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銀河日記

作者:SOLDIER
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カルテ作り(一)


憲兵本部から軍務省監察局への緊急的な異動から四か月が過ぎた。帝国歴四八〇年の十二月の半ば、分室唯一の同僚にして上官のパウル・フォン・オーベルシュタイン中佐と共に、アルブレヒトは書類の監察任務に追われていた。

この年、表立った同盟との軍事衝突は無かったものの、訓練や演習で弾薬は減り、日々の食事で食料は減る。最前線基地であるイゼルローン要塞やイゼルローン回廊内にある各前線基地などの各拠点への補給などの仕事は尽きないもので、彼らの仕事の量は一向に減る気配は無かった。
だが、この監察局に回ってくる仕事は、日に日にその苛烈さを増した。
「中佐、軍務尚書室にこの書類を持って行ってくれ」
「また再提出、勧告用の書類ですな。分室長殿は相変わらず御厳しい」
「このような書類でミスをする方が悪いのだ。早く軍務尚書室に行ってきたまえ」
「はっ、了解いたしました」
この分室の副室長であるアルブレヒトの仕事は、軍務尚書室に再提出勧告の承認、監察を終了した書類の承認など、軍務尚書室と分室を行き来することが多い。2人しか人員がいないのだから、最下級の士官であるアルブレヒトがやるしかなかったのだ。

両手いっぱいに軍務尚書エーレンベルク元帥に提出する書類を抱えながら、彼は軍務尚書室のドアを目指した。
威厳のある重厚なドアの目の前に立つと、両手が塞がっているために、肘で来客を知らせるボタンを押し、ブザーを鳴らさせた。
「誰だね」
「第五監察局第二分室副室長アルブレヒト・ヴェンツェル・フォン・デューラー中佐であります。軍務尚書閣下の御裁可を戴くべき書類を提出しに参りました」
「・・良かろう、入れ」
「失礼します」
軍務尚書の若干疲れた様な声をアルブレヒトは聞いたが、それを聞き流して部屋のドアを、行儀悪く肘でこじ開け、中へと入った。


軍務尚書エーレンベルク元帥は銀河帝国軍の約五世紀の長きに渡る軍史の中でも、それに並ぶもののないほどの職の長さにある。軍務尚書歴はかれこれ十年は下らない。そして、尚書に上るまでの踊り場であった軍務次官の期間の方が、尚書歴のそれよりも長い。
その年齢はもうすでに還暦を超えているのだが、その体には未だ活力があり、老いた気配は感じることすらできないものである。アルブレヒトは軍務尚書室への書類提出の度にそれを感じていた。自分もこういう老い方をしてみたいものだなと内心思うようになっていった。

「またしても卿か。デューラー中佐」
「はい。生憎ではございますが、小官の所属する分室には小官とオーベルシュタイン室長殿の二人しか人員がおりませんので。文書を運ぶのは最下級の士官である小官の立派な職務なのであります」
「そうであったな。ここに置いていけ。・・・それにしても相変わらず数が多い。他の部屋の少なくとも倍はあるだろう、これは」
訪問客が部屋に入ってくると、エーレンベルク元帥は眉間に明確な深い皺を寄せ、その人物が持ってきた書類の束を見て溜息をついた。
「どうやら、我が分室長殿は手加減という言葉を御存じではない方なので。何卒御容赦を願います、閣下」
老齢の軍務尚書の嘆きとも愚痴とも取れる言葉にアルブレヒトは苦笑し、そう返した。
「そう言うが卿も同じだ、中佐。人の事を棚に上げおって。…まぁ、軍務省には人が多いのだ。そう言う輩が一人や二人ぐらいはいてもよかろう」
「小官と致しましては、一人や二人と言わず、せめて百人ぐらいは欲しいものかと思います」
「まぁ、各部署に一人ぐらい配置すれば職務も滞らずにいいだろう。よろしい、見させてもらう。下がってよろしい」
「はっ」

