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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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九十六 消し去れない過去

 
前書き
今回の話にところどころ出てきた台詞等は、二十八話・三十六話・五十三話に目を通してくださるとわかると思います。よかったら読んでみてくださいねw 

 
びゅうびゅうと唸る風の音が、酷く耳障りだった。

「…本当に…行くのか…」

巻き上がった砂塵に雑ざる、相手の身を心底案じた声音。
視界を覆う砂煙の向こう。何度目かの問い掛けは、物言わぬ砂に遮られる。

「何もお前が行かなくとも…ッ」
「上層部の奴らが勝手に決めたことじゃん!アイツらはお前を…ッ」
姉に加勢するように、兄もまた声を荒立てる。
猶も言い募ろうとする二人の反論を弟は黙って聞いていた。その端々に懸念の色が感じ取られ、不意に立ち止まる。

砂嵐にも拘らず、しっかりとした足取りで歩き始めていた少年は振り返らずに答えた。
その返答には足取りと同じく、揺るぎない強き意志が窺えた。

「もう決まったことだ…」


そう一言告げて、少年は――我愛羅は木ノ葉に向けて歩みを進めた。
それは折しも、サスケ里抜けから三日ほど前の出来事だった。











絶え間なく落ちゆく渓流。
轟然たる水音を立て続ける滝は『終末の谷』に一度たりとも静寂を訪れさせない。

しかしながら驚愕するあまり、ナルとサスケには滝音など全く耳に入らなかった。
思いもよらぬ闖入者の正体に息を呑む。
「「お、お前は……」」

サスケとナル、それぞれの背後に出現した新たなる忍び。
共に眼を見張るナルとサスケが酷似した表情を浮かべる一方、乱入者たる彼らの表情は対照的だった。
ナルの背後に現れた人物が終始無言且つ無表情であるのに反し、サスケの後ろの人間はどこか不遜な態度で佇んでいる。
しかしながらどちらの人間も、サスケとナルに何かしら因縁のある人物だった。

「……お前は…確か、」
背後を振り仰ぎ、訝しげに眉を顰めるサスケの顔を見て、少年がうっそりと眼を細める。
「俺の右腕…まさか忘れたとは言わねぇよなァ?……――うちはサスケ」

今は無き右腕。明らかに義手であるソレをひらひらと揺らして、少年――ザクは嗤った。



中忍第二試験の『死の森』にて、巻物争奪戦の際にサスケは相手の右腕を折った事がある。それが当時、大蛇丸に命じられ、サスケを襲った音忍の一人――ザクだった。
その後、予選試合で対戦相手のシノに敗れ、その右腕を失ったザクだが、彼はサスケを未だに恨んでいた。
何故ならば右腕の件が無ければ、シノとの試合を本調子で迎えられたかもしれないのだ。加えて、大蛇丸のお気に入りというのも気に触る。


「けどまぁ…今じゃ同じ穴の狢ってわけだ。歓迎すんぜ、サスケさんよぉ?」
大蛇丸の命令でアマル同様サスケを迎えに来たザクは、にやにやと嫌味な笑みを放った直後、その表情を一変させた。
「もっとも、……まさかコイツまでいるとは思わなかったがな…」


以前、中忍本試験前に襲撃し、返り討ちに遭ったザクが苦々しげに顔を顰める。
その視線をやはり無表情で受け流す少年の名を、ナルはようやく口にした。
「が、我愛羅…?」

愕然とする彼女にちらりと視線を遣って、ザクと同じく突然乱入した少年――我愛羅は一歩前に出た。さりげなくナルを背に隠す。
その様はまるで、大切なモノを守るような仕草だった。


片や大蛇丸の部下、片や『木ノ葉崩し』にてサスケ・ナルと闘った相手。
敵か味方か判断が難しい二人の少年を、サスケとナルは警戒心を露に睨んだ。

砂隠れが木ノ葉と同盟を結んだのは周知の事実だが、『木ノ葉崩し』では音についてたのも事実。即ち、どちらの人間もそう簡単に信用出来る相手ではない。
もっともザクに至っては、先ほどサスケに告げた言葉からもやはり大蛇丸の部下である事は間違いない。
問題は…―――。

疑惑の眼で見つめてくるサスケとナルの視線を、我愛羅は真っ向から見返した。相変わらず無表情のまま、おもむろに双眸を閉ざす。
脳裏に浮かぶのは、五代目火影たる綱手との対談。










