剣の丘に花は咲く
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第四章 誓約の水精霊
第九話 剣
前書き
今回は馬鹿話はお休みです。
それでは、本編をどうぞ。
馬で向かおうとした士郎だったが、竜の方が速いとタバサが提案したことから、風竜に乗り込み王宮に向かった。その時、ついていこうとするルイズ達を士郎は止めようとしたが、女王陛下の許可証を持つ自分が必要だと言うルイズと、風竜は自分の使い魔だと言うタバサ達を説得する時間が勿体無いと判断し、結局その場にいた全員で王宮に向かうことになった。
風竜の速度はやはり速く、馬では半日はかかっただろう距離を、たった二時間で辿り着くことが出来た。王宮に到着したのは、既に深夜一時を回っていた。
この時間帯ならば、起きている者は、精々夜勤の衛兵程度のはずが、士郎達が王宮を視界に収めた時には、あちこちに篝火が焚かれ、城の中を様々な人が駆け回っているのが見えた。
風竜が中庭に降り立つと、中庭の近くにいた魔法衛士隊に取り囲まれた。士郎が口を開こうとすると、囲みの中から見覚えのある男が現れる。
「何者だ! 現在王宮が立ち入り禁止だと言うことを知らんのか!?」
さらに何か言おうとした男だったが、風竜の背中に乗っている者が、以前同じように王宮に現れた者だと気付くと顔を顰める。
「またお前達か!? 今日は一体何の用だ! 今はお前たちに構っている時間などないぞっ!?」
男、マンティコア隊の隊長の怒声を浴びながら、士郎は風竜の上から飛び降りると、厳しい表情を浮かべながらマンティコア隊の隊長の前まで歩いていく。
「女王陛下は何処にいる。無事なのか?」
「何? ちっ、どこで知ったのか知らんが、お前たちには関係ない! さっさと立ち去れっ!!」
手を振り回し、追い出そうとする隊長の顔の前に、士郎の後ろから現れたルイズが、手に持った紙を差し出す。それはアンリエッタからルイズが貰った許可証であった。
「わたしは女王陛下直属の女官よ! 女王陛下からの許可証を頂いています! 直ちに事情の説明を求めるわ!」
「なっ?」
目の前に差し出された許可証に渋々と目を通した隊長は、それが間違いなくアンリエッタ女王陛下の許可証であると確認するも、疑問の色を浮かべた目を許可証とルイズの顔を交互に見比べる。許可証には『公的機関の者は、あらゆる要求に答えること』と書かれている。この許可証が本物であることは間違いないと判断した体調は、ならば、軍人たる自分のするべき事は一つしかないと、出かかった疑問お声を飲み込み、口を開いた。
「今から二時間ほど前ですが、女王陛下が何者かの手により拐かされました。現在ヒポグリフ隊がその行方を追っていますが、警護の者が賊の一人も討つことが出来る前に全滅させたほどです。……只者ではありません」
「何処に向かった」
「むっ、それは」
「どっちにいったか分からない?」
「はっ、賊は街道を南下。ラ・ロシェール方面に向かっていると予想されます。既に近隣の警戒、港の封鎖の命令は出しました。後はヒポグリフ隊の者が追いつければ良いのですが……先の戦により竜騎士隊が使えない今の状況では……五分五分といったところですか」
隊長の話しを聞くやいなや、直ぐに風竜に駆け戻る士郎とルイズ。ルイズを抱え、風竜に飛び乗った士郎は、タバサに声をかける。
「タバサっ! ラ・ロシェールに向かってくれ! 賊は馬を利用している、出来るだけ低く飛んでくれっ!」
士郎の言葉に頷いたタバサは、風竜を街道に向けさせた。風竜の鋭敏な感覚は、まるで夜の闇に沈む木々を避け飛んでいく。風竜の上に立つ士郎は、吹き掛かる風を全身に受けながら、微動だにせず地上を見下ろしている。
「まだだ……まだ間に合う……っまだ」
四肢が切断された者。
全身を凍りつかせた者。
身体の所々を焼け焦げさせた者。