「中佐、少し待て」
アルブレヒトが敬礼をして退出しようとすると、エーレンベルク元帥の声がそれを止めた。元帥の片手の中には数枚の書類があり、その中身を確認していた。
「まさか、これ全て再提出勧告の書類と卿は言うのか」
「左様です。軍務尚書閣下。全て出荷量、消費量などの数値の誤差が著しく、輸送効率の著しい低下もしくは改竄等の可能性がある書類だとみなしました。僭越ながら、そろそろ該当部署に参事官の派遣などの具体的措置をおとりになっては如何でしょうか?このまま放置し続けるのもいかがなものかと、小官は愚考いたしますが」
「いい加減、必要かもしれんな。やらずにいれば私が過労死してしまうわ。呼び止めて悪かった。行ってよし」
エーレンベルク元帥は先ほど生まれた紙の塔を見つめる恨めしそうな視線と、呆れかえったような声でアルブレヒトの提案に応えた。上官の言葉に応え、アルブレヒトは途切れかけた敬礼をして、尚書室を退室した。
アルブレヒトが退出していった尚書室のドアを見ながら、山の天辺から取った十枚の書類を机の上に置いてエーレンベルク元帥は思考を巡らせていた。

まったく、あの新たに設立された分室のせいで、私が一日に決済する書類の量が増えてしまってではないか。容赦のない厳しい指摘ではあるが、部署、任地、階級などの隔たりなく公平さは確立されている。しかし、こうも再提出や勧告を求められるような書類が増えるとなると、中佐の言うとおり何かしらの手を打たなくてはならんかもしれんな。傷が広がる前になんとかするべきだろう。

エーレンベルクは提出されてくる再提出勧告の書類に確かな危機感を覚えた。銀河帝国の歴史は五世紀に及ばんとし、イゼルローン回廊の向こうにいる叛乱軍—自由惑星同盟軍—との戦争はもう百五十年に達しようとしている。その中で軍規が緩み、不正が出てくるのであれば、帝国の更なる繁栄と平穏の為それを一掃し、改善する必要があるだろう。そうすれば帝国軍は強化され、この戦争も早く終結するのかもしれない。

四十年以上前に死んだ、自分の数代前の担当者はそれを考えていたのではなかったか、と不意にエーレンベルク元帥は思った。まったく、自分でも思ってもみないことだった。

帝国歴四三六年の第二次ティアマト会戦において自らの二人の息子の仇の叛徒の首魁ブルース・アッシュビーの死を目前にして、病の床に伏し、そのままヴァルハラへと旅立った彼は帝国への忠誠心熱き男であったのを、エーレンベルク、この老元帥は覚えている。仇への恨みも、幾度となく感じた。彼の言葉、口調、動作、仕事振り。その全てが、雄弁にそれを物語っていた。

だが、本当に彼の思いはただそれだけであったのだろうか。愛する者の死を受けて、早い戦いの終わりを、望んでいたのではなかったか。それを思い、彼は一度瞼を閉じた。
エーレンベルク元帥の瞼の裏には彼がヴァルハラへと旅立つ前、あの会戦の三年前に、諸将を叱咤した光景が浮かぶ。その口調と決意は確かに、その場にいた皆の胸に届いただろう。だが、その強い語気の裏にはそんな思いが無かったとは言えないのだろうか。
まったく、

私は何を感傷的になっているのか。いい加減に年のようだ。

エーレンベルク元帥は再び目を開けると考えを止め、追加分も含めた書類の決裁に取り掛かった。確かにこれほどの数値の誤差は問題だ。だが横領などであるならば、それを表す決定的な物的証拠がない。そのような証拠がなければ憲兵隊を動かせない。逮捕しても軍法会議でも証拠不十分で無罪放免となり、あやふやになってしまう。軍法会議の議長をするのは軍務尚書の職務なのだ。それだけはなんとしても避けたい。今はその書類を頭の片隅に収め、処理していくしかなかった。今の段階では。


その後、アルブレヒトは軍務尚書室から分室に戻ると、オーベルシュタインの補佐に勤しんだ。
その日の勤務が終了し、アルブレヒトが自宅に戻ると、家にあるTV電話にメッセージが入っていた。留守電機能が作動したものであるの意は明白であった。家の主はベアトリクスかと思ったが、それは違った。
アルブレヒトは画面の横にある白いボタンを押して、再生をスタートさせた。すると、画面は黒く変化したものの、そこには誰の顔も表示されず、音声と文字だけだったのである。あの女性であれば、こんなことはしないはずだった。

「軍務省第五監察局第二分室副室長、アルブレヒト・ヴェンツェル・フォン・デューラー中佐。このメッセージを確認次第、この番号にかけられたし」
たった数秒の短いメッセージと数行の文の後に、発信先のTV電話の番号が表示されていた。その声は何処か老いを感じさせる、覇気のないものであった。

