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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第四十一話 威

帝国暦 485年 12月29日  オーディン 軍務省人事局長室 ラインハルト・フォン・ミューゼル



目の前に厚さ十五センチほどのファイルが有った。
「これがヴァレンシュタインの士官候補生時代の成績ですか?」
四年間の成績にしては随分と分厚い。不思議に思って隣に居るリューネブルクを見た。彼も不思議そうな顔をしている。

俺達の前に座っている男、人事局長ハウプト中将が答えた。
「成績の他に彼が提出したレポート等が入っている。彼の事が知りたいのだろう?」
「頂いても宜しいのですか?」

ハウプト中将は苦笑を洩らした。
「何を今更……、オフレッサー元帥閣下から是非にと言われている、否も応も無い。但し、扱いには注意してほしい。外部へ漏らしてもらっては困る」
「……」
ハウプト中将が表情を改めた、もう彼は笑ってはいない。

「ヴァレンシュタイン候補生は極めて優秀な学生だった。成績の評価欄には彼を好意的に評価した人間の名前が入っている。彼らに迷惑がかかる様な事が有ってはならんからな」
「了解しました。注意します」

ヴァレンシュタインの事を知らなければならない。そう思った俺は先ず彼の学生時代の事を知ろうと思った。彼が士官学校で何を学び何を考えたか……。キスリングから彼の事を聞く前に先ずは自分で出来る限りの事は調べるべきだと思ったのだ。しかし、彼に関する資料は士官学校からは消えていた。

彼が反乱軍に亡命した時点でその資料は軍務省の人事局に送られたのだという。人事局に閲覧を申し込んだが拒絶された。ハウプト中将の言葉によればヴァレンシュタインに関する情報はヴァンフリートの会戦以来、最高機密扱いとされているらしい。

閲覧が可能な人間は上級大将以上の階級を持つ人間だけだという。情報部に同じものがあるらしいが、おそらくこちらは情報部の内部資料で外部には公開しないだろうということだった。

困った俺を助けてくれたのはオフレッサーだった。彼がエーレンベルク元帥に掛け合い、資料の複写とその供出をもぎ取ってきてくれた。今更ながらだがオフレッサーの影響力の大きさというものに感心した。

確かにこのオーディンで最大の地上戦力を持つのだ、どんな相手でもオフレッサーを無下には出来ない。その影響力のおかげで俺とリューネブルクは人事局長室で資料を受け取ることが出来る。

「それにしても惜しい事だ。彼が亡命とは……」
「ご存知なのですか、ヴァレンシュタインを」
「直接の面識は無いが、彼の上司になった人物が私の友人だった」
思い入れが有りそうな口調だ。

「彼が良く言っていた、将来が楽しみだとね……。二人ともヴァレンシュタインの事を良く知る人物と会いたいのではないかね?」
「出来る事なら」
リューネブルクが答え、俺が頷いた。

願ってもない事ではある、だが正直期待はしていなかった。おそらくは無理だろう……、亡命者との関わりなど積極的に話す人間などそう多くは無い。まして相手がヴァンフリートの虐殺者として忌み嫌われているとなればなおさらだ。

「私の知る限りヴァレンシュタインの事を良く知っている人間が二人いる」
「二人と言いますと」
「一人はアルベルト・クレメンツ准将、もう一人はアルバート・フォン・ディーケン少将だ」
俺はその二人とは面識はない、リューネブルクを見ると彼も心許なさそうな表情をしている。おそらくは知らないのだろう。

「しかし、話してくれるでしょうか」
「そうだな、今では皆が彼を裏切り者として蔑むだけだ。だがディーケンなら大丈夫だろう。彼は今兵站統括部第三局第一課にいる」

では彼がヴァレンシュタインの上司だったと言う人物か……。
「もう一人のクレメンツ准将は?」
「辺境星域で哨戒任務に就いている。彼は元士官学校の教官でヴァレンシュタインを教えていた。彼を極めて高く評価していた……」

クレメンツから話を聞くことは難しいだろう、初対面の男がいきなりTV電話でヴァレンシュタインの事を教えてくれと言っても警戒するだけだ。まして辺境星域で哨戒任務という事は平民だから追いやられた可能性もある。何処かの馬鹿貴族を怒らせたか……。

