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ウラギリモノの英雄譚

作者:ぬくぬく
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シュウアク――英雄譚ノ始マリ

 
前書き
この作品は、大学の卒業論文作成のために作られました。
もし、お時間がございましたら、アンケートにご協力下さい。
10分程度で終わる簡単なアンケートです。

アンケートのリンクはページの最下部にあります。

よろしくお願い致します。


  

 
 電車もバスも止まっているため、(カナメ)は歩いて街まで来た。雨はもう上がっている。
 街の中にはもう人っ子一人いない。皆、店のシャッターも閉めずに、避難勧告に従って緊急に避難したのだろう。
 いつも賑やかな商店街がこうも静まり返っていると、世界はもう滅んでしまったのではないかとさえ思う。
 商店街を進む。

 要がたどり着いたのは、特別名勝(とくべつめいしょう) 栗林公園(りつりんこうえん)
 莉子(リコ)と初めて出会った場所だ。
 彼女は去り際にここで待つと口にしていた。
 勿論、入場券の販売窓口に人はいない。
 要は公園の奥に進む。
 公園の中は広い。いったい彼女はどこにいるのだろうか。

「要くん」
 声を出して彼女を探そうか迷ったところで、声を掛けられた。
 振り返ると、莉子が居た。
 莉子は、先日二人で選んで買った白いワンピースに着替えていた。白い無機質なお面は外されている。覗く顔も肌色も、触手にまみれた異形の姿ではなく、普段と変わらない莉子の姿だった。
「来てくれてありがとう」
「いえ。……里里(さとり)さんはどこですか?」
「心配せんでも、無事だよ。今は、要くんの家の二階で眠ってもらってる」
「何で僕の家に?」
「ふふーん、灯台下暗しってね。……それに、これから暴れるときに近くに人質がおったら、要くんが本気を出せんやろ?」
「何で戦うの前提なんですか?」
「わたしが悪い怪人やけん。ヒーローやったら、退治せんといかんよね」
 笑顔で莉子がそんなことを言う。
 彼女にとっても、自身が怪人であることは不可抗力だったはずだ。そんな彼女自身が、自分を『悪い怪人』と口にした。
 そのことを思うと、要は無意識に唇を噛み締めていた。
「あ……もしかして、幾子(イクコ)さんからわたしのこと聞いたん?」
「はい」
「ああもう、お喋り……」
 莉子が困ったように笑う。
「利用するようなことをしてごめんね。それでも、わたしは要くんが良かった。わたしを殺すんやったら、それは要くんが良かった……」
 莉子が目を閉じる。
「わたしの無敵のヒーローに、殺して欲しかった」
「……」
「要くん、今すぐわたしを殺して」
 真剣な莉子の表情。
「首を締めても良い。骨を折っても良い。道具を使ってもいいし、殴って殺してくれたって構わない。今なら、人を殺せる程度の力でも、わたしを殺すことが出来るけん」
 冗談を言っているわけではない。
「出来ません」
「出来んなら、君の大切な人を傷付けることになるかもしれんよ」
「それは脅迫ですか?」
「脅迫じゃない。事実だよ」
 莉子の声はどこまでも住んでいて、静かな夜の公園の空気に溶けていく。
「僕は莉子さんを止めるためにここに来ました。あなたはまだ正気を保ててます。死ぬ必要なんてない」
「正気を保てなくなってからじゃ遅いんだ……!」
 吐き捨てるように、莉子が言う。
「それとも君は、本気のわたしを止めてくれるん?」
「止めてみせます」
「変身したら戦えなくなる君が? 話しにならんね」
 莉子の目に闘志が宿る。
 要が身構えた。
 仮面を取り出した莉子が、自らを偽るようにその仮面で表情を(おお)った。
 莉子が、『変態』する。
 彼女の体表に禍々しいオーラがまとわり付く。それらが凝固し形を成す。蠢く触手が彼女の全身を覆った。
「一応、こんなんでも女の子やから……化物のになる姿は見られたくなかったんやけど」
「配慮がたりませんでした。すいません」
 要が拳を握る。
 そして二人の戦いは、何の合図もなく始まった。