共通するのは唯一つ……生きている者がいないこと。
様々な死体を目の前にしたアンリエッタは、地面に座り込み、震える身体を必死に動かし、手に持った水晶のはめ込まれた杖を目の前にいるウェールズに向けていた。カタカタと震える杖の切っ先に立つウェールズは、先程起きた惨劇を感じさせない優しい笑みを浮かべていた。
「な、何故? 何故魔法衛士隊を……」
「仕方がないんだ。彼らは君を取り返そうとしていた。説得することが出来ないなら殺すしかないんだ」
「……あなたは本当に、ウェールズ様なのですか?」
「嘘だと思うかい?」
「わか、分からない……分からないわたし……もう、わたし……」
手から杖を取りこぼし、頭を抱え小さく体を丸めるアンリエッタ。
……アンリエッタが目を覚ました時、目の前では惨劇が起こっていた。魔法の風や炎、氷により悲鳴を上げ倒れていく者……それは、魔法衛士隊のヒポグリフ隊だった。呆然とその光景を眺めていると、何時しか悲鳴が聞こえなくなっていた。惚けて呆然としているところに、膝を曲げたウェールズが目の前に現れたのだ。
「いいんだ。いいんだよアンリエッタ。君はただ僕を信じてついて来てくれればいいんだ。もう、覚えていないかな? あのラグドリアン湖で君が僕に誓ってくれた言葉を」
「わすれ、るわけが、ないじゃ、ないで、すか。これまで、それ、だけが、たより、で、いきて、きたん、ですから」
よろよろと顔を上げ、ニッコリと微笑むウェールズを見上げるアンリエッタ。その目は細かく左右にぶれ、焦点があっていない。
「もう一度、僕に聞かせてくれないかな?」
返り血を頬に受け、血に濡れた顔でにっこりと朗らかに笑うその顔は、酷く怖気を誘うものであった。しかし、アンリエッタは怯えの色を見せることなく、のろのろと口を開いた。
「……トリステイン、王国、王女……アンリエッタは、水の精霊の御許で、誓約いたします……ウェールズさまを、永久に…………愛……することを」
かつてラグドリアン湖の畔で口にした誓約の言葉を、アンリエッタは一言一句正確に口にする。それを聞いたウェールズは、アンリエッタの体を抱きしめると、顔を近づけ耳元に囁きかける。
「君が女王に変わっただけで、それ以外のことは全く変わらないよ。君が僕を愛してくれて、僕が君を愛する……ほら、全く変わらない」
まるで甘い毒だ……耳元で囁かれる言葉の一つ一つに意識が奪われる。ああ、どれだけ夢に見ていたことだろう。こうやって抱きしめられ、愛を囁かれる……たったこれだけのことを……一体どれだけ……。
「君はその誓を信じ、僕を信じてくれればいいんだ。そうしたら、後は全部僕に任せてくれればいい」
ウェールズの言葉に、アンリエッタはただ黙って頷く。
心の奥で何かが声を上げているけれど、もう、何を言っているのかよく聞こえない。ただ、今はこの身に感じるウェールズの身体と、囁かれる優しい声に身を任せたい……ただそれだけを感じ……後は何も感じない……聞きたくない……知りた、く、な、い……。
「あそこだ」
唐突に士郎が指差した先は、闇に隠れ全く見えない。しかし、士郎の目にはハッキリと映っていた。
「どこ? 全然見えないわ」
「どこよ?」
「このまま真っ直ぐ進め……このままいけば、後三分程度で着く」
「え、本当?」
眉間に皺を寄せ、ギリリと睨み付ける士郎に、ルイズ達は不安そうな顔を向ける。
「俺が一人で――」
「ダメよ」
「嫌よ」
士郎の言葉を遮り、ルイズとキュルケが声を上げる。闇の先からルイズ達に顔を向ける士郎。士郎の前には、絶対に引かないと顔に書いているルイズとキュルケの顔があった。これは説得しても時間の無駄だなと判断した士郎は、顔を前に戻すと、一言だけルイズ達に投げかけた。
「無理はするな」
「……くそっ」
「そんな……」
「どうも全滅のようね」
「……」
