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至誠一貫

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第一部
第六章 ~交州牧篇~
  八十二 ~交州始末~

「……土方。少し、良いか?」
 城に戻ると、華佗が深刻な顔つきで待ち構えていた。
「愛紗の事だな?」
「ああ」
 どうやら、余人には漏らしたくない内容のようだ。
「皆、少し外してくれ。いや、朱里は残ってくれ」
「嫌なのだ。愛紗の事なら、鈴々も知りたいのだ!」
 鈴々がそう叫ぶと、皆が同感とばかりに頷く。
「歳三様。最初に誓った筈ですよ、我らは死ぬも生きるも一緒だと」
「ですから、風達を仲間外れにしてはいけないのですよ」
 そうであったな。
「華佗。そういう事なのだが」
「わかった、それなら仕方あるまい」
 華佗は肩を竦め、我らを見渡す。
「では、単刀直入に話す。関羽の容態だが、このままでは危うい」
「やはり、私のお薬だけでは駄目でしたか」
「いや、諸葛亮の薬は確かに効いていた。これがなければ、今頃関羽は故人となっていた筈だ」
「良かったね、朱里ちゃん」
「エヘヘ……」
「だが、勿論完治した訳ではない。毒を体内から取り出さねばならんのだ」
 そう言って、華佗は表情を引き締めた。
「具体的には?」
「うむ。まず、麻沸散を使う」
「麻沸散?」
「ああ、患部あたりに、悪い血が溜まっている。それを抜かねばならんが、その為には患部を切開する必要があるのだ」
 想像したのか、朱里と愛里の顔が青ざめている。
「だが、当然激しい痛みを伴う。その為に、施術の間眠っていて貰う為の薬だ」
「どのぐらいの間効果は続くのだ?」
「そうだな。患者にもよるが、一日から二日は眠り続ける事になるな」
 大がかりな手術ならば、その程度はやむを得まい。
「そして、血を抜き取ったら、骨を削り取る」
「……!!」
 朱里のみならず、剛毅な彩(張コウ)や紫苑ですら顔色が変わっている。
「確かに、かなりの激痛を伴う処置だな」
「ああ。だが、これ以外に手立てはない。さもなくば、腕ごと切断する事になる」
「ご、ご主人様……」
 弱々しく、私を呼ぶ声がした。
「愛紗。気がついたか」
「は、はい……」
「愛紗!」
 駆け寄った鈴々に、愛紗の手が伸びる。
「しっかりするのだ、愛紗!」
「こ、これ……。声が大きい……ではないか」
 弱々しく、頭を撫でる愛紗。
「ご主人様……。は、話は伺いました……」
「……そうか」
「……私なら、へ、平気です……。か、華佗殿……頼みます」
 華佗は、しっかりと頷いた。
「無論だ。俺も全力を以て、お前を完治させてやる」
「そ、それから……。薬は……いらぬ……」
「馬鹿を言うな! 堪え難い痛みを伴う施術なんだぞ?」
「ふ、ふっ……。わ、わたしはこ、これでも将だぞ……?」
「しかしな……。良いのか、土方?」
 確かに、私が知る限りでは、関羽は華佗にそのように施術させてはいる。
 だが、目の前の愛紗が、同じ事をせねばならぬ理由など、何処にもない。
「いや。麻沸散を使ってくれ」
「ご主人様……お、お気遣いは無用に……」
「愛紗。確かに風雲急を告げている最中ではあるが、だからこそしっかりと治さねばならぬ」
「…………」
「お前は堪えきってみせるつもりであろうが、万が一激痛の余りに施術にしくじりがあったらどうする?」
 愛紗は何も言わぬが、納得はしておらぬようだ。
「これは我が命ぞ。それでも、聞けぬと申すか?」
「……ぎ、御意……。ふふ、そう仰せでは……もう何も言えますまい……」
 そこまで言うと、愛紗は眼を閉じた。
「聞いての通りだ。華佗、早速に取りかかって欲しい」
「承知だ。ついては、城下から卑弥呼を呼びたいのだが」
 やはり、あの人外と一緒であったか。
「星、呼んで参れ」
「私が、ですか?」
「そうだ。不服か?」
「……いえ。では、行って参ります」
 不服のようだが、奴を見ても平然としていられるのは星ぐらいであろう。
「他の者は任務に戻れ。私も片付けねばならぬ政務がある」
「御意!」
 後は、華佗に託すよりあるまい。