かつて化け物と畏怖されてきた少年―――我愛羅。

彼は自分が存在する理由を、自分が生きる意味を、自分以外の存在を殺す事で実感していた。それが間違いだと気づけたのは、似た境遇の波風ナルとの闘いが切っ掛けだった。

『木ノ葉崩し』の一件以来、少しずつ周囲に心を開いていった我愛羅を、姉兄であるテマリとカンクロウは微笑ましげに見守った。
内心どこか腫物に触るような扱いをしていたバキを始め、恐怖ばかりを覚えていた砂の忍び達も、次第に我愛羅を認めていった。

しかしながら、一度起こした過去の過ちはそう簡単に償えるものではない。

今でこそ落ち着きを取り戻した我愛羅だが、『木ノ葉崩し』以前は非常に情緒不安定だった。
だからだろうか。
心を入れ替えたような我愛羅の急な変化に、砂隠れの里人の大半は戸惑いを隠せないようだった。同じく上層部も、そんな我愛羅を持て余しがちであり、その結果が今回任命された使者という役回り。

要は、五代目火影就任における慶賀の使節に、我愛羅は選ばれたのである。

砂隠れの里・上層部にて決議されたコレは表向き、同盟国同士友好を深める為の親善使節だ。だがその一方、『木ノ葉崩し』の恨みで殺されても文句は言えない立場である。
何故ならば、たとえ木ノ葉までの道中で殺害されたとしても、殺した相手が木ノ葉なのか、はたまた別里の者か、或いは砂隠れ自身なのかも判断出来ないからだ。

そもそも他里へ送りつける使者には、ある程度の地位が必要不可欠。火影就任の慶賀使節なら猶更だ。
つまりは火影と対坐しても失礼じゃない立場。加えてそれ相応の実力を持ち合わせ、且つ、仮に殺されても自里にとって損害を被らない人物。

それに適応したのが、風影の息子であり、未だに砂隠れの住人多くに畏怖されている我愛羅だったのだ。
尾獣を宿す兵器と自らの命の安全性を天秤に掛けた結果、彼らは命を選んだらしかった。


テマリとカンクロウの反論もむなしく、強制的に我愛羅をたった独りで木ノ葉へ派遣する上層部。

この理不尽極まりない行いを、しかしながら我愛羅はあえて承諾した。
それはひとえに、自分が犯した過去の罪を理解しているからだった。



何の為に存在し、生きているのか。

その理由を知りたくて殺戮を繰り返した。自分の為だけに闘い、己のみを愛して生きた。
全てをねじ伏せ、圧倒し、そしてその命を狩り取ってきた。
それを素晴らしい世界だと信じて疑わなかったかつての自分が犯した罪は、決して消える事は無い。
どんなに嘆いても過去は変えられない。どんなに後悔しても過去は消えない。


もっとも砂隠れの上層部が我愛羅を使節に任命した理由の一つは、無事に里へ帰還した場合、我愛羅へ対する皆の恐怖が少しでも和らぐだろうと考慮した上である。
五体満足で自里に戻って来るという事は、他里の長に認められたと同義。そうなれば、今の我愛羅はもう以前の我愛羅とは違うと皆が理解してくれるはずだ、という期待を抱いた故の使者任命だったが、流石の我愛羅もそこまでは気づけなかった。



こうして、姉兄の制止を振り切って木ノ葉へ赴いた我愛羅は、木ノ葉に着いて早々、この度火影の座に就いた綱手という女性に幾つかの質問を投げ掛けられた。
ある程度死の覚悟もあった我愛羅は、予想外の展開に困惑しながらも率直に答えた。すると綱手は、今の我愛羅に昔のような殺意などが一切無い事に逸早く気づいたらしい。

無防備にも火影室へ招き入れられ、次いで人払いまでした彼女は、戸惑う我愛羅を前に、真剣な表情で最後に問うた。


「父親の…――『風影』の跡を継ぐ気は無いか?」


それは我愛羅にとって、青天の霹靂であり、夢物語のようなものだった。
同時に蘇るのは、心の片隅でずっと引っ掛かっていた言葉。


『君は影に生きるべきではない。影を背負う器だ』

以前、うずまきナルトと対峙した荒野で、事も無げに告げられた一言。
あの時は、ただの冗談だと思っていた。けれど、今は…。


かつて言われた、ナルトからの言葉が後押しとなって、我愛羅は綱手からの条件を呑んだ。
どんなに後悔しても過去は消えない。どんなに嘆いても過去は変えられない。


だが、これから先の未来なら――――?












