小才子アルフ~悪魔のようなあいつの一生~
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幕間 悪魔のお仕事
前書き
幕間その二です。今回は悪魔が主役。
反則技を使ってまた一人ラインハルトの味方を消しました。
大飯食らいどものせいでアルフもますますひどいことになりそうです。
ま、元はこの悪魔が犬使いが荒いのが悪いんですけどね。
帝国暦四七六年、四月。新無憂宮西苑。皇妃シュザンナの館。
「ヴィクトール、そなたはほんに、よう尽くしてくれるの」
この日シュザンナは医師ヴィクトール・フォン・フランケンシュタインの往診を受けていた。
架空の人物ながら名医と言えば名医であるドイツ人の家名を持つ新進の宮廷医師は医術や知識が優れているのみならず、世知に長け機知に富み、優れた兵士に勝るとも劣らぬ二人の助手を従えており、過去二度の出産に際して『後宮にありがちな出来事』つまり新生児暗殺を防ぐことまで完璧に手配したことから、シュザンナの信頼が極めて厚かった。
「高貴の方々にご奉仕するは我らの喜び。なにゆえ労を厭いましょうや」
役立つ男であるに加えて帝国騎士らしい凛々しい容姿、犬馬の労を厭わぬ忠実さに表情筋はおろか心拍数までも自在に操っているのではないかと思わせるほどの鉄面皮ぶり、秘密厳守ぶりに口の堅さも信頼の獲得に一役も二役も買っていたのは間違いない。
「その方を見込んで、頼みたいことがある。妾の子、いや皇帝陛下の御子たち──他でもないマクシミリアンとここにおるラインハルトのことじゃ。今はよいが、先々この館を出れば逆徒ルードヴィヒの余党であった者たちはこれ幸いと、二人の命を縮めようと企むやもしれぬ。そう思うと夜もよう寝られなんだ」
純真さと強気との下に大きな母性を持つ皇妃シュザンナの気質は三年続けて子をなしたことでより本質が露わになったようである。ようやく立って歩くようになった上の息子たちと未だ胎内にある末息子を案じる表情には貴婦人の気高さよりも母親の柔らかさが色濃く表れていた。
「警護の者ならばモルト中将もヘルダー大佐も、フォン・シェーンコップもおりましょう」
皇帝自ら選んで──無論のこと侍従武官の副官の副官という位置にいるヴィクトールの操り人形、文字通りの人形が強く推した人選であるが──シュザンナと子供たちに附属させたモルト、ヘルダーら老巧の士官や忠実かつ有能な執事の名を挙げるヴィクトールにシュザンナは頭を振った。
「モルトやヘルダー、シェーンコップは信頼のおける家臣じゃが、つまるところ騎士じゃ。陰謀逞しくする毒蜘蛛、言葉巧みに近付き陥れんとする毒蛇から身を守るには心許ない。毒蛇を制することのできる者が必要なのじゃ。クルムバッハ家のグレゴールもファルストロング家のパウル・ヨーゼフもいずれはよき蛇使いとなろうが、まだ若い…」
決して避けることのできぬ宮廷内の戦いを思い苦悩をにじませたシュザンナが形の良い眉と瞼で未来を見通す瞳に幕を下ろし沈黙するのをヴィクトールは心からいたわしく思う表情で見た。
だが顧客の貴婦人と同じく瞑目した瞳の裏にあったのは同情と献身の心ではなく、喜劇を面白くかき回すための算段であった。
『ほぉ~~~~、愛は強しだねえ母は強しだねえ、見事だよまったく!あっちじゃ近寄るのも恐ろしい黒鷲の女王様がこっちじゃこうも変わるかね!家庭の幸福ってやつは一ポンドありゃ世界の半分を平和にできるって噂は本当みたいだねぇ、面白い面白い!それじゃあもう一人、いや二人三人四人幸せにしてやるとすっかねぇ、一人殺して二人不幸にしてやったのと合わせて二十人!あの坊やも楽ができなくなるってわけだ!んはははははは、面白い!』
