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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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九十五 敵か味方か

暗い暗い、地の底まで続くような階段。其処を下れば、仄暗い灯りが僅かに室内を照らしている。
部屋の中央に座した肘掛け椅子で、彼は憂欝な吐息を零した。
「……世の中、早々思い通りには事が運ばないものね…」


別人の顔、他人の身体。だがその眼だけは蛇の如き狡猾な瞳。
新たな肉体へ転生し終えたばかりの大蛇丸は幾重にも巻いた包帯の下で、唇を歪めた。
「君麻呂も病気にさえなっていなければ…」

転生するに相応しい身体の君麻呂も、そしてサスケも今回の転生には間に合わなかった。
その事実を悔いる大蛇丸の傍ら、カブトはさりげなく話題を変える。
「……それにしても、あの五人衆がこうまで時間を食うとは…。彼らを足止めするほどの強者でも寄越したか、それとも遊びが過ぎたか…」

ほとんど独り言に近いカブトの意見を耳にして、大蛇丸はくくっと喉を鳴らした。
「まぁどちらにせよ、今はもう君麻呂も四人衆もどうでもいいのよ…」

素っ気なくそう告げた直後、大蛇丸はひっそりと眉を顰めた。肘をついて、顎に手をかける。
「……迎えに寄越したあの子だけじゃ少々心許無いわね…」

アマルだけでは不安だと思案げに、大蛇丸は顔を伏せた。そうしてパチンと指を鳴らす。
瞬間、眼前に跪いた少年に「お前もサスケ君を迎えに行きなさい」と大蛇丸は命令を下した。

命令に従い、少年が早速立ち去る。その後ろ姿には目もくれず、何処か遠くを見つめながら大蛇丸は聊か弾んだ声で呟いた。

「サスケ君…――彼が待ち遠しい」


蝋燭の蝋が、ぼとり、音も無く落ちていった。















「ナルが……っ!?」

現状報告をお互いに済ませたキバとシカマル。
山中いのが右近・左近と対峙していると聞き、シカマルは顔を顰める。ちなみにキバへの報告にはサスケの隠密活動及びナルトに関しては全く触れていない。表向きの任務内容にて話を進めている。
一方、本来の任務について一切聞かされていないキバは、波風ナルが一人でサスケを追った事実に、焦りの表情を浮かべた。

「あのバカッ、急いで…ッ」
「落ち着け、キバ」
「これが落ち着いてられっか!」
諌めるシカマルにキバが噛みつくように反発する。ギリギリと歯を食いしばるキバを横目で捉えつつ、シカマルは思案した。

(……表向きはサスケを木ノ葉に連れ帰る任務。だが実際は、敵に何の疑いも抱かれずにサスケを無事音へ潜入させる…――この本来の任務遂行の為に、最も合理的と思える道を選ばなけりゃ、)

その道を遮るが如く立ちはだかる多由也を前に、シカマルは切れ長の瞳を鋭く光らせた。
素早くキバに耳打ちした後、唐突に声を張り上げる。

「二対一だ。こっちに分がある。二人で組めばやれない相手じゃねぇ!!」
「おう!いくぞ、シカマル!!」
シカマルに張り合うように声を大きく上げながら、キバがクナイを手にする。

「てめぇらみたいなゴミ、何人束になろうが関係ねぇっ!とっとと来い、クソ共!!」
二人の威勢につられ、多由也も思わず怒鳴り返した。己の得物である笛を掲げる。
多由也の暴言に対し、むしろ挑発するかのような風情でキバが笑った。

「俺らのチームワークを舐めんなよ…っ、行くぞ!!」
「――――来やがれッ!!」
一斉に襲い掛かってきたキバとシカマル。両者の猛攻に身構えた多由也はキバのクナイを笛で受け止めた。

「今だ、シカマル!!」というキバの掛け声と共に、「任せろ!!」とシカマルが多由也の頭上を通り過ぎる。
そのまま遠ざかってゆくシカマルの後ろ姿を、多由也はぽかんと見遣った。


きょとん、とした顔の多由也を背後に、シカマルが一度だけ肩越しに振り向く。
「―――なんてな?」


ふざけた物言いで一言残し、去ってゆくシカマル。その背中を呆然と見送っていた多由也がハッと我に返る。
「くそ、騙しやがったなっ!何がチームワークだ!?」

即座に噛みついてくる多由也に、キバはにやりと不敵な笑みを浮かべた。


彼は先ほどシカマルに小声で頼まれ、多由也を足止めする役を買って出たのだ。
本当は自分がナルの許へ向かいたかったが、一応小隊長であるシカマルの指示には従わなければならない。
それに右近・左近と対峙しているいのの安否も、助っ人として送り出した赤丸の様子も気にかかる。

