ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていた。
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第二十五話
前書き
お、お久しぶりです(小声
レイナの開戦宣言の直後、オッタルが動いた。Lv.7の運動能力を全開のスタートダッシュだ。およそ3Mという間合いはレイナが予想した通り、オッタルが一呼吸で詰めれる間合いである。そもそもLv.3という評価自体、オラリオの外の世界では超人レベルの動きとされており、有名な剣豪や体術使いらはおそよLv.3にあたいすると言う。
神の恩恵なしでLv.3相当のパフォーマンスができるというのは本当に素晴らしいことなのだが、神の恩恵はその努力を嘲笑うかの如く、一つ重ねれるだけで遥かな力の差を与えてしまうのだ。
つまり、平たく言ってしまうとオッタルは世界で超人と言われている者たちの倍以上の動作が可能なのだ。
まさに一呼吸。瞬きすら許さない時間を駆けたオッタルは、その鍛え上げた腕を振り上げる。
対するレイナ。こちらは正真正銘のLv.1である。スキルや発展アビリティのおかげで格上相手に抗うことはできるが、受けるダメージはレベル相当である。よって、オッタルのどの攻撃を受けても致命傷になりえるし、動体視力も遥かに劣った状態なのでオッタルの動きをまともに視認することすら叶わない。
ならば、読みきって受け流すのみ。
場の時間としては一秒すら経っていない。瞬間、ルーム全体に轟音が鳴り響く。そして生々しい水の滴る音が後を追う。
「!?」
拳を振りぬいたオッタル、ここで目を見開く。
確かに拳はレイナの肉体に届き、木っ端微塵に吹き飛ばした。わずかな肉片すら衝撃のあまりに消滅してしまった。
だが、レイナは生きている。
しかし、その片腕は消えうせていた。
凄惨たる有様となったレイナ。消し飛んだ右肩からは思い出したように血が噴出し始め、柔らかな弾力を帯びる白い頬が血によって赤黒く汚されていく。肩からむき出しになった骨には夥しい亀裂が走っており、少し触っただけで崩れてしまいそうだ。
可憐な容姿が一瞬にして破壊されてしまったことで余計に惨く見えるが、冒険者ならば少なからずこういった惨状は目の当たりにするもので、オッタルとて慣れたものだった。
問題はそこじゃない。レイナが生きていること自体が問題なのだ。
Lv.7の一撃というのは表現しきれないものだ。幼稚な表現になってしまうが、とにかく凄まじい威力を誇ったもので、もののLv.1がどう小細工を施そうが問答無用で吹き飛ばせる。実際Lv.3相当のミノタウロスすら恐怖に浸透するほどなのだから、絶対的な力の差があるのは明白だ。
だからこそ、Lv.1のレイナが原型を留めた上に生きていることがおかしいのだ。たとえどこに当たろうとも、その衝撃の余波に連なって肉体が破壊されるはずだ。未熟な少女の体程度拳でなくとも原型を留めず吹き飛ばせる。それを全力で放った拳がなぜ破壊できないであろうか。
答えは一つ。レイナの【水連】による防御だった。
オッタルは拳に残った水を殴ったような不思議な感触を持て余していた。人を殴ったとは思えないほど手ごたえが無かった。物体というより流体に手を突っ込んだような感じだった。初めて感じる違和感に思わず眉を顰めるオッタルだが、己の足場を見ておよその現状を把握した。
レイナを中心にルームの床全体に地割れが走っていたのだ。ダンジョンの床は相当厚いので下の階層が見えるほど割れていないが、その分亀裂の走る範囲が異常に広かった。ルームすべての床にくまなく走っている。