何の為に存在し、生きているのか。

その問いに、「俺は俺以外の存在を全て殺す為に存在している」とかつて狸の子が言った。
けれど今や、「俺は俺の存在を認めさせる為に生きている」と我愛羅は答える事が出来る。

過去の自分がちっぽけな存在だと気づかせてくれた、うずまきナルト。
そして、本当の強さというものを教えてくれた狐の子――否、波風ナル。

二人の存在へ多大な感謝を抱きながら、我愛羅は閉ざしていた眼を開ける。
過去、自分にとって濁ったモノにしか見えなかった世界が、現在はとても眩しく見えた。


「―――木ノ葉には大きな借りがある」

戸惑う波風ナルを背に、我愛羅はきっぱりと答えた。
その瞳は、何もかもを憎んでいた昔とは違い、真摯な輝きを放っていた。


















深き森の中、何処からか鳴り響く笛の音。
激しく打ち鳴らされるその曲に合わせて、何本もの大木が大きく撓る。

あちこちでたわんで跳ねた枝が直後砕ける様を、キバは眼の端で捉えた。
着地した枝で体勢を整えようとするものの、やはりそれより先に襲い掛かってくる。再び粉砕された枝から飛び散ってくる木片を避けながら、キバはチッと舌打ちした。

多由也が口寄せした『怒鬼』三体。

妙な姿形のソレらは多由也が笛を吹くと共に、キバを的確に攻撃してくる。笛の音で操っているのは明白で、確実に遠距離戦タイプだ。
(――となりゃ、やっぱあの笛をどうにかすりゃいいわけだ)


こういった遠距離戦を得意とする輩は総じて接近戦に弱い。要は術者に攻撃を仕掛ければ良い。
しかしながら、容易に答えを導き出したところで、多由也本人に近づこうとしても怒鬼三体に阻まれる。接近するのは難しいだろう。おまけに三体の敵は何処から来るかわからない。


「―――けどまぁ、俺の鼻の前じゃ、意味ねぇけどな」
怒鬼一体の攻撃を軽々かわし、キバは多由也目掛けて突進する。少しも怯まずにこちらへ向かってくる相手に、多由也は眉を顰めた。笛に添えた指先の動きを速める。微かに曲調が変わった。
多由也を守るように一体の怒鬼がキバの眼前に現れる。だがそれを気にせず、キバは身を捻った。
「【通牙】!!」

高速で回転し、勢いよく激突。その衝撃に、目の前の怒鬼一体が掻き消える。それを目の当たりにした多由也が視線を左右に這わした。
「一匹倒したからっていい気になるんじゃねぇ…ッ!」

残り二体の怒鬼がキバを挟み打ちにする。左右から迫り来る敵に、キバはくっと口角を吊り上げた。跳躍する。
「お前こそ、甘いんだよっ!!」


互いに衝突する二体の鬼。その隙を狙い、上方へ跳んだキバが攻撃する。
最初の一匹と同じく、残りの鬼二体も掻き消える様を多由也は苦々しげに見遣った。相性の悪さを察し、唇を噛み締める。


多由也の基本戦術は、笛の音で相手を幻術に落とし込み、その隙に物理攻撃を加えるもの。だが幻術系遠距離タイプは大体において感知タイプとの相性が悪い。

つまり、感知タイプ及び接近戦を得意とするキバとの戦闘は分が悪いのである。

その上、キバは嗅覚が鋭い。だからこそ、三体の怒鬼の居場所を正確に把握し、撃退したのだ。
たとえ口寄せしたものであっても、個々の匂いというものがある。
鬼のそれぞれの匂いを嗅ぎ取って、キバは何処から攻撃が来るのかを判断したのである。



瞬く間に消えた『怒鬼』三体。

手駒を失った事実に歯噛みしつつ、多由也は秘かに含み笑った。口許に笛を添える。
再び響き渡った音楽に、キバは呆れたような表情を浮かべた。

「またソレか。もう降参しろよ。そうすりゃ、」
「馬鹿が。そんな甘ったれた考え、今すぐ捨てさせてやる――【魔笛・無幻音鎖】」


瞬間、周囲の景色がまるで水中にいるかのように変わった。耳どころか脳裏に響く音が激しくキバを攻め立てる。とても立っていられなくて、キバは膝をついた。
(……ッ!?ヤバい…こりゃ―――幻術か!?)


