SAO-銀ノ月-
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襲撃
走れ、走れ、走れ。脳から放たれる命令が足に伝達していき、とにかく限界を超えろと言わんばかりに走りだす。背後を振り向きたいところだったが、振り向くという隙を見せた瞬間、俺の身体はこの世界から消えていることだろう。
夜、代々木公園にて。今日もクラインからの誘いで《オーディナル・スケール》に参加した俺は、とにかく公園内を走り回ることとなっていた。背後からは圧倒的な存在感と攻撃音が鳴っており、今すぐにでも何者かに襲われそうな予感を漂わせていたが、それでも背後を振り向くことは叶わなかった。
「っそ……!」
今日のオーディナル・スケールのボスは、旧SAO第十一層の《ザ・ストーム・グリフィン》。先日戦った《フスクス・ザ・ヴェイカントコロッサス》が第五層のボスだと考えると、ずいぶん飛ばしているように感じられるが、他の場所にも同時多発的にボス戦が開始していることの証左だった。
ただしボス戦が違う場所でも始まっているということは、一つの場所に来れる人数が少なくなるということで。代々木公園の空中を自在に飛び回るボスを相手に、普段より参加しているプレイヤーが少なかったという事情もあるにせよ、俺たちプレイヤーはなす術もなかった。
それでも黙ってやられるわけにもいかず、空中からの突進攻撃に交差するように日本刀《銀ノ月》の一撃を加えることに成功する。くちばしが脇腹をかすめただけでHPゲージの大多数を奪っていったものの、代償に《ザ・ストーム・グリフィン》の片目を潰したのだ。
だがその目を潰すダメージによって、ボスのヘイトは大きくこちらに向けられたとともに、翼からの雷撃という攻撃が追加された。空からの雷撃に襲われる俺を見て、すっかり指揮官となったアスナから指示が出された。
そのまま囮になれ、と。
「っ!」
そうしてアスナの指示に従って、ユナの歌声をBGMに夜の代々木公園を走り抜ける。足下に放たれた雷撃に舌打ちしながら、聞いていた合流ポイントはまだかと、心中で何度目か分からない毒を吐く。片目が潰されているために距離感が分からないのか、《ザ・ストーム・グリフィン》の攻撃が届くことは少なかったが、それでも当たれば致命傷は免れない。
「ショウキくん! こっち!」
そして最後の曲がり角を疾走すると、アスナの声と準備万端で待機しているプレイヤーたちが見て取れた。予測射撃のように向こう側に放たれた雷撃を、急停止してしゃがみこむことで、《ザ・ストーム・グリフィン》の体当たりごと避けてみせた。
「撃って!」
「よっしゃあ!」
それでもまだこちらを狙っているのか、《ザ・ストーム・グリフィン》は急停止した俺を見据え、翼をはためかせてその場で反転する。ただしその隙をアスナが見逃すことはなく、ガンナーたちの一斉射撃がボスに殺到する。狙いは反転している最中の翼であり、翼を撃ち抜かれたボスは重力に従って大地に落ちていく。
「せーのぉ!」
「オラァ!」
それでも《ザ・ストーム・グリフィン》には大地を駆ける脚があったが、落下地点で待ち構えていた盾持ちプレイヤーが、自由落下中のボスを受け止める。そのままタイミングを合わせたシールドバッシュが炸裂し、スタンしたボスが地上に投げ出された。
「トドメだ!」
大地を駆ける脚どころか、横たわって麻痺に震えるボスを前にして、近接型の武器を持ったプレイヤーたちが集結する。身動きの取れないボスを囲んで叩いていくその姿に、敵と言えども同情せざるを得ないが、それよりは散々追いかけ回してくれた恨みが勝る。どうせなら俺も一太刀ぐらい浴びせて鬱憤を晴らしたいところだったが、まだ身体が空気を求めていて、残念ながら動けずにいた。
「うおっ!?」
「ちょっ……回復速すぎだろ!?」
しかして今回ばかりは、無理して行かなくて正解だったのかもしれない。スタンさせたタンクたちが到着する前に、ボスは周囲に疾風を払ってアタッカーたちを吹き飛ばし、その隙に逃げるように駆けだしていった。すかさずガンナーの射撃が追うが、それは雷撃を自らの周囲に展開することで防いでいた。