風竜から降りた士郎達は、辺りを見渡して呟く。周りには賊を追っていたヒポグリフ隊と思われる死体が散らばっていた。眉を顰め、顔を俯かせるルイズ達。
「生き残りがいるはずだ」
生きているものがいないか、倒れている者達に近づこうとした瞬間、士郎に向かって風や氷、炎の魔法が飛んできた。いち早く気付いたタバサが、防御しようと呪文を唱える。
「タバサ、そのままルイズ達を守っていてくれ」
「……分かった」
四方八方から飛びかかって来る魔法をデルフリンガーで切り裂き、時に避ける士郎。ルイズとキュルケは、タバサが完成させた魔法の壁により、魔法が全て弾かれ被害はない。
それを横目で確認した士郎が、魔法が飛んできた草むらに向かって飛び出そうとする。すると、それを制するかのように、草むらの中から、予想したいた、いるはずのない人物が現れた。
「……ウェールズ」
ギリッと歯を鳴らし、現れたウェールズを睨み付ける士郎。
胸の奥から吹き上がる、黒いドロリとした熱を感じながら、士郎はデルフリンガーをウェールズに向ける。デルフリンガーを掴む左手のルーンが、戸惑うように点滅を繰り返している。
「アンリエッタを返せ」
歴戦の傭兵でも震え上がるほどの、士郎の殺気を込められた視線を向けられながらも、ウェールズは何でもないことのように、微笑みを崩さない。
「何を言っているのかな? 彼女は自分の意思でここにいる。返せと言うのは可笑しいんじゃないかな?」
「貴様が言いくるめただけだろう」
今にも飛びかからんとする士郎の前に、ガウン姿のアンリエッタ立ちふさがった。
「待ってシロウさん。わたし達をこのまま行かせて……お願いですから」
「姫様っ何を言っているんですか! しっかりしてくださいっ!! そこにいるのは本物のウェールズ様じゃないんですッ! 『アンドバリの指輪』と言われる水の精霊の秘宝で蘇った、ただの亡霊なんですッ!」
シロウの後ろで、必死にアンリエッタに訴えるルイズに、アンリエッタは、ふっと、今にも崩れそうな儚い笑みをルイズに向けた。
「ここにいるウェールズ様が、ただの亡霊だと……とうに分かっています……ウェールズ様の唇に触れた時に……もう……」
触れた時に感じた、凍えるような冷たさ……分からないわけが……ない……でも……それでも……。
「それでもっ……それでもっ! わたしはっ!」
「さて、アンリエッタもこう言っている。君たちは怪我をする前に、王宮に帰ったらいい」
「何を……」
アンリエッタの前に移動したウェールズは、士郎達に向かって両手を広げる。そのふてぶてしいウェールズの態度に、ルイズは体を震わせ睨み付ける。
「姫様っ! 亡霊だと分かっているのに何故ついていくのですかっ! ついて行く先には、何もありませんよっ!!」
唾を飛ばし、必死に声を上げるルイズに向かい、アンリエッタは変わらず儚い笑み向けるが、その目は爛々と異様な光を帯びていた。
「構いません。……あなたは知らないのでしょうね。女はね、本気で人を好きになれば、何もかも捨ててでも付いていこうとするものなのよ。例えウェールズ様が既に亡くなっていたとしても……わたしに言ったことが嘘だとしても……ね……本気で人を好きになったことのないあなたには、分からないわよね……」
「う……さ……」
「え?」
小さく口の中で何かを呟くルイズに気付いたアンリエッタが、口を閉ざし、耳を澄ますと、
「五月蝿いッ!! この馬鹿ッ!! 何が何もかも捨ててついていきたいって、何が嘘でもって……何が……何が本気で人を好きになったことがないって! わたしだって本気で人を好きになったこたぐらいあるわよ!! 何よ……何よ……もう……そんな……こと……言われたら……わたし……」
「そう……あなたも……なら、わかるでしょう……ルイズ……お願い……これが最後の命令よ……道を……開けてちょうだい」