よって、ナルの許へ先に向かうと告げたシカマルの指図を受けたのである。


一方のシカマルは、任務本来の目的を知り得る自分がナルの許へ向かわなければならないという結論に達していた。
キバが向かえば、ナルと同じくサスケを連れ戻すという表向きの任務遂行の為に躍起になるだろう。だがそれでは駄目なのだ。
サスケを無事に大蛇丸の許へ潜り込ませる。ある意味、敵の思惑通りに動かなければ任務遂行には至らない。
ちなみに、ナルトとの邂逅や取り引きについてはシカマルの胸の内にだけ納めている。サスケの命を保証してもらう代わりに、己が不審に思った件を見て見ぬふりをするなど、本来の任務を知らなければ理解出来ぬ内容である。仮に誤って口を滑らせたとすれば、不利になるのは他ならぬサスケ自身だ。
とても口外出来る代物ではない。


そこでシカマルは己の段取り通り、キバに動いてもらった。キバ、そしていのには悪いが、今はサスケに追いついたらしいナルを止めるのが先決だ。


キバと多由也を背後に、シカマルは力強く木枝を蹴った。
サスケを連れ戻そうとするナルの行動を止める。
表向きとは真逆である、本来の任務を遂行させる為に。








立ち去ったシカマルを眼の端に捉えつつ、キバが勝ち誇ったように笑う。
その笑みを苛立たしげに睨みつけていた多由也は、顔の裏で含み笑った。

(……やっぱ流石だな、ナルト…)


本人ではなく影分身だったものの、ナルトは消える寸前、多由也に耳打ちした。
それはシカマルをわざと見逃せ、との指示だった。

ナルトはナルの許へ向かうとすれば、シカマル自身だろうと踏んでいた。だからこそ、当惑する多由也に一言告げてから消えたのである。
敵を逃すなどあり得ないという彼女の性格及びキバの出現をも配慮した上で、シカマルではなく新たに現れたもう一人を相手するようにと助言を与えていたのだ。

この時点で既にシカマルの行動を見抜いていたナルトを内心賞賛しながら、多由也はキバをわざと苦々しげに睨んだ。

ナルトの宣言通りの展開。それを最初から知っていながらも、そんな事はおくびにも出さず、キバを真っ直ぐに見据える。

「死の旋律を奏でてやる」


そうして、己自身の目的を達成する為に多由也は笛を口許に添える。
決意を秘めた瞳の奥で、旋律を奏でられるのは自分か相手かを自問自答しながら。
















轟々と二体の像の合間から飛び降りてゆく水。
勢いよく流れ落ちる瀑布は水煙を立て、その場にいる三人の姿を時折覆い隠していく。

『終末の谷』で再びあいまみえた三人――波風ナル・うちはサスケ、そしてアマル。彼らの表情は三者三様であった。


明らかに驚愕し声も出ないナルを見咎めて、サスケは傍らに佇む少女の顔色を窺う。
アマルと呼ばれた少女は努めて無表情に徹しているようだった。だが、その瞳の奥に微かに悲痛の色が垣間見え、面倒臭そうにサスケは顔を顰める。
(…ったく、次から次へと…)


そもそもサスケは火影たる綱手に里抜け理由を前以て伝えている。木ノ葉のスパイとして大蛇丸の懐にわざと飛び込む、いわゆる隠密活動を任務として許容された身だ。
もっとも火影である身、追っ手を差し向けざるを得ないとは事前に聞かされていた。だから多由也から木ノ葉の忍びが追い駆けて来ているという話を耳にしてもさほど驚きはしなかった。

同時に察する。スパイという特殊任務故に、おそらく自分は抜け忍として皆に知れ渡っているのだろう。つまり木ノ葉の裏切り者として認知された上での追っ手だ。
追い忍は通常ならば里から出す前に殺害する目的で派遣されるものだが、これからスパイとして音に潜入するサスケの目的を綱手が知っている今、それは無い。

以上から、現在サスケを追う追い忍は、火影の建前上として差し向けられた追っ手だという事になる。


(だからと言って、よりによってコイツ(ナル)かよ…っ)

己の隠密活動を知り得るシカマルの存在をサスケは知らない。サスケの里抜けは急遽決まった故に、流石の綱手も詳しい事までは彼に伝えられなかったのである。
追い忍の一人にだけはサスケ本来の目的を教えるとは聞いたものの、それが誰かまでは知らないのだ。一応綱手との連絡手段は持っているが、大蛇丸の部下が傍にいる現状ではそれも適わない。

(――と言っても、ナルのこの表情を見る限り、知ってるわけねぇか…)