「せぇぇぇい!」
ただし《ザ・ストーム・グリフィン》が逃げた先には、細剣を構えたアスナが待ち構えていて。暴走したように周囲に飛来した雷撃を避けながら、必殺の突きがくちばしに炸裂する。そのまま細剣はくちばしから胴体までを襲っていき、最終的には《ザ・ストーム・グリフィン》は両断されるとともにこの世界から消えていった。
『おめでと~!』
「ふぅ……ショウキくん、大丈夫? ありがとね、一番キツい役目をさせちゃって」
「いや……大丈……ん?」
「それならいいんだけど……どうしたの?」
一息ついた後、こちらに申し訳なさそうに駆け寄ってくるアスナに、若干だけ見栄を張った返答をしていると。何やらアスナの背後にもう1人誰かが立っているかと思えば、悪戯めいた表情を隠さないユナが、唇に指を当てながら忍び足でアスナに近づいていた。
『今回も、一番頑張った人にご褒美をあげるね!』
「ひゃっ!?」
そんな裏工作が功を労したのか、ユナは背後からアスナに抱きつくことに成功し、そのまま頬にキスをしていく。もちろん、AR故に実際に触られているわけではないのだが、アスナを驚かせるには充分以上だったようだ。
『……なーんちゃって。それじゃあ、ま、た、ね?』
「…………」
そしてほんの一瞬だけ――気のせいだと言われたら否定できない程度、ユナの表情が寂しげなものに変わって。ただし次の瞬間には、いつものアイドルらしい笑顔に戻って、そのまま幻のように消え去っていく。
「あー……もう。ビックリしたぁ……」
「おう、お疲れ様。アンタらがいると助かるなぁ」
「こっちこそ。今日も助かった」
アスナが胸をなで下ろしている間に、今日も一緒になった虎頭のプレイヤーこと、バズーカ砲を肩に担いだネコ大佐と健闘を称え合う。こう何度もレイド戦を共に乗り越えたとなれば、これぐらいに打ち解けるのは必然と言えた。
「アンタらがいると、って言えば……あのオッサンたちは今日はいないのか?」
「いや、来るときは一緒だったんだけどな……?」
ネコ大佐の言うオッサンたち――要するにクライン率いる《風林火山》だったが、メンバーが揃ってから合流すると伝えられたものの、ついぞボス戦に現れることはなかった。携帯にも《オーグマー》にも連絡は来ておらず、ひとまずはこちらからメールを入れておく。
「急な仕事でも入っちゃったのかな?」
「分かる。分かるぞぉ、その気持ち……って、アンタらみたいな若いのに言っても仕方ないか。んじゃ、また会ったら頼むなー」
「射撃ありがとう、いつも。さて……」
「……どうしようか?」
苦笑いを浮かべながら語ったアスナの案を全力で指示しながら、当の自分自身も早足でどこかに向かっていくネコ大佐に言葉をかけると。自分たちも帰ろう……と言いたいところだったが、俺たちをここまで送ってくれたクラインがいないまま、帰っていいのかとアスナと顔を見合わせる。
「私は家も近いし、歩いて帰ろうと思うけど」
「クラインたちを待ってる訳にはいかないし、送ってから俺もそうするよ」
「え……悪いよ。ショウキくんの家、ちょっと遠いじゃない」
「アスナに何かあったら、キリトに顔向け出来ないからな」
行きはクラインが車で送ってくれたからいいが、帰りは電車を乗り継いで行かねばなるまいと、《オーグマー》で電車の時刻とルートを検索する。幸いにもアスナは歩いて帰れる距離だったので、まずはアスナを家まで送ってからになりそうだが。
「……それじゃ、お願いしようかな」
「ボディーガードだったら、キリトより得意な自信はある。どっちだ?」
「うん。こっちからが近いかな」
起動していた《オーディナル・スケール》を解除しながら、アスナの先導に従って歩いていく。他のプレイヤーたちは自前の車やバイクで来ていたり、駅に向かったりしているので、この時点で俺たちとは方向が違う。三々五々、違う方向に散らばっていくのを見て、やはり余計なお世話だろうと送り迎えは必須だな、と考えながら。
