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婆娑羅絵巻

作者:みかわ猫
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壱章
  信太の杜の巫女~中~

 
前書き
和泉~信太の杜・最奥地(?)の滝~ 

 
滝壺の側にある小屋で巫女装束を脱ぎ、長襦袢のみになると信芽は全身を水の中に沈めた。



舞を舞い終え、厄を落とす為に禊を行うこの時間は嫌いじゃない。
周りは自分以外誰も居らず聞こえてくるのは
水の音、鳥のさえずり、木の葉が風に揺れる音……。


やはり自然の中に居ると心が安らぐ。
舞を奉納するときしか訪れることはないが自室より安心できる。

……だがどんなに落ち着こうと私の帰る場所は此処ではなく、息苦しいが居場所は彼処しかない。




普段、鬼門封じの舞は女装した久脩叔父様が行っているのだがたまに私が代わりに行うこともある。
(一応、久脩叔父は好き好んで女装してるわけじゃない…らしい)








そういえばまだ夕刻まで時間がある。
どうせ屋敷に戻っても暇だ、信孝の言う通り久々の外だし京に戻って街を散策するのもいいかもしれない。


ならば早く着替えなくては、と岩場に腰掛け置いておいた桃花色の小袖を肩に掛け濡れた髪を絞ると絞った髪から水が滴り落ちる。
襦袢も帯が緩み、胸元が露になっている。

肌寒いので胸元を直そうとしたがそのままじゃ前が見ずらいので(心眼を使えるのだが意識を集中させるんで疲れてしまう)、面紗を僅かにずらしながら胸元を直そうと襟に手を掛けた……その時だった。

「………アンタが噂の信太の杜の狐か?」

何処からか低い男の声がした。
慌てて面紗で顔を隠し、意識を集中させる。

何処だ?何処に声の主は居る?








________居た、此処から少し離れた場所から立ち止まって此方を見ているようだ。

心眼で相手がどんな人物かを探る。
自分と比べて大柄な体格、表情までは薄布越しの為さすがにわからないが刀を携えているのは見てとれる。
……どうやら、私を化け狐の類かと思っているらしい。


………!、近付いてくる。

思わず髪が逆立つのを感じた。
威嚇する様に体を低くし、予想外の出来事に慌てている心中を悟られぬよう、何時でも臨戦出来るようにそっと左脚の内側に隠した匕首に手を伸ばす。



相手は刀、此方は匕首、匕首は至近距離に回り込むか投げつけなくては武器として全く効果はない。
後者は命中しなくては武器を捨てたも同然、体術も心得てはいるがあまり得意ではないし刃物を持っている相手では通用しないだろう、此方が丸腰になるだけだ。

判断を見誤ってはいけない。
匕首を右手に構え威嚇したまま低い姿勢で動かず面紗越しに睨み付ける。


だが相手は怯む様子もなく寧ろ状況を楽しんでる様にも見える。
「毛を逆立たせて牙を剥く、信太の化け狐じゃなくて化け狗か?」
まるで此方を煽るように口笛を吹く、が携えた得物には手を掛けない。
そのぐらい余裕はあるのだろう。


そうこうしているうちに相手はすぐ近くまでゆっくりと近付き、立ち止まっては追い詰める様に見つめる。
「いいねぇ…その化けの皮、剥がすのも悪かねぇなぁ……。」
洒落を言ってるつもりなんだろうか…?
化けの皮とは面紗のことだろうが、正体が分からぬ者に顔を知られる訳にはいかない。
機会を狙い、軽く手負いにさせ怯んだ隙に逃げよう。







匕首を使うのに充分な距離、…今だ。
岩場をダンッと蹴りあげ右手の匕首が風を切る、その拍子に肩に掛かっていた小袖がバサリと落ちた。

相手は刀に手を掛けない、この勝負貰った……!
刃があともう少しで相手の腹部を掻き切る、……此れで終わりだ。
「……。」

「………ッ?!」
信芽は右手首を尋常じゃない力で掴まれた。

……しまった、そう思った時には遅い。
そのままグイッと引き寄せられ、逃げぬように押し倒されたと思ったら上から覆い被さるように地面に押さえ付けられた。

まるで大蛇に巻き付かれた様に身体が動かない。
腕だけはなんとか動かせるので振り回そうと力を入れる。
「おっと…あんまり抵抗するとアンタの手首が折れるぜ?」
相手も掴む力を強くし、手首を圧迫する。
力が入らなくなり匕首がカランと手の中から落ちた。

掴まれている右手首がズキズキと脈打ち、歯が立たなかった悔しさか、はたまた底知れぬ恐怖心からか身体が小刻みに震える。
「安心しな、斬りかかって来たのは気が食わねぇが化けの皮剥がしたら逃がしてやるさ。」
声から余裕の色が滲み出ている、抵抗を止めたのが分かると相手は力が入らなくなるなった右腕を放し面紗の紐が結ばれている後頭部に手を伸ばした。
だが、腰を押えつけている右手は放す様子が無かった。

器用なことに、男が左手でのみで結び目をほどき面紗を外される。
一瞬日の光の眩しさで視線を外したが相手に視線を戻す。

次の瞬間、思わず息を呑んだ。





______やや長く肩に掛かった焦茶の猫っ毛、日ノ本の人間とは思えないような顔立ちに右目に着けた眼帯。
全身から漂う白檀の甘く爽やかな香りに反する艶やかな色気

そして、左目の瞳
何時か父がくれた異国の古書の色付きの挿絵で見た竜の様な美しい琥珀の瞳
最初は好奇心からか荒々しい獣の目のような光で輝いていたが瞳に私の顔が移った途端、何故か次第に穏やかな水面のような光に変わっていく。

吸い込まれてしまうくらい澄みきっていて、信芽は思わず見つめ返しては惚けてしまった。
その間も目の前の男から香る白檀の香りが鼻孔を擽る。

___あまりにも自分の周りに居る男とは違うのだ。
喩えるならば、伊勢物語に出てくる『男』、在原 業平(ありわらのなりひら)。

艶やかな色気で女を虜にするような、甘美でありながら何処か背徳的な雰囲気。

なんとも言い難い熱情から、全身に流れる血が沸騰し始めたかのように、爪先がじんじんと熱を持ち始める。

若しかしたら、男をこんなに長い間見つめたのはこれが初めてかもしれない。





暫く沈黙が続いたが相手の方が立ち上がり先に口を開いた。

「…オレの名は藤次郎(とうじろう)、……アンタ、いや"オマエ"の名は?」
手を差し伸べられ名前を聞かれた途端、動揺とともに現実に引き戻される。
藤次郎は手を差し伸べたまま僅かに頭を傾けじっと見つめる。、

「……鈴彦(すずひこ)、です」
信芽の名は遠くまで知られている、此処は織田での名ではなく別の名を名乗っておこう。

「鈴彦、ねぇ………手首大丈夫か?」

真の名を言えない申し訳無さと心配してくれたことに対するフクザツな感情から目を逸らしてしまったが信芽は小さく頷き、手は差し出した。
「そうか…なら良かった、………痛かっただろ?」
藤次郎は差し出した手を軽く擦り、反対の手を力強く握り返しては引っ張り、立たせてくれた。




____初めてかもしれない、親族や親しい友人以外の誰かに手を握られたり労られたのは。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
 
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