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銀河日記

作者:SOLDIER
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カルテ作り‐二

あの不可解な夜の翌日から、アルブレヒトの出勤時間は早まった。それ以前までの出勤時刻は開始時間のおおよそ五分前だったが、当時の軍務省の記録によれば、翌日から一時間ほど早く軍務省の分室に出勤してその職務に当たる事になった。

「今日は随分と早いな、中佐」
「いえ、実はいつもより早く目が覚めてしまいまして。家に居ても独りで暇でありますので」
部屋に入ってくるオーベルシュタインにアルブレヒトはそう返し、監察用の書類を提出した。表立ってはそう通しているが、その行動には裏の事情があった。それは、受動的に手に入った資料の裏付け調査という目的であった。そのやり取りが三日ほど続くと、オーベルシュタインは何も言わなくなっていた。

そして、あの夜から二週間経った日の昼間、アルブレヒトはオーベルシュタインから軍務尚書に提出する書類を持って、軍務尚書室へと向かった。二週間の調査の結果、あの書類に関連するデータの大方は、軍務省のデータベースに存在する過去のデータを引っ張り出すことで明らかになるものが大半だった。だが、その過程でアルブレヒトを驚愕させたのは、あのTV電話で提出された書類に書かれている内容がそれなりの機密情報に該当するものも含んでいることであった。佐官の権限で確認することのできる範囲の書類も多いが、時には将官権限すれすれのものまであったのだ。それ故この情報の提供者の存在というのが、日を追うごとに不気味に感じられるようになってきたのである。
尚書室のドアをノックして入室すると、運ばれた書類で軍務尚書に軽く溜息をつかせたのはいつも通りだったが、今日は何かが違うように感じられた。
「僭越ながら、いかがなされたのですか、軍務尚書閣下」
「私が病人顔のように見えるかね、デューラー中佐」
不意にそう尋ねてきたアルブレヒトの声に、薄い懸念の色が混じっているのを、エーレンベルク元帥は感じ取った。尋ねた方も、質問に答える元帥の声に、いつもとどこか別の響きを感じた。
「いえ、特に変わったご様子ではございません。ですが、少々お疲れになられたのかと思いまして」
「なに、こうも仕事が多いといい加減疲れにも慣れてくると思うのだが、中々どうしてそうなってはくれんものだ」
言外にお前らが原因だと仄めかしつつ、軍務尚書は手元の書類にサインをした。
二人がそんな他愛もない会話をしていると、尚書室の部屋をノックする声が聞こえた。それは、アルブレヒトが数分前に奏でた音よりも幾分か音量が大きかった。そして、ドアの向こうからは聞きなれた声が聞こえてきた。
「グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー上級大将、軍務尚書閣下の御呼びにより出頭致しました」
「よかろう、入りたまえ」
聞き慣れたよく響く逞しい声に驚くアルブレヒトを余所に、軍務尚書は入室を許可した。ドアが開かれ、大柄な軍人が入ってくる。その姿は、アルブレヒトが見慣れた人物の者だった。
「アルブレヒト、お前が此処にいたのか」
「御久し振りにございます、ミュッケンベルガー閣下」
「ミュッケンベルガー上級大将。デューラー中佐と卿は知りあいなのかね?」
目の前の二人の会話を不思議に思ったのか、エーレンベルク元帥は尋ねた。ミュッケンベルガーの上級大将とアルブレヒトの中佐の間には五つの階級の壁があり、こうも気楽には会話が出来ないはずだ。
「ミュッケンベルガー閣下は小官の伯父上にあたられます、軍務尚書閣下」
「伯父。つまりは、デューラー中佐は甥か。ほぅ、卿も随分と仕事熱心な甥を持ったものだな、ミュッケンベルガー上級大将」
アルブレヒトの回答に、軍務尚書は眉の角度を僅かに跳ね上げ、若干皮肉気に言った。小さな憂さ晴らしの気分らしい。それなりに茶目っ気があった。
「仕事熱心ですか。はたして、これがそうですかな。軍務尚書閣下」
「ミュッケンベルガー上級大将、卿にはこの書類の束が見えんのか。この量、全て再提出勧告だ。イゼルローン要塞や警備艦隊司令官をしたこともある卿なら覚えもあろう。卿の甥御の部署の監査では些細な数字のミスすら許してはくれぬ。この数ヶ月間、どれほど私の仕事が増えたことか」
エーレンベルク元帥は心底憎らしげに言ったが、ミュッケンベルガーにはそれが心からの憎しみであるとは思わなかった。勤勉すぎる部下に対する上官の愚痴なのだと、聞かされている彼は思った。
「では軍務尚書閣下、小官はこれにて失礼いたします」
「いや、待つのだデューラー中佐。卿にも残ってもらう。それとも何か急ぎの用事でもあるのかね」
アルブレヒトは、伯父がこの尚書室にやってきた理由を考えて退室しようとした。軍務尚書に呼び出されたということは、何かしら大事な話があるに違いない。年長者二人の間に挟まれる青年士官はそう考えた。しかし、老年の軍務尚書の声がそれを遮った。
「いいえ、閣下。御言葉ながら、小官は中佐という一介の佐官です。上級大将閣下と軍務尚書閣下の御話に同席できるほどの階級でもありませんし、権限もありませんが」
「確かにそれも一理ある。だが、今は卿の見解はどうでもいい。これは命令なのだ、デューラー中佐。それと、至急卿の同僚を呼びたまえ」
「畏まりました。一旦失礼いたします」
アルブレヒトは一度退出すると、軍務省内の通信回線を使ってオーベルシュタイン中佐を呼びだした。