「ん……?」
――だからこそ、目を奪われたのかも知れない。プレイヤーたちが散らばっていく中、1人だけ公園の奥に向かっていく、彼女の存在について。
「どうしたの?」
「いや……向こうに1人、プレイヤーが」
「プレイヤー?」
公園の奥に向かっていく、白いフードを被ったプレイヤー――体格から判断するに、ちょうど自分たちと似たような年齢の少女だろうか。目深に被って顔を判別することは出来ず、ボス戦でもあのような外見をしたプレイヤーは見なかったが、それ故に目を引かれていった。
「どこにもいないけど……?」
「え?」
にもかかわらず、その純白の少女の姿をどこにも捉えることは出来なかった。公園の奥に向かって行ったと言えども、すぐさま見失うような見通しの悪さではなく、隠れるような場所も意味もない。
「消えた……?」
「やっ、やめてよショウキくん! そういうこと言うなら、私1人で帰るからね!」
「あ……悪い悪い! そういえばプレゼントの件、どうなった?」
事実がありのままに口の中から飛び出したが、幽霊だとかそういった話が逃げだすほど嫌いなアスナが、歩くスピードを速めてすぐさま公園から出て行った。やぶ蛇を踏んでしまった、とアスナを追いかけながら、とりあえず話題を変えていく。
もちろんその話題は、俺たちがこうして《オーディナル・スケール》に参加している理由である、プレゼントとそのポイントについてだ。
「……おかげで、プレゼントする物は決まりました。ポイントももう少し」
「そうか……俺も早く何をプレゼントするか決めないと、だな」
どことなくジト目でこちらを睨みつけてくるアスナと、なんとか歩幅を合わせることに成功すると。《オーグマー》によって拡張された視界に、アスナに勧めたバイク用のグローブが表示される。キリトが年末に古いグローブを処分していて、それから素手でバイクを運転しているのを見て、ふと思いついたものだったが。
「指輪じゃないの?」
「ゆっ……それはポイントじゃ買えないだろ」
「うーん……そういえば、しののんからリズの話を聞いたんだけど」
「リズの話?」
アスナも《オーグマー》でポイントで入手出来る物品を確認しているのだろう、こちらから見れば何もない中空で指をタップさせていて。こちらが指輪の件で動揺しながらも、同じような動作をしていると、アスナがそんなことを呟いた。
「うん。リズが昨日、アインクラッドを一層からグルグル回ってたって」
「アインクラッドを?」
確かに先日、リズは用事があると店を出て行っていたが。その用事とは、今更、浮遊城を見て回ることだったのだろうか。そうなれば、先日のリズは浮遊城を見て回った後、あのSAO事件全集を工房で読みふけっていたことになる。
「ポイントも大事だけどさ、一回、リズとちゃんと話した方がいいんじゃない?」
「そうさせてもらうよ」
ため息一つ、先日クラインから言われた、「リズのためにゲームしてるのに、それで喧嘩になるとは辛いねぇ」なる言葉を思い出しながら。まるであのデスゲームのことを懐かしがっているような、そんなリズの先日の行動に、アスナからのアドバイスをありがたく受け取っていく。どうせクラインたちが仕事で忙しくなれば、俺たちもボス戦に同伴させて貰えなくなるのだから。
「ん……?」
「ショウキくん? ……また幽霊?」
「違う違う、気のせいだったみたいだ。それより……」
「うん、あれが私の家。送ってくれてありがとね」
そのままリズやプレゼントの件について話していると、ほどなくアスナの家が見えてきた。その豪邸っぷりへの驚きを顔に出さないようにしたが、どうもそんなリアクションは慣れっこらしく、アスナが苦笑いしながら門を開ける。
「なんならもう遅いし、今日は泊まっていく?」
「まだキリトに殺されたくはない……じゃあ、また」
「うん。またね」