そして、レイナの表情は依然として変わらない。空気を波打った衝撃が彼女の髪を盛大に乱し目元を隠してしまうが、間違いなくレイナはオッタルを直視していた。
拳に残る違和感を払い落とすように、第二撃目。再び轟音。そして、更に深く抉れた床から石礫が大量に舞い、再びレイナを中心としたクレーターが出来上がる。また、レイナの残った左腕は再び紛失し、左右ともにむき出しになった血肉によりグロテスクな姿となっていた。
しかし、レイナの表情は変わらない。再び襲った衝撃が彼女の髪をめくり上げ、その瞳を露にした。それに照らされたオッタルは、堪らず間合いを空ける。
「【ヒリング・パルス】」
何気なく呟かれた魔法の言葉により、レイナの体全体を淡い緑の光が包み込み一瞬まばゆい閃光を放った。光が消えうせたときにはすでに五体満足の状態に戻っており、体のあらゆるところにこびりついていた血は嘘のように消えていた。しかし足元や床のあちこちに飛び散った血の跡だけは残っており、無傷となったレイナはひどく不自然に見えた。
わずか二撃。されど二撃。それでオッタルはレイナの絶対的な実力を目の当たりにする。
(掌で受けた衝撃を身体の中で反響させることなく、絶妙な重心移動と全身運動により軸足から地面に逃した……というところか)
言葉にするのは容易いが、それを実行するとなると想像もつかない。そもそもそんなことが可能な筋肉の働きは無いし、仮にあったとしてもほんの僅かなミスがあればそこに衝撃が爆発し、かえって余計深刻なダメージを負うはずだ。鎧と似た原理だが、人体一つで成し得るような体術ではない。
一切の狂いも許されない芸当。刹那の間に繰り出された業に詰め込まれた途方も無い修行の時間。レイナ、いや、クレア・パールスという常人はそれを事も無げにやってのける。
本当に凡人なのか? こんな芸当ができる奴が。
戦慄と共に過ぎった疑問を一蹴する。今はそんな意味の無いことを考える余地はない。敵は今、自分を真正面に見据えているのだから。
オッタルは思考する。
レイナが絶対に衝撃を受け流せると仮定すると、受け流す対象は地面でなくても良いはずだ。衝撃とは発生地点から接しているあらゆるところに広がる運動だ。つまり掌から受けた衝撃を足を通して接している地面に受け流せるということは、もう片方の掌にも衝撃を流すこともできるはず。その片方の掌をどこかしらに接しておけば良いのだから。たとえばオッタルの身体とか。
ふざけたような理論だが、現状を鑑みるにそういったケースも考えなければ、最悪の場合自分で放った一撃が自分の命を潰すことに成りかねない。解れば解るほど厄介な体術を会得していると内心毒づくオッタル。
とは言え、こちらはLv.5程度の力加減でも十分レイナの命を潰せるので、カウンターをされるという最悪な場合を想定して常に力を抑えておけば、レイナからの有効打は無くなるはず。
衝撃を吸収する役割を果たす掌から腕は木っ端微塵に消し飛んでいることから、受け流せる衝撃の量は限られていると見て良いだろう。人を水風船に例えると一定量まで水すなわち衝撃を含むことはできるが、一定量を越してしまうと破裂するか穴が開く。レイナの腕が吹き飛んだのは許容範囲以上の水を含んでしまったから、超えてしまった分を吐き出して処理したと捉えられる。
つまりあの体術にも限度があるということだ。もしこれがLv.10で行われていたと考えるとぞっとする。Lv.1の今だからこそ欠陥のある体術なのだろう。
そうとなれば選択肢は二つ。
レイナの体術の処理能力を遥か上回る衝撃を与えて自滅させるか、回復させる間も無いほど連続で衝撃を与えて圧殺するか。
現状後者が現実的である。たった一言で全快してしまうが、それが魔法である以上精神力も消費しているはずだ。それほど優秀な治癒魔法だと消費する精神力は馬鹿にならない量のはず。ならばレイナの精神力を枯渇させれば勝負はつく。
