、お世辞にも趣味がいいとは言えないその表紙を、どこか他人事のように眺めていた。

「すいませ――」

「…………」

 すると立ち寄った人に拾われていて、ブックカバーを付けつつ受け取りながら、無理やりに笑顔を作ってそちらに振り向くと。そこにいた人物は、まるで予想だにしない人物だった。

「……ショウキ」

「隣、失礼するな」

 飾り気のない服に身を包んだショウキが、有無を言わさずに隣の椅子に座っていた。どうして、何しに、何で――様々な疑問がリズの中で現れては消えていき、結局はショウキの方を見ることすら叶わなかった。縮こまって床を見て、震えながら事件目録を握って。

「……場所は、リズのお母さんから無理やり聞いた。本当に、無理やり」

 ショウキも後ろめたいことがあるらしく、どこかばつの悪い口調で語りかけてきた。わざわざ無理やりと二回も言っているのは、リズの場所を話した母が悪いんじゃない――という意図からだろう。

「ふふ……どこまで聞いたの?」

「場所だけだ」

 そんなショウキの相変わらずの不器用さに、リズは小さく笑ってしまって。緊張がほぐれたように思えたが、そんなことは一瞬だった――相変わらずの不器用さ、などと、これからは思えなくなるのかも知れないのだから。

「あたし……」

 そしてショウキが母から何も聞いていないのなら、自分で今のことを伝えるしかない。震える唇を自覚して、どうあっても彼の表情を見ないようにしながら。それでも自分自身の表情は、自然といつものように、意味もなく笑顔を形作っていたけれど。

「――SAOのことが、何も思い出せないの」

 あのデスゲームに囚われた日のことも。初めてあのデスゲームに抗おうと、大事だった何かを始めた日のことも。報われた日のことも、笑った日のことも、喜んだ日のことも、泣いた日のことも、苦しんだ日のことも、VR空間に慣れてきたことも、友達のことも、何か大事なものを手に入れた時のことも――彼と、出逢った日のことも。

 何もかも。思いだそうとすれば、あの夢の日に見た何もない空虚な空間で永遠に堕ち続けて――

「ごめん、なさい」

 結局、何がごめんなのか分からないまま、謝ることしか出来なかった。

「…………」

 ――その時、ショウキはどんな表情をしていたのだろう。リズにはどうしても、そんなささやかな疑問を解き明かすことは出来なかった。


「リズさんが……?」

 ……病院でリズからそのことを聞いた後、彼女はこちらに会わせる顔がないように立ち去ってしまった。それを追うことも出来ずに立ち去った俺は、リズの様子がおかしいと気づいていた友人たちに、ALOにて事情を話していた――1人でリズの事情を抱え込めなかった、ということもあるが。

「理由とか、原因とかは分かるのか?」

「今、専門の病院で検査してるらしい」

 クラインにエギル、レインを除くいつものメンバーの前で、懺悔するように語りだした。リズの近所の診療所では原因などは分からず、今まさに病院で検査が行われているらしい。ソファーに座って自分の不甲斐なさに拳を握り締める俺に、仲間たちから心配そうな視線が晒されていて、慌てて拳を解いた。

「だけど、全く心当たりがない訳じゃない」

「……どういうこと?」

 シノンの返答に対して、俺は顔を上げて先日のことを話した。ノーチラス――このオーディナル・スケールでは、エイジと名乗っている彼の襲撃。記憶喪失についても、リズが思い出せないのはあの浮遊城のことのみで、あの青年はその件の何かを知っているような口振りだった。

「なるほど。そのエイジって奴が、何かを狙ってるかもしれないってことね?」

「そいつがリズさんの記憶を奪ったってことなんですね!」

「それは……まだ分からないけど、何かの事情を知ってるのは確かだと思う。アスナはどう思う?」

 現時点では目的も理由も方法もまるで分からないが、今はあのエイジと呼ばれる青年しか手がかりはない。決めつけるように言ってのけるリーファをたしなめながらも、エイジ――かつてのノーチラスと唯一の知り合いであるアスナに話題を振るが、アスナは申しわけなさそうに首を振るのみだった。