アスナの冗談めかした提案とともに、こちらに全力で斬りかかってくる、二刀流のキリトの姿がフラッシュバックする。それもこれも、まだアスナの家に来たことがないキリトが悪い――などと、リズの家に行ったことがない自分を棚にあげながら、アスナと別れて閑静な住宅街を歩いていく。
「さて……」
住宅街だけあって駅までは割と距離があり、よしんば駅までたどり着いたところで、最寄り駅までは多分に遠い。家にたどり着くのは随分と後になりそうだ、と思って髪を掻きながらも歩いていく。
「……何の用だ」
そしてアスナの家から離れたところで、ピタリと立ち止まって問いかけた。アスナを送っていた時から感じていた、こちらを監視しているような気配。こういうイタズラに関しては菊岡さんが好みとするところだが、どうやら今回は違ったようだ。
「へぇ……流石は、あのデスゲームを終わらせた一翼だけはありますね」
「お前は……ノーチラス?」
そして街灯に照らされたのは、先日のボス戦でともに戦ったランク二位の、ノーチラスとアスナから名を聞いた青年だった。わざとらしく拍手を鳴らしながら近づいてきていたが、ノーチラスの名を聞いた瞬間に表情は歪み、拍手はピタリと止まっていた。
「……アスナさんから聞いたんでしょうが、そんな名前で呼ばないでいただけますか」
その表情に浮かべられたのは怒りの感情。そしてある画面を可視化させてこちらに見せつけてくると、そこには《エイジ》と名前が刻まれていた。
「それで、そのエイジさんが何の用だ?」
「オレも生還者の端くれですから。あの浮遊城を終わらせた一翼に、ちょっと腕試しをね」
ノーチラス改めエイジは、そう言いながら手にオーディナル・スケール用の端末をセットする。わざわざ腕試しとやらをするためだけに、こうして俺の元まで来た……などという与太話が真実ではないだろうが。
「ならこっちも、ランク二位に腕試しさせてもらう」
断ることも容易だったものの、その真意を確かめるためにも、今はあえて誘いに乗っておく。こちらも先のボス戦に使った端末を手に持ち、嫌らしい笑みを浮かべるエイジに、準備が出来たとばかりに突きつけた。
『オーディナル・スケール、起動!』
レイドボス戦ではないために世界まで変わることはなく、俺たちの装備のみが拡張現実に侵食される。こちらの武器はもちろん日本刀《銀ノ月》であり、あちらの武器は標準的な長さの片手剣と、キリトが普段使うような武器と同じだった。
「では……」
慇懃無礼なわざとらしい礼をした後、エイジは片手剣を構え直しながら、こちらの様子を伺いつつも姿勢を低くする。この《オーディナル・スケール》は、基本的にボス戦を主軸にしたゲームだが、対人間が出来ない訳ではない。VRゲームでのデュエルと違う点は、お互いが生身の肉体であるために、ARで作り出された攻撃以外は反則――要するに、殴る蹴るの暴行は認められないということだ。
「…………」
ただ、俺がどうしてあのエイジの気配に気づくことが出来たのか。それは彼から、一瞬たりとも途切れることなく発せられる、殺気のせいに他ならない。
「セイッ!」
「せやっ!」
先のボス戦の際にも見せた、爆発的な勢いによる疾走。まるで電車が迫るが如き勢いだったが、目にも留まらぬ速さという訳ではない。その速度に対するカウンターとして、エイジが数秒後に到達するであろう場所に対し、日本刀《銀ノ月》を置いておくように切り結んだ。
「ッ!」
「VRでいくら強かろうが……」
圧倒的な速度を誇るが故のカウンターへの弱さ。ただしそれはエイジの反応によってギリギリのところで避けられてしまい、反撃にエイジの片手剣による突きがこちらの心臓に迫る。
「VRにこの痛みはないだろう……!」
「ぐっ……!?」
それを身体を横向きにすることで避けながら、突いてきたエイジの勢いを利用して、胴体から横薙にするように日本刀《銀ノ月》を配置――する前に、エイジの蹴りが俺の腹に炸裂した。蹴りの勢いに対抗せず、そのまま吹き飛ばされることによって、とりあえずエイジと距離を取る。
「ガハッ、ゴホッ!」
「へぇ? 直撃は避けるなんて、いい反応してるじゃないですか」