大体、ナルは良くも悪くも正直な人間だ。加えて、嘘や偽りなどとは無縁の性格故に、ナルがサスケの隠密活動を知っている可能性は低い。

大方、自分が里抜けしたと聞いて慌てて追って来たのだろうと見当づけて、サスケはちくりと胸が痛んだ。
同時に少し、嬉しくも思う。

木ノ葉からわざわざ此処まで追い駆けて来てくれたその事実を目の当たりにし、サスケは自然と緩みそうになる口許を懸命に耐えた。わざと話題を変える。
「知り合いか?」


ナルとアマル、二人に対しての質問だったが、答えたのはナルだけだった。
「…綱手のばぁちゃんを捜していた時に会ったんだってばよ」

ほとんど囁きに近い返答を返しながら、ナルはちらりとアマルの様子を窺った。無言を貫く彼女から何の反応も得られず、落胆する。
アマルを悲しげに見やってから、ようやくナルはハッと顔を上げた。サスケを指差す。

「そ、それよりお前だってばよ、サスケ!何やってんだってば!?ほらぁ、さっさと木ノ葉に帰んぜっ」
「……………」
冗談染みた物言いで笑うナルからサスケは顔を逸らした。滝の轟音より重い空気がずしりとその場に満ちる。

沈黙に耐え切れず、ナルは猶言い募った。
「なぁ帰ろーぜ、サスケ。皆、心配してんだってばよ…?」

徐々に不安げな声音で、それでも一生懸命諭してくるナルの顔を直視出来ず、サスケはくるりと背を向けた。
スパイという任務を忘れて、今にもナルと共に帰りたい本心を押し隠し、わざと冷たく突き放す。



「お前こそ帰れ―――もう、俺に構うな」

早くこの場から立ち去ってほしい。
大蛇丸の許へ潜入するという己の任務を忘れてしまう前に。
イタチと同じ隠密活動の道を選んだ決意が鈍ってしまう前に。
兄の仇たるうずまきナルトへの復讐心が薄れてしまうその前に。


しかしながらサスケの想いに反して、事情を知らぬナルの想いは変わらなかった。
その上、一度最悪な別れを迎えたアマルまでいるからこそ、ナルの決意はむしろ強くなる。
「…ッ、なんで……なんでなんだってばよっ!?」

くしゃり、と泣きそうな顔でナルが咆哮した。懇願の色を多分に含んだ声音がサスケと、そしてアマルの耳朶を強く打つ。

「一緒に…っ、木ノ葉に帰ろうってばよ!――――サスケ…っ!アマル!!」
「……………」
「皆、待ってるんだってば…、綱手のばぁちゃんも、オレも…ッ!だから!」

もはや文章になっていない言葉を並べて必死に説得するナルは気づかなかった。今の自分の発言が失言だった事実に。


「…悪いけど、」
綱手という名に僅かに反応したアマルがようやく口を開く。
以前とは打って変わって、酷く冷たい声音に、ナルの肩がびくりと跳ねた。


「オレの居場所は『神サマ』だけだ。木ノ葉じゃない」
「アマル、」
「それに言ったよな?ナル」

何か言おうと口をぱくぱく開閉させるナルに向かって、アマルは非情な一言を浴びせた。
告別した際と同じ辛辣な言葉を。


「『神サマ』に会う為なら……――――ナルの敵になるって」


酷く辛そうな顔で口を噤んだナルを見ていられなくて、サスケは思わず「おい、」とアマルに声を掛ける。綱手から許可を得て里抜けするサスケにとっては、寸前のナルの言葉の何がアマルの逆鱗に触れたのか解らない。
けれどサスケの鋭い質疑と非難を遮るように、空々しくアマルは催促した。


「――うちはサスケ…。オレは単なる案内役だ。ナルと話し合うなり、……闘うなり、好きにしろ」
投げやりな態度で背を向けたアマルは、更に決定的な言葉でサスケと…ナルの想いを揺るがす。


「さっさとしろ…―――大蛇丸様が待ってる」
その一言は、ナルにとって、最も聞きたくない一言だった。





「……待ってる、ってなんだってばよ…?」

全身を小刻みに震わせ、ナルはきつく唇を噛み締めた。どうして、と雄弁に語る青い瞳がサスケとアマルを強く射抜く。


「お前の…、お前らの居場所は…っ、大蛇丸のところじゃねぇだろッ!!!!」


轟々と唸る滝音と風に負けない、ナルの心からの叫びが終末の谷でこだまする。

もう離れたくない。別れたくない。失いたくない――――友達を。
そう切実に訴えるナルの想いに、誰も答えてくれない。応えてくれない。
答えたのは…――――。










「―――なに、ちんたらやってんだ?」
「…………」

ナルとサスケ。双方の後ろに突然現れた人影だけだった。

 
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