亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第四十二話 予感
帝国暦 485年 12月30日 オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル
「どうも気になるな」
「ミューゼル少将、何か分かったか」
「分かったというより、気になる」
俺の言葉にリューネブルク少将が眉を寄せた。
「今ヴァレンシュタインの成績表を見ているがどうにも腑に落ちないことが有る」
「と言うと?」
「シミュレーションの対戦数が妙に少ない……」
ヴァレンシュタインの成績表にはシミュレーションの成績も記載されていた。授業で行われたものだけではない。授業終了後にヴァレンシュタイン候補生がシミュレーションマシンを使用してゲームを行った記録も含まれている。その数が妙に少ないのだ。
士官候補生は皆シミュレーションを好んで行う。それによって戦術能力を高めるという事もあるが何よりも勝敗がきちんと分かる事、ゲーム感覚で行える事が好んで行われる理由になっている。ある意味遊びも兼ねていると言って良いだろう。
一日に一回から二回、授業も含めれば三回も行う時が有る。レポートや宿題をしなければならない時もあるが、平均して週に八~十回程は行うだろう。年間約五十週、夏季休暇等の休みを除いても四十週程度は有るはずだ。となれば年間で三百~四百、四年間の士官候補生時代では千二百~千六百程度のシミュレーションをこなすことになる。
「どのくらい少ないのだ?」
「普通、どんなに少なくても千二百程度はこなすはずだ、だが彼は八百回程度しかやっていない。多くこなす人間に比べれば半分程度だろう」
リューネブルクが俺の言葉に考え込んだ。
「確かに少ないな……。だが戦績はどうなのだ? 数をこなせばよいと言うものじゃないだろう」
戦績か……。それがまた俺を悩ませている。
「敗戦が三百以上ある……」
「本当か?」
リューネブルクの問いかけに黙って頷いた。リューネブルクも不審げな表情をしている。八百三十六戦して五百三勝三百三十三敗、勝率は六割を超えはするが決して優秀とは言えない。
「戦術家としての能力が無い、そういう事かな」
何処か戸惑いがちにリューネブルクが問いかけてきた。
「しかしヴァンフリートでは大敗を喫した……」
うーん、とリューネブルクが呻いた。俺も呻きたい気分だ、どう考えても納得がいかない。ヴァンフリートで戦ったから分かる。成績表と対戦したイメージが一致しない。
俺の持つヴァレンシュタインのイメージは辛辣で執拗で常にこちらの一枚上を行く強力な敵だ。ヴァンフリートではその辛辣さに何度か心が折れそうになった。折れれば戦死していただろう。
「武器、兵器の準備はしたが、戦闘指揮は別の人間が執ったと言う事は無いか? いや無いな、イゼルローンでミサイル艇による攻撃の欠点を見つけた男だ。戦術指揮能力が無いとは思えん」
リューネブルクが首を捻っている。その通りだ、どうにも腑に落ちない。反乱軍に加わってから戦術指揮能力を磨いた、そういう事か? どうもおかしい、俺は何か見落としているのか……。成績表を見直した。ヴァレンシュタインの戦術シミュレーションの成績は悪くない……、悪くない? どういう事だ?
「……なるほど、そういう事か……」
「何か分かったか」
リューネブルクが期待するような表情をした。思わず可笑しくなったが、笑いごとではなかった。俺の考えが正しければヴァレンシュタインはやはりとんでもない男だ。
「ヴァレンシュタインの戦術シミュレーションの評価は悪くない、いや、非常に高い。それなのにマシンを使っての戦績は悪い……」
「どういう意味だ、よく分からんが」
リューネブルクが困惑したような表情を見せた。
「授業では勝った、授業以外で負けた、そういう事だろう」
「授業では勝った、授業以外で負けた……、なるほど、そういう事か」
リューネブルクが頻りに頷いている。彼も納得したらしい。シミュレーションの成績と戦績が一致しないのはそのせいだ。
「問題はその授業以外で負けたシミュレーションだ、一体どんな内容だったのか、負けの数が多すぎる事を考えると……」
「……まともなシミュレーションではないな。勝算が極端に少ないケース、或いは皆無のケースだろう」
リューネブルクと視線が合った。難しい顔をしている。どうやら俺が気付いたことに彼も気付いたようだ。
「私もそう思う。おそらく対戦相手はコンピュータだろう。特殊な条件を付けたシミュレーションだ。リューネブルク少将、ヴァレンシュタインはどんな条件を付けたと思う?」
リューネブルクが俺を睨むような目で見た。そして低い声でゆっくりと答えた。
「敵が味方より遥かに強大か、或いは撤退戦だな。勝つ事よりも生き延びる事を選ばざるを得んような撤退……、ヴァンフリートだ!」