 先手を取ったのは莉子。触手を伸ばし、要の胸部に叩き込んだ。
「このっ!」
 要は受け流そうとする。だが、力の差は歴然。強大な暴力で押し込まれるようにして、触手は要の胸部に叩き込まれた。腹部が圧迫されて胃の中身が逆流してくる。ただの一撃で(ひざ)を着きそうになる要を、莉子の触手が絡めとった。
「少し場所を移そうか。この公園はお気に入りだから壊したくないんよ」
 莉子が要を抱えて跳躍(ちょうやく)する。
 三度のジャンプで、莉子の体は瓦町の駅ビルに突っ込んだ。
 だだっ広い駅ビルのエントランスに要が投げ込まれる。
 要は何とか受け身を取りながら転がったが、既に自動車に()ねられたみたいな傷を負っていた。立ち上がろうとするだけで、全身に痛みが走る。

「ほら、要くん。続きをしよう……できんの? なら、今すぐわたしを殺して」
 脅迫するように、繰り返し同じお願いをしてくる。
「莉子さんは、死にたいんですか?」
「そう言っとるやん」
「僕には……莉子さんが諦めているようにしか見えないんです。僕が弱いから……莉子さんに諦めさせてしまったようにしか見えないんです」
「関係ないよ。それは要くんの選んだ道やろ。要くんが強くなくても良いって言うなら、わたしに強制することは出来ん」
「強制したら良いじゃないですか……!」
 幼いころ、アニメや特撮の中で何度も理想のヒーローを見た。
 ヒーローは決して悪には屈しない。
 ヒーローは決して誰かを見捨てたりはしない。
 誰かに「助けて」と求められれば、どんな過酷な状況にでも身を投じる。
 それが理想のヒーローだった。
 手の届く範囲だけ、守れればいい。要はそれだけを願った。
 だったら、それがどんなに難しいことだったとしても、守らないといけない。
 こんな弱い自分でも、譲れない一線があるのだとしたら、きっとそれは今だ。
「僕をヒーローだと信じて、僕の背中に付いて来てくれたあなたに……諦めさせてしまう自分を許すことが出来ない!」
「許せなかったらどうするん? ……だだをこねたって、状況は変わらんよ」
 要は立ち上がる。
 満身創痍。それでも、守るべきもののために、前を見据えて立ち上がった。

「あなたを倒します」
 要の迷いが消える。
 拳は強く握りしめた。
「分かった。上手くいかんでも、自分を責めちゃいかんよ」
 仮面の向こうで、莉子が笑っているような気がした。
 そして要は戦いの意思を示すように、この言葉を口にした。
「変身――」
 大地の龍脈(りゅうみゃく)から光り輝く粒子の形をした英気(えいき)があふれ出す。
 それらは要の体にまとわりついて、ヒーロースーツの形を成した。
 漆黒のマント。手には、黒のグローブ。真っ黒なこの姿が、要のヒーローとしての形だった。
 変身と同時に、体の痛みが消えていく。
 同時に、視界がブラックアウトした。
 肌寒さを感じさせていた空気の感触も、口の中の血の味も、風の吹く音も、土埃の匂いも、何もかもが感じられなくなる。
 同時に、要の目の前に幼い自分の幻想が現れた。
 要が地面を踏みしめる。

「いきます」
 そう宣言し、要が一歩踏み出した。
 思えば、ここ数日で要は『変身』して戦うことが増えていた。
 一度目は試験。
 二度目は馬頭の怪人を相手にした時。
 頭の中の想像だけを頼りに拳を振るった。
 今回は前とは状況が違う。相手は動かない足場ではないし、目の見えない要の代わりに怪人を転がしてくれる仲間もいない。
 本来であれば、動く標的を相手に変身して戦うことなんて出来なかっただろう。
 だが、相手は莉子だ。
 莉子とはこの数日間の間に何度も手合わせをした。
 彼女の動きのパターンは、既に要の頭の中に入っていた。
 記憶に残っている莉子の姿を頭の中でイメージする。