「ううん。元KoBって言っても、すぐに脱退しちゃったから……あんまりよく知らないの。ごめん……」

「そうか……それと、ユナって名前のプレイヤーについて、知ってる奴いないか?」

「ユナ……って、あのアイドルのこと……じゃないわよね」

 そしてエイジという青年の件について以外に、彼が語ったユナというプレイヤーについて。かのARアイドルと同じ名前を持つらしい、かつてのSAOプレイヤーであろう名前について――エイジが語った俺が殺したという内容を除いて――聞いてみたものの、そちらも芳しい答えが返ってくることはなかった。アスナが知らないとなれば、中層以下のプレイヤーだろうが。

「ユナ、か……」

「それじゃあとにかく、みんなでそのエイジって人を見つければいいんですね!」

「ショウキさん、キリトさん」

 肩に乗ったピナとともに、シリカが気合い充分といったようにガッツポーズを取ってみせた……正直に言うならば。何が起こるか分からない今の状況で、出来ることなら、キリト以外のメンバーに手伝って貰いたくはなかった。その思いはキリトも同様だったらしいが、そんな俺たちに凛としたルクスの声が響いた。

「二人は、私たちの心配もしてくれていると思うけれど。私たちにとっても、リズは大事な友達なんだ。何か手助け出来ることがあったら、手伝いたい」

「……記憶を失うだけとは限らないんだぞ」

「クラインさん……だよね」

 ルクスの糾弾するような声色に対して、キリトの家に用意されたソファーの一角を差して返答する。アスナが顔を伏せて言った通りに、そこはクラインの席であり、当のクラインは昨夜から連絡が取れなかった。

 いや、クラインだけではなく、風林火山のメンバー全員とだ。俺とアスナをボス戦に連れて行ってもらってから、あのメンバーと1人たりとも会っていない。昨夜なら、突如として仕事でも入ったかと思うところだったが、1日明けても連絡が来ないとなると異常だった。

「クラインだけじゃない、レインもだ」

 レインも同じく、仕事が忙しくて連絡が取れないとばかり思っていたが、クラインの件の後では何が起きたか疑わしい。そして最も考えられる理由は、俺と同じくあのエイジという青年に攻撃され、現実でダメージを負ったからなのではないか。そんなことは言わずとも全員が分かっていて、こちらからの糾弾にメンバーが静まり返ってしまう。

「でも! リズさんやクラインさん、レインさんが何かされたかも知れないのに、黙って見てろって言うんですか!」

「っ……」

「……ごめんなさい」

「ショウキくん。キリトくんも」

 立ち上がったシリカの叫びめいた返答がキリトの家に響き渡り、今度はこちらが何も言えなくなる番だった。シリカもすぐにおずおずと座っていったが、代わりのようにアスナが優しい口調で語りかけてきた。

「さっきルクスさんも言った通り、リズは私たちにとっても大切な親友だから」

「……無茶、しないでくれよ」

「リアルであんたを殴り倒せる奴なんか、頼まれたってリーファぐらいしか近づかないわよ」

「うん! 見つけたら……ごめんなさい……」

 アスナの子供に言い聞かせるような優しい言葉と、それに反比例するような強い意志を感じて、不承不承ながら観念したように呟いた。シノンの冗談めかした言葉に、反射的に昨夜にエイジにやられた肩と腹に手を当てていると、キリトと同時にリーファのことを睨みつける。確かに剣道の有段者たる直葉なら問題ないかも知れないが、何があるか分からないんだ、という警告を込めて。

「グウェンにも声をかけておくよ。きっと、力になってくれる筈だ」

「俺は……ユイと一緒に、エイジってプレイヤーのことと、今回の記憶喪失の件について調べてみようと思う」

「頼む」

 ルクスはグウェンに助太刀を、キリトは自分に出来る調査を。男手が減るといった意味では下策だが、菊岡さんというパイプがあることも含めて、このような調査はキリトが一番の適任者であることは疑いようもなかった。