最後は吐き捨てるような口調になった。あの戦いを思い出したのだろう。
「私もそう思う。あの男は他の学生が勝敗を競っている時に生き残るためのシミュレーションをしていたのだと思う」
異様と言って良いだろう。俺も随分とシミュレーションは行った。撤退戦もかなりの数をこなした覚えはある。だが三百敗もするほど厳しい条件の撤退戦を行ったことは無い。生き残るという事に異常なほどに執着している。
彼にとって勝利とは生き残ることなのだろう。生き残るために戦う、そして負ける時は死ぬ時……。それは相手に対しても言えるに違いない。自らが生き残るために相手を殺す……、それこそが彼にとっての勝利なのだ。
勝敗ではなく生死を賭ける。ヴァンフリートでの三百万人の戦死がそれを証明している。自らを基地において囮にし、こちらを誘引することで殲滅することを計った……。
背筋が凍った。反乱軍との戦いはこれから烈しさを増すだろう。彼、ヴァレンシュタインが苛烈なものにする。そして宇宙は流血に朱く染まるだろう……。
「ミューゼル少将」
「?」
考えに耽っているとリューネブルクがこちらを心配そうな顔で見ていた。
「済まない、ちょっと考え事をしていた」
「そうか……、クレメンツ准将を呼んではどうだ?」
「呼ぶ? この元帥府にか?」
俺の言葉にリューネブルクが頷いた。
「ヴァレンシュタインの事を良く知っているというのも有るが、この元帥府は陸戦隊の人間が主だ。彼を呼べば卿の相談相手にもなってくれるだろう。士官学校の教官でもあったのだ、呼ぶだけの価値はあると思う」
「……なるほど」
確かにそうだ、此処では俺の相談に乗ってくれる人間は極端に少ない。リューネブルクは信頼できるが陸戦隊の指揮官だ。艦隊についての相談は出来ない。問題は彼がこの元帥府に来ることを是とするかだな。
「それとミュラーという人物だが、彼も呼んだ方が良い。例の一件を知っているのだろう、万一という事が有る」
「……」
その事は自分も考えなかったわけじゃない。しかし……。
「ヴァレンシュタインと戦う事になるかもしれない、彼の親友を巻き込みたくない、そう思っているのか」
「……」
俺の沈黙にリューネブルクは一つ鼻を鳴らした。だんだんオフレッサーに似てくるな。
「ヴァレンシュタインが反乱軍に居てミュラーが帝国軍にいる以上、何処かで戦う事になる。卿が心配する事じゃない。そんな心配をするより奴の身の安全を計ってやれ」
「……分かった」
強引なところも似てきた……。
宇宙暦 795年 1月 3日 ハイネセン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
年が明けたが宇宙艦隊司令長官はまだ決まらない。誰がなるかの噂も流れてこない。ワイドボーンがシトレ元帥に言ったのかどうかもわからない。まあ分からないことばかりだ。
という事で、俺は毎日書類の整理を行い、不味い食堂の飯を食べる日々を送っている。今日はハンバーグ定食を食べたがやっぱり美味くなかった。ワイドボーンは美味そうに食べていたが、あいつは味覚音痴なんだろう。デリケートさなんて欠片もなさそうな男だからな。明日は肉は止めて魚でも食べてみるか。
今日も俺が一番最後に帰宅だ。時刻は二十一時を過ぎている、つい書類整理に夢中になってしまった。周囲にはきりが悪いから残業すると言っているが本当は楽しいからだ。
ヤンは定時になるとさっさと帰宅する。ワイドボーンもそれほど遅くまで居るわけじゃない。サアヤは俺を手伝って残ろうとするが、遅くとも夜七時までには帰宅させるようにしている。一生懸命俺を手伝おうとしているようだが、俺は好きで残業しているんだ、付き合うことは無い。
残業は苦にならないんだが、問題は夕食だ。家に帰ってから作って食べるのは面倒だ、だが何処かで食べるのもな、俺は食が細いから外で食べるのはちょっと気後れする、量が多いのだ。何処かでサンドイッチでも買って帰るか……。
宇宙艦隊総司令部を出て家に向かって歩き出すと目の前に地上車が止まった。一瞬ロボスとかフォークが逆恨みして襲い掛かってくるのかと思って身構えたがそうではなかった。
「ヴァレンシュタイン准将、乗りたまえ」
ドアが開くと中から声が聞こえた。独特の低く渋い声だ。ごく自然に他人に命令することになれた声でもある。誰が乗っているかはすぐに分かった。断るわけにもいかない。今日はどうやら夕食抜きらしい。
「失礼します」
そう言うと車に乗った。中には初老の男性が一人乗っている。黒人、大きな口と頑丈そうな顎、シドニー・シトレ統合作戦本部長だった。ドアが閉まり車が動き出す。
「これから或る所に行く。話はそこに着いてからにしよう」
「分かりました」
或る所か、そこに誰が居るかだな。おそらくは先日の宇宙艦隊司令長官の件が話されるはずだ。シトレが人事問題を相談する人物……、さて、誰か……。