 翌朝。
「終わったぞ」
 滴る汗を拭いながら、華佗が部屋から出てきた。
「ご苦労。どうか?」
「ああ。確かに毒が内臓を蝕み始めていたが、流石剛強で鳴らした者だな。無事、施術は済んだ」
「ならば、助かるのだな?」
「暫し、養生は必要だがな」
「……そうか。この通りだ」
 私は、敬意を以て頭を下げる。
 華佗はただ、苦笑するばかりであったが。
「おお、土方。久しぶりじゃのう」
「卑弥呼か。相変わらず、奇っ怪な出で立ちだな」
「何を申すか。漢女の身だしなみが理解出来ぬとはな」
 ……理解したいとも思わぬがな。
「朝餉を用意させよう。どうだ?」
「ああ、いただこう」
「おお、儂も相伴して良いのじゃな?」
「うむ」
 警備の兵が明らかに引いているのだが、それは言わぬが華という奴だろう。

「暫く姿を見なかったが、あの後も各地を廻っていたのか?」
 食後の茶を喫しながら、暫し華佗と歓談する。
 いつもならばすぐに政務にかかるところだが、愛里(徐庶)と朱里が気を利かせてくれたらしい。
 卑弥呼は、一旦城下に戻ったようだ。
「うむ。まだまだ救いを求める病人は大勢居るのだ。だが、この交州は良いな」
「ほう、何故だ?」
「普通、これだけ温暖な地域は、それだけ疫病が蔓延しやすい。だが、俺が知る限り、ここ最近そういった事は殆どないらしい」
「なるほど。だが、それは私がこの地に来る以前から変わらぬ事のようだぞ」
「つまり、実質的に州刺史だった士燮の治政がそれだけ優れていた……そういう事だな?」
「うむ。実際、赴任後に愛里らが確かめたが、非の打ち所がないと手放しで褒め称えていた」
「そうか。病は気から、とは言うが、実際には疫病の原因を絶てば相当に違う。例えば、土方のいた冀州もそうだった」
「行ったのか、冀州に?」
「ああ。豫州で疫病の気配があると聞いてな。そのついでに、冀州も見ておこうと行ってみたが」
「では、麗羽に会ったのか?」
「いや、俺は袁紹とは面識がない。それに、俺は患者を治すのが仕事だ」
 近況でも聞けるやも知れぬ、と思ったが。
 元皓(田豊)や嵐(沮授)らがいる以上、どうにか務めているのであろう。
「ただ、民の暮らしぶりは悪くないようだな。流石に、エン州には及ばないが」
「華琳か。さもあろう、奴は為政者としても優れている。私など足下にも及ぶまい」
「そうか? 冀州の民は今でも、土方の事を賞賛しているようだが」
「私の場合、あまりにも赴任時がどん底であったまでの事。立て直すのがやっとであった」
「相変わらず自分に厳しい奴だな。だが、他人に評価されるというのは容易い事ではない。少なくとも、俺はそう思うぞ」
「……そうだな。では、素直に受け取っておくとするか」
 私の言葉に、華佗はただ苦笑するばかりであった。
「お兄ちゃん! 愛紗が目を覚ましたのだ!」
 そこに、鈴々が息を切らせながら駆け込んできた。
「思ったよりも早かったな」
「とにかく、様子を見に参る。華佗、良いか?」
「ああ、無論だ」
 華佗は、残った茶を一気に飲み干し、腰を上げた。