「でも、そのエイジってプレイヤーを探すにしても、どうやって探せばいいんですかね?」

「やっぱり、ボス戦に参加するしかないんだろうけど……」

『任せてください!』

 今までボス戦の場所に送ってくれていたクラインに連絡が取れない今、そもそもボス戦にどうやって参加すればいいのか。アスナの言葉の先は、言わずとも全員が共有していた――ところで。キリトの肩の上で動向を見守っていたユイが、急に飛び上がったかと思えば空中にマップを表示していた。素人目にも東京のマップのようだったが、二カ所ほどに光点が輝いていた。

『今までのボス戦の出現場所からデータを取りました。次のボス戦の場所は、この二カ所です!』


「ここですよね?」

「うん、ユイちゃんが言った通りなら……」

 こうしてユイのデータのおかげでボス戦の出現場所も分かり、俺たちは二手に別れてエイジを探しだした。こちらにはアスナとルクスにシリカに俺、そして向こうにはシノンとグウェンと直葉が向かっている。キリトは自前で調査しながら、何かあればバイクで駆けつける役目を担っている。

 ユイが予想した今回のボス戦の場所は、大型ショッピングモール。その中央には充分な広さのステージがあり、あそこなら確かにオーディナル・スケールも可能だろう。空中には通信緩和の為のドローンも飛んでいて、どうやらユイの予想は当たっているらしい。

「まだボス戦には時間があるね」

「なら、ショッピングモールの中を探しましょう!」

「……ああ。見つけたら、すぐに連絡をくれ」

 可能性は低かったが、もしかしたらエイジも既にこのショッピングモールに来ているかも知れない。シリカの発案から、ひとまず二手に別れてショッピングモール内の散策をすることとなった。

「…………」

 注意深くモール内を見渡してはみるものの、もちろん、そう簡単に見つかることはなく。ただ《オーグマー》を通して見ることが出来たのは、すっかり日常的になったARだけだった。本や端末から実際に飛びだす動物を見て喜ぶ子供など、今でこそなければ和む光景だったが、ただ苛立ちを加速させるのみだった。

「ショウキさん……」

「……悪い」

 どこかたしなめるような口調のルクスに、自分がどんな状態が自覚して髪を掻く。ただ自覚したところでどうなる訳でもなく、そのまま歩きながらルクスに語りだした。

「分かってるんだ。慌てて、苛立って、そんなことしても何にもならないって……だけどな」

「……うん」

 こちらの脈絡もない台詞に対して、ルクスはただ黙って頷いてくれていた。その心遣いに感謝しながら、ひとまずはこの答えのでない問いは心の隅に追いやっていく。

「そ、そういえば、ショウキさん。リズへのプレゼントは決まったんですか?」

「え? ああ……」

 さらにこちらを気遣ってくれているように、ルクスは話題を変えてプレゼントの件に聞いてくる。アスナにしか話していないはずだったが、いつだかクラインに言われたように、どうやらリズ当人以外にはバレバレらしい――と、今更ながらに観念する。

「まだ考え中だよ」

「この件が終わったら、盛大にお祝いしてあげてくださいね」

「終わったら、な……」

 この件を終わらせられたとしても、リズの記憶が蘇らないようなら――という弱気な気持ちを脳内で振り払う。どうにかこちらを元気づけようとしてくれているルクスに、内心で感謝しながら気を引き締めた。

「ここで終わりですか?」

「みたいだな。向こうは……」

 しかしてエイジも手がかりも見つかることはなく、モール内で俺たちが探す担当になっている箇所は終わってしまう。他の場所を探している二人にも、《オーグマー》を通して連絡を取ってみるものの、どうやらあちらもエイジを見つけることは出来なかったようだ。

「仕方ない、合流するか」

「はい」

 元々いるかどうかも分からない、ボス戦が始まるまでの暇つぶしのようなものだ。多少は残念に思いながらも、ダメで元々だときびすを返す。アスナと《オーグマー》で連絡を取りながら、ひとまずは合流する場所を決める。