問題が、Lv.1の動体視力でLv.7の領域に追随できていることだ。率直に言って、それは無理な話だ。一定以上の衝撃を受け止めきれず腕を破裂させたのが良い証拠で、神の恩恵による身体強化はLv.1相当だ。Lv.7の身体能力に追いつける道理はない。しかし追いつけているのが現状である限り、それは紛れも無くレイナ自身の実力に違いない。
僅か二合の間で何をどう読み取ったのか想像できないが、相手は前人未到の領域に辿り着いた大英雄だ。まだ自分の知らない世界を知っている者だ。一つや二つ、自分に理解できない芸当をしでかすことくらい想定済みだ。
レイナ側からオッタルへの有効打はカウンター以外ないはずだ。【アルテマ】という手もあるが、最低でも半径50Mの範囲を破壊しつくす魔法であるらしいため、普通の間合いを保っていればまず撃たれないと考えて良い。
「ッ!!」
ミノタウロスくらいなら一撃で蹴り殺せてしまう脚の筋肉を爆発させ、正面に控えるレイナに突進する。オッタルによって蹴り抜かれた床から悲鳴が上がり大量の石礫が散乱し、暴風に等しい反動が巻き起こる。
レイナの背後に回るなどしない。絶対強者は相手がどんな小細工をしようが力でねじ伏せる。それを証明するかのようにオッタルはあえて愚直に真っ向から襲い掛かる。
対するレイナ、前世より遥かに劣る動体視力だがオッタルの恐るべき加速に付いていき、攻撃が加えられるより前に衝撃の受け皿を用意する。
か細く小さな腕が虚空へ突きつけられたとき、再び空気の層が一斉に圧壊した。
「【ヒリング・パルス】」
猛然と攻撃を加えるオッタル。それは一回や二回に収まらない。四肢を巧みに利用した圧倒的手数の打撃は一呼吸の間に十を上回る。作戦通り物量でレイナを押し潰すつもりだった。
一撃目でレイナの右腕がちぎれ、二撃目で左腕が爆発四散する。何人の介入の余地はない三撃目でレイナの胴体も同じ運命をたどるはずだった。ついさっき破壊したはずの右腕がすんでのところで割り込んできて代わりに破裂する。飛び散るはずの血肉は圧倒的な物理量の前に潰れてしまい飛び散ることはなかった。レイナが両腕を失う直後のタイミングに回復できるよう、予め魔法を詠唱しておいていたのだ。これにより両腕が無いという状態をほとんど無くし、随時対処できる。絶妙なタイミングに魔法を起動できるようにする技術も然り、つまりオッタルの攻撃を読みきっていることに他ならなかった。
続く攻撃も嵐のようにレイナを破壊していくが、そのどれも潰したはずの両腕に悉く守られ、ついに逃がし続けていた衝撃がルームの床を突き破り、二人共々下層に落ちた。
バラバラと巨大な岩や砂埃が落下する。不安定な浮遊感が身体を包む中、両者が両者から目を離す、なんて愚行はおこさない。オッタルは手近で落ちる巨大な落石を片手で掴み、とんでもない膂力で以ってそれを投げ付ける。普通に考えてそんな体勢から繰り出される投擲物に勢いなどあるわけもないが、オッタルとて現代に於いて頂点に君臨する冒険者だ。レイナに劣るともアイズを遥かに凌ぐ身体捌きを心得ているのだ。よってモンスターの一や二程度なら余裕で殺せるほどのエネルギーを孕む投擲物と豹変し、空中でろくに身動きの取れないレイナに直撃する。
レイナを巻き込んだだけに留まらず砲弾と化した岩石は壁面に激突し、盛大に砂埃を吐き出した。
が、その砂埃の中から無傷のレイナが飛び出し、岩石の上にひょいと乗ったではないか。岩石はガリガリ壁面を削りながら比較的穏やかに落下し続ける。あろうことかレイナは投げ付けられた岩石を壁面に抉り込ませ、リフトのように動くよう運動を変化させたのだ。