それから約八分後、オーベルシュタインは特に焦った様子もなく尚書室にやってきた。入室するなり彼は尚書室内のソファーの、アルブレヒトの隣に着席を促された。アルブレヒトはもの凄い居心地の悪さを感じていた。
「軍務尚書、私が同席していてよろしいのですかな?」
「構わん。これは帝国軍全体の問題であるのだからな。それに卿も無関係ではなかろうからな」
ミュッケンベルガー上級大将の質問に、エーレンベルクは何時になく強い口調で返した。それにアルブレヒトは廊下で抱いた小さな疑問を確信に変えた。
「憲兵隊を動かす。辺境地域を担当するモルト准将らの力を借りて辺境部の基地を一斉に捜査・査察する」
それは、疑いようのない綱紀粛正の決定だった。それを聞いて、ミュッケンベルガーは驚いた。アルブレヒトとオーベルシュタインの表情に変化は見えなかった。
「辺境基地の一斉捜査ですと!一体何をなさるつもりなのですかな、軍務尚書」
「仕方なかろう。辺境基地の多くに公金横領、物資の横流しの疑いがかかっているのだ」
「その全てがそうだと、軍務尚書はおっしゃるので?」
「そうだ、卿が否定したくなるのも分かる。だが、これは事実だ。四日前、第九辺境基地に駐留する憲兵隊の一個大隊を指揮するケスラー中佐、二日前に第十七辺境基地の憲兵隊司令ブレンターノ中佐より、基地内の横領の摘発報告書が送られてきた」
「つまり、それが、他の基地にも連携したものだと軍務尚書閣下はお考えで?」
大雑把な言い方ではあるが、普通一辺境基地の汚職であれば、憲兵隊がここまで重い腰を上げるということはない。しかし、軍務尚書がこのような判断を下すということは
「そうだ、デューラー中佐。卿とオーベルシュタイン中佐が監察した書類の約半分がそれに該当するものだった」
「では、物資の横流しの方はどうなったのだ」
「恐らく、物資の横流しの方は後日判明したものでしょう。ケスラー中佐とブレンターノ中佐が金の流れを調べた結果、そこに行き着いた可能性が高いかと」
ミュッケンベルガーの問いにオーベルシュタインが淡々と答えた。
「事実としては、オーベルシュタイン中佐の言う通りだが、それだけではない。横領の摘発を受けて別の管区の方でも捜査が開始された、その際、横流しが明らかとなった。」
「何たることだ、軍の統制は、信用は、栄光はどうなってしまうのだ!これでは叛乱軍との戦闘もままならぬ」
ミュッケンベルガーとて、現在の帝国軍が鉄の規律を誇っているとは心から思っていないが、辺境基地は帝国辺境部の治安維持の拠点であり、辺境星区の安定はイゼルローン回廊への補給と出兵にとって欠かせない要素であったのだ。目の前に座る伯父の静かな憤慨を、アルブレヒトは申し訳なさそうに見つめていた。それをオーベルシュタインは見逃さなかった。
「デューラー中佐」
「なんでしょうか、分室長」
隣から聞こえるオーベルシュタインの声にアルブレヒトは背筋を氷柱で作った爪でなぞられたような悪寒が走った。全てを見抜かれているようなぞっとするような声だった。
「卿には、私に何か隠し事があるようだな」
アルブレヒトは、横から自らを射抜く義眼の怪しい光が一層強くなったように感じ、自らの敗北を悟った。ここで観念しなければ、自分の危険すら危うくなるような予感すらした。
アルブレヒトは軍務尚書に許可を取ると、一旦分室に戻り、例の書類を収納しているファイルを脇に抱えて尚書室に戻ってきた。