ハウプト中将にディーケン少将への口添えを頼むと中将は快く引き受けてくれた。その場でディーケン少将に連絡を取り、面会の予約を取り付けてくれた。ディーケン少将はすぐ来てくれれば、一時間ほどなら時間が有ると言う。俺はリューネブルクと共にハウプト中将に礼を言って人事局長室を出た。

兵站統括部は軍務省の直ぐ傍にある。組織図上でも軍務省の管轄下に有ることを考えれば当然と言って良いだろう。第三局第一課はイゼルローン方面への補給を担当する部署で兵站統括部の中では主流と言えるだろう。

ディーケン少将は四十前後のごく目立たない風貌の人物だった。第三局第一課課長、五年前からその職に有るとのことだった。課長室に通されソファーに座ると向こうから話しかけてきた。

「ヴァレンシュタインの事を聞きたいとのことだが、何を知りたいのかな?」
「彼はどんな士官だったのでしょう」
ごくありきたりな質問になった。ディーケン少将もそう思ったのだろう、僅かに苦笑を漏らした。

「優秀な士官だった。仕事を覚えるのも早かったし、周囲との協調性も有った……。兵站統括部にはなかなか優秀な士官は配属されてこない。そんなところに彼がやってきたのだ。いずれは兵站統括部を背負って立つ男になるだろうと思った」

兵站統括部は決してエリートが集まる部署ではない。将来性など皆無の男たちか、貴族の次男、三男坊で戦場になど出たくないという人間が集まる。いわば帝国でも最もヤル気のない人間達が集まる部署だ。

鈍才が平凡に、平凡が優秀になる。そんなところに本当に優秀な人間がやってきた。周囲の期待は大きかっただろう……。

「書類を読むのを苦にしていなかった。楽しそうに読んでいたな、良い意味で軍官僚として大成するだろうと思った。書類を読むことを苦にする人間には事務処理など無理だからな」
リューネブルクが隣で居心地が悪そうに身動ぎした。俺も事務処理は苦手だし書類を読むのも決して好きではない。居心地が悪かった。

「彼はシミュレーションなどは此処ではやらなかったのですか?」
「やらなかった。少なくとも私の知る限り、彼が誰かとシミュレーションをしているところを見たことは無いし聞いたこともない」

ディーケン少将は俺の質問に断定するように答えた、自信が有るのだろう。あの男が用兵家としての才能に恵まれている事は分かっている。だが此処ではその素振りも見せていない。見えてくるのは軍官僚としての姿だけだ。用兵家、ヴァレンシュタインの姿は何処にもない……。

「イゼルローンに行かせたのは失敗だった。焦ることは無かった、もう少し後でも良かったのだ……」
呟くようにディーケン少将が言葉を出した。何処となく後悔しているようにも見える。同じ事をリューネブルクも思ったのだろう。ディーケン少将に問いかけた。

「それはどういう事です」
「イゼルローン要塞には補給状況の視察で行かせた。普通その仕事はもっと階級が上の人間が行う事になっている……」
つまりあの時は特別だった、そういう事か……。リューネブルクも興味深げにディーケン少将を見ている。

「つまり、異例だった……。何故です?」
「……顔見せのつもりだった。彼が有能だという事はイゼルローンの補給担当者にも直ぐ分かったはずだ。後二、三年もすれば彼が兵站統括部のキーマンの一人になると分かっただろう」
「……」

「此処は鈍才が平凡に見え平凡が優秀に見えるところだ。此処で物事をスピーディに動かそうとしたらキーマンになる人物を押さえるしかない。そしてイゼルローンは最前線だ、補給が緊急に必要になる場合もある。向こう側にキーマンを教えるのは必要なことなんだ。彼にとってもイゼルローンと強い繋がりが出来るのは悪い事じゃない」

皮肉だった、ヴァレンシュタインが有能だったから、ディーケン少将がほんの少し焦ったからイゼルローン要塞に行くことになった。そしてあの事件が起きた。イゼルローンに行かなければ亡命することは無く彼がリメス男爵になったかもしれない。或いは軍官僚として活躍したか……。幾つかの偶然がヴァレンシュタインを反乱軍へと押しやり、そして今が有る……。

