亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第七話 切なさと温かさ
宇宙暦 792年10月27日 フェザーン ミハマ・サアヤ
「大尉、本当に行くのですか?」
「ええ、本当に行きます。分かっていると思いますが中尉は私の婚約者と言う事になります。話を合わせてくださいよ」
「はい……」
思わず溜息が出ました。大尉、分かってます? そりゃ十七歳でも婚約は出来ます。でもその婚約者が私? 三歳も年下の婚約者を持つなんて……。周囲はどう思うか……。色仕掛けでたらしこんだ、そう思う人間も居るでしょう。
大尉がパーティに行くと言い出した時、当然ですが私もヴィオラ大佐も反対しました。私は大尉のスパイ容疑が完全に晴れていないのにそんな疑いを招くような事は危険だと思って反対しました。
一方ヴィオラ大佐は亡命者である大尉が帝国高等弁務官府に行くのは危険だという理由でした。帝国は今サイオキシン麻薬事件でピリピリしているようです。まして大尉はそのサイオキシン麻薬事件の当事者です。行くべきではないと反対しました。
しかし大尉は譲りません。“どうしてですか”と問いかけると大尉は“私が無事だということを帝国の連中に見せなければなりませんから”と言って口を噤みました。
嫌がらせ? そんなことをしなくてもいいのに……。
結局私が同行する事になりました。私の役目は監視役、これまでと変わりません。でも今度は敵地での監視役です。まさか自分が帝国高等弁務官府で諜報戦を行う事になるなんて……。“ミハマ・サアヤ中尉、危機一髪”、“愛と陰謀のフェザーン”、そんな言葉が脳裏に浮かびました。
そして今、私と大尉は帝国高等弁務官府に向かって歩いています。婚約者らしく大尉と腕を組んで……。あと百メートルほどで帝国高等弁務官府に着くでしょう。すれ違う人達が私と大尉を見ます。私達は軍服を着ていません。パーティに出席するためにドレスアップをしています。
大尉は黒のフォーマル、私は赤のドレスに藤色のショール、そして黒のハイヒールを履き、ブランド物のバック、ネックレス、指輪、イヤリングを身につけています。もちろん自分のものではありません、大尉が私に買ってくれたものです。男の人にこんなに買ってもらうのなんて初めて! 素直に御礼を言ってしまいました。でも胸が半分くらい見えるなんてちょっとエッチ……。
私の給料の三か月分ほどの費用がかかったのですが大尉は平然としたものでした。お金持ちなのよね、二百万帝国マルクも持っているんだもん、女の子が騒ぐわけですよ。可愛いし、お金持ちだし、英雄……。大尉に色々買ってもらったと皆に知られたらまたやっかまれるな、どうしよう……。
帝国高等弁務官府の入り口はパーティに出席する男女で混雑していました。多分、このフェザーンに居る帝国人の名士、それとフェザーンの名士が集まっているのでしょう。皆それなりに年配の人が多いです。私と大尉のように若いカップルは他には見当たりません。周囲も訝しげに私達を見ています。
大尉は気にすることもなく受付に向かいました。いつも思うのだけれどヴァレンシュタイン大尉は驚くとか慌てるとかが全くありません。何でそんなに落ち着いてるんだろう。私には到底真似できそうにありません。そんなところが可愛げが無いように思えます。
ヴァレンシュタイン大尉が内ポケットから招待状を出し、受付係に差し出しました。受付係が招待状を確認し始めます、大丈夫かしら? 私にはあの招待状が死刑執行命令書にしか思えません。
受付係の若い女性はにこやかにヴァレンシュタイン大尉に話しかけてきました。
「失礼ですがお名前をお教えいただけますか?」
大尉は受付係に劣らず笑みを浮かべています。
「自由惑星同盟軍、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大尉です」
その瞬間に私達の周囲が凍りつきました。皆が化け物でも見るかのように私達を見ています。そして私達から距離を取り始めました。受付係の女性も表情を強張らせて私達を見ています。多分私の顔も引き攣っているでしょう。笑みを浮かべているのはヴァレンシュタイン大尉だけです。
「その招待状に不審な点でも有りますか?」
にこやかにヴァレンシュタイン大尉が問いかけました。
「い、いえそうでは有りません。少々お待ちいただけますか」
受付係の女性が慌てて奥へ走って行きます。多分上に報告に行くのでしょう。まあ無理もありません、これまで同盟からパーティに出席者が来るなんて一度もなかったんだから。
受付係が戻ってくるまで十分ほどかかりました。その十分間はなんとも言えない十分間でした。誰も私達の傍に寄ろうとはしませんし視線を合わせようともしません。でも間違いなく私達を意識しています。いたたまれないような十分間でした。
受付係が顔を強張らせたまま戻ってきました。御願い、御願いだからパーティへの参加は認められないと言って下さい。私は喜んで婚約者を連れて帰ります。服も買ってもらったし、アクセサリーも買ってもらいました。私には何の不満もありません。
「お待たせしました、ヴァレンシュタイン大尉、そちらの御婦人のお名前を教えていただけますでしょうか?」
「ミハマ・サアヤ、私の婚約者です」
「有難うございます、どうぞお入りください」
世の中不公平だと思う。私の願いは滅多に叶わないのに大尉の願いは何だってこんなに簡単に叶うのでしょう。神様が贔屓しているとしか思えません。それとも贔屓しているのは悪魔?