草むらから鳥が飛び立つ程のルイズの怒声は、段々と尻すぼみに小さくなっていき、最後には耳を澄ましても聞こえないほど小さくなっていく。顔を俯かせ、ふるふると全身を震わせるルイズの姿に、アンリエッタは小さく震える声で最後の命令を伝えた。
ルイズには、もう、アンリエッタを止めることは出来ないでいた。アンリエッタの想いが、痛いほど分かるのだ。自分もそうだ……士郎がどこかに行くのなら……わたしだって……。
顔を俯かせているアンリエッタの手を取り、ウェールズが、草むらから現れた死者の騎士と共に歩みだそうとする前に……士郎が立ち塞がった。
王族には……何かしらの責任はあるだろう。
しかし、十八に届かない少女に、王という重荷を背負わせることが……花のような笑顔を見せる、その顔を曇らせるのが……正しいわけが……ない。
もし、一緒にいるのが、本物のウェールズだったとしたら、止めることはなかっただろう……。
だが……。
だが……今、アンリエッタが付いていこうとしているのは……ウェールズではない……。
なら……。
「アンリエッタを離せ」
「シロウ……さん。お願い、どいて下さい」
「ふぅ……シロウ、アンリエッタもこう言っている、さっさとそこ――」
「黙れ」
「っ」
立ちふさがる士郎にアンリエッタが懇願する。肩を竦ませ、虫を払う様に手を振って退くよう示すウェールズだったが、殺気と言うのも憚るほどの冷気を漂わせる士郎の視線を向けられ、始めて笑顔を崩した。
「貴様はさっさとアンリエッタの手を離せ」
「シロ、ウ、さん?」
士郎と顔を合わせたのは、数える程しかないアンリエッタだが、優しい人だと思っていた士郎の、今までとの余りの違いに、若干怯えが混じった目を向ける。怯えた顔を向けるアンリエッタに、士郎は目尻を微かに下げると話しかけた。
「アンリエッタ。君が女王の地位を捨て、誰かと共に生きたいと言うのなら、俺は別段止める気はない。場合によっては力になっても良いだろう」
「え」
予想外の士郎の言葉に、アンリエッタは戸惑う様子を見せる。
「だが、すまないがこれは許せない。……人形と共に生きても……悲しいだけだ……みすみす不幸になる君を……放っておけない」
「シロウさん」
すまなそうに目を伏せる士郎だが、その目は、硬い決意と深い悲しみを帯びている。優しさと悲しみ、怒り……様々な感情が見える士郎の姿を、アンリエッタは魅入られたように見つめ続けている。と、そこで、士郎とアンリエッタの間に割って入るように、ウェールズが身体を割り込ませた。
「困るなシロウ。君がそこを退いてくれないと言うのなら、強制的に退かすことになるよ」
にこにこと笑いながら杖を向けるウェールズに、士郎も獰猛な笑みを向ける。
「上等だ。出来るものならやって見せろ」
「そうかい、それじゃ……」
ウェールズが杖を振り、見えない風の刃を士郎に飛ばすのを合図に、ウェールズの後ろに待機していた死者の騎士団が、士郎に向かって杖を抜き走り出した。
左右前後、上に時折下から、途切れなく飛んでくる魔法の雨を、士郎は右手に持つデルフリンガーで、時に切り裂き、時に叩き潰す。背後にいるルイズ達には、事前に守りを重点的にするよう指示を出している。時折ルイズとキュルケが前に出そうになるが、それをタバサが冷静に押し止めてくれる。
最初はドットの小さな魔法で士郎を攻撃していたウェールズ達だったが、次第に大きな魔法を使うようになった。その理由は、魔法の雨をくぐり抜けた士郎が、確実に一人ずつ仕留めていったことから、魔力の消費を恐れていれば、全滅する危険が出てきたためだ。
士郎は不死の騎士を十以上の部品に分割すると、キュルケに炎の玉で燃やし尽くすよう指示をだしたのだ。その結果、徐々にだが、不死の軍団は、数を減らしていった。
このままならいけると士郎達が勢い付くが、それも、唐突に雨が振り始めるまでだった。
ポツリポツリと降り出した雨は、一気に本降りになった。
