小才子アルフ~悪魔のようなあいつの一生~
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第九話 厚遇の理由
前書き
幼年学校がグリルパルツァーに与えた厚遇の理由が判明です。面倒くさい仕事押し付けられた上に恨まれるからもらえた特別手当だったんですね。
「君も学業が忙しいところすまないと思う。だがこれも人類の未来のためなのだ」
「宗主さまの側近の方をこのような瑣事でおわずらわせし、真に申し訳ございません」
応接室のソファーからわざわざ立ち上がって頭を下げるシュテーガー校長とツィンマーマン男爵家の執事を前に、俺は鼻の頭を引っ掻きたい衝動をこらえて謹厳な表情を作るのに相当の忍耐心を消費しなければならなかった。
情けないにもほどがある。
豪華なソファーにすまなそうにかけている校長と執事から聞かされた事情、依頼された任務は溜息をつきたくなるのを通り越して、その場に崩れ落ちそうになるほどの破壊力を持っていた。
だが、ヤーという以外に俺に選択肢はない。
「……分かりました。微力を尽くします」
俺は上半身と下半身の角度が直角になるほど深く頭を下げ、溜息を隠すほどの大きな声でヤーと言った。
帝国暦四七〇年代、原作では銀河帝国は衰退の途上にあり、貴族階級は頽廃していた。だが、俺の生きている現在帝国暦四七〇年代では頽廃はゆっくりとではあるが取り除かれつつあった。
鍵を握っているのは皇帝陛下、つまりフリードリヒ四世だ。
原作でも帝国の頂点に皇帝陛下、幼帝や女帝ではない成人した男の皇帝が健在である間は曲がりなりにも帝国の秩序は保たれていた。
その皇帝陛下が近年とみに自信を得て──おそらくあの悪魔とゆかいなしもべたちがコウノトリの着ぐるみを着て働いたことが一番の原因だろう──活力を増し、政務に精励している。先帝オトフリート帝の貯えた財産を放出して百億人の農奴を買い取り解放し、辺境惑星や反乱によって荒廃し打ち捨てられた惑星の開拓に従事させる計画の実施、叛徒との間の一千万人規模の捕虜交換の決定、地主層に経営拡大の資金を貸し付ける農民金庫の新設、単独子及び家の後継者の徴兵免除の布告など、あくまでも帝国の法と慣習の枠内ではあるが、これまでなら絶対出てこなかったであろう政策が新聞の一面を賑わし、黒真珠の間で上奏を行うリヒテンラーデ侯、クロプシュトック侯の姿がニュースで流されることは最近、日常茶飯事となっていた。
中でもひときわ目を引く政策が、不良貴族の間引きを宣言した勅令、通称『黒薔薇の勅令』『噛み砕く勅令』だった。
「皇室の藩屏にして臣民の指導者たるの神聖な義務を顧みず、酒色に溺れ遊興に耽り惰弱に流れたる輩は罰せられるべきである」
頽廃した貴族たちは破産してフェザーンへ逃げようとしたセバスティアン・フォン・ミューゼルが第一号となった爵位剥奪を最初、下級貴族に対してのみ適用されるものと高をくくっていた。だがその一週間後に娘を野放しにして家長としての務めを疎かにしたと非難されたフランツ・フォン・マリーンドルフが伯爵から帝国騎士に下げられ、娘ヒルデガルドが僧院──貴族専用の精神病院に入れられると彼らは一転して震えあがった。れっきとした門閥の一員、カストロプ一門第四位のマリーンドルフ伯までもが処分されるとなると、それ以下の身分の貴族が安穏と遊び暮らしていられようはずがない。無能を自覚する者ほど、黒薔薇の刻印のある勅書を回避するため、地位を守るために励まざるを得なかった。幼年学校でも籍だけ置いて出席していなかった門閥貴族の生徒たちが着慣れない制服を着込み、緊張した顔をして入寮してくるのを俺も何度も目にした。
だが俺が馬鹿殿様の改易回避のお手伝いに駆り出されるとは晴天の霹靂だった。
「君も学業が忙しいところではあると思う。だがこれは名門の方々からのたってのご希望なのだ」
「勉学がお忙しい中申し訳ございません。ですが、若君様の健やかなご成長は主のたっての願いでして」
『あのなあ!』
シュテーガー校長に呼び出された応接室で貴族の家中、お館様のお披露目パーティーでクナップシュタイン男爵に延々つまらない話をしていた貴族──ツィンマーマン男爵の執事から世継ぎの若君のだらけぶりをなんとかしてくれと頭を下げられた俺は原作口調も礼儀作法も忘れて飛び上がって叫びそうになった。
かろうじて踏みとどまったのは野望のためである。ツィンマーマン男爵はファルストロング一門の第二十位…つまり、二十一家存在するファルストロング一門の中では末席同然の下っ端だ。とはいえ、俺から見ればまだ上位の存在である。
「いえ、かまいません。お続けください、執事殿」
何とか表情を取りつくろった俺に、校長と執事は喜色も露わに語り始めた。
『勘弁してくれよ…』