パーティ会場に入りました。大きな会場だったけど私達が入った瞬間に会場の人間が皆、私達に視線を向けてきたのが分かりました。視線が痛い……。そしてここでも私達の傍には誰も寄ろうとはしないし、話しかけても来ません。遠巻きにして見ています、聞き耳を立てているだけです。
その状態はパーティが始まっても変わりませんでした。大尉はにこやかに笑みを浮かべながらオレンジジュースを飲んでいます。未成年だからお酒を飲まないのではありません、パーティ会場は敵地だからと言ってヴィオラ大佐が忠告してくれたのです。だから私もオレンジジュースを飲んでいます。
しばらくしてからでした。大尉が突然“踊りましょう”と私を誘いました。ちょっと戸惑ったけど小声で“婚約者らしくしてください”と大尉に言われては断われません。ホールに出て一曲だけダンスを踊りました。
踊り終えてホールから戻ってくると大尉が私に話しかけてきました。
「それにしても帝国人というのは女性に対するマナーがなっていませんね、貴女にダンスを申し込んでくる人間が一人も居ない、失礼な話です」
決して大きな声ではありません、でも聞き耳を立てている周囲には十分に聞こえる声だったと思います。直ぐに私達に声をかけてきた男性が居ました。
「ヴァレンシュタイン大尉、そちらのフロイラインにダンスを申し込みたいのですが?」
ダンスを申し込んできたのは長身の若い軍人でした。砂色の髪と砂色の瞳が印象的な士官です。結構イケメン、優しそうな表情をしています。
「貴官の名は?」
「申し遅れました、小官はナイトハルト・ミュラー中尉です」
ヴァレンシュタイン大尉は私とミュラー中尉を見て頷きました。ミュラー中尉に許したのか、それとも私に対して踊って来いという事なのか、よく分からないでいるとミュラー中尉が私をホールへと誘ってきました。
良いのでしょうか? 私達がダンスをしている間に大尉が誰かと接触したら? さっきの大尉の言葉はそのため? 有り得ない話じゃありません、そう思って躊躇っていると
「大丈夫ですよ、心配は要りません。楽しんでいらっしゃい」
と大尉の声が聞こえました。その声に押されるように私はミュラー中尉とホールに向かいました。
ミュラー中尉と踊り始めたけど私は大尉の事が気になって仕方がありません。本当に大丈夫? そう思っているとミュラー中尉の声が聞こえました。
「フロイライン、貴女は本当にエーリッヒの婚約者なのですか?」
「……エーリッヒ?」
思わずミュラー中尉の顔を見てしまいました。中尉は穏やかに微笑んでいます。エーリッヒ? 大尉の事? この人、大尉の知り合い?
「どうやら違うようですね。まあ、あの朴念仁にそう簡単に恋人ができるわけが無いか……」
「あの、ミュラー中尉、貴方は……」
「エーリッヒとは士官学校で同期生でした。彼は私の親友です」
「……」
「エーリッヒは皆に受け入れられていますか?」
「ええ」
嘘じゃありません、後方勤務本部の女性兵士は皆彼に夢中だもの。
「そうですか、良かった、それだけが心配でした」
「……」
「私は彼を守れなかった。だからあいつは亡命した、私に迷惑はかけられないといって……」
切なくなるような口調でした。この人は自分を責めています。大尉を守れなかったと後悔している。でも守れなかった? だから大尉は亡命した? どういうこと? 大尉は殺されかかって亡命したんじゃないの。迷惑をかけられない?