先に八階層に着地したオッタルは猛然とレイナに向かって突進する。猪人に恥じない猪突猛進っぷりはミノタウロスなど比にもならぬ迫力がある。オッタルの突進を見てすかさず岩から飛び降りたレイナだが、その程度、オッタルは容易く見破っていた。飛び降りる軌道上に跳躍し、凶悪な一撃が身動きの不自由なレイナを襲う。
ところがレイナは空中で先んじて身を捻ることにより拳を紙一重で回避し、オッタルの逞しい腕に一瞬両腕を這わせたかと思うと、彼と空中ですれ違うように地面に降り立った。
着地の余波だけでレイナが乗っていた岩盤を容易く粉砕したオッタルは砂埃が視界を覆う中、ふと右肩に違和感を覚えた。
(……腕の関節を壊されたか)
右腕の第二間接と手首があらぬ方向に捻じ曲がっていた。おそらく先ほどの交錯でやられたのだろうが、まるで壊されたことに気づかなかった。それほどまでにレイナの業が速かったのだ。今更になって鋭い痛みがオッタルを襲うが、そんなものに構っている暇は無かった。
「そろそろ反撃させてもらうよ」
突如左肩付近から少女の声がし、本能に従うままに左肘を声のした場所に突きながら振り返る。しかし、肘から伝わってきた感触は気味の悪いもので、まるで水を殴ったかのような違和感だった。
それを感知したときにはもう遅く、オッタルの身体の一箇所にひんやりとし僅かな柔らかみを持ったものが接していた。
即ち、振り返った横顔のこめかみ。
横目で見たのは左腕を無残に引きちぎられながらも、澄みきった湖のような光を宿す瞳。勝ち誇るでもなく、嘲るでもなく、ただ見据えているだけの瞳だった。
(全て読み通りだったとでも言うのか……ッ!?)
直後、【猛者】の意識は途切れた。
◆
舞い上がった砂塵と共に豪傑の巨体が音を立てて崩れ落ちた。腕や脚は不気味にうごめいており、指や足首などは目的も無くせわしなく動いている。今のオッタルは重度の平行機能障害に陥ってるはずであり、意識があれば脳みそを直接かき乱されているような想像を絶する感覚に襲われるはずだ。。耳にある大切な神経に多大な負荷が掛かっている状態のため一般人なら十中八九後生に障害が残るが、並み以上に身体のあらゆるところが強化されているオッタルなら少し放っておいても平気だ。
平衡感覚を司るこめかみに貰った衝撃をぶち込んだからね。いくら力加減されていようが急所に当たればオッタルと言えどただ事じゃ済まない。後で【ヒリング・パルス】で治してあげるから、私の服とバックパック諸々が見つかるまで待っててね。
それにしても自分でも気味が悪くなるくらい腕もがれちゃったな。神経は許容過多の情報を一度に受け取ると防衛反応のため麻痺するから、おかげでほとんど痛みは感じなかったけど、さすがに二十回以上も千切られると人としてどうかと思っちゃうよね。
あぁ、今回のオッタルの敗因はずばり読みの低さです。私はそこにつけ込んだだけです。
彼の名誉のため言っておくと、オッタルの戦闘技術は断じて低次元じゃない。むしろLv.7にふさわしい非常に高次元なものだった。アイズが二人で襲い掛かっても、もしかしたら勝てるんじゃないかってくらい。
ただ、未曾有の脅威に対して対応力が低かった。
アイズも然りだけど、ステイタスが高くなればなるほどステイタスに頼ってしまうことが多くなる。それが重なっていくうちにステイタスに頼っているということすら忘れてしまう。彼らが今まで五体満足で無事に生還できたのは遥か格上と戦ったことが無いからだろう。
それはレベルの話ではない。武術や経験といった、冒険者の根底を支えるところについてだ。オッタルたちは自分の身の丈に合った戦いしかしてこなかったはずだ。多少背伸びをしたからこそレベルは上がっているのだろうが、それじゃ足りない。自分より圧倒的な技術を持つ者と何度も戦わないと、読みは鍛えられないよ。詰めが甘すぎる。