従者に化けた愉快な僕たちの呆れるとも咎めるともつかぬ視線に手をひらひらさせて了解の意志を示すと、ヴィクトール──アルフレット・フォン・グリルパルツァーをこの舞台に突き落としたこの男は物語の黒幕であるのか、単なる貴族趣味の古い羽根ペンにすぎぬのか──はどの人形を使うかしばし考え込んだ。
「一人、おらぬこともありませぬ」
「誰ぞ。申してみよ。ゆくゆくは真鍮の拍車を与えるほどの者であれば、平民でも構わぬ」
「『銀の拍車の騎士』の階級にあるパウル・フォン・オーベルシュタインと申す者でございます」
やがて顔を上げたシュザンナに悪魔の素顔を露わにして高笑いを聞かせる代わりにヴィクトールが医師らしく白く磨き上げた歯と人並みの長さに縮めた舌の奥から送り出した単語は、なかなかの劇薬毒薬と言える人形の姓名であった。
「使えるかの」
「少々手を施せば、生涯の忠誠を誓うことでしょう」
聞き知らぬ名に疑わしげな表情になったシュザンナに、ヴィクトールは即答した。
「誰ぞの将来を見てほしいとでも申すなら、叶えて遣わせ。子にかかる金が要るというなら、与えてやるがよい」
「仰せのままに」
悪魔の企みなど知る由もないシュザンナにヴィクトールは宮廷医師のやり方ではなく家臣のやり方で頭を下げ、執事から金貨の袋を受け取ると、悪巧みの影すら感じさせぬ声で答えた。
『お代は見てのお帰りだぜ、義眼さんよぉ』
もちろん誤解を解くことなどするわけがない。
パウル・フォン・オーベルシュタインに妻と子を与えて縛るのもいいが、もっと別の贈り物をすればより効果的であることを彼は知っていた。そのためには銀河連邦時代の医学技術が必要であるが、そんなものはすぐに手に入る。悪魔として与えられた権限をもってすれば、世界を覆すほどの大変革は許されぬにせよ多少の悪戯ぐらいはしてのけることができる。失われた技術の一つ二つその辺の廃墟から復活させる程度なら違反にすらならない。復活させた知識を誰かに教えてやることも。
医者という役を利用して、矯正区に赴く輸送艦に同乗して叛徒の軍医の一人も連れ出し、そいつに組織培養と生体移植の知識を植え付けてしまうことなど眠っていても可能だ。記憶を書き換えるのみならず叛徒の地に持ち去られていた医学書を所持していたことにし、鞄の中にそれを何気なく潜ませておく、などという悪戯ならもう少し手間だが、食事をしながらでも片付けられる。全部一遍に片づけることも、僕たちが腹が減る腹が減ると騒ぎ立てることにはなるが朝飯前である。あとは皇帝陛下の恩賜として、できあがった眼球を義眼と取り換えれば忠臣、いやさ忠僕パウルのできあがりだ。
諜報員よろしく工作に命をかける悪魔の大活躍物語をメインエベントに据えれば、二十世紀二十一世紀の女学生やら本好きの主婦やらがホームページだブログだに小屋掛けしているオーベルシュタインの恋愛話など上演するよりはよほど観客も新鮮味を感じてくれよう。
「他に御入り用とあれば、農奴の中からでも叛徒の囚人の中からでも探し出して召し連れましょう…これは失礼を!猿人にも等しき叛徒の乱杭歯などお目にかけてはお目の汚れ!」
「かまわぬ。叛徒も逃亡、反逆の重罪人とは申せ皇帝陛下の臣民じゃ。召し出すのに何の不都合があろう。農奴など陛下の御為に入り用とあらば、いるだけ買うがよい。中には土を耕す以外のことができる者もおろう」
「ははっ」
下賤の者が浅知恵を詫びるふうを装って行動にお墨付きと、もう一袋の金貨を手に入れると、ヴィクトールは数か月前幼年学校の応接室から逃げ出したアルフレット・フォン・グリルパルツァー──今頃は貴族の馬鹿息子どもを再教育する仕事に大わらわであろう──よりもう少しゆっくりと、礼節を守って皇妃シュザンナのもとを退出した。