ディーケン少将との会話はそれからも続いたが、そこに見えるヴァレンシュタインはあくまでも軍官僚としてのヴァレンシュタインだった。用兵家としてのヴァレンシュタインの姿は何処にもなかった。

帰り間際、ある女性下士官の机の上に有った写真が俺の足を止めた。何人かの女性下士官と一緒にケーキを食べるヴァレンシュタインの写真だ。楽しそうな、暖かい笑顔を見せている。女性下士官は俺に気付いたのだろう、無言で写真を伏せた。

他でも同じように写真を伏せる女性下士官が何人か居る。リューネブルクも気付いただろう、本当なら叱責すべきなのかもしれない。だが俺達は顔を見合わせると何も気付かなかったかのように歩きだした……。彼女達の知っているヴァレンシュタインは俺の知りたいヴァレンシュタインじゃない、今の彼は昔の彼に非ず……。



宇宙暦 794年 12月 30日  ハイネセン  宇宙艦隊総司部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



宇宙艦隊の総司令部に有る食堂で一人食事をしていると目の前にトレイを持った男が立っている。
「此処、良いか」

駄目と言っても座るだろう。時刻は二時近い、この時間になれば食堂はガラガラだ。目の前の男は食欲旺盛な男だ、この時間まで食事をしていないのは不自然だ。この時間に俺が食事をするのを確認してから来たのだろう。そして空席の目立つ食堂でわざわざ俺の前に来た。
「どうぞ、ワイドボーン准将」

ワイドボーンは席に座るとハンバーグ定食を食べ始めた。ちなみに俺はロールキャベツ定食を食べている。此処の料理は味は今一つだが量が多い。俺は小食だから量よりも味を良くして欲しいといつも思う。今もロールキャベツを少し持て余している。

「昨日、シトレ元帥と会った」
「……」
「例のオフレッサーの件を話したよ」
ワイドボーンがハンバーグを食べながら話す。視線をこちらに向けないのは故意か、それとも偶然か……。

「考え込んでいたな、お前の考えを聞いてこいと言われた。次の同盟の司令長官は誰にすべきか」
「……」
「上層部では次の司令長官にビュコック提督を考えているらしい。総参謀長にグリーンヒル大将だ」

今度はパンを食べ始めた。お前、味わって食べているか? どう見ても俺にはそうは見えないが……。
「考え直す余地はあるという事ですか?」
「まだ公になっていないからな」
「……貴官はどう思うんです。ビュコック提督で良いと思っていますか?」

ワイドボーンが口をナプキンで拭った。コーヒーを一口飲むと俺を見た。こいつ、初めて俺と視線を合わせたな。
「今の同盟ではベストの選択だろう。ビュコック提督は将兵の人望が厚いし、グリーンヒル大将も極めて堅実な人だ。ロボス元帥の失敗の後任としては最適だし上手く行くと思う」

「本気でそう思っているんだとしたら、貴方は馬鹿だ。私の言ったことをまるで理解していない」
「……随分な言い方だな」
「本当にそう思っているんです、何も分かっていないと」

ワイドボーンがむっとしているのが分かった。だがそれがどうした、怒っているのはこっちも同じだ。どいつもこいつも何も分かっていない。
「……言ってみろ、俺は何を分かっていない」

「帝国軍には二つの序列が有るんです。それが何か分かりますか?」
「……いや、分からない」
「一つは軍の序列、いわば階級です。そしてもう一つは宮廷序列、爵位や或いは有力者に繋がっているか……」
「……」
「軍での序列は低いが宮廷序列は高い、そんな連中が帝国には居るんです」

フレーゲル男爵がそうだ、軍では予備役少将……、言わばその他大勢の一人だ。だがミュッケンベルガーも彼を無視することは出来なかった。何故なら宮廷序列では男爵でありブラウンシュバイク公の甥でもあるからだ。極めて高い地位を持っている。

「そういう連中を指揮するんです。宇宙艦隊司令長官には“威”が必要なんです。宮廷序列を押さえて軍序列を守らせるだけの“威”が。それだけの“威”が無ければ大艦隊を指揮できない、帝国軍の上層部はそう考えている」