キュルケの炎で燃やし尽くせなくなった結果。士郎が十分割にした死体が、いつの間にか回復、戦線に戻り、戦いが膠着状態に陥っていく。
徐々に戦況が覆り、焦る様子を見せるルイズ達に対し、アンリエッタの声が響く。
「もう、もう止めてください! シロウさん、あなたがいくら強くても、このままではあなたは死んでしまいます。この雨の中では、炎はその力を発揮できず、代わりにわたしの『水』は力を増します……だから、もう……」
「断る」
震える杖を向けてくるアンリエッタに、シロウはデルフリンガーを肩に乗せ答える。その口調は今までの嵐のような戦いをくぐり抜けてなお、息を荒げることなく、いつもと変わらない。
「言っただろう。みすみす不幸になる人を……見捨てられるわけが無いッ!!」
肩に担いだデルフリンガーを振り抜き、その切っ先をウェールズに向けた士郎は、ぬかるみ始めた地面を天高く舞い上げながら斬りかかった。
「もうっ! 何かないのっ! このままじゃジリ貧よっ! 何か、何かないのっ! 何か!」
「もうどうしようもないわよ。そろそろ逃げることを考えなくちゃね」
士郎がウェールズ達に向かって斬りかかるのを目に入れ、ルイズは力になれないことに対し憤りを感じ、地団駄を踏む。隣に立つキュルケも、同じように苛立ちを示すように、トントンと足でぬかるんだ地面を何度も踏んでいる。
「何か……何か……あっそうだ!!」
「何かあるの?」
「もしかしたら」
ハッと顔を上げたルイズは、慌てて懐の中から肌身離さず持っている祈祷書を取り出した。ボロボロの本を取り出したルイズに、キュルケが顔を向けるが、ルイズは反応することなく、祈祷書のページを捲る。
捲った先のページは真っ白だったが、ルイズは力を込め握り締め、目に力を込めてじっと見つめる。
お願い……わたしに、士郎の力になる力を……
「あ」
じっと見つめていると、かつて飛行機の中で起きたように、祈祷書が光りだした。その光に、キュルケとタバサの視線が向けられる。
「ちょ、ちょっとルイズ。これ一体どう言うこと?」
「……」
キュルケの声はルイズには届かない。ルイズの意識は、今、その全てが光りだし祈祷書。その真っ白だったページに向けられていた。ルイズの視線の先で、段々と文字が浮かび上がる。光が収まり、真っ白だったページにハッキリと現れた文字を、ルイズは読み上げた。
「……ディスペル・マジック……『解除』の魔法」
死んでは蘇る騎士団と士郎が死闘を繰り広げる光景を、アンリエッタ呆然と見つめていた。雨が降り出し、炎が効かなくなれば、士郎達も諦め逃げ出すと思っていたのに、彼らは……士郎は欠片も逃げる様子を見せず向かってくる。
アンリエッタには分からなかった……ルイズ達……貴族が自分を連れ戻そうとするのは、自分がウェールズと共にいるということではなく、女王という存在がいなくなることに対して恐れているからだ……。それは納得出来る。王がいなくなれば、国が成り立たなくなってしまうからだ。いくらあのマザリーニでも、王がいない国を上手く回すことはできないだろう。だから、王である自分を必死に取り戻そうとするのは分かる。
でも……彼は違う。
彼は言った。
女王の地位を捨て、誰かと共に生きたいと言うのなら、止める気はないと……場合によっては力になるとも彼は言った。彼が今、自分の前に立ち塞がるのは、自分が不幸になるのを防ぐためだと言った……。
彼……エミヤシロウと名乗る彼は……いつも優しい目を……笑顔を向けてくれた。それは、自分が女王になっても変わらなかった。
分からない……分からない彼が……理解出来ない……見返りも求めず、何でそんなに優しくしてくれるのか……普通の女の子に笑いかけるように、優しく笑いかけてくれるのか……。
鉛のように杖が重い。顔を上げられない。今にも膝を着こうとするアンリエッタの肩に、ウェールズが手を置いた。のろのろと顔を上げるアンリエッタに、ウェールズは変わらない……変わらない冷たい笑顔を向けてくる。