 イメージの中の莉子は、変身した要に対してまず牽制(けんせい)するような攻撃を打ってくる。
 (かわ)すまでもなかったが、要はあえて(かわ)した。
 そして走るのではなく、一歩一歩踏みしめるように要が前に踏み出す。
 要の武器は拳だ。接近しないと攻撃のしようがない。
 それを理解している莉子は、要を後ろに押しやるような打撃を打ち込んでくる。
 要はそれを全身で受け止めた。足を踏ん張って、出来るだけ自分の位置をずらされないように抵抗する。もしかしたら、体は痛みを感じるかもしれないが気にすることはない。変身後の打たれ強さなら、莉子の攻撃にも十分に耐えれるだろう。
 莉子は要の弱点を探るような攻撃に切り替えてくる。
 要は顔の前に手をかざし、顔面を(かば)った。
 あと一歩で莉子に手が届く所まで歩く。莉子が跳躍(ちょうやく)する。飛ぶ位置は、要の右手か左手か。恐らく右手だ。
 移動したことで莉子の位置から要の顔面が狙えるようになった。試すとばかりに莉子は打ち込んでくる。
 想像する莉子の動き。攻撃の瞬間、莉子は防御がおろそかになる癖があった。
 要はその隙を逃さず突いた。

「そこだァ!」
 まず右手側。素早く踏み込んで、拳を打ち込んだ。
 手加減なんかする余裕はなかった。渾身(こんしん)の一撃を一撃だけ莉子に打ち込んだ。
 想像の中で莉子が倒れる。いや、倒れていてくれ。
 そう願いながら、要が変身を解く。

 視力が回復して、目の前に横たわる莉子の顔があった。
 その姿はもう、異形のそれではない。いつもの莉子の姿に戻っている。
「仮面は、どうしたんですか?」
「今、要くんが吹き飛ばしたんやん……」
「いかんなぁ……まさか、わたしの動きを全部予想されるなんて思わんかった。要くん、エスパーなん?」
「エスパーなら、こんな苦労してませんよ。怪我は、大丈夫ですか?」
「うん……。怪人の姿の時は、傷の治りが早いけん……でも、これはちょっと動けんかも」
「支えます。帰りましょう」
 要が手を差し伸べる。
 莉子が目を逸らした。
「負けた……。要くんは、強いね……」
 莉子の目尻に涙が浮かんだ。
「でも、いかん……。やっぱり帰れんよ……」
「何でですか……?」
 要は莉子に勝った。
 彼女より強いことを証明した。証明できた。
 なのに何故、彼女はまだ迷っているのだろうか。
「だってやっぱり……今の要くんじゃ、わたしに勝てんのやもん……」
 莉子が笑う。
 目尻の涙は、中途半端な希望を見て、一瞬でもそれにすがりたい。そう思って、諦めざるをえなかった。諦念の涙だ。
「わたしのために、頑張ってくれてありがとう」
 要はまだ、彼女を救えてはいなかった。
「――ちょっとだけ、本気を出すね」

 その瞬間、莉子を中心に(うごめ)く触手が四方に伸びた。
 触手は、要だけを避けて周囲にある全てに突き刺さっていた。
 触手を伸ばす莉子の姿はもう見えない。ただの触手の塊になっていた。
 建物のコンクリートが砕かれる音が幾重にも聞こえてくる。
 伸びた触手が建物を食い荒らしながら進んでいるのだ。

「何で……くそっ」
 要は慌てて屋外に飛び出した。
 要が外に出るのとほぼ同時。先程まで中で莉子と争っていた地上十一階建ての駅ビルが、音を立てて瓦解した。

「莉子さん!」
 要は莉子の安否を心配したが、杞憂(きゆう)だ。
 崩れた瓦礫(がれき)の中から、無数の触手が伸びてくる。それらは無作為な破壊を行う。駅周辺の建物を食い荒らす生き物みたいだった。