「こんな事を貴女に頼むべきではないのかもしれない。でも貴女しか頼める人はいない。あいつに伝えてもらえますか」
ミュラー中尉はじっと私を見詰めてきました。こんな眼で見詰められたら到底断われません。
「何をでしょう」
「アントンとギュンターが例の件を調べている。必ずお前を帝国に戻してやる。だから元気でいろと……。御願いします」
私は黙って頷くのが精一杯でした。帝国には大尉の帰還を待っている人がいます。それだけじゃありません、そのために動いている人がいるようです。多分大尉もそれを知っているのでしょう。いつか大尉は帝国に戻る……。だから前線に出たがらない、帝国軍との戦いを彼は望んでいない……。
大尉が此処へ来たわけも何となくわかりました。大尉は自分が無事だという事をミュラー中尉に見せたかったのでしょう。あの時、二人はまるで初対面のように会話をしていました。どれだけ二人で話をしたかったのか……。
でも大尉は直接ミュラー中尉とは話せません、話せばお互いに厄介な事になります。だからダンスを利用して私とミュラー中尉を接触させた。私を通して自分が元気でやっていると知らせたかった。そして中尉は私に大尉への伝言を依頼しようとしている……。
これが諜報戦? 派手なアクションも陰謀も冷酷さも無い。有るのは切なさと親友を思う気持、それだけが溢れています。なんて温かいんだろう、なんて切ないんだろう……。そしてそれに触れた私はどうすれば良いのだろう……。
ダンスが終わりました。私とミュラー中尉はヴァレンシュタイン大尉のところに戻りました。大尉は穏やかな表情でオレンジジュースを飲んでいます。
「ヴァレンシュタイン大尉、フロイラインをお返しします」
ミュラー中尉の言葉にヴァレンシュタイン大尉は黙って頷いただけです。ミュラー中尉も何も言わずに私達から離れていきます。二人ともどんな思いなのか……。堪らなかった、思わず口走っていました。
「大尉、宜しいのですか?」
ミュラー中尉にも聞こえたと思います、でも中尉が足を止める事はありませんでした。そしてヴァレンシュタイン大尉もオレンジジュースを穏やかな表情で飲んでいます。切なくて涙が出そうです。
でも泣けません、私が泣けば皆が不審に思うでしょう。そうなれば大尉にも中尉にも迷惑がかかります、だから泣かない……。それから何人かの帝国軍人が、フェザーン人がダンスを申し込んできました。私はその全てに笑顔で答え、ダンスを踊りました。
パーティが終わり、同盟の高等弁務官府に戻る途中、歩きながら大尉が尋ねてきました。
「中尉、ナイトハルトは何か言っていましたか?」
「大尉の事を心配していました。それとアントンとギュンターが例の件を調べている。必ず大尉を帝国に戻してやると……」
大尉は黙って聞いています。
「それと、大尉を守れなかったと言って後悔していました」
「……」
一体二人の間に何が有ったのです、そう聞きたかった。でも聞けませんでした。大尉は少し俯き加減に歩いています、聞けませんでした……。
「大尉のことをエーリッヒと呼んでいましたよ、親友だと言っていました」
深い意味は無かったと思います、ただ何か喋らなければ遣り切れなくて喋っていました。それなのにヴァレンシュタイン大尉は足を止めました。私も足を止めます。正面を見たまま大尉が虚ろな表情で話し始めました。私が横に居ると分かっているのでしょうか?
「エーリッヒ、ですか……。私をそう呼んでくれる人は同盟には居ません」
「……」
「名前を呼んでくれる人が居ない、それがこんなにも寂しい事だとは思いませんでした」
「……」
大尉がまた歩き出しました、私も後を追います。
「五年前、私は両親を貴族に殺されました。あの時、私は全てを失ったと思いました。もう失うものなど無いと……」
「でもそうじゃなかった……。私にはまだ大切なものが有った……。ナイトハルト、アントン、ギュンター、私は寂しい、卿らに会えない事が本当に寂しい……。でも、頼むから無理はしないでくれ。卿らが生きていてくれればそれだけで私は十分だ。だから、私の事など忘れてくれ……」
そう言うと大尉は俯きながら足を速めました。もしかすると泣いているのかもしれません。少し離れて大尉の後を追いました。私は大尉の泣いている姿など見たくありません。大尉には笑顔が似合うと思います。たとえその笑顔を怖いと思っても笑顔のほうが絶対に似合う……。
私はこれまで大尉のことを亡命者だと認識していました。でも亡命者という存在が何なのか分かっていなかったと思います。亡命者が捨てるのは国だけじゃない、友人も思い出も全てを失う。それがどれほど寂しい事か……。大尉はいつも笑顔を浮かべているけどどんな気持で笑顔を浮かべているのか……。
バグダッシュ大尉、今日ミハマ・サアヤ中尉は帝国を相手に初めて諜報戦を行ないました。諜報戦は私の想像とはまるで違いました。温かくて切なくて泣きたくなる、そんな諜報戦でした。
大尉、今日のことを私は報告しません。裏切ったわけでは有りません。ただ報告したくないんです。どれほど言葉を尽くしても彼らの温かさ、切なさを説明できるとは思えませんし、彼らの想いを汚したくないんです。そしてそれは情報部員としては間違っていても人としては正しい姿なのだと私は思います……。
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