「さあ、アンリエッタ」
ウェールズに導かれるまま、アンリエッタは士郎と戦う騎士に、キュルケの炎から身を守るため、水の鎧をまとわりつかせる。
「さあ、アンリエッタ」
言われるがまま、さらに呪文を続ける。隣には同じように、ウェールズが呪文を唱えている。
呪文が交じり合い始めると……アンリエッタとウェールズの前に、水を纏った竜巻が渦を巻き始めた。
『水』『水』『水』『風』『風』『風』……水と風の六乗による、その魔法は、王家のみに許された魔法、へクサゴン・スペル。完成した魔法は、城さえ一撃で吹き飛ばすだろう、自然災害の如き魔法。
ゆっくりと、しかし着実に成長する竜巻の前には、不死の騎士団と戦っている士郎がいる。
舞い踊るように剣を振るう士郎に、一度目をやったアンリエッタは、強く目を閉じ、杖を士郎目掛け振り下ろした。
「これは、とんでもないな」
向かってくる水の巨大な竜巻は、その巨大差に反した速度で向かってくる。迫る巨大な竜巻を目にしても、欠片も焦る様子を見せずに、士郎はデルフリンガーに声を掛けた。
「デルフ、ちょっとばかり無理をする。ついて来れるか?」
「何言ってやがる相棒っ! オレッちはお前の剣だ。好きに使ってくれ!!」
「はっ! 上等だデルフ! 気合を入れろ……行くぞっ!」
威嚇するかの様に、犬歯を剥き出しに笑うと、デルフリンガーを握り直し、士郎は水の城の如き竜巻に向かって駆け出した。
な、ぜ……何故、彼は逃げな、いの……なぜ……?
逃げることなく、山の如き竜巻に向かって躊躇いもなく駆け寄る士郎の姿を、アンリエッタは霞がかる意識で見つめていた。急激な魔力の消費により、気絶寸前のアンリエッタだったが、意志の力により、何とか未だ意識を保っていた。一瞬でも気を抜けば、確実に気を失う様な状態にも関わらず、何故意識を保とうとするのか……。
それは……。
愛するウェールズのため?
女王という重荷から逃げるため?
それとも……。
「……綺麗」
この美しい光景を見ていたいから……。
不意に聞こえたそれが、一瞬、自分の声だと分からなかった。
自分の声の筈なのに、自分の声じゃないようなそれは、たった一言にも関わらず、様々な想いに満ちていた。
恐れ……。
畏怖……。
嫉妬……。
勝てるとは思えない圧倒的な存在に対し、恐ることなく、勇敢に立ち向かうその姿は、ウェールズの手を取り逃げ出す自分を、余りにも惨めに感じさせた。
憧れ……。
羨望……。
感嘆……。
巨大な存在に怯える様子を見せず、不敵な笑みを向け、たった一本の剣だけで立ち向かうその姿は、まるで物語の英雄を思わせ、心臓を強く打ちつけ、熱くさせる。
勇敢……。
勇者……。
英雄……。
彼を褒め称える言葉は、いくらでも思い浮かぶのに、何故か口から最初に溢れたのは、『綺麗』だと言う言葉。
圧倒的な存在に立ち向かう勇気を称える言葉ではなく。恐ることなく、不敵に笑うその豪胆な気性を称える言葉でもなく。ましてや、それらを身に付ける者達の総称でもない。
何故、綺麗なのか……。
「ああ……そうなのですね」
眩いばかりの光を左手から放ちながら、士郎が両手で握りしめたデルフリンガーを、巨大な竜巻に向け振り下ろす姿を目にした瞬間、アンリエッタは唐突に理解した。
今、この場でウェールズの手を取っているにも関わらず、未だトリステインとウェールズを選べず、ふらふらとしている自分の目には、絶対にウェールズの手から取り戻すと決意を固めた彼の姿が、余りにも揺るがずに見え。
上官からの命令、名誉、報酬、保身等、様々な思惑が入り混じった思いから助けに来る者達とは違い、ただ、不幸になろうとする者を助けるという一心のみで助けに来る彼は、余りにも美しく。
「あなたは……まるで……」
硬く揺るがず、尊い意志で剣を振るう彼の姿は……。
「一振りの……剣……」