「どうだ、気分は?」
「はい。まだ少々、腕に違和感はありますが何とか」
 まだ顔色は優れぬが、加減が良いのは見て取れる。
「華佗。愛紗は大丈夫なのか?」
「ああ。悪い血は全て抜き、毒に侵された箇所も全て取り除いた。その後で氣を送ったから、後は回復を待つだけだ」
「良かったのだ」
 満面の笑顔を見せる鈴々。
「あ、そうだ!」
 と、何やら手提げ袋を漁り、
「お腹空いてないか? 肉まん買ってきたのだ!」
 湯気が立っているそれを、愛紗に差し出した。
「おい、張飛。病人に食べさせる物ではなかろう?」
「にゃ? 肉まんならおやつなのだ、ちょっとぐらいなら平気なのだ」
「あのな。いくら体力を付けるとは言っても、消化に悪い物を用意する奴があるか」
 呆れる華佗。
「ふふっ、華佗殿。鈴々はこういう奴です、言っても無駄ですよ」
「うー、何か馬鹿にされた気がするのだ」
「全く、これではおちおち寝ておれんではないか。仕方ない、食べてやろう」
 だが、いつもの口煩い母親のような口調ではない。
「にゃはは、最初からそう言えばいいのだ」
 鈴々もまた、肉まんを小さく千切って、愛紗の口へと運ぶ。
「どうだ? 美味いか?」
「……ああ、悪くないな。たまには口にしてみるものだな」
「素直じゃないのだ、愛紗は」
 本当の姉妹のようだな、微笑ましい限りだ。
「華佗。起き上がるまでに如何ほどかかる?」
「そうだな。本人次第だが、床上げまでに一週間、と言ったところか。だが、その後も無理は禁物だぞ」
「華佗殿、そうは参りませぬ。私だけがのうのうと寝て暮らす訳には」
「無理をして倒れれば、より迷惑をかける事になるぞ? 土方だけじゃない、皆にだ」
「……し、しかし……」
「それとも、お前は土方に先立つつもりか?」
「……ぐっ!」
 無念そうに唇を噛む愛紗。
「とにかく、今は身体を治す事に専念するのだな。それまで、俺はこの地に残る事にする」
「愛紗、華佗の申す通りだ。お前の力が必要になる機会はまだまだあるのだ、焦る事はない」
「……わかりました」
 華佗は、漸く表情を緩めた。
「どれ。退屈ならば、碁の相手でもしてやるが?」
「ふふ、面白いですな。お相手しましょう」
 それを見て、私は鈴々を促して部屋を出る。
「お兄ちゃん。鈴々、愛紗の傍にいなくていいのか?」
「お前も、我が軍の将だ。今は何が起こるやも知れぬ、公私は弁えるのだ」
「……うん。わかったのだ」