「やっぱりボス戦にならないと現れませんかね……」

「……あ、悪い」

 もちろん合流する間にもモール内をくまなく探したが、やはり手がかりは全くなく。シリカが悔しげに顔を歪めるとともに、ポケットの中に放り込んでいた携帯が、自分のだと示す神崎エルザの着うたとともに揺れた。マナーモードにしていたつもりだった、と思いながらも端末の画面を見れば。

「レイン……?」

「レインさんですか!?」

「……もしもし」

『あ……ショウキ、くん?』

 携帯に表示されていたのは、ずっと連絡が通じなかったレインからの着信。他のメンバーに謝りながら場所を移すと、携帯から弱々しくレインの声が聞こえてきた。

「大丈夫か?」

『……ごめん。伝えたいことがあるから、家に来てくれないかな……?』

「家? でも……」

『場所なら、今から《オーグマー》で送るから』

 レインの震える声が携帯から届くとともに、宣言通りに《オーグマー》へと地図が届く。聞いたことはなかったが、どうやら本当にレインの家周辺の地図のようで、彼女が何を言おうとしているか問いただした。

「レイン、どういう……」

『……来てくれれば、話す。いつでもいいから……ごめん』

 こちらからの質問は意図的に無視されたようで、レインからの着信は向こうから切られていた。一息吐きながら携帯をポケットに戻すと、心配そうにこちらを見ていたメンバーの元へ戻っていく。

「レインさん、なんて?」

「多分……リズと同じだと、思う」

 直接的にそう言われた訳ではないが、あの携帯越しでも伝わる震えた声は、病院で聞いたリズと同様のものだった。それから電話の内容であった、話があるから家に来て欲しいということを伝えると、アスナが得心の言ったように頷いた。

「ショウキくん、行ってあげて。レインさんのところに」

「だけどな……」

「……多分レインさんは、ショウキくんの予想通りに、リズと同じ状態なんだと思う」

 もちろんアスナの言う通りに、今すぐレインのところに駆けつけたい気持ちもあった。しかして今、電車の乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎが必要なレインの家に向かえば、確実に今夜のボス戦に参加することは出来ないだろう。もちろんボス戦のポイントが惜しいなどと言うつもりはなく、エイジというあの青年がいるかも知れないこの場に、三人を残すことが心配だった。

「SAOのことが何も思い出せなくなるなんて、多分私は、リズみたいに1人じゃ耐えられない。レインさんも、今すぐ助けを求めてるだろうから」

「そうですよ、ショウキさん。ここはわたし達に任せてください!」

「ショウキくんの代わりはキリトくんを呼ぶから、ね?」

「……分かった。ここは、頼む」

 アスナの言葉に納得が言ったかのように、シリカにルクスも頷いていた。最後にアスナが言ったキリトを呼ぶ、というのがトドメになり、三人に感謝しながら俺は走り出した。ショッピングモールから出ながら《オーグマー》を操作し、送られてきたレインの家への道筋を用意する。

 やはりどうやってもボス戦が始まる9時までには行って帰って来れそうになかったが、電車を乗り継いでいけば行くこと自体は難しくなさそうだ。いつもはその煩雑さに辟易する側だったが、今日ばかりは電車社会に感謝しておく。

「ふぅ……」

 息を切らせて目当ての電車に乗り込むと、幸いにも空いていた席で一息つく。これからの乗り換え方法を確認しながら息を整えると、キリトの《オーグマー》に連絡を――しようと思ったが、キリトはあまり《オーグマー》にいい感情を持っていなかったことを思い出すと、ポケットから出した携帯で「よろしく」という旨の連絡を送る。

 次いでメールボックスを開くと、先日、レインから来た最後のメールである「大事な話があるから来て」という連絡を確認する。しかしてその数十分後には、「実はボス戦へのお誘いでした」という違和感のあるメールが届き、そこからは連絡が取れなくなっている。