「軍務尚書閣下、ミュッケンベルガー閣下、オーベルシュタイン分室長。これをご覧ください」
アルブレヒトは、先日自分宛に送られてきた書類と、これまでの自分の調査結果を、目の前のテーブルに置いた。三つの視線が、テーブルの上にある書類に向かった。その光景を見ながら、アルブレヒトは説明を始めた。
「これは二週間ほど前、小官の自宅宛に送られてきた書類です。最初はこの内容が事実であるとは思えず、半信半疑でありました。しかしこの二週間、出勤時間を早めて調査を行っていくと、真実であることが分かりました。今でも嘘だとは思いたいのですが」
「つまり、貴族もしくは貴族出身の士官が関わっている可能性があると卿は言うのだな」
「誠に申し上げにくい事でございますが、その可能性は極めて高いと小官は考えます。軍務尚書閣下」
「まったく、帝国貴族の誇りとはどこへ行ってしまったのだ」
軍務尚書がため息とともに独語する。
「僭越ながら軍務尚書閣下、至急に捜査範囲を帝国全領域に広げるべきです。恐らくこれは、軍の問題だけでは済みますまい。」
提出者の言葉に対するエーレンベルク元帥の半ば茫然とした呟きに、アルブレヒトは何時になく強い口調でそう言った。
「この書類が事実であるならばやむを得んが、帝国には大嵐が吹き荒れるぞ。デューラー中佐。恐らく、たった数カ月で済むものではない」
「御言葉ですが、ミュッケンベルガー閣下。約五百年に渡って溜まりきった膿を出し切り、思い切った手術を施さなくては、将来この帝国がどうなるか分かりません。幸いにも我が帝国軍にはイゼルローン要塞があります。イゼルローン方面に集中して兵力を集め、この一年間出兵を控えて戴ければ、結果的に軍を強化することにもなりましょう」
「私が元帥、宇宙艦隊司令長官になっての初仕事が宇宙艦隊の綱紀粛正とは、些か巡り合わせが悪いものだな。これでは祝うものも祝えぬではないか」
これより少し前に、宇宙艦隊司令長官の交代人事が決定し、ミュッケンベルガーは元帥へと昇進し宇宙艦隊司令長官への就任が内示されていたのである。
「畏れながら閣下、吉事は延期できても、凶事は延期できる事ではありません。小官はそう考えております」
やや憮然としたミュッケンベルガーの呟きにオーベルシュタインは間髪いれずに、そう発言した。その姿を見てアルブレヒトは相変わらず物怖じしない人だと、心の中で苦笑した。
「ミュッケンベルガー上級大将、残念だがオーベルシュタイン中佐の言う通りだ。卿には心苦しい事であろうが致し方あるまい。放置しておいても何れは取りかかるべき問題。早期に解決するに越したことは無かろう」
「承知した」
軍務尚書が部下の意見に同意し、ミュッケンベルガーも渋々同意した。

その後も続いた話し合いで、一斉捜査の期日はグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー上級大将の元帥杖授与式。そして宇宙艦隊司令長官ベーマーヴァルト元帥の退役に伴う宇宙艦隊司令長官就任の翌日。今日から四日後の十二月二十二日と定まった。
 
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