まあ、こればかりは彼らのせいじゃない。彼らはこの時代で頂点に行き着いてしまった。だから見上げるべき高みを見失い、目下に広がる景色を眺めるしかなかったのだろう。私に言わせれば、本当に強くなりたいならダンジョンの深層に滞在してればいいのにって感じなんだけど。それは彼らの所属する派閥が許してくれるとは思えないから、やっぱ彼らは本当の意味で熟練することはできなかったんだろうね。
私の体術はただ自分の身体を捌けば良いって話じゃない。相手の動きを読んで、その気に合わせて最適の体勢に身体を運ぶ。そして正確に事を成す。常に相手を把握し続けなければこんな業、何の利にもならない。地面に衝撃を受け流せるだけというのは緊急回避に於いて役立つだろうけど、その域を抜けることはできない。そこからさらに一歩踏み出せるからこそ業なんだと思う。
なんかジジ臭いことばかり考えてるなぁと思いながら瓦礫の山から目的の物を見つけ出し、身につける。ルームの端に置いておいたのが幸いだったのか、瓦礫に埋もれることなくまとまって落ちてた。ナチュルの鍛えた槍は自由落下を経てもなお無傷で瓦礫に突き立ってた。上着も埃まみれだけど、今の私の下着はボロ雑巾に等しいからマシだろう。
ちゃっちゃと支度を終えた私は身体を痙攣させ平伏しているオッタルに向かって治癒魔法を掛けた。淡光が彼の全身を包み込み、瞬く間に傷という傷を治しきってしまう。ほんとこの魔法便利すぎるわ。
失意から戻ったオッタルは頭に手を当てながら起き上がった。
「さてどうする? 私は続けても構わないけど、君に勝ち目は無いと思うよ」
素直にそう言ってやると巌のような身体が膨れあがったように見えたが、すぐに元通りになった。
「敗者に選択の自由など無い」
「そうやって逃げるから勝てないんだよ、君」
私より遥かに身長のあるオッタルは自然と睥睨する形だけど、威圧的な雰囲気は感じられない。と言うか、本当に言葉通り潔く諦めてるのか。
「私の親友に君と良く似た人がいてね。今の君を見てると無償に腹が立ってくるよ。せっかく類稀な才能を持って生まれてそれを最大にいかせる環境があるのに、努力を放棄して怠けてるだなんて。そんな器なのかい? 君は」
「……」
「努力を怠っていないって? 現に君、こんな所でミノタウロス相手に油を売っていたじゃないか。そんな暇があったら深層に潜ればいいのにさ。足りないものを手探りだろうと探し出すっていう気概が感じられないよ」
幼女に説教される巨漢という奇妙な図が成り立った。私の気分的には先輩と後輩なんだけど。
アイズ同様勿体無すぎる。成長できる見込みは十分あるのに、周りの環境と本人が蓋をしちゃってるのが許せない。
「君は何を求めて冒険者になったの?」
私は簡単な問いを投げかけた。不動を貫いていた彼はここで初めて獣の耳を動かした。
「今の君はそれを見失ってるんじゃないかな。それとももう手に入ったと勘違いしてるのか、かな。先人として言わせて貰えば、君くらいの若さで手に入るものなんて多寡が知れてるよ」
錆色の瞳がぶつかる。その奥に小さく揺らめいている何かを見た気がした。
「まあ、私が君と戦ったのはそれを言いたかっただけさ。上を見ることを忘れた人は、永遠と先に進めないよ」
じゃあね、と肩越しに手を振りながら崩れ山を作る瓦礫を縫って九階層を目指す。隙だらけの背中を晒してるけど、不意打ちされることはないだろう。
今の彼は、ようやく上を見ることを思い出しただろうから。私を不意打ちで倒したところで先に進めないと解っているだろうから。
私が説教するなんて、やれやれ、年は取りたくないもんだ……。考え方が老けてきたよ。
◆
「貴方には任務を与えたはずよ? どの面下げて私の下に帰ってきたのかしら」