 その夜。
 疾風(徐晃)と風、それに士燮が揃って顔を見せた。
「歳三殿。先日の件、大凡の真相は掴めました」
「そうか。聞こう」
「はっ。……士燮殿」
 士燮は、重々しく頷いた。
「まず、お詫びを申し上げなければなりません。……この一件、やはり我が一族が絡んでいました」
「具体的には?」
「……はい。我が妹の士武と士壱を初めとする、主立った者はほぼ全てが」
「一つわからぬ事がある。一族の束ねは士燮、お前が行っていたと聞いている。何故、お前がそこに荷担しなかったのだ?」
「……身内の恥を晒すようですが、今更です。実は、私は長女ではありますが、妹達とは母親が違うのです」
「異母妹、という事か。それで?」
「父が存命の間は、特に何事もなかったのですが。私が後を継いでからは、妹らとの間に確執が生じていたのです」
「……ふむ。そうは見えなかったが」
 疾風も頷き、
「失礼ながら、士燮殿の事を調べさせていただいた際にも、全くその事には気づけませんでした」
「そうでしょうね。姉妹喧嘩を表沙汰にすれば、他州や他国からつけ込まれますから。そこは、必死に抑えました」
「では、何故士武らは私に反旗を翻すような真似をしたのだ? お前との仲違いが原因ではあるまい?」
「勿論です。先日まで、程昱様らが行った各郡の検分、それが今回の事に繋がっています」
「山吹(糜竺)ちゃんと一緒に各郡を廻ったのですが、風は人や物の出入りについても調べていたのですよー」
「ほう」
「士武さん達から教えていただけなかった事も、いろいろとありまして。そこは、風が独自に調べたのです」
 そして、風は懐から書簡を取り出した。
「この五年なんですがー。他国から輸入された量に比べて、他州に運ばれたり、自州で売られた量が明らかに少ないのですよ」
「…………」
「それ以外にも、他国とか、山越族と思われる人で、同一人物が頻繁に出入りしている、というのもありましたねー」
「疾風。明命が申していた事と、一致するようだが」
「はい。……士燮殿、お気を悪くしないでいただきたい」
 と、疾風は断ってから、
「士燮殿を調べたのは、山越との繋がりだったのです。この交州と山越族が、何らかの繋がりがある気配がありましたので」
「そうでしたか。ですが、はっきりしなかったのでしょう?」
「その通りです。ですが、関わりがあるのが士燮殿でなければ、これも説明がつきます」
「ただですねー。風が調査しなければ、そこは不明瞭なままだったのですよ」
「……つまり、だ。士武らは南方貿易で得た利の一部を隠していた。そしてその利を以て、この交州の実権を握る為に山越らを利用していた。そうだな?」
「歳三殿の仰せの通りです。山越族としても、自らが独立を維持するのに資金が必要。それを求めての事だったようです」
「それで、風を亡き者にしてしまえば、って思ったのでしょうねー。酷い話なのです」
 確かに、許し難い話だ。
 己の私腹を肥やすだけならばまだしも、その為に風が狙われ、愛紗は傷ついた。
 もはや、言い逃れられぬところであろう。
「疾風。士武らは如何しておる?」
「は。手の者に探らせていますが、事が露見した以上、座して死を待つような真似はしますまい」
「うむ。だが、無用な血を流すのは好ましくないな……風」
「はいはいー。山越族とか他国の皆さんと、士武さん達を切り離す工作ですねー?」
「そうだ。信ではなく、利で繋がっている者は断ち切る事も容易かろう。切り崩しを進めよ」
「御意ー」
「疾風は動きから目を離すな。それから、この事を睡蓮(孫堅)に伝えよ」
「はっ!」
「そして、士燮。こうなった以上、お前の一族は誅さねばならぬが……良いな?」
「……はい。覚悟しています、私への処罰もご存分に」
 観念したように、眼を閉じる士燮。
「早合点致すな。私は、お前自身を罰するつもりはない」
「ですが、一族の長としての責めからは逃れられません」
「無論だ。だが、お前なくしてこの交州は治まらぬ。それも事実ではないのか?」
「そ、それは……」
「お前は真に庶人の事を考え、政を進めて参ったではないか。ならば、咎め立てする理由など何処にもない」
「…………」
「それでも罪を求めるのならば、この交州の為に尽くせ。それが、一番の贖罪だ」
「土方様……。貴方という方は」
 大きく溜息をつく士燮。
「わかりました、私の負けのようです。……この命、如何様にもお使い下さい」
 そう言って、跪いた。
「士燮。何も私に仕えずとも良いのだぞ?」
「何を仰せになります。これだけの器量を見せつけられて、貴方様に従わない理由など何処にありましょう?」
「わかった、好きに致せ」
「ありがとうございます。我が真名は桜花(おうか)、土方様にお預け致します」
「では桜花、改めて宜しく頼む。私は真名がない故、好きに呼ぶと良い」
「……はい。では歳さまと」
「……は?」
「あのー、お兄さんをそう呼ぶ人は初めてなんですがー」
 疾風と風は、呆気に取られている。
 ……いや、私自身も少々、驚いているのだが。
「好きなように、という仰せに従ったまでです。いけませんか?」
 そう言って、不敵に笑う桜花。
「ふっ、確かにな。良かろう」
「ありがとうございます」
 士武らの事、内心は複雑なのであろうが、桜花は一切表に出そうとせぬ。
 頼もしき味方が、また一人増えたな。


 そして、数週間後。
 士武らが姿を消したとの知らせが入った。
 事が露見した上に、山越族に対して睡蓮が牽制の兵を出した事もあり、抵抗の無意味さを悟ったのであろう。
「逃げられてしまいましたか」
「だが、もう連中には何の力もない。後は、地盤を固めるだけだ」
「……ええ。より一層、力を尽くします」
 士燮の眼には、新たな決意が宿っているように見えた。 
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