 レインやリズの身に何が起こったのか、電車に揺られ乗り換え、答えの出ない問いを繰り返していると、気づけば電車を降りていた。田園風景が未だに広がる地方都市で、《オーグマー》の誘導に従って歩いていくと、ある住宅街にたどり着いた。

「ここか……」

 ショッピングモールを出た時はまだ青空だったというのに、流石にもうボス戦の時刻という訳ではないけれど、すっかり空は夕焼けに染まっていた。住宅街の一角にそびえる『枳殻』という名字の家を見つけ出し、《オーグマー》の電源を切りながらインターホンを押した。

『……ショウキくん?』

「ああ」

 インターホンから聞こえてきたレインの声に肯定すると、しばし後に枳殻家の扉が開いた。そこには想像通り、亜麻色の少女が悲しい表情を作って立っていた。

「ごめんね、ショウキくん。あんな風に呼び出しちゃって……誰もいないから、上がってよ」

 こちらが目を背けて自らの表情を悟ったのか、レインは無理やりにも笑顔を作って、俺を家の中に招き入れた。家の中には女性らしい小物が溢れていて、そのままリビングへと通される。

「来客とか来ないから、スリッパとかなくて……とりあえず座ってて。紅茶、煎れるからさ。ショウキくんはコーヒーの方がいいかも知れないけど……」

「レイン。用件を話してくれないか」

 リビングに入るなり、ソファーを勧めて逃げるようにキッチンに向かうレインに、心苦しいが釘を差す。紅茶を用意しようとしていたレインの動きがピクリと止まったものの、やはり言い出し辛いのか口が動くことはなく。

「……SAOの記憶、覚えてるか?」

「ッ!?」

 悪いがこちらから痺れを切らして、拳に力を込めながら問いかける。出来れば当たって欲しくないように、という祈りを込めて放った質問だったが、レインの反応を見るにどうやら届かないようだった。

「何で……まさか、誰か、私以外にも……!?」

「……リズだ」

 SAOの記憶がないことを言い当てられたレインは、混乱しながらも核心を突いていて、今度はこちらが目を背ける番だった。その事実を認める度に無力感が身体を支配していき、無意識にレインの家の壁に拳を叩きつけていた。

「あ……悪い」

「ううん……ね、リズっちが思い出せないのは、SAOの記憶だけなんだよね?」

「あ、ああ。そう聞いてるが……リズ、は?」

 怒りに任せた一撃を謝りながら、ばつが悪そうに髪を掻くと、レインから妙な問いかけが放たれていた。まるでその言い方は、レインは他にも思い出せないことがあるような――こちらの無言の問いかけに、レインは頷くことで応答した。

「私は、つい最近のことも思い出せないの。ユナと一緒に踊ってて、何かに気づいて……それから」

「それは……」

 レインはユナのバックダンサーとしてアイドル活動をしている最中、何かに気づいて俺とリズにメールを打った。そこで何らかの手段によってか記憶を失ってしまい、今まで混乱で連絡を取れる状態ですらなかった、ということ。レインからメールが打たれた時点で、早く駆けつけていれば――と思わざるを得ないが、それは内心に留めておく……レインの前で言うことではない。

「だけどそれは、逆を言えば……私は、仕事中に何かを知ったってことになる」

「レイン……?」

 確かにレインの言った通りに、今回の事件の黒幕が記憶を失わせることが出来るのならば。リズはSAOのことのみを忘れているのに対して、レインはそれ以上のことを思い出せないでいる。それは逆を言えば、レインはリズ以上に忘れさせられる程に、何かを知りすぎてしまったということだ。

「用件はこれ。ショウキくんに、読んで欲しいの」

「これ……日記帳?か」

「うん。バックダンサーの仕事が決まった時から、嬉しくて書き始めたの」

 普段はそんなことしないんだよ、とレインが苦笑しながら差し出してきたのは、ピンク色にデフォルメされたレインの笑顔が表紙の、どこにでも売っていそうな日記帳。困惑しながらもそれを受け取った俺に、レインは寂しそうに理由を語りだす。