 瞬く間にビルを破壊する威力を持つ触手の群れだ。
 下手をすれば変身後の要でさえ、傷を負うかもしれない。
 勿論、五感を失った状態で、こんな奴らの動きを想像して戦うことなんて、出来るとは思えなかった。
「これは……無理だ……」
 思わずそう呟いた瞬間、要の目の前に一本の触手が差し迫った。

「――っ」
 その触手は要に直撃した。
 要は咄嗟に『変身』して身を守った。
 瞬く間に五感は失われ、また真っ暗な世界に幼い自分と二人っきりにされる。
 世界を見なきゃいけなかった。
 現実を感じなければいけなかった。
 耳を塞いで、目をきつく閉じ、膝を抱えている幼い要が顔を上げた。
 こんなことは初めてだった。
「戦いたいの……?」
 幼い自分が問いかけてくる。
「戦ったって、いいことなんて何もないよ」
 例えそうだとしても、戦わなければいけなかった。
 今戦えないと、きっと要は後悔をする。
 今、彼女を守れるのが要の強さだけだから、強くあらねばいけなかった。
(守りたいと思えた。……これは僕の意志だ)
「もうきっとここには戻ってこれなくなるよ……?」
 幼い自分が問いかけてくる。
 気が付くと、膝を抱えているのは要の方だった。
 きつく閉じていた目を開くと、幼い自分が耳をふさいでいてくれていた。
 世界を拒絶していたのは、幼い自分ではない。自分自身だった。
「本当にもういいんだね……」
 幼い要の手が離れていく。
 同時に、音が聞こえ始めた。外で建物が破壊されるコンクリートの悲鳴が聞こえてくる。
「いってらっしゃい」
 幼い自分が小さく手を振った。
 真っ暗な世界に、星の光が差し込んでくる。
 土埃の臭がした。肌に触れるコンクリートの感触が冷たい。
(行ってきます――今まで守ってくれて、ありがとう)
 幼い自分に告げる。
 そして、要は閉ざされた世界の中から現実の世界へと飛び出した。



 ――自分をヒーローと呼んでくれた少女を守るために。
 紫雲 要(しうん かなめ)はヒーローとして完成した。



 視界は触手の群れにうめつくされていた。
 自らの姿を確認する。要は確かに、『変身』していた。
 感覚が失われていく気配はない。
 目も、耳も、肌も、鼻も、舌も、確かに世界を捉えていた。
 現実を見ていた。

「いきますよ、莉子さん」
 拳を振るう。
 伸びた莉子の触手は、要の一撃で意図も簡単に弾け飛んだ。
 攻撃を受けた触手達が、建物の破壊を止めて一斉に要に襲い掛かってくる。
(いつ)っ……」
 試しに受けてみたが、莉子の攻撃は思いの外に重たかった。
「変身した時に痛みを感じるなんて……初めてかも知れない……」
 目の前の強敵に、要のヒーローとしての生物的な本能が鳴いた。
 強い敵との戦いを楽しもうとしている自分がいた。高揚(こうよう)している。
 どんな理不尽でも跳ね除けられる絶対的な暴力が、要の手の中にあった。

「助けられる……」
 その言葉は何よりも甘美な響きを持っていた。
 麻薬の様に脳に浸透(しんとう)していく高揚感に、要は拳を振るって全身を始めた。
 彼女がどんなに強力な怪人に成長したとしても、要が止める。
 要が止めてみせる。
 その力があることを示すように、要は拳を振るった。
 瞬く間に要は崩れた駅ビルの上。触手の中心にたどり着いた。
 更に伸びてこようとする触手を引き抜き、引き千切り。
「莉子さん――」
 彼女の名前を呼んだ。
「莉子さん――莉子さん――莉子さん――」
 彼女に拳を振るう度に、何回も呼んだ。
 触手から溢れ出す体液で、要はドロドロに汚れていく。
 二人は満足するまで戦う。彼女の恐怖が消えるまで、要は拳を振り下ろすのをやめられない。
 渾身の力を込めて、拳を引いた。