規約違反どころか暴行罪も適応されるだろうに、エイジは涼しい顔をしてこちらを煽ってきていた。確かにその向けられる殺気から、AR以外の攻撃方法を考えていなかった訳ではなく、それが功を労したようだ。
「……お前、何が目的だ」
「言っただろ? 腕試しだよ」
ただ、それでも腹を蹴りつけられた痛みはどうしようもない。日本刀《銀ノ月》の柄を握っていない方の手で腹を抑えながら、息を整えつつもエイジに問いかけるが、返答は先と変わることはなく。
「そうだな……あとは聞きたいこともある!」
そして次の瞬間、エイジの声は隣から聞こえてきていた。まるで瞬間移動のような速度に驚愕しながら、上段に振られた片手剣を日本刀《銀ノ月》が鍔迫り合いに持ち込んだ。とはいえどちらも刀身はARによるもののため、鍔迫り合いは視覚上におけるもののみで、本来は拳と拳がぶつかり合っているのみなのだが。
「っ……!」
そんな鍔迫り合いだったが、徐々に押し込まれていたのはこちらだった。どうやらあちらの方が単純に力が強いようで、これがランク二位の恩恵かと舌打ちを一つすると。エイジがこちらの舌打ちに反応した瞬間、そちらが先にやったんだとばかりに、エイジの膝に蹴りを叩き込んだ。
「チッ」
弁慶の泣き所を蹴られたためか、鍔迫り合いを中断して引いたのは、有利だったはずのエイジだった。ただし逃がすことはなく、引いたエイジをそのまま追撃すると、面を打つようにエイジの頭に向けて日本刀《銀ノ月》を振りかぶった。
「そこ!」
もちろん大袈裟に面を打とうとしたところで、エイジに防がれるのは確実だったが、最初から狙いはがら空きの腹部を狙うこと。お互いに武器が上段で鍔迫り合いをしている最中、先の意趣返しとばかりにエイジの腹部に向けて鋭い蹴りを放っていた。
「随分、分かりやすいことをするじゃないか」
ただしその蹴りは、最初からどこに放たれるか分かっていたかのように、エイジの片手にあっさりと受け止められてしまう。逃げようとするもまるで万力に挟み込まれたかのように足は動かず、そのままゆっくりとエイジの人間離れした握力に握り潰されるかのように、捕らわれた足が軋みだしていった。
「……離せ!」
「言われなくても」
俺の足を掴んだエイジの腕を、日本刀《銀ノ月》でもって斬り裂かんとしたものの、その前に俺の身体はエイジによって中空に投げだされていた。片腕で人間を1人分空中に投げだす力に驚く間もなく、とにかく頭や腰をコンクリートに打ち付けないよう、日本刀《銀ノ月》を鞘にしまい込んで全ての神経を集中する。
「ガハッ!」
「呆気ないな」
なんとか受け身を成功したものの、倒れ伏した俺に対して。痛みに耐えながらもなんとか四つ足でしゃがみこんだ瞬間、エイジの片手剣が俺の首元にそっと置かれていた。これから一歩でも動けば首を跳ねると言わんばかりであり、事実、俺はエイジの余裕しゃくしゃくな笑みを見上げることしか出来なかった。
「それでもあの《銀ノ月》かよ?」
「……聞きたいことって?」
まだ片手剣で斬り裂かれた訳ではないので、オーディナル・スケール的には俺のHPはまだ残っているが、エイジがその気になれば次の瞬間には消えていることだろう。それでもまだ逆転のチャンスを探すべく、とにかく目的を聞きだそうと問いかけた。
「ああ……そう、聞きたいことがあって来たんだったな。お前は――」
今この瞬間が面白くて仕方がない――というような笑みを浮かべていたエイジだったが、その質問を発しようとした瞬間から、全ての感情が表情から消え失せていた。まるで能面のような表情から、その言葉だけが紡がれた。
「――ユナ、というプレイヤーのことを知っているか」
ユナ。その名はもちろん聞いたことがある。今もお互いにプレイしている《オーディナル・スケール》専属の宣伝キャラで、世界初のARアイドルの名前としてだ。
ただしエイジの問いかけは、あのARアイドルの《ユナ》のことではないだろう。ユナというプレイヤー、という言い回しからして、あの浮遊城に参加していたプレイヤーの1人――?
