至誠一貫
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第一部
第六章 ~交州牧篇~
八十三 ~来客~
「はぁっ!」
「うりゃりゃりゃりゃっ!」
愛紗と鈴々が、模擬剣を手に鍛錬をしている。
その動きを見る限り、もう問題はあるまい。
「華佗、どうだ?」
「ああ、驚いたな。ここまで短期間に完治するとは」
愛紗の強靱な体力と精神の為せる業、というところか。
勘を取り戻すべく、こうして日々、鍛錬に明け暮れている。
「そろそろ、俺のする事もないだろう。明日にでも、発つとする」
「そうか。お前ほどの医師ならば、このまま残って欲しいが……そうもいくまい」
「ああ、済まんな。患者のいる限り、俺は行かねばならん」
「いや、それがお前の務めならばやむを得まい。ところで、揚州に行くつもりはないか?」
「揚州? 無論、患者がいれば向かうが」
「なら、一人診て貰いたい人物がいる。面識はないのだが」
私の言葉に、華佗は妙な顔をする。
「おかしな奴だな。面識はないが、病人だと知っているのか?」
「そうだ。睡蓮(孫堅)……いや、揚州牧の孫堅のところなのだが」
「ほう。すると、患者は将という訳か」
「うむ。周瑜と申す軍師がいる、恐らく何処かを病んでいる筈だ。それも、命に関わるような病だ」
「そう聞いては黙ってはいられん。よし、引き受けよう」
「そうしてくれ。ああ、いきなり押しかけては怪しまれよう。別件で使者を立てる故、同行して貰いたい」
「承知だ」
知己を得てもいない者を救う、か。
少なくとも、それが凶と出る事はあるまいが。
ふっ、私も妙なところに気が回るものだ。
執務室に戻った。
「お呼びですが、ご主人様?」
「朱里か。入れ」
「はい」
何事かと緊張の面持ちの朱里。
「そう硬くなるな。実は頼みがある」
「はい、何でしょう?」
「此度の事、今一つ手を打っておきたい。山越に対してだ」
「……なるほど。孫堅さんとお話する訳ですね」
流石だな、即座に意図を察したらしい。
「その事で、経緯の報告と合わせて協議が必要だ。朱里、それをお前に任せようと思うが」
「はわわっ、わ、私がでしゅか?」
噛む悪癖だけは治らぬな。
……尤も、こればかりは華佗でも治しようがあるまいが。
「そうだ。お前には今後、外交を主に任せようと思う。これはその第一歩だ」
「私に、ですか……」
朱里は、ジッと考え込んでいる。
「お前は戦向きの軍師よりも、その知識と弁舌を活かして貰いたいのだ。無論、必要に迫られれば軍にも関わって貰うが」
「それは、戦では頼りにならないという事ですか?」
「そうではない。船頭多くして船山に上る、という言葉は知っているか?」
頭を振る朱里。
「私の国の諺だ。……私の許にはいろいろな者が集っている、軍師としても稟や風がいる」
「はい」
「だが、それぞれに得意とする分野があろう。それを活かさず、皆に同じ役割を求めればどうなる?」
「…………」
「無論、お前達を信じているからこその事だ。不服か?」
「いえ、ご主人様は私の甘さを懸念しておられるのですね?」
「自覚していたか」
「……はい。水鏡先生からも、以前指摘された事もあります」
「そうか」
「……わかりました。ご主人様がそう仰せならば、お任せ下さい」
「うむ。細々とした事は任せる、存分にその才を活かせ」
「はい!」
武田のような似非軍師は必要ないが、朱里ならばその心配はない。
それに、外交はそう容易いものではない筈だ。
朱里を成長させる上でも、無駄にはなるまい。
「医師の華佗と共に参るが良い。無論、護衛の兵も伴わせるが」
「わかりました」
「それから、睡蓮の許にいる軍師、周瑜と知己を得ておけ。何かと役に立とう」
「呉の美周嬢さん、ですか」
やはり、周瑜も女子か。
この時代、名の知れた者はほぼそうなのであろうな。
「では、後は頼むぞ」
「御意です♪」
朱里は笑顔で応える。
内心思うところはあるのであろうが、私なりに朱里を見て来たつもりだ。
後は、それにどう応えてくれるのか……見込み違いだとすれば、それは私の見る眼がなかっただけの事。
多少のしくじりがあっても、朱里に任せると言った以上、どこまでも信じてやらねば、な。
華佗と朱里が揚州に向かい、数日が過ぎた。