急速に近付く竜巻の威容に、背筋が粟立つ。まるでビルだな。地を舐めるように進む士郎は、進む先の竜巻に苦笑を浮かべる。アンリエッタとウェールズが同時に呪文を唱え始めるのを見た士郎は、今までの経験から、デカイのが来ると予想し、事前に全身の強化を済ませていた。
水を纏った竜巻……か。これ程の魔術は、滅多にお目にかからないな。一人なら、竜巻を避ければいいだけの話しだが……後ろにはルイズ達がいる。
デルフリンガーを握っていない左手に視線をやる。左手に刻まれたルーンは、微かに光っているだけだ。『ガンダールヴ』の力は、あらゆる武器を使いこなす……。確かに、その力は凄いとしか言い様がないが……。
ガンダールヴには、身体強化の力もある。
デルフが言っていた。『ガンダールヴ』の力は、心が強く震えれば震える程強くなると……そして、震わせるものが怒りや悲しみ、愛や喜びでも何でもいいと……。
……なら。
竜巻による風が頬を嬲る。竜巻の向こうにいるだろうウェールズを見やる。……ウェールズを蘇らせ、操る者を思う……。
――――ふざけるな――――
砕かんばかりに歯を噛み締める。
士郎が握るデルフリンガーの柄が軋みを上げた。
「お、おいおいこりゃ……驚いた」
デルフリンガーが驚愕の声を上げる。
デルフリンガーは『ガンダールヴ』の剣だ。記憶はあやふやであるが、かつて『ガンダールヴ』に振るわれていた記憶が確かにある。そして、『ガンダールヴ』が剣を振るう時、左手に刻まれたルーンが輝けば輝くほど、その力が上がっていったのを覚えている。力を上げる要因は知っている。心の震えだ。心を震わせるのならば何であれ、『ガンダールヴ』の力は上がっていく。そして、心が強く震えれば震える程、左手のルーンは強く輝く。つまり、ルーンの輝きの強さで、心の震えの強弱、『ガンダールヴ』の力の強さが分かるのだ。
覚えている限り、前の『ガンダールヴ』が戦う時、ルーンは眩しい程ではないが、それなりの強さで光っていた。だが、今の相棒は違う。相棒が剣を振るう時、ルーンは微かにしか光らない。それは、常に冷静に戦っているとのことだが、しかし、つまるところ、『ガンダールヴ』の力を使っていないと言うことだ。
相棒は常にそうだ。フーケのゴーレムと戦った時も、アルビオンでワルドと戦った時も、ゼロ戦に乗りレコン・キスタと戦った時も……。相棒は『ガンダールヴ』の力を殆ど使わず戦っていた。
相棒は戦闘中、心と体を切り離して戦うタイプだと判断していた。だから、相棒が『ガンダールヴ』の力を本当に発揮することはないのではと思っていたのだが……。
「ハハハ……ありえねぇ」
「オオオオォォォォォォッッッ!!」
闇を切り裂くような輝きを見せる左手を添え、全力でデルフリンガーを振り下ろす。
音を越え、空を裂いたデルフリンガーは、巨大な竜巻すら一瞬二つに切り裂いた。ソニックウェーブがデルフリンガーに追いつくより先に、士郎はデルフリンガーを横に切り返し、元に戻る前の不安定な竜巻の横っ腹を吹き飛ばす。
「ラアッ!」
士郎の身体は一瞬も止まることなく動き続ける。その速度も尋常ではなく、周りからは士郎の身体ブレて見えるほどだ。士郎がデルフリンガーを振るう毎に、徐々に竜巻が縮んでいく。鼓膜を破るほどの轟音が鳴り響く。
敵も味方も関係無く、天を震わす轟音に顔を顰め、耳を塞いでいる。しかし、ただ一人の例外がいた。轟音の中、微かに混じる音は、詠唱を行うルイズの声。
一方的に士郎が竜巻を削っている様に見えるが、竜巻の手も士郎に届いていた。
竜巻に振るわれた水は、鉈以上の重さと剃刀以上の鋭さを持っていた。それが音速に迫る勢いで途切れなく迫ってくるのだ、士郎が無事でいられるはずがない。デルフリンガーを士郎が一振りする事に、竜巻はゆっくりと小さくなり、士郎の身体に傷が増える。腕に、胸に、顔に、身体中に傷がつく。
一分……?
五分……?
それとも十分?