「……知らない」
――その答えを聞いた瞬間、エイジの表情は能面から怒りに包まれていた。
「そうだろうな……お前らにとって、僕たちなんてどうだっていい存在だろう!」
俺の首筋に添えていた片手剣を逆の手に持つと、突如として激昂したエイジは握り拳を作ると、そのままこちらに向かって振りかぶった。片手剣による《オーディナル・スケール》でのダメージではなく、殴りつけてくることによる現実のダメージが狙いの一打。
「このっ!」
「っ!?」
ただし黙って殴られてやる訳にもいかず、しゃがみこんだ体勢からタックルでもってエイジを吹き飛ばした。そのまま追撃としたいところだったが、エイジの未知の動きを警戒して距離を置く。
「……なら、もう一つ質問させてもらいましょうか……」
油断なく日本刀《銀ノ月》を向けるこちらに対して、エイジはゆったりとゾンビのように起き上がった。先程の激昂した様子はどこへやら、またもや丁寧すぎる慇懃無礼な口調に戻っていた。ただしその表情に浮かんでいる感情は、怒りではなく明らかな嘲りの感情。
「愛する女に忘れられた気分はどうだ?」
「……何のことだ」
「……何? くく、ははははは!」
エイジが何を言っているのか、本気で分からないとばかりに返答する。そんなこちらの様子のどこが面白かったのか、エイジは腹を抱えて高笑いをしだした。何がおかしいと日本刀《銀ノ月》の柄を握る手に力が籠もるが、こちらから攻撃しても、エイジの人間離れした動きについていくことは出来そうにない。
「ふん……興醒めだな。まだ分かっていなかったのか?」
それだけを言い残すと、エイジは片手剣を鞘にしまい込んで、こちらに背を向けて歩き出して行った。まるでこちらに興味がないようなその後ろ姿に、背後から一撃を加えたくなるような衝動に駆られるが、恐らく太刀打ち出来ないだろう。先の戦闘からそれぐらいは分かっており、エイジが何を目的としていたのかは分からないままだが、見逃してくれるならありがたい。
「……ああ、でも最後に。ユナのことを教えましょう」
ピタリ、とエイジは立ち止まると、大袈裟にこちらに振り向いた。今日はもう戦う気はないということか、オーディナル・スケールを解除して端末をポケットにしまいながら、憎しみの感情を込めた視線でこちらを射抜く。
「――お前があの浮遊城で殺したプレイヤーの名さ」
「――――」
最後にそれだけ言い残すと、今度こそエイジは闇の中に消えていく。だが悠然と歩いていくエイジとは対照的に、今度はこちらの動きが止まる番だった。
「殺した、プレイヤー……?」
無意識に、俺は自分の手を眺めていた。あのデスゲームにおいて、確かに俺は誰かを殺めたことはある――ただ、殺めた感触が手に残っているのみで、いつ、誰を殺めたのかは記憶にない。弱い自らが記憶を思い返して自壊しないように、自らで記憶に蓋をしているのだ。
「ユナ……?」
――その殺したプレイヤーの名が、ユナだというのか? エイジは浮遊城時代の仇討ちにでも来たというのか? まるで答えのでない問いの無限ループに陥りかけた時、現実に戻れとばかりに身体の節々が痛む。
「ふぅ……っつ」
内心で疑惑が渦巻きながらも、息を吐きながら壁に背中を預け、こちらもオーディナル・スケールを解除する。日本刀《銀ノ月》が端末に、戦闘用の制服が私服に戻っていくが、エイジに蹴りを入れられた腹はひしひしと痛むままだ。
「忘れられた気分……ユナ……?」
コンクリートに打ちつけられた背中と、蹴られた腹の痛みはARではないというのを改めて実感しながら、エイジの語っていたことを反芻する。ユナというプレイヤーのこと、そして――愛する者に忘れられた気分、まだ分かっていないのか、ということ。
『あんた……SAOの記憶、失ったらどうする?』
――そして脳裏に去来したのは、先日、リズから聞いたそんな言葉だった。そのまま彼女が浮遊城を見て回っていて、SAO記録全集を読み進んでいたことをも思い返して、まるであのデスゲームの時のことを懐かしんでいるようだと。
「まさ、か……」
今、リズがどんな状態になっているか、ある可能性に思い至る。そしてそれは……多分、正解だった。
後書き
アスナの家からの帰り道、アスナ母とかいうラスボスにフィールドエンカウントして、ドキドキ結城家宿泊会とかいう案もあったのですが、空気の読めないランク二位の人によって没。まだ強そうですね、こいつ。
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