一度に郡太守が数人空席となってしまったが、政の空白は許される情勢ではない。
南海郡は引き続き桜花(士燮)に任せるとしても、他の郡をどうすべきか。
郡太守の任命ならば、私の権限で決められるのだが。
「問題は、誰を任じるかだな」
「はい。我が一族はほぼ、先だっての事に荷担してしまいましたから」
桜花と愛里(徐庶)、そして山吹(糜竺)を交えて協議する事となった。
だが、桜花の表情は冴えない。
「お前の人脈を以てしても、適任者は見当たらぬか」
「……申し訳ありません」
「仕方あるまい。だが、早急に定めねばなるまい」
「歳三さま。この交州には戦乱を逃れてきた人材も少なくない筈です。名のある人物を募っては如何でしょう?」
「それが、そうもいかないのですよ」
愛里が、表情を曇らせる。
「何故です?」
「歳三さんがこの地に赴任した際、文官が足りずに公募した事は覚えていますか?」
「ええ、勿論。今では、彼らの働きも大きいとか」
「はい。ですが、その時にはそういった方は見受けられませんでした。果たして、そのような人材がこの地にいるのでしょうか……?」
「それならば、やってみる価値はあると思います。少なくとも、今なら」
「今なら?」
「そうです。歳三さまが赴任してある程度の期間となりました。少なくとも、この地に住まう人々はある程度、歳三さまのやり方を診ているはずです」
「それはそうですが……」
「初めは、この桜花さんも懐疑的だったのですよ? 在野の士が、同じように様子を見ていたとしたら……どうです?」
ハッと、愛里は顔を上げ、
「なるほど。確かに状況が変わっていますね」
「それだけではありませんよ。そうですよね、桜花さん」
「ええ。土着の豪族である私が、歳さまに従っているのです。説得力は十分だと思いますが?」
「……そうですね。ならば、早速取りかかりましょう」
そして、愛里は私を見て、
「折角ですから、それ以外の文官や将も募りませんか?」
「良かろう。愛里と桜花、二人で進めよ」
「はいっ!」
「承知です」
「それから山吹。お前には当面の間、交趾郡と鬱林郡太守に就いて貰いたい」
「兼任、という事ですか?」
「そうだ。人材がおらぬ事を理由に、空白を作る事は許されぬ。無論、正式な太守が決まるまでの間で良い」
「構いません。それでは、直ちに向かいます」
慌ただしく、三人は出て行った。
それから暫し、執務室で書簡の処理をしていた。
「歳三おにいちゃん、入っていい?」
この声は、璃々か。
「構わんぞ」
「はーい」
紫苑が一緒かと思ったが、どうやら一人のようだな。
「璃々」
「うん? なあに?」
「私の事を、兄と呼ばなかったか?」
「そうだよ。だって、鈴々ちゃんもお兄ちゃんって呼んでるし。風さんだってお兄さんでしょ?」
「……確かにそうなのだが」
妹のように思うには些か幼いのだが、そこまで思い至っている訳ではなさそうだ。
皆に好きに呼ぶよう言っている以上、気にしても詮無き事か。
「紫苑はどうした?」
「おかあさん、弓兵の訓練で忙しいみたいだよ? だから、璃々は一人で遊んでいるの」
「そうか。だが、私も仕事中だぞ?」
「でも、もうお昼だよ? ごはん食べないの?」
璃々の言葉に、窓の外を見る。
日の位置が、いつの間にか高くなっていた。
どうやら、二刻程集中していたようだ。
「では、昼食の誘いに参ったという訳か?」
「うん!」
にっこり笑う璃々。
「わかった。ならば昼に致そう」
「わーい。ねえねえ、早く行こう?」
「そう急かすでない。……行く、という事は城下か?」
「そうだよ?」
「ならば、誰ぞ声をかけねばならんな。私一人で出歩くな、と釘を刺されているのでな」
だが、愛里らは出て行ったまま未だに戻っておらぬ。
璃々の話からすると、紫苑や彩(張コウ)らは調練の最中であろう。
……食事と言えども、この有様では声をかけて良いものかどうか。
「城内の食堂ではいかぬか?」
「えー。お天気もいいんだし、璃々お外に出たい」
さて、困った。
総司のように、子供のあしらいには慣れておらぬ私では、どう言い聞かせたものかわからぬ。
「土方様、宜しいでしょうか」
そこに、兵がやって来た。
「如何致した?」
「は。只今、孫堅と名乗る人物が来ております。土方様にお目通りを、と」
「睡蓮が? 一人でか?」
「いえ。将と思しき人物と一緒です」
「今、何処にいる?」