幻術は大体人の五感――視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚に訴えかけて嵌める。なかでも聴覚を利用するタイプは一番厄介だ。
自分の術との相性の悪さを即座に理解し、多由也はキバを幻術に嵌めたのである。いくら嗅覚が鋭くても、聴覚を支配してしまえばこちらの思うがままだ。


「良い鼻を持ってる程度じゃ、ウチには勝てねぇぜ。このクソ犬ヤローが」
多由也の暴言を、キバは遠退く意識の片隅で聞いた。ふと周りを見渡せば、水中にいるかのように波打っていた景色が変わっている。

何処からか伸ばされた幾重もの糸がキバの全身を雁字搦めにしている。
何時の間にか森ではなく、真っ赤に染まった砂漠の上で、彼は立っていた。おまけに、あちこちで骸骨が赤砂に埋もれている。
それが、まるでこれから先の自分の成れの果てを示しているかのように思えて、キバは慄然とした。次いで、己の身に起こった出来事にいよいよ顔を青褪める。


糸で吊るされた両手首。その片腕がどろりと溶けゆく様は、キバに絶叫を上げさせた。
「う、うわあぁああぁああぁあ――――!?」




現実では、ただ膝をつき、両手首を上げているキバ。だが彼にとっては、地獄のような赤き砂漠の上で、自分の身体が徐々に溶けてゆくのが現実なのだろう。

その証拠に、現実世界においても呻き続けるキバを前に、多由也は口許に弧を描いた。己の身を取り巻くように笛を吹き続ける。
「てめぇこそ、甘いんだよっ!!」


キバが放った言葉をそっくりそのまま返し、多由也はキバに近づいた。
動けぬキバが項垂れているのを満足げに見遣る。笛の音で幻術を操った彼女は、キバに幻を視せ、動きを止めて縛ったのだ。

ふと視線を落とすと、キバがシカマルを先へ行かせる際に用いたクナイが眼に留まる。
それを奪い取って、彼女はキバ目掛け、クナイを振り翳した。
刹那―――。





「獣人体術奥義【牙通牙】!!」

動けないはずのキバ、そして何故かもう一人いるキバから多由也は思いっきり跳ね飛ばされた。衝撃で笛が真っ二つに折れる。
「が…ッ、」

思いもよらぬ攻撃に、多由也の身体が宙を舞う。
そのまま後方の大木の幹で背中をしこたま打ち、彼女は苦悶の声を上げた。激痛に耐えながらも、視線を投げる。

己の笛の音による幻に囚われていたはずのキバ。その隣に佇む子犬の姿に、多由也は眼を見張った。


「な…、何時の間に…ッ」
「お前に降参するよう仕向けた時だよ。あの時には、既に赤丸が近くまで来ているのが匂いでわかってたんでな」
狼狽する多由也の前で、キバは相棒の背中を頼もしげに撫でてみせた。


いのの援護に向かわせた赤丸が自分の許へ向かって来ているのを、キバは己の嗅覚で嗅ぎ取っていた。ただでさえ相性が悪い自分との闘いに赤丸が加われば、どうなるかは一目瞭然だ。その上、まだ少し距離はあるが、いのの匂いともう一つ知らない匂いが接近しているのをキバは察していた。
右近・左近の匂いでは無いようだが、新たな敵という割にはいのとの距離が近い。また、赤丸がその匂いの持ち主に敵意を抱いていない事からも、味方の可能性が高いので、おそらく増援だろうと見当づける。

よって、多由也にとっては多勢に無勢な戦況になる事は明白だった。だからこそ、降参を勧めたのである。


幻術に嵌ってしまった際も、すぐ傍まで駆け寄った赤丸がキバの足首を思いっきり噛んでくれていたのだ。
多由也には膝をついて両手首を上げているようにしか見えなかったので、足首のほうに赤丸がいる事実になど気づけなかったのだろう。

以上から、相棒に噛まれた痛みで幻術から脱け出たキバは、そのまま赤丸と共に【牙通牙】で多由也に攻撃したのである。



「もう一度言うぜ。降参しろ。そうすりゃ、命までは取らねぇよ」
再度降参を促す。降参さえしてくれれば、木ノ葉とて多由也を殺しはしないだろう。
そう思っての発言だったが、キバを多由也は憤怒の形相で睨み据えた。嗤う。
「馬鹿が。木ノ葉みてぇな甘ったれた奴らに捕まるぐらいなら―――、」


そう叫ぶなり、多由也は己の折れた得物を振り翳した。その切っ先を喉元へ向ける。
眼を大きく見開いたキバが身を乗り出した。多由也へ手を伸ばす。
「よせ、止めろ――――!!」





キバの制止もむなしく、笛の音がもう、鳴る事は無かった。
 
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