アルブレヒトは番号を確認して、発信機能を使用した。そして、約一分後、画面に反応が現れた。だが、その画面は黒く、声だけが聞こえるように設定されている。先程と何ら変わりは無かった。

「ふむ、かけてきたか、覚悟はあるようだな」
声は録音されたものよりは力があったが、同一人物であることは間違いなかった。そしてその発言にアルブレヒトは少々自分の性急さを呪った。そして理解した。この要件は裏に通ずる内容なのだと。

「…職務中により留守にしていたため、出られず申し訳ない。それで、卿は小官に一体何の用が御有りですかな」
数秒の沈黙で息を整えてからアルブレヒトが尋ねた。
「折り入って、卿に調べてもらいたい事がある。今そちらに送った資料を見てくれ」
声が短くそう言うと、TV電話のFAX機能が作動し、数枚の書類を鈍い音のスタッカートとともに吐き出し始めた。部屋に現れたもの達を拾うものは無く、木の葉のようにフローリングの床の上に落ちる。
屈んだアルブレヒトはそれらを拾い、目を通した。

「これは、なんと‥」
アルブレヒトはその先を紡げなかった。そこには、驚くべき内容が記されていた。金と物資の流れ、そしてそれが行き着く先。それは軍や省庁などの国家機関のものだけではなく、宮廷に出仕したり、惑星を領有したりしている大貴族達のものも混じっていた。

数行読む度に、アルブレヒトの背中を冷たい汗が駆け降りた。アルブレヒトのライトグリーンの瞳が無個性な文字の羅列に向けられている間、紅茶かコーヒーか、容器に注がれた飲み物を啜る音が彼の鼓膜を揺らした。だが、それに彼は気付かない。目の前にある黒い無機物の羅列に心を奪われていたからだ。そこまで意識が回らなかった。

「分かるかね。中佐」
相手の言葉にアルブレヒトはため息をつきたくなった。
「…小官に手術をしろと貴方はおっしゃるのですな。さすれば恐らく、恐ろしく膨大な量のカルテが出来ますでしょう。病状を抑えるのに少なくとも年単位で時間を要しましょう。最悪幾つもの皮膚や組織、もしくは手足を切り落とすかもしれませんが。卿はそれを真に望まれるのでしょうか?卿の望まれない手術を小官は行いたくないのですが」
アルブレヒトは、その瞳の色に相反する暗い光を輝かせて前の画面を見つめ返した。それは昂揚などではない、不安の感情がなす輝きだった。

自分が劇薬を投与しようとしているのを、彼は確信した。それがどんな副作用を及ぼすかも、ある程度その脳裏に浮かんでいる。運が悪ければもっとひどい事になるだろう。それでも投与しないよりはマシだと、思わざるを得なかった。その事実が、彼の脳内にぼんやりと浮かび上がってきていた。

「そうだ。卿が手術を執り行い、レーザー・メスを持つのだ。そうすれば、たった数年だけかもしれんがその肉体は長生きしよう。患者の許可は取ってある。いや、取っていなくとも、事後承諾でも一向に私は構わんのだが」
「畏まりました。小官のほうでできる限りの努力はしてみます。ただし、過度な期待はなさらないでいただきたい。ではまたいつか、こうした境を抜きにお会いしましょう、閣下」
言い終えたのちに訪れた数秒の沈黙の後、アルブレヒトが敬礼する。すると画面は完全に切れた。完全に、音も聞こえなくなった。

目の前にあるTV電話が切れた事を確認すると、アルブレヒトはある疑問を覚えた。最後に何故、自分は電話の相手を“閣下”などと呼んだのだろうか。自然と出てしまった言葉だった。もしかするとこれは、エーレンベルク軍務尚書などと敵対する人物からの告発かもしれない。それに相手が貴族や将官、高官であるという保証はどこにもないではないか。自分でもわからなかった。

これは、自分だけで調べられることだろうか。オーベルシュタイン中佐の力を借りれば何とかなるだろう。だがこれは軍務尚書が知っておくべきだろうか。それなら間違いなく憲兵隊の捜査が必要になる。だが現在の帝国軍首脳部が知ったらどのような対応をとるだろうか。そして、これは単に一部の世界の問題だけで済むのだろうか。

アルブレヒトの頭の中には、逆説を伴った思考が幾つも駆け巡っていた。窓の外には風の中を舞った木の葉がへばり付いていた。

 
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