「はい。城門のところでお待ちいただいております」
「……よし、そこに案内せよ。璃々、少し待っておれ」
「ううん、なら璃々もいっしょに行く」
やれやれ、扱いにくいものだな。
「仕方あるまい」
万が一、という事もある。
兼定と堀川国広を帯び、城門へと向かう事とした。
「ねえねえ、お手々つないでー」
「……私とか?」
「他にいないでしょ? 駄目?」
「……好きにせよ」
「わーい」
警戒心が薄いのか、璃々は無邪気にはしゃいでいる。
ふっ、これでは鬼も形無しだな。
「よお。久しぶりだな」
「ご無沙汰しております、土方様」
紛れもなく、そこにいたのは睡蓮本人であった。
そして、隣にいたのは飛燕(太史慈)。
「……仮にも州牧が、前触れもなしに参ったか」
「いいじゃねえか、堅い事言うなよ。な、飛燕?」
「はは……。申し訳ありません、睡蓮様がどうしてもご自分で行く、と言い張りまして」
「……とにかく、立ち話も何であろう。何処ぞで昼食などどうだ?」
「お、いいね。勿論酒付きだろうな?」
酒好きは相変わらずか。
「好きにせよ。公務中ならば話は別だが」
「ああ、そんなのは後でいいさ。飛燕、お前も付き合え」
「……はぁ」
この二人が一緒ならば、皆に叱られる事もあるまい。
「暫し、城下へ参ると愛里に伝えてくれぬか」
「は、はっ!」
呆気に取られていたのは、どうやら兵も同じだったようだ。
州牧が単身同然でやって来る事自体、誰でも目を疑う筈だからな。
疾風の手の者が経営する飯店へと、皆を案内する。
此所ならば、間諜の眼を気にせずに済む。
「へえ、なかなかいい店じゃねえか」
「そうですね。……ただ、店の人間はただ者じゃなさそうですが」
「だな。おい歳三、まさか俺達をどうにかしようってんじゃないだろうな?」
真顔で周囲を見回す飛燕と、冗談めかして言う睡蓮。
「流石だな。だが、此所ならば如何様な話でも出来る」
「そうか。ま、お前はいずれ、俺の息子になる奴だ。疑っちゃいねえよ」
まだ諦めぬのか……全く、この執念には恐れ入る。
「……とりあえず、中に入るぞ。亭主、頼む」
「土方様。畏まりました」
亭主は何も聞かずに、我らを奥まった個室へ通した。
「御酒を召し上がりますか?」
「ああ。この子と私は食事を頼む」
「肴は私の方で見繕いますので。それでは、ごゆっくり」
亭主が下がった後で、睡蓮は璃々を見て、
「ところで、この子は? まさか、お前の子か……?」
「いや。紫苑……黄忠の子だ」
「璃々だよ、宜しくねおばちゃん」
「ははは、俺もおばちゃんか。ま、そりゃそうだ」
睡蓮は苦笑する。
「璃々って真名のようだな。俺は孫文台、真名は睡蓮さ」
「……睡蓮様がそう仰せなら、私も教えないといけませんね。太史子義、真名は飛燕です」
「うん、わかったよ! 飛燕おねえちゃん!」
満面の笑顔で返す璃々。
「しかし、驚いたぜ。歳三の周りには美女が選り取り見取りだからな、てっきり先を越されたかと思ったが」
「ふっ、無用な心配をせずとも良い。それより、二つ聞きたい事がある」
「ああ。俺がここに来た理由と、飛燕の事だろ?」
「そうだ。如何に大胆なお前でも、単身同然でとは穏やかではないな」
「……ま、その前に呑ませてくれ。お前のところの酒は格別だからな」
食事が済むと、璃々はそのまま寝てしまったようだ。
大人しい子供だが、穏やかでない会話を聞かされてもつまらぬであろうしな。
「ふーっ、いくらでもいけちまうな。この焼酎って奴は」
「睡蓮。呑むのは構わぬが、そろそろ本題に入ったらどうだ?」
「わかってるさ。まず、飛燕だが……自分から話せ」
「はい。歳三様、私が孔融様の下を離れたのはご存じですね?」
「うむ」
「その後、前揚州刺史の劉ヨウ様のところに参りました。些か、伝手がありましたので」
劉ヨウは飛燕の申す通り、今はその地位を追われ、荊州に逃げ込んだと聞いている。
睡蓮が揚州牧に任ぜられた事に対し、勅命に従わなかったようだ。
「これもご承知でしょうが、睡蓮様と戦になりまして。私は、雪蓮様と一騎打ちを演じました」
「で、全く腕が五分じゃねえか。コイツは殺すには惜しいってんで、先に劉ヨウの方を叩いたのさ」
「……帰るところがなくなり、私も残存兵をまとめて抵抗を試みたのですが。雪蓮様の説得で降る事にしたのです」