「私、怖いのはSAOを忘れたことじゃなくてね。何か……何か、大事なことを知ったのに、それが思い出せないのが怖くて、苦しいの。私が思い出せれば、それで終わるのに……でも、全然ダメ」

 だから、ね――と、レインは俺の手の中にある日記帳を指差した後、顔を見られたくかのようにターンして背中を見せた。

「だから、私が書いたその日記帳に、何か手がかりがあればいいなって。今の私じゃ、何が手がかりなのかも分からないから」

「……ありがとう、レイン」

「私、紅茶煎れてくるから。座ってお待ちください、ご主人様……なんて」

 そう言ってレインはこちらに表情を見せないまま、再びキッチンに向かっていく。記憶を失うという混乱と恐怖の中、これを託してくれたレインに感謝しながら、勧められたソファーに座ってレインの日記帳を開いた。

 バックダンサーとしてアイドルの活動を始めたのが嬉しくて書き始めた、という言葉は正しいようで、あまりページ数はない。さらに最初のページはレッスンや《オーグマー》、オーディナル・スケールについてで、手がかりになるようなものはない。

「これは……」

 託してくれたとはいえ、あまり日記帳など見られたくないものだろうと、手がかりの無さそうな箇所は読み飛ばしていく。そして《オーグマー》が発売して、ユナが活動を開始した頃――ちょうどレインがユナとともに忙しくなって、連絡が取れなくなっていた時期だ――の日記に、気になる記述を見つけ出した。

『ARアイドルが、どうしてあの子にそっくりな姿で』

「あの子……」

 どこか引っかかる言い回しを頭の片隅に置きながら、ページをさらにめくっていく。ここからレインは仕事と並行して、気になったことを自分なりに調べ始めたらしく、そのことについての記述が多くなっていく。

『ノーチラスくんと再会。こっちではエイジだって怒られてしまったけど、ユナのことについて問い詰めた』

「あいつ……!」

 ここで関係してきたのは、先日に俺をARで襲撃し、今は何か手がかりがあるかと探しているノーチラス――エイジという青年だった。どうして奴がユナに関係があるのかと、さらにレインの日記帳を読み進めていくと。

『どうしてARアイドルのユナは、SAOで死んだユナの姿をしているの――』

「SAOで、死んだ……ユナ?」

 ――そこで反射的に、日記帳を読み進める手を止めてしまう。ARアイドルではなくSAOプレイヤーであったユナと言われれば、先日の襲撃の際にエイジが問いかけてきたあの言葉が、否応なしに俺の頭の中に浮かび上がった。

『――ユナ、というプレイヤーのことを知っているか』

『――お前があの浮遊城で殺したプレイヤーの名さ』

「……ユナ……」

「ショウキくん? 電話鳴ってるよ?」

「あ……悪い」

 二人分の紅茶を持ってきたレインの指摘に、ようやくポケットの中にしまい込んだ携帯が鳴っていることに気づいた。それほどまでに深く考え込んでしまっていたらしく、ひとまずユナのことを必死で脳内に留め置いてポケットから携帯を取り出した。

「シリカ……? もしもし!」

 着信先として表示された名前は、ショッピングモールにいたはずのシリカ。まだボス戦の9時には達していないが、何かあったのかと嫌な予感に突き動かされ、レインから離れることも忘れて携帯を取った。

『ショウキさん! アスナさんが……アスナさんが!』

 ――その嫌な予感は、どうやら的中したようだった。

 
 

 
後書き
 合宿? 島根? パソコン? デジモン? 何のことです?

 ついでに今更ですが、今編はリアルでも直葉以外はアバターネームで呼び合っています。ぶっちゃけ原作でもあまり気にしていないのと、外伝キャラが多いくせにそれらがリアルとアバターで名前を変えれば、今以上に誰が誰だか分からなくなるからです、枳殻虹架とか竹宮琴音とか鶴咲芽衣美とか長田慎一とか柏坂ひよりとか一条翔希とか。

 そのせいで直葉だけやたら浮くのは気になりますけども。……やっぱりお兄ちゃんたちがいるところが遠いよ……
 
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