退出に際して皇妃の館の玄関からいきなり消えずにお行儀よく地上車に乗り込んだのは、愉快な僕のハスキーどもの犬使い荒く彼らを使い倒そうとする主人への殺意の視線に恐怖を覚えたのとヴィクトール自身も多少の空腹感を感じたがゆえのことだった。
「さーて忙しくなるぜぇ、ハスキー軍団。しばらくは悪魔を休業して慈善事業だ」
「悪魔はお前だけだばう」
「俺たちはただの犬だがう」
「しゃべるだけの犬だばう」
「立って歩くだけの犬だがう」
「だからお前一人でやればう」
「お前一人でやれがう」
そんな彼の足下を見た犬ども、お行儀よく人間に化けてすましている間に腹を減らした愉快な僕たちが質量ともに上等の食事を要求したことは言うまでもない。
銀河連邦時代の都市の遺跡を探検するスリルを楽しみ、矯正区に隣接する労働力市場で農奴、正確には農奴に落とされた叛徒の軍医を競り落として解放する人道的行為に酔いしれる前に…いや役得を満喫する前に尻をハスキーどもの昼食に持って行かれてもがき苦しむのは、いくら再生自在の体を持つ彼とはいえ願い下げである。
「だーーーーーーーー!!それが主人に向って言う言葉かねこの無駄飯食らいどもーーーー!!」
皇宮の門を抜けるやいなや、ヴィクトールは黒塗りのクラシックカーを古代アメリカ趣味な叛徒の──自由惑星同盟の富豪たちが好んで乗るオープンカーに変身させ、ポンメルンとかバイエルンとか言う宇宙で二番目に美味いフリカッセを食わせる店に直行させた。そして一時間後には同盟首都星ハイネセンでも有名なファミリーレストランに、さらに二時間後には惑星ランタオのチャイナタウンの中華料理店に、夕食時には惑星ダイバの寿司店に、いずれも量に主点を置いたメニューを提供する店へと急行した。その度に帝国マルク札が、ディナール札が羽根を生やして飛んでいき、お相伴に与ろうとするヴィクトールの手や顔には張り手の痕、肉球型の腫れやハスキー犬の巨大な歯型が刻まれる。傍から見たら誰が喜劇の主人公なのか分からぬ滑稽ぶりである。
だがそこはさすが悪魔、と言うべきか。
『おいおい作者ちゃんよぉ、俺様は喜劇作家のはずじゃなかったのかぃ。役者に商売替えしたつもりはねぇんだがな』
自分ひとり腹と分厚くなったばかりの財布を平たくされたうえお気に入りの車をベッドとして占領され、とある星の河畔で夕食を釣りつつ夜明かしする羽目になって舞台裏のさらに裏に向ってぼやいたとき、ヴィクトールは仕込みをほぼ完了していた。
その悪魔的な頭脳に空腹の苛立ちと憂さをいまや記憶も消えかけ単なる小才子、単なる主人公となりつつある哀れな操り人形で晴らしてやろうとの考えが芽生えていたことは、説明を要すまい。
「寝られないのかばう?」
「んぁ?」
「お望みなら一緒に寝てやるばう」
「子守唄も歌ってやるがう」
「なーーーーーーーっ!!いらんいらん!!重いしうるさいからいらん」
「遠慮するなばう」
「寝るまで歌ってやるがう」
「だーーーーーーーーっ、巨大化するな毛むくじゃら!暑苦しい!」
釣り上げた夜食の鱒をお節介焼きな二匹の僕に横から攫われた挙句車のバックシートに放り込まれ、声量豊かな犬語の子守唄を一晩中聞かされた悪魔の企みが翌朝、さらに悪辣なものに変貌を遂げていたことも、多くを語る必要はなかろう。
そして悪魔をも翻弄する運命は哀れな操り人形をさらに困惑と困苦、辛苦の中に叩き落とすことになるのであった。
後書き
ハスキーが極悪(笑)
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