このあたり、私の知る流れと大きな違いはなさそうだな。
「歳三も知っての通り、飛燕は雪蓮だけじゃねぇ。うちの祭ともいい勝負が出来るぐらいだ、だから連れてきた」
なるほどな。
乱暴な説明だが、納得出来ぬ訳ではない。
「ならば、今一つの方も聞かせて貰おう」
「そうだな。歳三に抱かれに来た、ってのはどうだ?」
「からかうのは止せ。本気に取るぞ?」
「へえ、俺みたいな年増でもそう思ってくれるのかい?」
「お前は十分に美貌を保っているではないか。だが、私にはそのつもりはない」
「そりゃ残念だ。なあ、飛燕?」
「な、何故私に振るのですか!」
飛燕は、真っ赤になって頭を振った。
「あん? 何だ、お前も歳三にホの字か?」
「で、ですから何故そうなるのですか。私をからかわないで下さい!」
「ったく、歳三みたいな本当に強い男は貴重なんだぜ?」
「睡蓮。話が横道に逸れているぞ」
「おっと、そうだな。歳三の酒を呑みたかったのも理由の一つだが」
そう言って、睡蓮は声を潜める。
此所では聞き耳を立てられる恐れはないのだが、無意識にそうさせるのであろう。
「山越の一件、まずは礼を言わせてくれ。まさか、士一族が絡んでいたとは思わなかったんでな」
「いや、あれは偶然が重なっただけの事。それに、いずれは露見していた事だ」
「いやいや、明命が懸命に調べても突き止められずにいたんだ。奴らがどこから資金を得ていたのかがな」
「ふむ。ならば今は抵抗も弱まった訳だな?」
「ああ。資金源さえ断っちまえば、将兵の質は俺の方が圧倒してるんだ。脅威にはならねえさ」
そこまで話すと、睡蓮は杯を干した。
「ただ、捕虜にした奴から不穏な事を聞いてな。お前に直接報告しておきたかったのさ、内容が内容だけにな」
「ほう」
「……まだ真偽は確かめられちゃいねえがな。どうやら、歳三に反旗を翻した連中は、洛陽の玉無しどもとも繋がっているらしいぜ」
「……あり得る事だ」
「だから、あんな手に出たのは山越と繋がって自分たちの利権を守ろうとしただけじゃねえって事になる。いずれは正式に刺史や牧の座も、って事だったんだろうな」
「利害が一致した輩同士が手を組んだ、という訳か」
「そうだ。だが、これでもう思い通りにはいかなくなった。玉無しどもも、資金の当てがなくなる……」
「新たな手を打ってくる、という事か」
「もともと、連中は歳三や俺を警戒している。用心に越した事はないぜ?」
「……うむ」
「……う~ん……。あれ、わたし寝ちゃってた?」
璃々が目を覚ましたようだ。
「さて、そろそろ出るとするか。二人とも、城内に案内するぞ」
「いや、俺はもう少し呑みたい。それに、酔っ払ったまま城内に入るのはまずいだろ?」
「……召し上がるのは程々にしていただきたいですが、酔いのない状態で伺うのには賛成ですね。歳三様、明日改めて」
「そうか。ならば、亭主に宿の手配はさせておく」
「ああ、すまんな。もし、俺や飛燕を抱く気になったら来るがいいさ」
「睡蓮様! いい加減にして下さい!」
全く、何処まで冗談なのかわからぬな。
「さて、璃々。そろそろ紫苑のところに戻った方が良かろう」
「うん。おばちゃん、おねえちゃん。またね?」
璃々の手を引き、店の外に出た。
……と。
「主。一人で出歩くなと、皆から言われているではありませぬか?」
星が、そこに立っていた。
「一人ではない。客人が一緒であった」
「おや、然様ですか。璃々、一体誰が一緒だったのだ?」
「えーとね、睡蓮おばちゃんと、飛燕おねえちゃんだよ」
「……なるほど。あの二人が一緒ならば要らぬ心配でしたかな、ですがそれならば一声かけて下され」
呆れたように、星は腰に手を当てた。
我が身を案じて、探していたのであろう。
「うむ、悪かった」
「ならば、お詫びに今夜一献、お付き合い下され。それで手を打ちましょう」
「……良かろう」
「あー、星おねえちゃんばっかりずるい! 璃々も一緒がいい!」
「はっはっは、言うではないか。だが、主は譲れぬぞ?」
星は、本気とも冗談ともつかぬ風だ。
無論、その場に璃々を加えるつもりはないがな。
……さて、戻ったらまたやるべき事が増えたようだ。
十常侍らとも、そろそろ決着をつけねばならぬな。
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