士郎が竜巻に相対してからどれだけの時間がたったのだろうか?
今、アンリエッタ達の目の前で、士郎と竜巻との決着がつこうとしていた。
「オオオオオアアアァァァァァッ!!」
士郎の勝ちという決着で。
『解除』の魔法の詠唱を唱え終えたルイズの目の前で、あれ程巨大だった竜巻が吹き飛んだ。士郎が剣を振り抜く事に生じた、不可思議な轟音に負けない程の声で、士郎が雄叫びを上げる。それを合図にしたかのように、水の竜巻は細かな霧に姿を変え、空から降り注ぐ雨に交じり消えていく。
肩を上下に揺らしながらも、確と大地の上に立つ士郎の姿を確認したルイズは、誇らしげな笑みを士郎に向けると、人形のように突っ立ている不死の軍団……ウェールズ達に対し『解除』の魔法――『ディスペル・マジック』を放った。
士郎が水の竜巻を打ち消したことに、アンリエッタは余り驚きを感じていなかった。妙な納得も感じていた。士郎が竜巻を打ち消すと同時に、アンリエッタの中の何かも消えていくのを感じた。未だ霞がかった頭だが、何処かスッキリとした気分がする。
肩を上下に揺らし、汗と血が入り混じる姿でゆっくりと歩いてくる士郎に、アンリエッタは顔を俯かせる。
「怖く……ないので、すか」
「……怖くないといえば、嘘になるな」
ポツリと独り言の様に呟くアンリエッタの言葉に、士郎が応える。
「ウェール、ズ様についてい、けば、不幸になると、あなたは言い、ましたが……なぜ、あなたにそ、んなことが言えるので、すか……ついていかな、い方が不幸かもしれ、ないのに……」
ぼんやりとした瞳だが、強い意思を秘めた目で見上げ、息も絶え絶えにながらも訴えてくるアンリエッタ。足を止め、デルフリンガーを肩に担いだ士郎は、雨足が弱まる空を一度見上げると、目を細め、アンリエッタを見下ろす。見つめてくる士郎の瞳に、アンリエッタは何かに耐える様な、微かな苦しみが見えた気がした。
「そう、だな……そうかもしれない……」
「なら――」
「だが、そんな顔で言っても、説得力がないぞ」
「え」
士郎に指摘され、手で顔を触れるアンリエッタ。
「あ……ああ……わた、わたしは……」
頬に触れた指先に感じるのは、雨に濡れた冷たい頬のはずが、熱い感触だった。その熱は、自分の目から溢れる涙によるものだった。自分が泣いていることに気付き、今にも倒れそうなアンリエッタを士郎は見つめている。
「それで、幸せになると言われても、信じられるわけが無いだろう」
よろよろと顔を上げ、縋る様に見つめてくるアンリエッタに、ふっと、硬い表情を柔らかくすると、小さな……小さな笑顔を士郎は向けた。
「それに……泣いてる女の子を助けるのは、当たり前のことだ」
「っ! あなたは、なぜ、そこま――」
吹けば飛ぶような小さな笑顔なのに、それはアンリエッタの胸をどうしようもなく騒ぎ立てた。何か、何か言わなければと、急き立てられるように口を開こうとしたアンリエッタに、不意に目映い光が降りかかった。
止み始めた雨に交じり降り注ぐそれは、アンリエッタだけでなく、ウェールズを含む不死の騎士団にも降り注ぐ。光に触れた者たちから、糸が切れた操り人形のように、次々と泥を巻き上げ地面に倒れていく。光に触れたアンリエッタもまた、それが切っ掛けになったのか、ついに意識を手放してしまった。段々と近づいていく、闇の様に黒く冷たい泥。
その中に落ちていくアンリエッタだったが、消えかかる意識が最後に感じたのは、冷え切った体を温める炎の如き熱さと、押し潰されそうになる心を守るかのように、身体に回される腕の感触。
それを最後に、意識を手放したアンリエッタの顔には……
親に抱かれた幼子の様な笑みが浮かんでいた……。
後書き
次はエピローグです。
短いですが、エピローグの後に幕間があるので、トリスタニアの休日篇はもうちょっと先になります。
感想ご指摘お待ちしております。
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