そして説明が始まった瞬間、俺の中でここ数週間の疑問が全て氷解し、気力は破れた風船から空気が抜けるように抜けていった。
「今一度、お力をお借りしたく…」
校長と執事曰く、マールバッハ伯爵家のお披露目パーティー以来、俺とブルーノはマールバッハ一門や友好関係にあるファルストロング一門の貴族の家から『家庭教師の助手』『ご学友』として所望されていたらしい。俺たちが迷子の我がままっ子を大人しくさせるのに使った魔法の呪文『皇帝陛下』の効果はお披露目パーティーからしばらくの間絶大だったようで、偏食だったり物を壊したり家臣に暴力をふるったりが日常茶飯事の問題児を抱える爵位持ちの貴族の家中は一息つけたらしい。
ニンジン食べたくないとか、ピーマンは嫌いだレベルの我がままに対処するのに皇帝陛下を持ち出すのは不敬罪じゃないかと思うんだが、叛徒の智将・勇将世に言う『七三〇年マフィア』の跳梁でそんな我がままっ子を容赦なく叩き伏せて躾けられる権威を持った腕力、厳格な父親でもある将官・佐官級の貴族当主が大量死して腕力が不足している現状では皇帝陛下に魔法の呪文になっていただくより仕方ないのだろう。
『皇帝陛下は人参でも何でもおいしく召し上がられますよ』の一言でスープが飛び散り、割れた食器のかけらが散乱する食堂を片づけたり、怪我人の手当てをする手間が省けるなら、藁、いや皇帝陛下の御召物の裾にもとりすがりたくなろうというものだ。
だが。濫用したあげく呪文が効力をなくしたからって最初に呪文を使った俺に助けを求めてこられるのは不本意の極みだ。出世のためであっても、不本意かつ情けない仕事はできることなら遠慮したい。
『お前ら貴族としての、貴族の家中としての誇りはないのか誇りは!身を捨てても主人を立派にしようという気概はないのか!』
『おーおー、立派なマールバッハ家中になってきたねぇ。おにーさんはうれしいよ、んはははははは』
『乾杯だばう』『乾杯だがう』
校長の背後に校長室からでも盗んできたとおぼしきキャビアをおつまみに四一〇年物のワインをちびちびやっている悪魔と乾杯の歌を歌い始めたゆかいなしもべたちの姿を発見しなかったら、後先考えず声を荒げていたかも知れなかった。
「恥を忍んで打ち明けると、獅子、獅子の子と称する豚があまりにも多すぎるのだ。獅子ならば恥を説けば自ら立ち直りもするだろう。だが、豚に恥を説いても子守唄にしかならぬ。怒鳴りつけて蹴飛ばして、鞭で脅かさねば立って歩くことすらしようとしない」
隠しているつもりだったが、驚き呆れ、激怒している内心は顔に出ていたのだろう。シュテーガー校長はすがるように俺を見ると言った。話の前半こそ言葉を飾ってはいたが、後半になると語調は激しさを増し怒りと嘆きが全身から吹き出しているのが見えるようだった。そして、俺に期待されている役割も言われるまでもなく分かった。
「私に鞭を取れとおっしゃるのですね」
「拷問吏の黒覆面をかぶり、鞭を振るう役は──気に障ったなら謝罪する。名誉を傷つけられたと思うなら言ってくれたまえ。後で決闘にも応じよう──一代で身を興した者でなくてはならぬのだ。豚どもを立場が入れ替わるぞ、卑しい平民の群れの中に突き落とされるぞと恐れさせ、せめて野生の猪にするためには」
要するに、俺は将来の藩屏として頼りにならないどころかお荷物にしかならない貴族のどら息子を躾けるための当て馬役にして教師役だったのである。門閥貴族の子弟並みの厚遇も、当て馬としての俺をどら息子どもに見せつけるため、俺の背後に立つ皇帝陛下や皇妃陛下、リヒテンラーデ侯らの後光で俺が連中に鞭を振るう時躾に逆らう気をなくさせるための演出だったというわけだ。
「私にそんな力量を期待されても困ります」
「謙遜しなくてもいい。君はすでに下賤な平民ではない。ゆくゆくは皇室を支える立派な藩屏となるだろう。冷えて固まった濁った血を持っていようはずがないのだ」
「そうでしょうか」
はっきり言って迷惑だ。三度にわたって遠回しな言葉と視線で伝えた拒否の意志は理解された上で無視された。
「君も学業が忙しいところすまないと思う。だがこれも人類の未来のためなのだ」
「宗主さまの側近の方をこのような瑣事でおわずらわせし、真に申し訳ございません」
「……分かりました。微力を尽くします」
宗主──オスカー様を持ちだされてはもはや拒否はできない。
身を乗り出し、立ちあがって頭まで下げた二人の大人に、俺はやっとの思いでそう言うとみっともなくならない程度の早足で応接室から逃げ出した。
後書き
フリードリヒ四世が順調に名君と化しているなあ。これならラインハルトがいくら壊そうとしても帝国壊れないぞ。
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