「僕は、こんなに強いんですよ」
 だから、大丈夫。
 何も心配することはない。
 そう、彼女に伝えたくて、引いた拳を力の限り振り下ろした。
 彼女の触手が消し飛ぶ。
 中から、無機質(むきしつ)な仮面が現れた。
 この下に、莉子がいる。
 要はその仮面を剥ぎとった。
 仮面の下には莉子の微笑みがあった。

「見えるようになったんだ……」
「聞こえるようにもなりました。克服(こくふく)できました」
「良かったね、要くん」
 莉子の姿を見て、要は安心した。
 彼女を救えたと思った。
「じゃあ、約束通り、君をヒーローにしてあげるね……今」
 相変わらず莉子は微笑んでいる。
 彼女の言葉の意味は分からない。

「この服、気に入ってるんだ……死ぬ時は絶対これを着てようと思った……」
 何故彼女は、そんな話をするのだろうか?
 要は強くなったのだ。
 もう彼女は、死ななくて良いはずだった。

「ごめんね……。実はもう……限界なんよ……」
 莉子の呼吸が少しだけ苦しそうに歪んだ。

「これ以上、正気を保つのは、無理みたい……」
「何……言ってるんですか……?」
「わたし……もうすぐ心まで怪人になってしまいそうなんよ……」
 苦しげな莉子の表情。
 要には意味がわからない。
 分かりたくなかった。

「じゃあ、要くん……わたしのこと、殺してくれるかな?」
 そして莉子は、
「バイバイ」
 短くそう告げて。
 要の視界を無数の触手が(おお)った。

 触手に包まれた要の全身は、グシャグシャに(ひね)り潰されそうになりながら、触手の外に排出(はいしゅつ)された。
 全身が痛む。だが、それも数秒で治癒する。

「何だ……これ……?」
 目の前に、強大な暴力の群れが。
 先程とは比べ物にならないほどの触手の群れが(うごめ)いていた。

「ルァァァアアアアア――!」
 触手の中心から莉子が上がる。
 莉子の声だ。
 彼女の喉が、この獣の様な声を発している。
 想像しただけで吐き気がした。

「僕は……強くなって……ヒーローになって……あれ?」
 莉子は、生きていいはずだった。
 いつか自分が堪えられなくなった時は、要が彼女を殺してでも止めるから。
 破壊衝動に心が飲み込まれるタイムリミットまで、彼女は生きられるはずだった。

「ああ、そうか……」
 そのタイムリミットが今来たのだ。
 ならば要は、約束通り彼女を殺さなければならない。

「そんなこと、出来るわけないじゃないか……」
 分かっていたことなのに、要は拳が握られなかった。
 触手は広がっていく。
 莉子から切り離された触手が、一個の生き物のように単独で破壊行動を始めた。
 それを見て、要は(さと)ってしまう。

 彼女をこのままにしておけば、甚大な被害が出る。
 多くの人が死ぬ。
 これはきっと、莉子がずっと一人で抱えていた絶望だった。
 自分のせいで誰かが死ぬ。沢山の人が死ぬ。
 それがどれだけ彼女を不安にさせていたか、想像するだけで恐ろしい。

「止めなきゃ……」
 莉子が誰かを殺す結末なんて、きっと彼女だって望んじゃないない。
 要が止めなければならなかった。
 でも、どうやって……。
「手遅れになる前に……」
 殺してあげないと。