バベル頂上。一柱の女神と一人の亜人が対面していた。尤も、片方は豪奢な椅子に優雅に腰掛け片手にグラスを弄び、片方は跪き頭にハイヒールを押し付けられた状態だが。
女神の声音はいつも通りだ。怒りを感じさせず、ぶっきらぼうでもなく、ただ犬に話しかけるかの如く。亜人は恐れず言った。
「失敗しました」
「失敗? 私は耳をおかしくしてしまったのかしら。もう一度言ってもらえる?」
「失敗しました」
「……ふーん。で? そんな負け犬がどうして私の前にいるのかしら。私の嫌いな物、知ってるわよね?」
頭に圧し掛かる重みが増した。それどころか肩や背中にも空気が錘になったような重圧感を感じる。部屋にあるあらゆるガラス細工に細かな亀裂が走り、女神の持つグラスからこぼれたガラス破片が目の前に落ちてきた。
今までは恐れてきた。この女神に見捨てられることを。寵愛を受けれなくなることを。
だが今は違う。胸の奥で再び息を吹き返した炎がその恐れを払う。初めてこのオラリオに足を踏み入れたときの感覚が鮮明に蘇る。あの懐かしい感情の高ぶりが炎を煽る。
「私に挽回の機会をください」
「チャンス?」
「私は此度の任務で、己の未熟さを自覚しました。私はその未熟さ故に失敗し、一度命を落としました。しかし! 私にはまだその未熟を直す時間があります! 熱があります!」
訴えるごとに言葉に力が篭る。従者として平坦を努めてきた口調が崩れだす。そしていつしか立場を忘れハイヒールを払い方膝立ちで女神に訴えていた。
「この私に深層で修行を積む時間をください! 必ずや貴女様の隣に立つに相応しい力を付けて帰ってきます!! どうかご一考を!!」
女神は目の前で我を忘れて訴える従者を眺める。そして女神はただ一つ思う。
懐かしい、と。
初めてこの従者が私の目の前に現れたときも、こんなに一生懸命だったかしらと思い返す。
情熱を持ち、己の可能性を信じ、ダンジョンに夢を追い求めていた少年を。
ゆっくりと椅子から降り従者の膝に腰掛け、ドレスから絶妙な肉つきの両足がむき出しになる。はしたなくとも構わず従者の腰を脚で挟み、両手を頬に添え唇が触れてしまいそうになるまで顔を近づける。
美そのものと謳われた女神はその美貌を見せるだけで虜にすると言う。身体に触れれば盲目的に追い求め、見つめられれば一生脳裏に焼きつき他のことを考えられなくすると言う。それで数多の下界の者をたらし込め、男神たちを思うとおりに操ってきた。
お互いの息が掛かるほど顔を近づけ、女性の柔らかさを万遍無く押し付け、魅惑の香りを刷り込む。
それでも従者の瞳に一片の曇りは無かった。一切揺るがぬ決意だった。
女神はその姿勢に思わず恍惚のため息を漏らす。
こんなにも愛らしい姿をまた見せてくれるなんて。いっそ壊してしまいたいくらい、狂おしいほど愛を掻き立ててくるなんて。
ちゅるりと、女神は唇を舌で湿らせた。
「んふふ。今の貴方に免じて許してあげる。今すぐにでも私だけの物にして、ぐちゃぐちゃにしたいけど、我慢してあげる」
見たら誰もが犯しつくしたくなるような蠱惑的な表情で、女神はそっと口付けをした。
「だから次も私をがっかりさせたら……、解るわね?」
「ありがとうございます」
かくして従者はその身一つで洞窟へ身を投じるのだった。
後書き
正直エタってました()
どうにも書く気力が生まれずグダグダ書いてたら、いつのまにかえれぇ時間がすぎてました。
最近感想の返信すらサボってますが、全部見させてもらってます。
何かまた更新するの忘れてんなぁって思ったら催促の感想ください。
思い出して慌てて書き出すと思うので。
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