車はハイネセンでも郊外の割と静かな地域に向かっているのが分かった。小一時間程走っただろう、一軒の大きな家、いや屋敷の前に止まった。降りるのかと思ったが、シトレは何も言わない。と言うより俺が車に乗ってから一言も喋らない。感じの悪い男だ。
屋敷の門が開いた。地上車がそのまま中に入る。夜目にも瀟洒な建物が見えてきた。だが建物の周囲には警備する人間の姿が有る。軍服は着ていないが動きがきびきびしているところを見ると年寄りのガードマンと言う訳じゃない。それなりに訓練された人間達だ。
シトレが車を降りて建物の中に入った、俺もその後に続く。警備兵は咎めなかった、ボディチェックもしない。こちらを信用しているという事だろう。或いはそう見せているだけか……。
屋敷に入って思った。不思議な屋敷だ、どうみても綺麗すぎるし生活感があまり感じられない。普段は人が住んでいないのかもしれない。或いはここ最近人が住み始めたか……。正面に大きなドアが見える。招待者はあの中か……。
シトレがドアを開けて中に入った、その後を俺が入る。
「やあ、よく来てくれたね。ヴァレンシュタイン准将」
愛想の良い声だった。声の主に視線を向けると声同様愛想の良い笑顔が有った。誠意など欠片もない愛想の良い笑顔だ。
「お招き、有難うございます。トリューニヒト国防委員長」
トリューニヒトは部屋の中央に有るテーブルの椅子に座っていた。テーブルにはサンドイッチ等の軽食が置いてある。シトレが目で俺を促した、そしてテーブルに近づき席に着いた。俺も席に着く、トリューニヒトとシトレが向き合い、俺はシトレの横だ。トリューニヒトは俺の斜め横になる。
トリューニヒトが笑みを浮かべながら“遠慮なく食べてくれ、夕食は未だだろう”と声をかけてきた。遠慮なくいただくことにした。テーブルにはサンドイッチの他にサラダ、チーズ、揚げ物が置いてある。飲み物はワインと水だ。サンドイッチを取りグラスには水を注いだ。
「ヴァレンシュタイン准将、君は少しも驚いていない様だね」
「そんな事は有りません、大変驚いています。良識派と言われるシトレ元帥と主戦論を煽る扇動政治家が裏で繋がっていたのですから」
俺の言葉にシトレとトリューニヒトが顔を見合わせて苦笑するのが見えた。間違いない、この二人はかなり親しい。シトレに呼ばれた以上、話は宇宙艦隊司令長官の件だろう。となれば話に加わるのは国防委員会の有力者、又は政府の実力者だ。可能性としては先ずジョアン・レベロと考えていた。
トリューニヒトも考えないではなかったが、シトレと二人で俺を呼ぶことは無いと考えていた。誰か仲立ちが居るはずだと……、だがこの部屋には、トリューニヒト、シトレ、俺の他には誰もいない。この二人の繋がりは昨日今日のものじゃない。サンドイッチを頬張りながらそう思った。
「私がシトレ元帥と親しくなったのは君のおかげだよ、准将」
「?」
「例の情報漏洩事件だ。あの件では私もシトレ元帥も随分と苦労した。お互い面子も有ったが危機感も有った。一日も早く情報漏洩者を押さえなければ大変なことになったからね」
「もっとも私も委員長も余り役には立たなかった。事件が解決できたのは貴官のおかげだ」
あれか……、警察と軍でどちらが主導権を握るかで身動きできなくなった件だな。あんまり酷いんで俺も少し手伝ったが、あれがこの二人を近づけたか……。
なるほど、そういう事か……。ロボスはこの二人が繋がっているのではないかと疑った、或いは気付いた。そして繋げたのは俺だと邪推した。全くの邪推でもない、結果として俺がこの二人を結びつけたのは事実だ。但し、俺の知らないところでだが……。
となるとロボスが俺を嫌ったのはヴァンフリートが原因じゃない、いやそれも有っただろうがむしろこっちの方が主だっただろう。ロボスは何時気付いたのだろう、ヴァンフリートの会戦の前だろうか?
だとするとヴァンフリートでロボスが基地防衛よりも艦隊決戦に固執したのも或いは俺を見殺しにするつもりだったのかもしれない。原作通りの流れではあるが、動機は別という事は十分あり得る。どうやら俺は知らぬ間に軍上層部のパワーゲームに巻き込まれていたらしい。
道理でロボスが更迭されることを恐れたはずだ。トリューニヒトとシトレが結びついた。そしてグリーンヒルが参謀長として付けられ、グリーンヒルは俺を重用し始めた。流れとしてみれば自分が更迭され後任にグリーンヒルを持ってくる、そう見えたとしてもおかしくは無い。
溜息が出る思いだった。発端はアルレスハイム星域の会戦だった。あそこでサイオキシン麻薬の件を俺が指摘した。その事がこの二人を結びつけロボスの失脚に繋がった。何のことは無い、俺が此処にいるのは必然だったのだ。にこやかに俺を見るトリューニヒトとシトレを見て思った、俺も同じ穴のムジナだと……。
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