 要のヒーローとして成長してきた部分が、そう判断した。
 そして、完成されたヒーローとして、要は成すべきことを行った。

 拳を振るう。
 広がっていこうとする触手を、一匹たりと逃さずに殴り殺した。
 広がろうとする触手を殴り、千切り、強引に抑えこむ。

 渾身の拳とその衝撃波で、触手共を撒き散らしながら間引いていった。
 瞬く間に触手はその体積を小さくし、ついには人型の中心部を残すのみとなる。

 触手の中心を掴んで、要は()んだ。
 崩れたビルの瓦礫の上に降り立って、単独行動を始めた触手たちを見下ろす。
 彼女を殺して、これらの動きが止まればいいが、もし止まらないならあれらを殺しに行かないといけない。
 拳を握りしめる。
 どこに打ち込むか迷った。
 出来るだけ、苦しめたくはなかった。
 手が震えていた。
 寒くなんかないのに、奥歯がカチカチ鳴った。
 要は怯えているのだろうか。
 分からない。でも、彼女は――。
「殺さないと、いけないんだ……!」
 自分に言い聞かせる。
 要は、拳を振り抜いた。










 街に放たれた触手達が、行動を停止する。
 要の拳は彼女の心臓目掛け振り下ろされ――(すんで)ところで、停止していた。

「何で……」
 ポトポトと、抱え上げた彼女の体表から触手が落ちて、屑となって消えていく。
 触手の下から人としての莉子の顔が現れる。
 その頬は、月明かりに照らされて赤く染まっていた。



「すごい……」
 夢でも見ているような声で莉子が言う。

「すごいよ、要くん」
 莉子が要の肩をギュッと抱きしめた。
「どんなにわたしが力を振るっても、そんなのものともせずに、要くんはわたしを殺してくれた。完璧に、誰も傷付けること無く、わたしだけを殺してくれた」
 莉子の声が弾んでいる。
 彼女の手が、ワシワシと要の頭を撫でた。

 (ほう)けていた要の思考が理解する。
 彼女は、要の力を推し量るために最後に本気を出してみせたのだ。
「すごいよ、要くん」
 すごいすごいと、彼女は要を褒め称えた。
 褒められたくなかった。

「やめて下さい……」
 呟いた要の声は、興奮した莉子には届かない。
 莉子が理性を取り戻したことで、戦う理由を失った要は、ただ思う。
 ――褒めないで下さい。
「やっぱり、要くんがわたしのヒーローだった」
 恋をする少女のような瞳で、莉子が要を見つめる。
 今の彼女にどれだけ要が綺羅びやかに見えているのかは分からないが、要は今の自分が醜悪に感じられてならなかった。
 ――褒めるな。
 ――褒めないで。
 ――こんな僕を褒めないでくれ。
 ――だって僕は……。






 ――君を、殺そうとしていたんだぞ。





 要の嘆きは莉子に届かない。

「すごい……すごいよ、要くん……」
 ただ彼女は、陶酔するように。
 熱を帯びた声で、ただ何度もそう言いながら。
 慈しむように、要の頭を撫でていた。

 こうして、死ぬことでしか救われない少女と、殺すことでしか守れないヒーローの物語は始まった。



 醜悪な二人の英雄譚が始まった。









                        おわり.


 
 

 
後書き
『ウラギリモノの英雄譚』はこれにて完結です。
いかがだったでしょうか?
(お気軽にコメントなど頂けましたら、泣いて喜びます)

王道を書きたいと思って書き始めた文章が、どうしてこうなった感は否めません。
ライトノベルの構成であれば、これで1巻を終えたような感じです。
物語の続きもあるにはあります……。


最後になりましたが、ここまでお読み頂けました全ての読者様に深く御礼申し上げます。
ありがとうございました!


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この作品は、大学院の修士論文のために作成しました。
『ライトノベルを用いた地域PR』という題名で論文を書いています。
この小説を読んで頂けた方に、アンケートをお願いして回っております。

もしアンケートに協力しても良いとおっしゃってくださる方がいらっしゃいましたら、お手数ですが下記のリンクよりアンケート入力をお願い致します。
(10分程度で終わる簡単なアンケートです)

何卒、ご協力をよろしくお願い申し上げます。

アンケート(google フォーム)
https://docs.google.com/forms/d/1nHn4NOXkgvd6szdHsb0c8hRK_omQcFK8pgUzlk0IXxY/viewform
 
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