「……メルカッツ提督にはその“威”が無い。それは分かった、だが俺が聞いているのはビュコック提督の事だ」
「同じですよ、ビュコック提督にも“威”が無い」

俺の言葉にワイドボーンが顔を歪めた。
「何を言っている、ビュコック提督ほど兵の信望が厚い人は居ない、同じことを言ってやる。お前は何も分かっていない!」

「兵の信望は有るかもしれない、しかし将の信望はどうです」
「何?」
「宇宙艦隊司令長官は将の将です。ビュコック提督に将の将としての信望が有るかと聞いています」
「……」

「彼は士官学校を出ていない。周囲から用兵家として一目は置かれても各艦隊司令官が素直にその命令に従うと思いますか。従うのはウランフ提督、ボロディン提督ぐらいのものでしょう」

原作における第三次ティアマト会戦を思えばわかる。同盟軍第十一艦隊司令官ウィレム・ホーランド中将は先任であるビュコックの命令を無視、帝国軍に無謀な攻撃を仕掛け戦死した。

ホーランドだけの問題じゃない、ビュコックが会戦においてともに行動した指揮官を見るとウランフかボロディンがほとんどだ。おそらくは他の指揮官が嫌がったのではないかと考えている。実力は認める、宿将として尊敬もする。しかし士官学校を卒業していない奴に指揮などされたくない、そんなところだろう。

周囲が彼を司令長官として認めるのはおそらくは状況が悪化してどうにもならなくなってからだろう。原作で言えばアムリッツア以降だ。あの時点で宇宙艦隊司令長官など罰ゲームに近い。俺なら御免だ。

「ビュコック提督には周囲を抑えるだけの“威”が無いんです。否定できますか、ワイドボーン准将」
「……」
ワイドボーンは顔を強張らせている。

分かったか、ワイドボーン。お前がビュコックを評価しても仕方がないんだ。問題は各艦隊司令官がビュコック司令長官の命令を受け入れるかどうかなんだ。ビュコックは司令長官にするより艦隊司令官にとどめた方が良い。その方が同盟の戦力になる。

「それにグリーンヒル総参謀長も良くありません」
「……」
「あの人は穏健な常識人です。反抗的な艦隊司令官や参謀を押さえる事が出来ない。それが出来るくらいならフォーク中佐があそこまで好き勝手に振る舞う事は無かった……」

グリーンヒルはいかにも参謀向きの人物だ。但し指揮官が有能な人物でないと機能しないタイプだろう。上が馬鹿だったり、或いは弱いタイプだと十分に実力を発揮できないタイプだ。つまりビュコックとの組み合わせは良いとは言えない。能力はあるが周囲に弱い司令長官と総参謀長になる。ストレスがたまる一方だろう。

「なら、お前は誰が司令長官に相応しいと思うんだ」
「シトレ元帥です」
「な、お前何を言っているのか、分かっているのか?」
ワイドボーンの声が上ずった。まあ驚くのも無理はないが……。

軍人トップの統合作戦本部長、シトレ元帥が将兵の信頼を取り戻すためナンバー・ツーの宇宙艦隊司令長官に降格する。本来ありえない人事だ。だがだからこそ良い、周囲もシトレが本気だと思うだろう。彼の“威”はおそらく同盟全軍を覆うはずだ。その前で反抗するような馬鹿な指揮官など現れるはずがない。オフレッサーにも十分に対抗できるだろう。

俺がその事を話すとワイドボーンは唸り声をあげて考え込んだ。
「これがベストの選択ですよ」
「それをシトレ元帥に伝えろと言うのか?」
「私は意見を求められたから答えただけです。どうするかは准将が決めれば良い。伝えるか、握りつぶすか……」
「……」

「これから自由惑星同盟軍は強大な敵を迎える事になる。保身が大切なら統合作戦本部長に留まれば良い。同盟が大切なら自ら火の粉を被るぐらいの覚悟を見せて欲しいですね」

蒼白になっているワイドボーンを見ながら思った。シトレ、俺がお前を信用できない理由、それはお前が他人を利用しようとばかり考えることだ。他人を死地に追いやることばかり考えていないで、たまには自分で死地に立ってみろ。お前が宇宙艦隊司令長官になるなら少しは信頼しても良い……。






 
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